Ⅱ 試練
魔剣と契約をするとき、男の場合は心臓を媒体にして、契約する。臓器と魔剣とを結ぶ見えない魔法結晶をクロウリーチェインと呼んだ。
もし契約者が女の場合、心臓ではなく子が宿る臓器――つまり子宮を媒体にして、クロウリーチェインが結成される。
これには言葉では言い尽くせない苦痛が伴う。常人には耐えられない痛みが、精神と肉体の崩壊を促す。
ゆえに魔剣は原則、女には所持することが不可能とされている。この不平等さを解消するために、ダークロアやエンデベッドノアといった詠唱系の魔法が生み出されたという。しかし実際には、魔剣の所持者に女も存在し、魔本の所有者に男が存在したといわれる。
ディールの知る限り、女で初めて魔剣を手にしたのはレーシャであろう。
アーヴァテイルを宿したレーシャを抱えて、ディールはアリアラーガの街に戻ってきた。
リシテアは消えた。
レーシャがリシテアの姿に変身することはもうないだろう。魔剣と契約した人物は、身体構成が大きく変化するような魔法が使えなくなる。つまり、クロウリーチェインの影響で、変身の魔法などは使えなくなるのだ。ましてや男と女。クロウリーチェインが発動する部分も大きく異なるような対象に化けれるはずがないのだ。
レーシャは高熱と耐え難い痛みで苦しんでいた。少し前に意識を失ってからは、目覚める気配がない。
いまも、苦悶し、うなされ続けている。
ディールは魔剣クィヴィニアをかざして、痛みをやわらげようとするが、気休め程度にしかならない。
一度、発動したクロウリーチェインは、定着するか、宿主を死に至らしめるまで、消えることはない。
この国のためにも、リシテアのためにも、なにより、ディール自身のために、レーシャを死なせるわけにはいかなかった。
ここで彼女を失うわけには、いかない。
ルーンスレイザー≪魔剣殺し≫という技を使えば、クロウリーチェインを断ち切り、レーシャを救うことができるかもしれない。
魔剣アーヴァテイルは消滅するかもしれないが、レーシャは生き残る。
恨まれるかもしれないが、このままみすみすレーシャを死なすわけにはいかない。
ディールはクィヴィニアを掲げた。はたして己にルーンスレイザーが打てるのか、疑問であったが、やるしかない。
「ま、待って、ディール」
意識を取り戻したレーシャが、息も絶え絶えに手を伸ばした。
「わたくしは大丈夫。だから、お願い。ルーンスレイザーは使わないで!」
「だが……!」
ディールは約束を迫られた。
「ディール。わたくしにもしものことがあったら、どうかリシテアを助けてあげて頂戴。アーヴァテイルをリシテアに渡して」
「弱気なことはいうな! 一緒に王都へ行こう」
それから数時間、レーシャは激痛とともに生死の境をさまよった。
やがて、夜明けとともに、レーシャは目を覚ました。
まるでロアナの湖畔のように澄みきった顔をしていた。
彼女はアーヴァテイルとの契約に成功したのである。
***
「リシテアが待っているわ」
旅立ちを急ごうとするレーシャをディールは引き止めた。
「おまえたちを助けたい。だが、……もう」
ディールは、レーシャの肩をつかんだ。
皇帝との約束が反故にされる可能性は、レーシャとて考えなかったわけではない。
だからこそ、レーシャはアーヴァテイルと契約した。
「わたくしは死にません。リシテアも必ず救い出してみせます」
レーシャは笑顔を向けた。
ディールはレーシャを抱き寄せ、長い髪を撫でる。行かせたくない。だが引き止めることはできない。
レーシャは顔をあげ、二人はみつめあった。
レーシャの細い指が無精ひげが目立つディールの顎をなぞった。
「ありがとうディール。あなたのおかげで、アーヴァテイルを手に入れることができました」
レーシャのほうから唇を重ねてきた。
互いに秘めてきた感情が燃え上がった。しかし、短い接吻だった。
レーシャは身を引き、背中を向けた。
ディールは手を伸ばしたが、それがレーシャに届くことはなかった。