Ⅱ 出会い
剣の腕におぼえがあるディールはどちらかといえば、温厚な性格の持ち主だ。半年前、依頼人を殴ったのは、例外中の例外だった。
だから、少年が近づいてきても、
「命が惜しければ、うせろ!」などと凄んでみせたりはしなかった。いくらなんでも子供相手に大人げない。だからといって完全無視もこれまた大人げない。少し話を聞いて、適当なところであしらう。だが、これも使い古された手で、子供の神経を逆なでしかねない。最近の子供は早熟で、口も達者と訊いている。下手に刺激して、諍いなどに発展したら余計に困る。
ディールは水のように酒を胃袋に流し込んでいた。やけ酒などではない。やけになることなんて、何一つないからだ。
気になることといえば、仕事がないことくらいだ。
それにどちらかといえば、気分で酔うタイプである。
よほどのことがない限り、泥酔することなどない。幸いに今日は、よほどのことがあった日ではない。
いたって、しらふだったと明言できる。ただ妙に喉が渇く日だった。だから水代わりに飲んでいた、はずだった。
そんなディールに近づいてきた少年は、なんとも珍妙な格好をしていた。
絵本に出てくるような魔法使いをそのままくり抜いて貼り付けたような「いでたち」である。
帽子にローブ、木の杖、首には派手でこってりした装飾のアミュレットを三つもぶらさげていた。ここまでくると、ほうきがないのが残念だ。(持ちきれなかったのか?)
いずれにせよアリアラーガ以外の街なら、目立って仕方がないが、この街には不思議と馴染んでいた。
ここは冒険者の街、夢と希望の街なのだ。理解できないことは、幻とみなされる。たいていのことは、まかり通ってしまう適当な街だった。
だが、いくら街になじんでいても、ディールの目になじまなければ意味がない。
「仮装大会か」
ディールは、思わずつぶやいた。こういうとき、大人には必殺技がある。「みてみぬふり」だ。
これは、幻ととらえて無視するべきであろうか。少し思案する。
少年は断りもなしに、ディールの向かい側に座った。相席になるほど、酒場はまだ混んでいない。
(めんどうくさそうな奴だな)
しかし、仕事の依頼であると、ディールは直観的に悟った。いわば、ディールにとっては、半年ぶりの仕事をもってきた救世主とも云えた。護衛か、かたき討ちか。一緒に踊れ、か。
「お待たせしました。ディール」
そういわれて、ディールは飲みかけていた酒をふき出した。
「待ち合わせなんかしてたか」
ディールは、念のために、記憶をたどる。やはり、待ち合わせなどしていない。記憶が吹き飛ぶほど酒も飲んでいない。
「冗談ですよ」
真顔で少年は云う。ディールが固まっているので、機嫌を損ねたのかと思ったのか、慌てて頭を下げる。
「ぶしつけでした。すみません」
服装はおかしいが、言葉遣いはまともだった。ちょっと頭の残念そうな子供が、迷い込んだわけではなさそうだ。
「アズラニアの塔に一緒に行って欲しいのです」
それだけいうと少年は押し黙った。
「理由は」
ディールの問いかけに少年はこたえない。緊張しているのか、ディールが怖いのか、周囲の目を気にしているのか、不明だ。
だが、冗談を言ったくらいだ。恐怖で狼狽えているわけでもあるまい。
会話が続かない理由をディールは考えた。
もしこちらに問題があるならば、早急に解決しなければならない。顔が怖いか。顔が。だからといって、作り笑いをするのもなんだし。しかもいま笑ったら、少年の格好をバカにしていると思われないか。
目の前でちょこんと座っている少年をディールは一瞥した。無断で座ったわりには、かしこまっている。
年の頃は、十歳くらいか。子供の年齢はよくわからない。大人の女の年齢はもっとわからぬがなっ、と思わず、ほくそ笑む。
思い出し笑いをするところがディールの数少ない(かどうかは知らないが)欠点であった。
不気味、気持ち悪い、助平、などいろいろな陰口を叩かれたものである。どいつもこいつももうこの世にいない。じぶんが殺ったわけではない。
傭兵仲間は全滅。ディールにとっては立て看板のようについてまわる「いわく」であったが。今も昔も変わらないのは、口数が多い奴ほど早く死ぬ。(傭兵の場合だ)
この噂が広まって以来、傭兵仲間は震えあがって近づいてこない。
ディールは冷静になれ、と念じながら、酒で溶けかかった脳みそを働かせた。
もう一度、少年を一瞥する。今度は真顔だ。さっきより厳し目の。鏡がないからわからないが、きっと上手にできている。
