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第1話:転生者殺し(7)

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇



 時は宵に移り―――


 叙爵式に続いて、その祝賀の宴も終わり、参列者が続々と王宮から退出していった。


 そんな中、ひと通りの挨拶まわりを終えたマローも、ようやく貴族の勲章を胸に、愛する者の待つ屋敷へ向かうべく、その足を外に向けようとしていた。


 だが、まずは紛失した婚姻届を再び書くために、教会に寄らなくてはならない―――そんな思いに苦笑するマローの背中に、


「マロー、少しよいかな?」


 と、その貴族叙爵の後見となった、ミッターから声がかかった。


「こ、これは、ミッター様」


 恭しい態度で緊張しながら、それに応じるマロー―――彼はミッターのおかげで、晴れて貴族となれた訳だが、その後ろめたい過去を共有する相手だけに、けっして油断のできない相手であった。


「フン……」


 その心を見透かした様に、ミッターは薄くせせら笑うと―――近くに―――という手招きで、マローを呼び寄せると、後ろに控える側近のガラーラにも聞こえない小さな声で、マローに耳打ちする。


「マロー……お前、転生者だな」


「―――!」


 突然の指摘に、マローは息を呑んだ。


「なあに、驚く事はない―――私も転生者だ」


 その言葉に、マローは目を見開き、ミッターの顔をまじまじと凝視した。


「今日、お前と初めて会って、すぐに分かったぞ……転生者通しは、引かれ合うのでな」


 構わず喋り続けるミッターの言葉に、どこかマローも得心するところがあった―――確たる証拠はないが、マローも初対面のミッターの存在に、何か言い知れぬものを感じていたからであった。


「教えておく……摂政アルバイン様も、転生者だ」


「―――!」


 次々と明かされる事実に、マローは放心状態になりかけたが、


「アルバイン様についてこい……アルバイン様は、転生者の力でこの国の―――この世界の王となるお方だ。お前のその能力を、アルバイン様のために捧げるのだ……よいな」


 そう言いながら、ポンと肩を叩いたミッターの視線に、未来の栄光と引き換えに、もう引き返せない道に入り込んだ己の運命を悟るのであった。


「さて……ではガラーラ、参るか!」


 現世人には聞かせられぬ密談―――それを終えると、ミッターは目だけを後ろに向け、控えるガラーラに声をかけた。そして、まだ呆然としたままのマローの顔をのぞき込むと、



「私はこれより娼館に行く……お前も一緒にどうだ?―――貴族となった祝いだ、良い娘を当てがってやるぞ?」


 と、その小太りの体を揺らしながら、下卑た笑いを浮かべるのだった。


「い、いえ、私は―――」


 それに恐縮した態度で慌てるマローに、


「ミッター様、お戯れを……そやつには新妻がおるのですぞ」


 と、ガラーラが、これも下衆な口ぶりで冷やかしの言葉を浴びせた。


「い、いえ、まだ婚姻の手続きは済んでおりませんが……どうかご容赦のほどを」


 根が生真面目なマローは、まだ教会に婚姻届を出していない事実を、馬鹿正直に告げながら、ミッターの誘いを丁重に断るのだった。


「ガッハッハッハッ―――まあよい、それでは今宵は閨でその娘を、心ゆくまで可愛がってやるがよいわ」


 そう言うと、ミッターは再び大笑しながら、娼館に向かうために足を踏み鳴らしながら、その場から去っていった。


 残されたマローは、解放された安堵からか深くため息をつくと、気をとり直して目的である教会に向けて、これもまた王宮を後にした。


 ミッターとガラーラが、王宮を出る姿を確認すると―――それを報告するべく、監視役として一人残っていたルーが、闇に向かって姿を消した。


 そしてマローも城門を出ると、森の中に向かって幾つも連なる凱旋門の様なゲートに目を向ける―――これをくぐっていった先に教会がある―――モニカとの幸せを思い、ミッターから受けた衝撃も薄れたマローは、そこに向かうべく、足を踏み出すのだった。


