第1話:転生者殺し(4)
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その後、エマたちはミッターの拠点を探索したが、ジェンダの言葉通り、一味を立て続けに討たれたその周辺は、厳重な警戒網が敷かれており、その姿さえ確認する事ができずに、日暮れをもって撤退した。
「お腹がすいたわ」
宿に戻るなり、日向が聞こえよがしに呟いた。
「おお、姉ちゃん、用意できてるぜ!」
それにアモンとロブが笑顔で応じ、一同の夕食を用意しようとした矢先、宿の扉の鈴が鳴り、疲れ切った面持ちのマローが入ってきた。
「おかえりなさい、マローさん。いかがでした?」
出迎えの言葉とともに、性急な性格のアモンは、マローの首尾について問いかけた―――もちろん、ミッターに命じられた築城の用地の地上げの事である。
「うん……やはり頑なな御仁で……あの土地を離れる気はないの一点張りでした―――しかし、話に応じてくれれば、いかに利があるかを誠実に説くしかない……明日も出向くつもりです」
ガラーラから、ミッターに見限られかけていると聞かされ、内心あせるマローであったが、部下たちに心配をかけまいと、憔悴した表情ながらその場は気丈に振る舞った。
「マローさん、俺たちにできる事があったら、なんでも言ってください。お手伝いします!」
そんなマローを救いたいロブは、アモンともども前のめりになりながら、そう申し出た。
「ありがとう、二人とも……でも、モニカの家を救いたいというのは、私の自分勝手な願いですから……」
願い―――マローの言葉は、それを見守る日向たちの胸に突き刺さった。『転生者殺し』は、各々の『たった一つの願い』と引き換えに、天使と『血の契約』を結び暗殺者となったのだから。
そして日向、マリア、ルーが各々の願いに感傷を抱く間もなく―――突然、事態は動いた。
「マロー様……!」
宿の扉がけたたましく開き、そこから一目散に駆け込んできたモニカが叫びながら、マローにすがりつく―――その顔は止まらぬ涙で、びしょ濡れになっていた。
「どうしたモニカ、こんな時間に?」
モニカのただならぬ様子に、慌てるマローは事の真相を問い質す。
「お父様が……お父様が……私に貴族から婿を取ると!」
泣きじゃくる中、懸命に声を振り絞って、モニカは青天の霹靂ともいえる事態について訴えた。
「―――!」
マローだけでなく、それを聞いた一同が息を呑んだ。
「ど、どういう事なんだ!?」
「夕刻に、さる富裕な貴族から息子を婿養子にと、縁談の申し入れがあったのです……名跡を継がせる事で、我が家の借財をすべて肩代わりしてくれると……お父様は家を守るために―――その申し出を受けるおつもりです……」
「そ、そんな……!」
「お父様も、マロー様には済まないが、もう待てないと……マロー様の事は諦めろと……」
そこまで言うと、モニカは張り詰めていた糸が切れた様に、その場に泣き崩れてしまった。
借財が返せなければ、モニカの家は土地を取られ、貴族の地位も失う―――モニカの父も、娘の思い人であり、かつ平民ながら家のために尽くしてくれたマローを切り捨てるのは、苦渋の決断だったに違いない。だが『家を守るため』には非情の決断を下した―――ここに悲劇は、その幕を開けたのだった。
「―――いつなんだ?」
「……?」
「その貴族に婚姻の返事をするのは、いつなんだ!?」
血走った目で、モニカを問い詰めるマロー。
「せ、正式な申し入れの使者が、三日後にまた参ります……それまでに、我が家の返答を考えておいてほしい、との事でした」
「三日後……」
そう言うとマローは、何か意を決した様に頷くと、
「分かった……明後日までには、なんとかする!―――お父様には、それまで待っていてほしいと……必ず待ってくださる様にと伝えてくれ!」
と、モニカの肩を強く掴んで、そう訴えた。
「マローさん……」
たまらずアモンとロブが、心配そうに歩み寄ると、
「大丈夫だ……明日もう一度出向いて、必ず交渉をまとめてくる―――そして、明後日に貴族叙爵の許しが得られれば……それで間に合う!」
力強くそう告げるマローであったが、その口ぶりはもう冷静さを失っており、希望的観測にすべてをかける様な意気込みは、それを見つめる一同に不安を抱かせた。
「大丈夫だ……大丈夫だ……」
繰り返しそう呟くマローから、日向は一人そっと目を逸らすのだった。
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翌日の夕刻―――
