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サアディアの剣とイルヒドの杖3 ~ラヴィスニアの王女  作者: 山辺沙紀
第二章 ダンジョン攻略 ~ラヴィスニア篇
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Ⅱ 限りある時間の中で

 レーシャは銀の剣を抜き放つと、構えた。

 呆然と立ち尽くすディールの目の前で、レーシャは次から次へと襲い来る魔物を薙ぎ払っていく。

 それはバロムアの剣だった。太刀筋に見覚えがある。

 レーシャの剣の腕は、昨日今日身についたものではなかった。

 いい師匠に恵まれたようだ。それこそがハロルドに違いないとディールは確信する。

 彼女の心に隙間はなく、入り込む余地などないことを悟り、ディールは少し口惜しかった。

 

 ラヴィスニアの王女には、たぐいまれなる美貌の持ち主であるという噂のほかに、もう一つ、噂があった。

恋仲である男がいるという噂。――バロムアの騎士ハロルド。それが彼女の想い人だ。

 噂の真偽をあえて尋ねなくとも、今ここにいる彼女が、すべてを物語っている。

 他に男がいる女を前にして、こんなに無念に思ったのは、初めてだった。

 素直に認めよう、もうすでにディールの心は奪われ、夢中になっていた。ラヴィスニアの乙女に。

 可憐であり、あでやかさがある。そして強い。これほどの女性が他にいようか。

 だが、彼女は決して聖女ではない。

 男を惑わせる女はそれだけで罪深い。そんな彼女を聖女とは呼べない。

 おそらくその瞬間、ディールはレーシャを魔女と思ったこの世で初めての人物だったに違いない。


 リシテアの真の姿との出会いに戸惑いを隠せなかったものの、ダンジョン攻略は続く。強敵ぞろいの魔物を切り伏せながら、ディールとレーシャは階層を突破していく。

 体力の温存をはかるために、振り切れない魔物だけを相手にし、先へ進むことを優先した。それでも、倒した魔物の数は、目をみはるほどだった。

 リシテアが背負っていた剣を、レーシャは腰に帯ている。それが飾り物ではないということは、すでに思い知らされている。

 足手まといになるどころか、これならば、十分背中を任せられる。リュ・デラの遺跡にいる程度の雑魚ならば、彼女一人で一掃できるに違いない。

 ハロルドはこれと同等、もしくはそれ以上の腕の持ち主ということになる。

 これまで眉唾だった魔剣の奪取が現実的な色を帯びてきた。

 レーシャほどの腕ならば、魔剣を所持しても、遜色ないことだろう。

 それでもディールは、女であるレーシャには魔剣を装備することは不可能だという考えを曲げなかった。

 レーシャは魔剣を自分のものにしようとしている。

 ここまで来たレーシャがアーヴァテイルを手に入れ、それを素直に皇帝に献上するとは思えなかった 

 彼女はアーヴァテイルを自らのものとし、皇帝に挑もうとしている。

 ラヴィスニアを自分の手で救おうとしているのだ。

(だが、レーシャ。女であるおまえに魔剣は扱えないのだ――)

 ディールはどうやってレーシャに現実を受け止めさせ、あきらめさせることができるかを考えるようになっていった。

 

 七階層ほど上がったところで、レーシャの体力が尽きかけた。彼女はそれを必死で隠したが、ディールに見抜けないはずもなく、

ディール自身も疲労の色を濃くしていたので、撤退を決めた。

 ダウンフロアシャッフルは初回は作動しなかった。

 

 アリアラーガの街へ戻ると、リシテアはダンジョンのことなどすっかり忘れた態をよそおって、夜の街を楽しんだ。

 塔の魔物がザクザク宝石を落としていくので、路銀には困らない。床下の金貨も手つかずだった。

 ディールとレーシャは金銀財宝には興味をみせなかった。

 食って飲んで寝て、消費するのが一番だと結論づけた二人は、酒場の飯から高級レストランに至るまで、そのとき食べたいものを選んで食した。

 多少の贅沢を許したのは、王女であるレーシャを気遣ってという理由もあった。

 彼女は強く、もはや護衛しているという感覚は薄れ、共にダンジョンを攻略する仲間という感覚のほうが強い。だが、特に塔の中では忘れがちだが、彼女はラヴィスニアの王女なのだ。安宿に放り込むわけにもいかなかった。

