図書館にて
待ち合わせの当日はどんよりと雲が厚く垂れ込んだ、蒸し暑い日だった。
対馬市民図書館1階ワンフロアーで2階が市役所になっている公共施設だ。
外から湿った体を持ち込むと冷房で体が冷えてくる。
とりあえずバックからタオルを取り出すと上半身の湿気をぬぐう。
これで少しましになった。
時刻は9:50。
俺は命令されたように個人端末のGPSをオンにすると図書館出入り口で春一尉をまった。
私が図書館についたとき、その入り口に迷彩のランニングに黒スパッツという図書館には似つかわしくないマッチョが入口を塞いでいた。
身長は185cm、体重は筋肉で重そうだ・・・何キロだろう?マッチョ特有のリラックスポーズに晴れやかな笑みという感じで、天候のせいではなく暑苦しかった。
嫌な予感にとらわれながらも一縷の望みを託して個人端末をみた。
あの位置にいるはずなのは高橋仁曹長。やっぱりあの筋肉が今日のお相手か。最大級に苦手なタイプである。だが時刻は9:55声をかけないわけにはいかない。
俺が入口にいるせいか水色のワンピースに麦藁帽を被った小学生の女子が入りにくそうにうろうろしている。
気を利かせて入口からちょっと横の壁に移動した。
するとその女の子はこちらに歩いてくる。
この子は小学校高学年くらいだろう。だが歩く姿勢は体幹がしっかりしていて非常に美しい。
これは鍛えている。思わず笑みがこぼれる。
だがあまり早くから鍛えるのは骨に負担がかかるのであまりおすすめできない。
荷重なしでしなやかな体としっかりした栄養バランスの食事で将来の準備をする期間だ。
もしかして、同好の士なのだろうか、だったらそのあたりをアドバイスしてあげたい。
「「あの」」
俺と彼女の声が重なった。彼女はびっくりしたようだ。
「別に怪しいものじゃないよ。私は自衛隊員だ。あなたの体幹は素晴らしく鍛えてあるようだ。歩く姿が非常に美しい。ただ筋肉のボリュームを出すのはあと5年待った方がいい。」
「筋肉?それよりも、美しい?」
「ああ、綺麗な姿勢で歩いている。脊椎起立筋や腹筋、大腿四頭筋がしっかりしているんだろう。めったに見ないほどきれいな歩行だ。新体操でもやってるのかな?」
「・・・ロリコン?じゃないようね。」
「そういう特殊な紳士ではないよ。よくサブネタでからかわれるがいたってノーマルだ。」
「そう・・・・あなたが高橋曹長ね。私が春麗、待ち合わせの相手よ。」
俺の全身が石化した。まるでピキ!という音が聞こえるようだった。
全身マッチョの美女は?この子が高機動性外骨格を操るの?
防大出のはずだから22は絶対に超えてる。
「一応言っておくけど私は25才よ。あなたはいくつ?」
「21才です。サー」
「若いのね。あとプライベートだからサーはなし。わかった?]