悲痛な表情のマローが宿に戻ってきた―――その目は焦点を失っており、アモンとロブの出迎えにも無言で居室に戻っていくその姿は、誰の目から見ても交渉の不首尾を物語っていた。
それから少し後、食堂で夕食をとっていた日向たちのところまで、マローの叫び声が聞こえてきた。
「くそっ、なんで分からないんだ!―――あんなに良い条件を出しているのに!なぜ伝統なんかにすがる!―――なぜ、この世界の人間は『利』が分からないんだ……バカが!バカが!バカが!」
交渉相手の貴族を口汚く罵ると、部屋中の家具調度を蹴り倒しながら、マローは荒れ狂った。
『たった一つの願い』―――モニカと結ばれるという夢が消え去ろうとしている。そのままマローは膝をつきうずくまると、頭を抱えた。
その時、マローの居室の扉が開き―――そこには思いつめた表情の、アモンとロブが立っていた。
「マローさん……」
苦しそうに声をかける二人に、
「ハハッ、取り乱して済まない……見ての通りだ……」
己をあざ笑う様にそう言ってから、
「しょせんお前は平民だと……我々、貴族の土地に対する思いなど分かるまい―――どれだけ金を積まれても、けっしてこの地を離れないと……もう二度とここには来るな、と……」
言葉少ないながら、簡潔に交渉が決裂に至った経緯を、マローは涙声で語るのだった。
実際、今日のマローの折衝はまずいものだった―――追い詰められたとはいえ、これまでの誠実な交渉から一変して、いかに土地を売る事に『利』があるかに終始し、話が難航するたびに金額を吊り上げ、あげくに「伝統などに、しがみつくのは愚かだ」と禁断の言葉まで吐いてしまった。
転生者であるマローの前世の感覚―――商人の打算は、まだ土地に対する執着の強い、この世界では通用しなかった。同じ貴族であるモニカの家の願い自体、同じものであるはずなのに、焦るマローはもうそれさえ見失っていたのであった。
頭を抱えたまま、声を殺してむせび泣くマロー―――その姿に、アモンとロブは目を合わせ、頷くと、
「マローさん……俺たちに任せてもらえませんか?」
と、アモンが意を決して、話を切り出した。
「任せる……どういう事ですか……?」
顔を上げたマローが、怪訝な顔で問い返す。それに緊張した面持ちで「マローさん、怒らないでください」と前置きした上で、
「実は昨日、マローさんが交渉に出かけた後……あのガラーラっていう奴が、俺たちのところに来たんです……」
ロブは、マローの知らぬところで動いていた事態について語り始めた。
そのガラーラが、二人に持ちかけた内容はこうだ―――
おそらく、あの貴族はいつまでもマローの交渉には応じまい。もしお前たちがマローを助けたいのならば―――あの貴族一家を殺害してしまえ、と。
「な、な、なんて事を……!」
顔面蒼白になりながら、愕然とするマロー。
「後の事は、ガラーラがうまく取り計らってくれると―――この証文に、あの貴族の血判が取れれば、あの土地はミッターのものになると!」
そう言いながら、アモンは偽造された土地売却の証文を広げて、マローに向けて突き出した。
「い、いけない……そんな事はいけない」
「そんな事を言って、もう時間がないんですよ!明日までに貴族になる許しがもらえなければ―――モニカさんは、他の誰かのものになってしまうんですよ!マローさんは、それでもいいんですか!?」
うろたえるマローに対して、アモンは決定打となる言葉をぶつけた―――その瞬間、マローの中で何かが音を立てて崩れ去った。
「で、できるのですか……?」
興奮した荒い息の中、マローが問い返した。
「俺たちは野盗上がりですよ?―――老いぼれ貴族の一人や二人……隠密に殺るのなんざ訳ありません」
声をひそめながら、それでもマローを安堵させるために、ロブは笑顔でそう請け合った。
「しかし二人とも、私のために……」
自身の願いのために、暗殺という罪を背負う事になる部下を懸念するマローに、
「マローさん……俺たちはあなたに救われた。野盗だった俺たちが、傷付き行き倒れていたのを救ってくれた―――そして、ろくでなしの俺たちに仕事をくれて……人生はやり直せると言ってくれた―――俺たちは、あなたに命をもらったんだ。そのあなたのためなら、俺たちはなんだってやってみせます!」
そう言って、アモンとロブは満面の笑みを、恩人に向けて送るのだった。
「すまない……すまない……」
マローは二人の肩にすがりつきながら、目の前にあらわれた一筋の光明に号泣した。
誠実を絵に描いたような男だったマローは、もはや己が道を踏み外そうとしている事さえ、見えなくなってしまった。それを止めるべく―――アモンとロブの後を追って密かに様子を窺っていた日向たちの中から、飛び出そうとするマリアの腕をエマが掴んだ。