 それから少し後―――王宮から少し離れた、歓楽街の様な区画にある一軒の娼館にミッターが到着した。


 いくらお忍びとはいえ、ミッターも丸腰ではない―――シェラルド、ボランという、アルバイン麾下の転生者たちが暗殺されている事態を警戒して、ガラーラだけではなく十数名の衛兵を連れている。それを外に待たせて、ガラーラだけを連れて娼館に入っていった。


 いくらなんでも、娼館の中にまで衛兵を入れるのは無粋であるし、また腕の立つガラーラがいれば心配もあるまい―――そう判断したミッターの考えは、まさに暗殺者の思うツボであり、命取りともいえる失策であった。


「ミッター様である―――」


 ガラーラの短い取り次ぎの言葉に、


「これはこれは―――お待ち申し上げておりました」


 と、恭しく頭を下げた女が顔を上げる―――それは、長い髪を大ぶりに流し、けばけばしい化粧と、口元をレースのベールで覆った―――エマの姿であった。


「こちらに……お部屋のご用意ができております」


 そう言いながら、先に立つエマの姿は、どこから見てもやり手の女将といった見事な変装であった。


 まさかこれが、人間の姿に現界した天使だとは、誰も見破れまいし、この手の娼館の女将や女衒はよく顔ぶれが変わるので、ミッターたちも特にそれに不信を抱かなかった。


 それにしても、艶やかな衣装に身を包んだエマは美しく、後に続いて進むミッターは、その豊かな腰つきに目を奪われながら、だらしなく頬を緩ませた。


 エマ、ミッター、ガラーラが階段を上る―――その下の倉庫には、気を失った本物の女将と娼婦が押し込まれていた。


 それとすり替わったエマが、二階の廊下の中央まで進み、


「こちらでございます―――」


 と、一室のドアを開ける。その中には、目を伏せた白装束の女がベッドに腰かけていた。


「おお!」


 その雰囲気だけでも、それが極上の女である事を感じ取ったミッターが、思わず声を上げる。


「では、ごゆっくり……」


 そう言って、エマは扉を閉めると、廊下で護衛の任にあたるガラーラに一礼して退出していった。


「おお……おお……」


 興奮が抑えられないミッターが、女のもとに歩み寄る。そして女の隣に腰かけ、その顔をのぞき込むと、それはまるで聖女の様な美しさであった。


「そなた……名はなんと申す?」


 ミッターの問いに、女は静かに顔を上げると、


「はい……マリアでございます」


 そう答えて、誘う様な微笑みを見せる―――娼婦とすり替わったマリアの、普段の彼女からは考えられない、見事な演技であった。


「そうか、そうか……」


 鼻息の荒くなったミッターが、マリアの両肩に手をかけ、胸元の大きく開いた衣装の肩ひもを下げにかかる。それが二の腕の中ほどまで下がり、あと少しでその豊かな胸があらわになろうとした瞬間―――マリアが思わせぶりに、ミッターの手を止めた。


「んんー?」


 もう少しのところで、おあずけを食らった形のミッターは、怪訝な声を出した。


 それに向かって、マリアはウフフと妖艶な微笑みを見せると、その両腕を肘まで覆っている白い手袋を、ゆっくりと片方ずつ外しにかかった。


「ほほう……」


 もう、すっかりマリアに魅了されているミッターは、その艶やかな所作に見入るばかりであった―――白い装束に、気品あふれる白手袋の取り合わせにも、興をそそられていただけに、それを取る仕草にも、まるで衣服を脱ぐ様な興奮を覚え、ミッターもまた自身の上着を脱ぎ捨てた。


 そして、あらわになった両手を、マリアがミッターの肉付きのいい両肩の上に置いた。


 まるで、これから抱きしめられる前段階の様な胸の高鳴りに、ミッターはマリアの手の柔らかさも相まって、恍惚となった―――そのためにミッターは気付かなかった。手袋を取ったマリアの両腕が、白くほの暗い光を放っていた事に。