 それにしても金の使い道には本当に困った。まさか配るわけにはいかないし、このままでは宿の床下が抜ける。そのわりに魔物が落とす宝石は思わず拾ってしまうものだった。そんなディールの貧乏性をレーシャは笑ったりはしなかった。

 装備品を変更する必要もなかった。レーシャは銀の剣を後生大事に抱えて離さなかったし、ディールには魔剣クィヴィニアがある。

 そして二人ともそろいもそろって服装には無頓着であった。

 おいしいものをたらふく食べて、ふかふかのベッドで寝る。ささやかだが重要なことだった。

 ディールはこれまで口にしたこともないような高い酒をのんだ。一人旅ではこんなことはしなかっただろう。

 どうせ飲むなら高級品を、そして果実酒にしてくれと、妙な条件をリシテアに出された。

 なぜかとリシテアに問うと「匂いが好きだから」と答えられた。どうせおまえが飲むわけでもないのに、とディールは思ったが、逆らいはしなかった。

  

 国が窮地に陥っていることや、弟の命がかかっていることは、街にいるほんの少しの間だけ、そういう事実にはあえて目をつむった。ダンジョン攻略に焦りは禁物であった。

 最難関のダンジョンに挑んでいる以上、明日の命はないかもしれない。

 ダンジョンにこもり、全力で戦ってきたからこそ、こういう休養も必要なのだ。

 思う存分、酒を飲んだディールは思う。

「あとはいい女が抱ければ」

 まさか口には出さないが、これが本音だった。

「なんなら出かけてきても構わない」と寝る前にリシテアは意味深に悲し気な顔をして、それだけいうといつもディールより先に寝付いた。

 

***


 こんな感じで、ダンジョンと街とを往復する日々が数日続いた。

 ダウンフロアシャッフルは、やっかいだったが、既存到達階のなかでシャッフルされるだけなので、さほど負担はなかった。だが、不用意にトラップで一階へ戻されてしまうことも多く、そんなときは作戦を練り直すために、潔く退却を決めた日も少なからずあった。