そして悲痛な表情で振り向くマリアに、エマは無言で首を振った―――異世界の事象に、必要以上に干渉してはならない―――転移者である『転生者殺し』の掟を、エマの目は静かに語っていた。
同時にエマはミッター暗殺のために、マローの地上げの成功を必要としている―――それが使命の遂行上、不可欠である事も分かっているが、それでもみすみす破滅への道を進もうとする人間を救えない事に、マリアの清い心は、言い様のない憤りに苛まれるのだった。
明日にはモニカの父への報告が必要になる。すると殺害の決行は今夜、この後だろう―――事態を傍観者として見守るために、エマ、それに続いてルー、日向がその場を後にした。
未練なのか、まだ居室の様子を窺い続けるマリアの耳に、マローたちの声が届く―――それが心なしか朗らかに感じられるのが、マリアの胸をさらに痛めたのだった。
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深更―――マローの地上げに応じない貴族一家への、アモンとロブによる襲撃が敢行された。
闇の中、かつて野盗であったアモンとロブは黒装束に身を包み、通りを避け、道無き道をひた走る。
そして目的の貴族の館までたどり着くと、慣れた手並みで塀を乗り越え、難なく邸内へと侵入した。
「マローさんの話だと、先代の当主の老夫婦と、使用人が二人―――あとは幼い孫娘が一人だけだ」
声を潜めて、手はずの確認をするアモンに、
「孫娘まで……殺るのか……?」
ロブは幼な子を手にかけるのに、ためらいを漏らしたが、
「今さら何を言ってるんだ!一家郎党を皆殺しにすれば、後はガラーラが失踪に見せかける―――マローさんのためなんだぞ!」
それにアモンは、マローの名を持ち出して、ロブに決意を促した―――アモンとて幼な子を手にかけたくはない。だが恩人であるマローの願いを叶えるため、腹をくくっているのである。
「分かった……行くぞ!」
決心を固めたロブが、懐から短剣を取り出して、先に立って邸内を進んでいく―――その二人の姿を、遠く後ろから見つめる女の姿があった。それは白装束に、肘まで伸びた手袋をはめた美しい女―――マリアであった。
「使用人の部屋は、一階のどこかだ」
アモンがそう言いながら、音も立てずに次々と扉を開き、室内を探る―――そして遂に、一室に眠る壮年の使用人を見つけると、そのままその枕元まで進み、叫ぶ間も与えない素早さで、その寝首を掻いた。
次の瞬間、反対側の部屋から女の叫び声が上がった―――アモン同様に、音を立てずに女使用人の部屋に侵入したロブだったが、まずい事に女使用人は寝付きが悪いのか、ランプの灯りのもとで、いまだ読書をしながら起きていたのだった。
そこに黒ずくめの装束に、眼帯をした隻眼の男が、刃物を構えて侵入してきたのだ―――女使用人は、ロブの短剣に胸を突かれながら、その姿に恐怖の叫びを上げた後、絶命した。
「チッ、まだ起きてやがった!」
「大丈夫だ!おそらく先代の当主の居室は、一番上の三階だ。気付かれてはいないだろうが……急ぐぞ!」
予想外の事態に慌てるロブを、そう励ましながら、アモンは一刻も早く、この襲撃を完遂させるために先を急いだ。
この時、アモンの予想通り、女使用人の叫びは、先代当主である老夫婦の耳には届いていなかった。
だが、その傍らに眠る幼い孫娘―――パユの耳に、それは何かの物音として響き、それに促される様に尿意をもよおしたパユは、もぞもぞと祖父母の寝床から出ると、手洗いに向けて寝ぼけまなこで歩いていった。
これがパユに幸いした―――パユが手洗いにいる間に、空いたままの扉から、アモンとロブが疾風の様に寝室に入ると、これもまた老夫婦に叫ぶ間も与えずに、その命を奪い取ったのだ。
そしてパユが手洗いを終え、三階の廊下に戻ってくる―――同時に寝室では、「孫娘がいないぞ!」と、ロブがその異変に気付いていた。
寝室をくまなく探す、アモンとロブ―――そこに向けて、パユが一歩また一歩と戻っていく。
その姿を、何もできなくてもじっとしておられず、ここまで来てしまったマリアが、廊下の端にある窓の外から見つめていた―――そして、たまらず窓を開け、パユを救うべく中に飛び込もうとしたその時、
「飛び込めば、気付かれる!」
声を殺しそう言いながら、マリアを押しのける者がいた―――それは濃紺の装束に身を包んだ―――そこにいるはずのない、日向の姿だった。
次の瞬間、振り降ろした日向の左手の人差し指から、青い糸が―――日向のスキルである『蜘蛛の糸』が放たれ、まだ寝ぼけているパユの後ろから、その首に巻き付いた。
「―――!」