「ふうむ、ふうむ」


 興奮の頂点に達し、もはや感嘆の声しか出せなくなったミッターは、その抑えていた劣情を吐き出すべく、ひと思いにマリアを押し倒そうと、その手に力を込めたが、


「―――!?」


 両腕に力が入らない。


 なぜだ?―――心中、狼狽したミッターは己の体の異変に気付いていく―――マリアの手が置かれた肩から先が、血が通わなくなった様に、どんどん冷たくなっていく事に。


「な……な……?」


 まさか、それがマリアのスキルである事など、理解できようはずがないミッターの両腕が、ダラリと下に落ちる―――それを確認すると、マリアは肩から手を外し、それをミッターの目の前にかざした。


 鈍く光る両腕―――それは輝かしくも儚くもあり、その奥にはマリアの憂いに満ちた、美しい顔があった。


「これが私のスキル……『生命終焉』―――私の手に触れたものは、すべてこうなるの」


 せめて、これから殺める相手に、その謎だけは明かしてやろうというマリアの情けの言葉―――それにミッターの顔が恐怖に歪むと、


「これで……終わり……」


 という呟きとともに、マリアの右手がスッと伸びた。


「あっ……あーっ!」


 首をつかまれ、そこからだんだん脳に酸素が回らなくなっていくミッターの断末魔の叫びが上がると―――やがてその首は、ガクンと力なく折れ曲がった。


「ミッター様!?いかがなさいました―――」


 上げられた叫びが、喜悦の声とは異質なものであると判断したガラーラが、部屋のドアを開け、廊下から中をのぞき込む―――そこにはマリアに首に手をかけられ、だらしなく絶命しているミッターの姿があった。


「貴様ー!」


 そう叫びながら剣を抜き、中に突入しようとするガラーラは―――次の瞬間、殺気を感じ身をのけぞらせた。


「お前の相手は、ルーだよー!」


 弾んだ声を上げながら、斬りかかる少女―――その斬撃をかわしたガラーラだったが、それも束の間、目にも止まらぬ(サイ)による突きが連続して繰り出されてくる。


 それをかわしながら反撃の機をうかがうが、ガラーラの長剣は、狭い娼館の廊下では十分に振りかぶる事ができず、とりあえず十分に後退して、間合いを取り直すのが精一杯であった。


「ふふん、ふん」


 両者の動きが一旦止まると、鼻歌まじりで(サイ)をクルクルと振り回す少女―――ルーは、ガラーラのその頬骨の張った顔を、下から見上げながらヘラヘラと笑うのだった。


「む……見事な腕だな、小娘……」


 この状況に最適な戦法を選んだルーを、荒い息づかいで褒めるガラーラだったが、


「だがな―――!」と気合いの叫びを上げると、その長い剣を真っすぐ前に向け、大きく踏み込みながら、ルーに負けないスピードで連続突きを繰り出した。


「剣とて突きは、できるのだぞ!―――そして、この逃げ場のない状況では、得物の長さがモノをいうのだ!」


 そう言い放ったガラーラの言葉通り、受け身にまわったルーは、武器のリーチの違いから反撃もままならない―――そして後退を続け、遂に逃げ場のない廊下の突き当たりまで追い詰められると、


「残念だったな、小娘ー!」


 というガラーラの叫びとともに、その突きで胸を深々と刺し貫かれてしまった。


 黄色い装束に広がる、真っ赤な鮮血―――その手ごたえに満足したガラーラが剣を引き抜くと、ルーは頭を下げて、右に左にふらふらと、足をもつれさせる素ぶりを見せた。


「フン……ひと思いに、殺してやろうか」


 そう言いながら剣を構え直したガラーラだったが、次の瞬間、その視界には―――バッと突然、顔を上げたルーの姿が飛び込んできた。


 その顔は、先ほどと同じくヘラヘラと笑っている―――この小娘、傷の痛みに気が触れてしまったのか?


