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第1話:転生者殺し(6)

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇



 翌朝―――


「うーん、どこにやったのだろう……」


 宿の食堂で朝食をとる日向たちの視界に、慌てた様に何かを探すマローの姿が入ってきた。


「何か……お探しなのですか?」


 その様子にたまらずマリアが声をかける―――昨晩、マローが暗殺対象に加わった経緯から、その顔付きはいささか固いものであったが、それでも平静を装い心配そうに歩み寄った。


「いや……お恥ずかしい話なのですが……モニカとの婚姻届が見当たらなくて……」


 言うのをためらう様に口ごもりながら、マローは困り顔で、あろう事か婚姻届の紛失を告げたのだった。


「まあ……!」


 その事実に、純粋に驚いたマリアが声を上げる。


「昨夜、部屋の引き出しに入れたはずなのですが……今日の叙爵式の準備で、慌ただしくしている間に、どこかにやってしまったのかもしれません……」


 おそらく部屋の隅々まで探しても見当たらず、あげくにこの食堂にまで捜索の手を伸ばしてきたのに違いない―――だが、見たところ周囲にそれらしきものはなかった。


 引き続きマリアが心配そうな視線を送る中、日向はそれを朝食をかきこみながら、横目で見ている―――「美味しくない食事はいらない」と昨晩タンカをきって夕食をとらなかったせいで、今朝の食欲は三人前に届こうとする勢いであった。


 その時、モニカの屋敷の時を告げる鐘が鳴った。


「もう叙爵式に向かわなくては……仕方ありません、出発します―――式典と宴が終わったら、夜更けですが教会に寄って、そのままモニカの所に行って、また書けばいいだけの話です……モニカには怒られてしまうでしょうけどね」


 そう言ってマローは、鳴り響く鐘の音に、モニカの苦笑する姿を想像しながら、子供の様にはにかんだ―――その笑顔がマリアには痛々しく、目を背けたい気分だった。


「皆さんも、今日ここをお発ちになるんでしたね」


「はい。お世話になりました」


 エマが一同を代表して、宿の主人であるマローに長逗留の礼を述べた。


「またぜひ、お越しください。お待ちしております―――では!」


 そう言って、叙爵式に向けて出発したマローの笑顔は、あの誠実を絵に描いた様な―――純粋な願いを抱いていた頃の、優しい笑顔だった。


 もう自分たちが、この宿を訪れる事はないだろう。同じくマローも、この宿に戻る事はない―――そんな皮肉な未来に複雑な感慨を抱きながら、エマたちもマローの宿を後にした。


 そして一行が標的であるミッター、ガラーラ、マローの動きを捕捉するべく、王宮に向けて進む中―――


「婚姻届をなくしちゃうなんて、マローもドジだねー」


 と、ルーが他人の不幸を笑うように、弾んだ声を上げた―――それに、マリアは当然のこと、エマも顔をしかめたが、


「でもさー、これで良かったんだよねー」


 と、構わず重ねた言葉に、日向をのぞいて、二人は怪訝な顔をした。


「だってさー、そうでしょう?―――今日これからマローは死ぬんだし……そしたら婚姻届けは出せないし、モニカの家も救われない―――結局、誰も救われないんだったら……あんな婚姻届なんて、なくなっちゃって良かったんだよ!」


 少しだけ悲しそうな顔でそう言ったルーの言葉が、あまりにも核心を突きすぎていたために、全員が言葉を失ってしまう―――無頓着で無神経に見えるルーが、意外にも一番、人間世界の真理を知っているのかもしれなかった。


 そして王宮の外郭に到達したエマたちは、そこで宵になるまで待機する事にした。


 中世の欧州を思わせるこの世界は、その城郭も城塞都市という形式をとっており、長く続く城壁の中には、市場や民の家屋がひしめき、その中心に王宮が本丸といった構えで鎮座していた。


 だがその内容は城塞都市というには、城壁も低く、またそれぞれの城門には門番もまばらであり―――それは、この世界が戦乱とは無縁な、平和ボケを甘受している事の表れであった。


 またその国家統治力も未熟で、城塞都市の体裁はとっているものの、家臣団とその家族を城に集めている訳でもなく、有力貴族は各々の領地に離れ、その繋がりは『点と点』の様に脆弱で、王はただ任命権を持つ『象徴』に過ぎなかった。


 それを国家形成の『過渡期』と好意的に見ればそれまでだが―――だからこそ、アルバインの様な転生者がクーデターを目論む余地があるのである。


 成熟した世界から来た転生者ならば、特定のスキルを持たずとも、前世の知識だけで、この世界は赤子の手をひねる様に容易に組み伏せる事ができる―――土地売買の優れた手腕を持ったマローも、またそうであった。