さいわい少年はうつむき気味で、先ほどのにやけた表情もみられなかったようだ。もしバレたら、女性相手ならひんしゅく。子供相手なら、よりいっそう変態扱いだろう。
ひょっとしたらディールは笑い上戸なのかもしれない。本人が気づいていないから、他人も指摘できない。なぜか表情が緩むディールに、やっぱり酔っているのではないかと諭してくれる友人はここにはいない。
少年はまごついていた。勝気で生意気な少年かと思いきや、なんだか乙女のようにしおらしい。
こいつもこいつで相当の変わり者だ。ディールは少し気が楽になった。
(わけありか)
互いに沈黙してテーブルの上に視線を落としている。まるで見合いのようじゃないか。
バツが悪くなって、ディールはそわそわした。
少年が、なぜ、もったいぶるのか、理由がわからないので、よほど言い出しにくい内容なのかとディールは身構えた。
ディールの反応にも統一感がない。笑っているのか、怒っているのか、これでは相手も困惑することだろう。実際はどちらでもなかったが。
ディールは興味を惹かれていた。久しぶりの仕事の依頼を前に、テンションがあがる。
やはり少々飲み過ぎたかもしれない。ディールは、水を二つと店員に声をかけた。一つはむろん、じぶんの分だ。早急に頭を冷やさなければならない。
「わたしを護衛してほしいのです」
少年は顔をあげた。帽子の下には、ずいぶん端正な顔立ちがあった。育ちがよさそうというか、美少年とでも言えばいいのか。
長い睫毛が印象的だ。だが、その目の下に涙の跡があるのに気づいて、ディールは、眉を動かした。
「仕事の依頼です。ディール」
名前を呼ばれて、違和感がなかったわけではない。こちらに面識はないが、イリュリースやアリアラーガならば、ディールを知る者は多い。
「ディール?」
少年はちょっと困った顔をした。
さっきから、まったく会話が進まない。
水を頼んだはずなのに、少年の前にジュースが置かれ、ディールにはジョッキで水が叩きつけられた。
少年へのサービスというよりは、ディールへの警告だったようだ。
ようやくディールは自覚した。俺、今日はちょっと酔っている、と。
飲め、とディールが促すと少年はためらいもなくジュースを一気に飲み干した。ついでにディールも水をがぶ飲みする。いまさら慌てても、体に染みついた酒が薄まるとも思わないが。
喉が渇いていたのか、いずれにせよ喉を湿らせるには十分だったのだろう、少年は依頼内容をようやく話し始めた。
これまでも子供の依頼を請けたことが何度かある。一昔前のディールなら、子供のお守りなど御免だと突っぱねてきた依頼も、ここ数年は請けるようになった。――その噂を聞きつけたか。
もし噂を聞きつけたなら、何でも請け負うというよりは、「今あいつ暇だから」が正解であろうが。
ディールは少年を観察した。
これまでの経験から、話の通じる相手であれば、護衛程度の任務、それが大人であろうと子供であろうと、変わりないと思うようになっていた。
ただし、年頃の女からの依頼だけは断るようにしていた。それ以外なら、なんの問題もない。
「おまえ、魔法使いか」
思わせぶりに持っている魔法の杖が、逆に嘘っぽかったが、ディールは「見たまんま」の感想を口にした。
「目くらましではありません。わたしは魔法使いです。凄腕ですよ」
少年は優雅な口調でそう答えた。
凄腕かどうかはともかく、魔法使いなら、一緒にいてもこいつは死なない。軽口を叩いて死んだのはみんな傭兵だった。ディールの気がゆるんだ。
この仕事、請けてやってもいい。ディールはだんだんその気になってきた。
もう酒は頼まない。水ばかりをガブガブ飲んだ。明日から、仕事だ。気も、腹も、財布の紐も、もうゆるまない。
よくよく話を訊いてみると少年の依頼は、単なる護衛の依頼ではなかった。
今流行りの――というのも、聞こえが悪いが、ダンジョン攻略の助太刀という内容だった。
アズラニアの塔を一緒に攻略して、あるアイテムを手に入れて欲しいという。
「代わりに取ってきてやる」とディールはいってみたが、少年は首を横に振った。
他人任せにはできないというが、きっと信用されていないのだろう。持ち逃げなどしないというのに。
切羽詰まった表情をしていたわりには、少年を突き動かしているのが、ただの「物欲」だったとわかり、ディールは、伸ばしかけた背筋を丸めた。
「で、どんなアイテムだ」
「魔剣アーヴァテイルです」
「魔剣だと!?」