 あまりの不気味さに、そうおののいたガラーラだったが、次第に自分の胸に広がっていく痛みに気付くと、「うう……」と呻き声をもらしながら、ガクリと地面に膝をついた。


 胸に当てた手の、ヌルリと生暖かい感触にガラーラがその手を上げると―――それは鮮血に染まっており、自身の胸が、まるで刺し貫かれた様な傷を負っているではないか。


「な、なぜだ……!?」


 状況が理解できないガラーラに、


「フフフ、これがねー、ルーのスキル―――『無言の復讐』だよー!」


 と言いながら、ルーはのぞき込む様に、痛みに苦しむガラーラの顔を見下ろした。


「―――!―――!」


 もはや声も出せないガラーラに向かって、


「ルーはねー、ルーが大っ嫌いな人から受けた攻撃を、そのままその人に返す事ができるんだよー……ルーは、お前の事、だーいっ嫌いだからねー」


 ケラケラと笑いながら、自身のスキルを説明するルーの胸は、先ほど受けた傷がまるで何もなかったかの様に、明るい黄色に戻っていた。


「ねえ、痛い?―――痛いー?」


 まるで悪魔の様に、笑顔で嘲りの言葉を浴びせるルーであったが、


「アモンとロブも―――同じくらい痛かったんだよ」


 という言葉に顔を上げたガラーラの額に、(サイ)を突き刺した瞬間―――その目は言い知れぬ怒りに満ちていた。


 そしてルーが、目を開けたまま絶命したガラーラの骸を蹴り倒すと、その背中に向かって、娼館の女将の姿のエマが近付いてきた。


「エマー!」


 血なまぐさい殺しを終えた直後とは思えない、豹変した笑顔で、ルーがエマに抱きつく。その後ろから、両腕に白い手袋をはめ直しながら、娼婦の姿のマリアも近付いてきた。


「行きましょう―――いずれ、ここの人たちや、ミッターの兵も事態に気付くわ」


 エマの言葉に、マリアは憂い顔で、ルーは満面の笑みで頷くと、仕事を終えた現場から、天使と二人の暗殺者が姿を消した。


 そしてその頃―――


 王宮を出て、一路教会を目指すマローは、その道程にある凱旋門の様なゲートをいくつもくぐりながら、未来に向かって思いを馳せていた。


 アモンとロブにはすまない事をした。また、その過程で人も殺めてしまった―――だが歴史というものは、こうして積み重ねられていくものではないか、と。


 図らずも自分は『神の意思』で転生者となった―――そして、これも運命のいたずらか、転生者であるミッターに見出され、アルバインという強大な存在の傘下に入る事となった―――これが『神の意思』なら考えても仕方がない、もう前に進むだけだ。