気道を絞められているのか、パユは声も出せない―――そのまま日向は、ゆっくりと後ろに崩れ落ちるパユの体を、首を絞められた体勢のまま、音を立てぬ様にグイグイと糸を手繰り寄せながら、外に向かって引き寄せた。
そして、苦しさに気絶してしまったパユを、マリアが抱き上げ、日向とともに地面に向かって飛び降りた瞬間―――寝室を探し終えたアモンとロブが、廊下に顔を出した。
誰もいない廊下―――ただ、その先の窓が開いているのが不審であったが、「どうする……探すか?」というロブの問いかけにアモンは、
「いや、もういい……それよりも証文に血判を押そう」
と、開け放たれた窓に背を向け、息絶えた老夫婦が横たわる寝室へと戻っていった―――幼な子を手にかけずに済んだ事に、二人ともどこか救われた思いだった。
「これでいい……ずらかろう」
先代当主の血まみれの手を取り、土地売却証文の偽造したサインの上に、その指を押し付け血判を取ると、アモンはそう言ってロブを促し、惨劇の館を後にした。
逃走する二人の背を見送りながら―――残されたマリアは、まだ気を失ったままのパユを抱きしめて涙した。
それを無表情に見つめていた日向だったが、殺気を帯びた新たな気配を感じると、その方向に向き直り、左手を掲げ臨戦態勢をとった。
近付く影―――相手は二人。
「マリア……やはり、こうなったのね」
その声の主は、二枚羽を広げ、天使の姿で現界したエマだった。
「いーけないんだー!転移者は天使の命令以外、転移した世界に関わっちゃいけないんだぞー!」
傍らにはヘラヘラと笑いながら、ルーが両手に釵を構えている。こちらも臨戦態勢であった。
「殺る気なの?」
日向が、エマとルーに向かって間合いを整える。
「日向ー、人間の力じゃ天使には傷ひとつ付けられないよー!知ってるでしょー!」
同じく間合いを取りながら、ルーは人間に対する神、そして天使の絶対性を説いた。
「ならせめて、あなただけでも仕留めてみせるわ」
そう言いながら、日向が左手を振り上げようとした瞬間、
「二人とも、やめなさい!」
と、エマが二人を制すると、呆然と立ちつくすマリアの前まで歩み寄っていった。
「マリア……あなたの気持ちは分かるわ……」
そう言ったエマの表情も悲しみに曇っていた。
「エマさん、私は―――」
「でも、いずれあなたは、この世界を離れなければならないのよ―――その時、この子にあなたは何をしてあげられるの……?」
マリアの弁明を遮り、結論を告げたエマの言葉を受けて、双方そのまま絶句してしまった―――転移者が異世界の事象に関わってはいけない問題を、この出来事は浮き彫りにしていた。
まだ目覚めぬパユを抱きしめて、マリアはただ涙にくれた―――その姿は、慈悲深き聖女そのものであった。
「その子は……ジェンダさんのところに預けます」
「えっ……?」
エマの言葉に、驚きの声を上げるマリア。
「今回の事―――神がお許しになると言っています。その子は教会に託す様に、との仰せです」
神―――またもや出てきたその名に、日向は顔を歪める。
神、神、神―――人を殺めるのも神の仰せなら、人を救うのにも神の許しがいるのか。運命に弄ばれる日向には、その事実に怒りがこみ上げてくる。
だが、マリアは深々と頭を下げると、
「ああ……感謝いたします」
と、パユを救える事に安堵の声を上げた。
そして、差し出されたエマの手にパユが託されると、その体は光に包まれて、やがて消えていった―――神の力で、教会のジェンダのもとに転移されたのだろう。
それを見守っていた日向に、ルーが釵をしまいながら近付き言葉をかける。
「ざーんねん、エマに逆らった日向を懲らしめてやろうと思ってたのにー」
その性格を反映した様な、黄色い装束がうっとおしい―――そう思いながら、日向は小さく舌打ちした。
上半身をふらふらとスゥイングさせながら、日向の顔をのぞき込み、まだ何か言いたそうなルーだったが、
「戻りましょう―――きっとマローさんの周辺に、何か動きがあるはず。ここにもミッターの手先が後始末にくるわ」
と、エマの撤収を告げる言葉が、日向とルーの一触即発の事態を収拾した。
教会の方角を振り向き、祈りを捧げるマリア。それを待たずにエマが羽を広げ、先頭を切って進み、それにルーがすぐに続いた。
「日向……ありがとう」
祈りを終えると、自分を待ってくれている日向にそう言って、マリアは自身の独断専行への協力を感謝した。
もしマリアが行かなくても、自分一人でも同じ事をしたかもしれない―――それが人間としての心なのか、神という存在に対しての反抗心なのかは分からない―――そう思った日向は、
「行きましょう」
ただそう言って、闇に向かって走り出した。