ディールがジョッキをテーブルに叩きつけて、立ち上がった。
「魔剣アーヴァテイルが、アズラニアの塔に発現したのか」
「声が大きいです」
少年はディールを見上げて、座るように促した。
「魔剣か。しかもアーヴァテイルときたか」
ディールは、腕を組んで、瞑目した。
これは神話の世界になる。
かつて、いにしえの時代――邪神イルヒドとの闘いで、オルネイア王に勝利をもたらした女神の剣。その一つがアーヴァテイルである。
神々しく輝いていたその剣は、多くの魔物の血を吸い、長い年月を経て、魔剣と呼ばれるようになった。聖剣のなれの果て――。
魔剣は数本存在し、その中でもアーヴァテイルのランクは最高峰と云われ、最強と名高い魔剣アストラルグラムやヘカテゲインと肩を並べるといわれるほどの禁断の剣。
かくいうディールも魔剣所持者である。魔剣クィヴィニア。それがディールの剣である。クィヴィニアは他の魔剣所持者に比べたら、楽に手にれたほうかもしれない。
ランクでいうならば、アーヴァテイルがS級だとしたらクィヴィニアはランクA-といったところだろう。そんな格付けにディールは興味を示さないが、何本かある魔剣のなかで、最も美しいといわれるアーヴァテイルを見てみたいという気持ちがあった。
ディールのクィヴィニアをじっとみつめていた少年にディールは厳しい目線を向けた。
「魔剣出現ともなれば大ごとだ。そんなイベント、誰も噂してなかったぞ。どの情報筋だ」
この街はダンジョン攻略の拠点となる場所。魔剣に関する話題ならば、おのずと耳に入ってくるはずだ。少年の話を頭から疑うわけでもないが、信じるには材料が不足していた。
「だが、この話、もし本当なら、早い者勝ちの争奪戦になる」
「心配はありません。まだ周知されるに至っていません」
「なぜだ」
「アーヴァテイルのフロアが解放されるのは『未来』なのです」
「未来だと?」
ディールは首を鳴らした。
「一体、それは『いつ』だと云うつもりだ」
どのくらいの未来なのか。一週間後か、一年後か。明日程度ならば、状況はまた変わるのだが。
「二十年後くらいでしょうか」
少年はあいまいに答えた。ディールは飲みかけていた水をふきだした。
「そんな未来、どうやったって無理だ。時間を越えろとでもいうのか」
匙を投げたディールは、鼻で笑う。
「俺はそんなに長生きする予定はない」
少年は少しだけ、眉を動かした。小馬鹿にされて、立腹したのか。
しかし、整った綺麗な顔立ちは、どちらかといえば淡々としたものだった。
「時の魔法を使います」
「時の魔法? なんだ未来に行けるとでもいうつもりか? そもそもあの塔は、魔法が封じられるはずだ」
ディールに畳みかけられて、自称魔法使いはたじろぐかと思いきや、
「たしかにわたしの魔法ではありません」
自白か。ディールは失笑した。少年が懲りた気配はない。
「時の魔法を使うために必要なアイテムがアズラニアの塔にあります」
「アイテムだと?」
「セイラムクルスの結晶です」
少年が魔法使いであることをディールは今更ながらに思い出した。
「セイラムクルスは、時の流れを循環させる魔法。人に使えば、年を取ったり、若返らせたりできます。逆に時間を止めることも可能です。そして、この魔法を応用すれば、物質や空間に対しても、その時の流れを操作することができます」
少年は道具袋から、何かの結晶のような宝石を取り出した。
魔法使いや占い師がよく使う類のタリスマンにみえた。
「これはセイラムクルスの増幅装置です。とても希少なもので、すぐに壊れます。一度だけの出たとこ勝負になりますが」
少年は宝石を道具袋に戻すと、むずかしい顔をしているディールをみて苦笑した。
「時間を操作する魔法というよりは、ダンジョンにある『しかけ』と考えたほうが、わかりやすいかもしれません」
「まぁ、その点は任せるさ」
ディールは、白身魚の揚げ物を少年にすすめた。
ダンジョンにあるアイテムでダンジョンを攻略する。それなら、別にめずらしい話でもない。
「つまり、セイラムクルスの結晶を手に入れた者のみが、魔剣のフロアにたどり着くことができるということだな」
少年はうなずいた。店員がフォークを持ってきてから、少年はようやく揚げ物を口に運んだ。
「急がなくてはなりません。セイラムクルスの結晶は、ダンジョンの報酬として、すでに顕現しています。アーヴァテイルの存在を知らずとも報酬として、アイテムを拾っていかれてしまう場合があります」