 明日には、今から受け取りにいく婚姻届をモニカと一緒に教会に出す。それで晴れて夫婦となれる―――これで良かったんだ。


 そう思い定めたマローの足取りは軽くなり、すっかり暗くなった森の中で、教会まであと少しのところまで到達したのだった。


 そして、いくつ目かのゲートをくぐろうとした瞬間、マローはそこにある異様な光景を目にして、思わず後ずさった。


 ゲートの通り口に―――びっしりと青白い蜘蛛の巣が張られている。


「な、なんだこれは……」


 呆然とするマローは、背後からの視線を感じて振り返る。だが、誰もいない。


 ハッとしたマローは、顔を上げると―――先ほどくぐったゲートの上に、濃紺の装束に身を包んだ、人が立っているではないか。


「だ……誰だ!?」


 恐怖に声を震わせるマロー。それに濃紺の装束の者は、その鼻と口を覆っている布を下ろす―――そして、そこには無表情にマローを見下ろす、日向の顔があらわれた。


「君は……日向さん?」


 動揺に続いて、困惑がマローを襲う―――無理もない。こんな夜更けに、突然頭上から現れた存在が、自分の顔見知りであったのだから。


「どうして君が、こんな所にいるんだい?」


 一向に言葉を発さぬ日向に、マローが上ずった声で問い質す―――それにも答えず、日向は左手を振り下ろすと、その人差し指から放たれた青い糸が、マローの首に巻き付いた。


「私は……転生者殺し……」


 ようやく呟いた日向の言葉に、マローは愕然とした―――まずは『転生者』、そして『殺し』という言葉に。


「な、なぜ私が転生者だと知っている!?―――君も転生者なのか?それに殺しって、どういう事なんだ!?」


 首に巻き付いた『蜘蛛の糸』から、事態が尋常ならざる事に気付いたマローは、次々と日向に質問を浴びせた。


「あなたは転生者として、この世界の『ウイルス』になった―――だから、あなたを……殺す」


 それに日向は表情を変えず、言葉短く答えた。


「ウイルス?―――あの老貴族を殺した事か!?―――あれは仕方なかったんだ!私だって、あんな事はしたくなかった!アモンとロブの事だって、どうしようもなかったんだ!」


 顔面蒼白になりながら、マローは己の罪業について、弁明する様に次々と言葉を重ねた。


「それに私は神の意思で転生したんだ!私が望んだ訳じゃない!―――すべては、すべては神の意思なんだ!」


 そう言って、マローは『神』という存在を口にした―――その瞬間、日向の心がざわついた。


 マローだけじゃない、自分だって、そして自分の大切だった人も、その『神』という存在が行う実験―――『異世界転生』に運命を狂わされた。


 その運命を嘆くマローに、運命に抗おうとする日向は、苦しい胸の内を隠しながら、無表情のまま言い放った。


「その神が言ってるのよ―――あなたは『失敗作』だったって」


「し、失敗作……そんな……」


 絶望のあまり、顔を歪めるマロー。だが彼は、それでも力を振り絞り、


「私は……私の『願い』は……ただ、モニカを守りたかっただけなんだ!」


 己の信念を、泣き出しそうな目で、必死に日向に向かって訴えるのだった。


「―――!」


 その瞬間、日向の顔付きが変わった。そしてそれに呼応する様に、ふと見上げた視線の先に―――夜空に浮かぶ、霞の様な人影が再び現れた。それは昼に王宮で見た、日向と瓜二つの女の姿だった。


 日向は、またそれに呼びかけたい衝動を必死に抑えて、歯を食いしばり目を閉じた―――そして目を開けた時、その姿はもうどこにもいなかった。


 マローも空に浮かぶ女の姿を目にしたらしく、顔を上げたまま呆然としている―――それに向かって、日向が言葉を投げかけた。


「あなたにも『願い』があった……私にも『たった一つの願い』があるの―――」


 そう言うと一旦言葉を切って、日向は右手を上げた―――その手にはめられた赤いグローブは、濃紺の装束と闇の中で、血の様に鮮やかに輝き―――それが自分の首に繋がっている『蜘蛛の糸』を掴んだ時、転生者マローは己の運命を悟った。


 そして―――


「私の『願い』……それは妹を……雫を取り戻す!」


 そう叫んだ日向は、クルリと背を向けると、マローとは反対側の地面に向かってゲートを飛び降りた。


 瞬間、マローの体はゲートに引き寄せられ、その屋根に摩擦熱の煙を上げる『蜘蛛の糸』に、その首を絡め取られたまま宙吊りとなって、ぶら下がった。


「ああ……ああ……」


 息のできない苦しさに、その手足をばたつかせながら、悶えるマロー―――その声を背中に聞きながら、日向は片膝をついた姿勢で、『蜘蛛の糸』を握りしめていた。


「嫌だ……嫌だ……モニカぁ……」


 苦しい息の中、愛する者の―――神の実験として、転生させられたこの異世界での、『たった一つの願い』だった者の名前を呼びながら、それでもマローは『生』にしがみつこうとしていた。


 それになんの感慨も抱かない様な、無表情を貫き続けながら日向は思う。


 私は私の『たった一つの願い』を叶えるために『転生者殺し』となった―――だから、私はこの男を殺す!と。


 そして赤い右手に力を込め、日向が『蜘蛛の糸』をグッと引くと―――「うっ!」という短い呻きとともに―――暴れていたマローの全身は力を失い、ゲートに首を吊られた状態で、その運命に翻弄された異世界での生涯を終えたのだった。