 しかし、アルバインという男、相当な切れ者である―――どの様な出自か定かではないが、この国の王の側近として、摂政という地位にまで昇りつめ、それどころか転生者というイレギュラーな存在を傘下に集め、この未開の世界を席巻しようとしている事実は、神をして『危険な存在』と思わしめるに十分であった。


 その神が定めた『ウイルス』として、この世界の最終征伐目標であるアルバインが、今この王宮にいる―――いずれ刃を交えなくてはならないが、その暗殺は一筋縄ではいかないだろう。


 そんな思いにくれながら、神の先兵である天使エマは、その長い編んだ髪を風にまかせながら、今頃はマローの貴族叙爵式が始まっているであろう、王宮の大聖堂の方角を見つめていた。


 傍らには、そのエマを崇拝しているルーが、揺れる髪にまとわりつきながら、無邪気に微笑んでいる。マリアはその肘までを覆う白い手袋の両手を、顔の前で代わるがわる重ね合わせ、これもまた何か物思いにふけっていた。


 その中で、いつもの様に無表情にたたずむ日向の耳に、


「―――ちゃん……お姉ちゃん……」


 と、消え入りそうな、かすれた声が聞こえてきた。


 一瞬、何事かと辺りを見回したが、他の者にそれが聞こえている様子はない―――だが、我に返ると日向は、


「雫……!?」


 と小さく呟くと、引き続き呼びかける声の方角に向かって、一団の中から飛び出していった。


「日向!?」


 突然、駆け出した日向の背中に、エマが驚きの声を上げるが、それさえ耳に入らない日向の足は止まらない。


「日向……雫さんの名前を呼んでいました」


 一番近くにいたマリアは、日向の呟きを耳にしており、それをエマに報告する。


「どうするエマー?追っかけて捕まえる?」


 日向の駆けていく先は王宮―――今、ここで騒動を起こすのはまずい。考えた末、そう判断したエマは、ルーの問いかけに、


「いえ、待ちましょう……いずれ戻ってくるでしょう」


 と、苦い顔で事態の静観を決断した。


「雫さんが……ここにいるんでしょうか……?」


「日向、すごい慌てぶりだったねー」


 心配そうなマリア、面白がるルー―――その両人の言葉に何も答えず、エマはただ小さくなっていく日向の後ろ姿を見つめるだけあった。


 お姉ちゃん……お姉ちゃん……と、繰り返し聞こえる声に向かって、日向は駆け続ける―――前述の通り、城内の警備は王宮以外は手薄なおかげで、特に怪しまれる事なく、城の中央まで突破する事ができた。


 声の方向は、だんだん空に向かっている―――それに構わず日向は、家屋の屋根を駆け上がり、上に上にと進んでいく。


 そしてスキルである『蜘蛛の糸』を放ちながら、壮麗な建築物の屋根に向かって飛び移ると、そこで自分を呼ぶ声が止まった―――その時ようやく日向は、そこが城内の中心部である王宮、しかも足元に広がる天窓とステンドグラスから、大聖堂の屋根らしい事に気付いたのだった。


 足元の天窓を覗き込むと―――そこは今まさに、マローの貴族叙爵の式典が、王族や大臣列席で、おごそかに開かれている最中であった。


 目を大聖堂の奥に移すと、そこには仰々しい礼服をまとった、いかにも好々爺といった老人がいた―――おそらくは、この国の王であろう。


 そして、その傍らに控える男―――たくましい長身に、壮麗な髭をたくわえ、その髪は獅子のたてがみの様に雄々しく、その姿は一目で英雄の風格を漂わせていた―――この男こそが転生者、摂政アルバインに違いなかった。


 その赤い礼服の華麗さも相まって、どちらが王かわからないほどの威厳を放っているアルバインに、日向は一瞬、戦慄した―――これが……倒すべき敵なのか、と。


 そんな思いに日向が、ふと目を落とすと―――そこには、間もなく王より貴族の叙爵を受けるマローが、末座に複雑な表情で控えていた。


 その心境は、事ここに至って、ようやくここまでの道のりを―――罪業を振り返っている様子であった。


 自分は『異世界転生』という新たな道で、前世と同じく誠実を貫いてきた。そしてこの未開の世界で、順風満帆の成功を得てきた―――だが、愛する者と結ばれたい、救いたいという『たった一つの願い』のために、罪なき人を殺め、そして自分を慕ってくれていた部下を、結果的には捨て石とした。なんて事をしてしまったんだ。