 攻略は遅々として進まず、レーシャは肩を落とした。

 だが、街へ戻るとリシテアはいつも明るい。


 リシテアと過ごす時間もレーシャと一緒に戦う時間も、ディールにとってかけがえのない時間になりつつあった。

 不謹慎かもしれないが、この不思議な入れ替わりの生活を楽しく思い始めている。

 レーシャの信頼は厚く、リシテアの姿になると、打ち解けた二人の距離はますます縮まった。

 すっかりなついて、リシテアの方から、ディールにすり寄ってくる。

 膝の上に座らせて髪を撫でてやると子犬のようにじゃれてきてかわいかった。

 甘えられて悪い気分はしなかった。むろん、これがレーシャの姿だったら、ただ事じゃ済まないが。

「そんなに俺のそばは居心地いいか」

 少しうぬぼれた質問をディールは、口に出しかけて、何度も飲み込んだ。

 居心地のよさを感じているのはディールのほうだった。

 しがない傭兵暮らしが長く、心を許せる相手などいなかった。

 リシテアとこうやって共に過ごす時間は、いまや唯一のくつろぎともいえる、大切な時間だった。

 だが、ディールも油断が過ぎた。

 まだ出会ったこともない本当の〝リシテア〟に情がうつったのか。――だとしたら、不覚だった。

 ディールはぬるくなった果実酒をボトルに口をつけて一気に飲みした。今日はこれが最後の一本だ。もちろんリシテアにはすすめない。

 リシテアはディールのすぐ隣で、寝息を立てはじめた。

 それにしても、この距離の縮まりようはいかがであろうか。

 いつのまに、一体どうやって手懐けたと反芻するが、何度思い返しても思い当たる節がない。

 柔らかいリシテアの髪をディールはそっと撫でた。

 心を許してくれているのか、それとも演技か。

 どちらもありえることだ。なにもはっきりさせる必要はない。

 このままレーシャを連れ去って、どこか知らない土地に逃げて一緒に暮らそう。

 ディールは何度も脳裏によぎった言葉をかみ砕く。

 だが、その一瞬の気の迷いさえ、許さない、強い布石を打たれている。

 それがリシテアの存在だ。

 本物のリシテアは王都にあり、いまや皇帝の手に落ちた身の上。

 リシテアの命は、魔剣の行方次第なのだ。

 このままラヴィスニアを滅亡させるわけにはいかない。

 リシテアを救うためにも、なんとしても魔剣アーヴァテイルを王都へ持ち帰らなければならない。

 ディールにも王都へ行く意味ができた。


***

 

 ダンジョンの攻略中、レーシャは主導権を握ろうとはしなかった。戦闘ではディールに全幅の信頼をおいていて、素直に指示に従う。

 判断力はあるが、身勝手な行動はしない。一緒にいて、これほど戦いやすい相手もめずらしい。

 レーシャの剣筋は鋭く、いつも軽やかだ。

 実戦のなかで、どんどん強くなっていくのがわかる。

 彼女の剣の師匠でもある、ハロルドという男は年齢的にはディールとさほど変わらない。だが、その顔立ちは数多の乙女をとろけさすほどの美男子だという。

 ディールはどうみても、優男といったたぐいとはかけ離れた外見である。

 男前に興味があるかどうかは別として、レーシャにだって好みというものがあろう。それに、

 一時の感情で、他の男に、なびくほど彼女は浅はかな女ではない。

 今は使える男として、頼られているだけだ。

 ディールは自嘲の笑みを浮かべた。

 いくら自分に自信がもてないからといって、そのせいで、男を手玉に取り、利用するような悪女にレーシャを仕立てあげるような考えも、なんだかむなしいものである。

 レーシャほどの女を手に入れることは、自分のような流れ者には一生不可能だと思ってきた。

 諦めというよりは、さほど頓着してこなかったことだ。どの女もどうせ一晩か二晩の間柄だった。それはそれで贅沢なことだったのではないかと思うくらいだ。


 ダンジョンを攻略しながら、こんなことばかり考えている。

「俺はなにを期待しているのだ」

 心の中でつぶやいた。

 レーシャには他に愛する男がいるのだ。

それでも、どうしても一つだけレーシャに尋ねたいことがあった。

「ハロルドとのこと、ダメだと思っているのか」

 つい、口が滑って出てしまった。レーシャの手から銀の剣が滑り落ちる。

 レーシャは初めてディールの前で涙を流した。遥か西の国、バロムアにいる想い人を恋しがって泣いた。こんな弱い一面があったのか。ディールは当惑する。 

「彼は国を捨てられない。帝国にも勝てない。今、ここに彼がいないことがそれを証明している」

 レーシャは膝をついて、泣きじゃくった。

 ディールはレーシャを抱きしめた。抵抗はされなかった。

「忘れさせて欲しいのか」

 レーシャを抱く腕に力を込めて、ディールは尋ねた。

 彼女は応えない。

 頬を寄せて唇を近づけた。レーシャの体がこわばった。強い拒絶ではなかった。だが、受け入れられはしなかった。止め処もなく流れ出る涙が、彼女がまだ恋人を忘れられないでいることを物語っていた。

「あきらめるな」

 ディールは強くレーシャの背中をさすった。

「必ずハロルドのもとにかえしてやる」

 レーシャがハロルドを忘れるために、ディールとの距離を縮めようとしているのだと薄々感づいていた。やはり無理をしていたのだ。

 心がぐらつくディールとは裏腹に彼女がずっと苦しんできたのであれば、不覚だった。

 レーシャに受け入れられなかったことは、正直なところ、ディールには少し堪えた。

 出会って間もない彼女に愛されているはずがないとは思っていたが、そんなこと、はっきりさせる必要はなかったのに、あわよくば彼女の心の隙に、入り込もうと考えてしまったのだ。

 それほどに、欲しい女だった。

 レーシャの華奢な身体を抱きしめて、ディールは一時のぬくもりだけを味わう。

 永遠のものには決してならない。

 いまは、いまだけ許された想いとともに互いの体温を分かち合うだけだった。

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