 右手にマローの絶命を感じると、日向はピンと張りつめた『蜘蛛の糸』に、フッと息を吹きかける―――すると青白い光を放つ糸が消え―――ゲートを挟んだ日向の反対側の地面に、マローの骸が落ちるドサリという音が聞こえた。


 そこでようやく日向は立ち上がりながら、後ろを振り返る―――そこには、もう息をしていないマローの体が、地に横たわっているだけであった。


 それを冷たい眼差しで見つめた後、日向は夜空を見上げ、


「雫……」


 と、さっき口にする事ができなかった妹の名を―――その『たった一つの願い』の名を口にするのだった。


 そして、もう空に何も見えない事を確認すると―――与えられた仕事を終えた日向は、もう振り返らずに、闇の中にその身を消した。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇



 翌日―――


 晴れ渡る空の下、エマたちは次の暗殺目標のもとに向かうべく、草木が生い茂る田舎道を歩いていた。


 マリア、ルー、そして日向―――エマに続いて歩く、この三人の女が、昨夜、血なまぐさい暗殺を行なった事など、まるで嘘の様に―――この異世界は表面上、平和そのものであった。


「ねえ、日向―――」


 相変わらずエマにまとわりついているルーを横目に見ながら、マリアが口を開く。


「マローさんとモニカさんの婚姻届……盗んだのはあなただったのね」


 その言葉に、先を歩くエマばかりか、ルーも驚きの表情を見せ、その足を止めた。


「今朝、パユに会いにジェンダさんの教会に行ってきたわ……そしたら、あなたが昨日、婚姻届を出しに来たって」


 それに日向は口をつぐんだままだったが、マリアは構わず言葉を重ねる。


「マローさんが貴族に叙爵されてから、婚姻届が受理されれば二人は夫婦に―――たとえその後、マローさんが死んでもその財産はモニカさんに渡り、その家は救われる……そう思ったんでしょう?」


 行くとこができた―――そう言って、マローの叙爵式の後、一人姿を消した日向の行動を、マリアはそう読み解きながら、優しい微笑みを向けた。


「知らないわ!」


 そう言いながら日向は、唖然として言葉を失った、エマとルーの横をすり抜けながら先に進む。


「モニカさんね……尼になるそうよ―――マローさんの妻として、これからもマローさんを想い、生涯を送るって」


 その背中に投げられたマリアの言葉に、日向の足が止まった―――その時、鐘の音が聞こえてきた。


 それはモニカの屋敷の時を告げる鐘―――その響き渡る澄んだ音は、まるでマローへの鎮魂の様でもあり、家を救ってくれた日向への感謝の言葉の様でもあった。


 一同が、しばしその音色に心を奪われている中、


『たった一つの願い』のために、人は鬼になれる―――そして、とどのつまりは、みんなまとめて地獄行き。


 日向はかつて自分が口にした言葉を、再び噛みしめながら、言い知れぬ無常感に、その心を黒く染めていった。


「ねえエマー、ルーたちが殺した転生者たちって、どうなっちゃうのー?」


 不意にルーが、そう呟いた。それに少し困った顔を見せながら、


「ウイルスは……神の実験の失敗とみなされ―――転生する前の世界に戻され、そこでまた生まれ変わるわ……なんの記憶も持たないままね」


 神の使いである天使エマは、まるでシステムの様に、異世界転生のなれの果てを、淡々と語るのだった。


 それにマリアは、白い手袋の両手を合わせ、悲しい顔をしながら、何に対してか分からない祈りを捧げ―――ルーは、「ふーん、そうなんだー」と、自分で聞いておきながら、

 まるで興味がないといった顔で、ヘラヘラと笑うだけであった。


 そして、マリア、ルーとともに転移者として、異世界を渡る『転生者殺し』となった日向は、心で叫ぶ。


「雫、待っていて……必ずあなたを救ってみせる―――それから、このふざけた神の実験を……私たちの運命を変えたこの世界を―――異世界を殺す!」




 第1話:「転生者殺し」終


 第2話:「たった一つの願い」に続く




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