 そんな良心の呵責に苛まれるマローを見て―――初めて、日向は心から悲しそうな顔した。


『たった一つの願い』―――そのために、人は鬼になれる。昨夜、マリアにそう言った言葉を反問して、日向は一人、十七歳の少女に戻って、その胸を痛めるのだった。


 だが突然、マローが微笑んだ―――何事かと、その視線の先を追うと、そこには式典に列席しているらしいモニカが、思い人の栄光に、心からの祝福の笑顔を送っていた。


 それは、あまりにも苦い栄光―――だが、モニカに罪はない。そしてモニカを想うマローの願いも、その根本は純粋なものであったはずなのだ。


 微笑み合う二人を見て、日向が顔を歪め、その目を伏せると―――「お姉ちゃん……」と、再び声が聞こえてきた。


 ハッと日向が顔を上げると、はるか頭上に霞の様な人影が浮かんでいた―――それは髪型さえ違えど、まるで日向の生き写しの様な姿だった。


「雫―――!」


 呼びかける日向の声に、それは答えない―――だが、苦しむ日向の心中を察した様に、それは優しい微笑みを送りながら、コクリと頷いた。


「雫―――!」


 再び呼びかける日向の声にも返事はなく、それはそのまま本当の霞の様に消えてしまった。


 呆然とそれを見届けると、日向はマローとモニカの顔を交互に見つめ、そして固く目を閉じると、


「分かったわ……雫」


 と、何かを決意した様に、自分をここまで呼び寄せた存在に向かって、一人呟くのであった。


 その時、日向は自分を見つめる新たな視線を感じた―――それは足元からだった。


 その方向に日向が目を向けると―――王の隣で控えるアルバインが、こちらを見ているではないか。


 しくじった。だが無我夢中でここまで来たとはいえ、気配は消していたはず―――日向はアルバインの、その威容だけではない能力に、あらためて戦慄した。


 だがアルバインは、別に騒ぎ立てる様子もない。それに日向が緊張した視線を送り続けると、アルバインはニヤリと笑った。


 それはまるで、「来るなら来い『転生者殺し』よ―――この俺を殺せるものならな」と、あざ笑っている様に日向には感じられた。


 次の瞬間、足元から歓声が上がった―――どうやら、王からマローに貴族の位が授けられたらしい。


 その晴れがましい姿を見届けると、日向はアルバインに一瞥をくれると、大聖堂の屋根を駆けて、その場から離脱を開始したのだった。


 そして、状況を憂いながら待ち続けているエマたちのもとに戻ると、


「日向……雫がいたの?」


 と呼びかけるマリアに向かって、日向は無言で頷いた。


 それに関して、エマは難しい顔を作るだけで、何も言わなかったが、


「アルバインがいた……」


 という日向の次の言葉には、「日向!?」と、ここまでの作戦行動を破綻させかねない事態について、驚きの声を上げた。


「大丈夫……心配ないわ」


 それに日向は、短く答えると、


「行くとこができた―――」


 続けてそう言いながら、エマたちに背を向けて、スタスタと歩き出していった。


「日向―――!」


 度重なる単独行動を咎めるエマの声に、日向は少しだけ振り向くと、


「仕事は……きちんとやるわ」


 と無表情ながら、固い信念を帯びた視線を送るのだった。


「日向の奴ー、またエマに逆らってー!捕まえる?ねえ、捕まえる?」


 ルーが、エマの袖を引っ張りながら、その捕獲の許しを求めたが、


「いいわ……日向にまかせましょう」


 エマは諦めた様に、その行動を認めたのだった。


「もー、日向の奴ー!今度、エマに逆らったら殺してやるんだからー!」


 小さくなっていく日向の背中に向かって、ルーは収まらない怒りを口にしたが、エマがそっとその頭を撫でてやると―――日向の事など忘れた様に、満面の笑顔を作りながら、子犬の様にその体にまとわりついた。


 マリアはその光景をずっと、ただ黙って見つめていた―――それは日向の悲しみも、エマの悲しみも、どちらも理解しているからこその沈黙であった。


 そんなマリアに、「ではマリア……私たちも行きましょうか」と、エマから声がかかる―――それは作戦行動の開始を意味していた。


「はい―――」


 短く答えたマリアの言葉を受けて、


「じゃあルー、ここはお願いね。ミッターがここを出たら、すぐに知らせてちょうだい」


 エマは、自分に抱きついたままのルーに向かって、その頬に手を置きながら、手はず通りの指示を与えた。


「分かったんだよー。待っててねエマ!」


 そう言うと、ルーはエマの体から離れて、握り拳を作りながらその意気込みを体で表現した―――日向と違って、ルーのエマに対する忠誠心は絶対であった。


 そして、エマとマリアが王宮を後にし、ルーは標的の監視役として残り、日向もまたその姿を消した―――各々の暗殺に向かって、『転生者殺し』たちが静かに、その行動を開始したのだった。




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