「イエス・サー、ノー・サー」
「だから・・・」
慌てふためいている俺がよほどに面白かったのだろう。彼女は噴き出してしまった。
それはまるで小学校のクラスメイトを思い出させて・・・昨日のチックとの話を思い出した。
(彼女はこれほど綺麗ではなかったな。)
「中に入りましょう。本題に入りたいわ。」
「わかりました。」
まだ若干硬い俺の返事は、年長者に対する返事と受け止めたのか指導は来なかった。
図書館の中には個室がある。
もちろん監視カメラはついているが公共スペースで話すよりはましと個室を予約した。
個室に入ると思ったより狭い。大人二人ではきつい幅のスペースだ。
俺だと一人でちょうどよい。
どうしたものかと困っていると、何の問題もないように春一尉は俺の膝の上に座った。
なにも載せてないように軽いとまでは言えないが、重さはまったく問題ない。
問題があるとすれば、太ももにやわらかい感触が押し付けられその部分が妙に温かいことぐらいだ。
「さて始めましょう。」
もっともその感触も楽しめないような胃の痛くなりそうな話し合いが始まる。
「まずあなたのAIが恋愛中でルンルン気分というのを説明してもらえるかしら?」
それに対し佐藤三尉の指摘事項を話す。
さすがにCPU5基、並列装備は予想外だったらしく設計思想についても若干踏み込んだ形で説明する。
「CPU2基をペアにして二つで予測演算させるんだ。一方は最悪な事態を想定。もう一つが最高の結果を想定。
これで敵行動を観測しながら確率の高い結果にすり合わせていく。
CPUのペアはもう一つあって、過去のデータを検索する。これも2方向から検索して、行動に合わせてすり合わせていく。
そのデータと予測を5番目のCPUが選択して行動に反映する。」
俺の説明に彼女が返事をした。
「で、未来ペアの最高予測だけが動いて、その他が動いていない・・・つまりうまくいくことしか考えてない。」
「だからハッピーでルンルン気分といったのさ。」
「納得できたけどそれじゃ危険じゃないの?」
「戦闘シュミレーションでは正常に動いていたから、アイドリング時のAIの気分がそうだってだけで済みそうだ。」
「そう」
彼女は指を顎にあて考え込んでいた。なんか子供が大人の真似をしてるみたいで微笑ましい。いや彼女は大人なんだけど
「じゃあ、次、アリスについて何か判ったことはある?」
いきなり気が重くなった。彼女も雰囲気が暗くなったのを察したらしい。
彼女は半身をひねり、こちらに顔を向けると、手のひらで俺の頬をぺちぺちと叩いた。手首からいい香りがする。
「さあ、早く話す。怒らないから。」
その言葉を信じて話すことにする。
とはいえ説明しにくい。つっかえつっかえチックがやったことを話していく。
話すうちに春一尉の視線が冷たく、表情も無表情になってきた。
一通り話すと終わったと判断した彼女は大きく深呼吸した。
そして一言。
「・・・あなたの人形、解体してもいいかしら?」
まったくの冗談成分0%の口調で話し始めた。
思わず、どうぞどうぞと言いたくなったが、さすがにAPは陸自の部隊装備だ。
「一応あれでも陸自の実戦兵器なんだ。悪いとは思うんだけど・・・許可できる権限がない。」
俺の返答を聞いて表情も変えずに彼女はつづけた。
「だってあなたの人形がやったことって、世間知らずの箱入り娘に言葉巧みに近づいて、洗脳して恋人にしたようなものでしょ!人間のクズだわ!」
まったくもってその通り、俺が感じたことと一緒だ。箱入り娘の保護者側ならそれは怒るだろう。
「そういわないでやってくれ、チックも真剣に交際を考えているから。あと一応人間じゃないから。」
「交際ってなによ!人間じゃなきゃ何をやってもいいというの!あたしのアリスの立場は!!下手すりゃ廃棄よ!」
彼女はこちらに向かって座りなおすとランニングをつかんで引っ張った。
胸ぐらをつかまれたらしいが・・・絵面がすごくまずい気がする。何とか彼女を落ち着かせないと。
「あー、そこは、ものすごく悪いと思ってる。もとに戻せというなら何とか努力する。」
「戻せというなら努力する」の一言で彼女は少し冷静になった。
「戻せるの?」
「たぶん・・・チックの協力があれば・・・」
「協力させられる?」
当然の疑問だがチックを育ててきた俺には解決法が判っている。
「恋をあきらめるか、彼女の死かを強要すれば恋をあきらめると思う。」
「そう。」
彼女の「そう。」には感情が入っていなかった。まあ極論だったからしかたがない。
ランニングも握られたままだ。
「うまくチックの自我が崩壊することを祈るよ。」
「崩壊することを祈るの?」
ものすごい不信な顔をした。おいおい、お互いAI教育官だろう、理由はわかると思うが?
「人間と違ってAIのメモリーは忘却を許さない。失恋の悲しみが未来永劫続くのは可哀そうすぎるだろ。」
「バックアップで戻せば・・・?」
「知らない状態に戻せば、また何かと初恋に落ちる可能性がある。28式大陸間弾道推噴弾との恋とか考えたくもない結果が生まれそうだ。」
「そういうことになるのか・・・」
「おそらく廃棄しようにも廃棄できない・・・APとしては異常なスコアを上げてる機体だからな。俺が手放せば富士演習場行になって各種データ取りでずっと動かされるだろう。」
そこまで話したところで彼女も肝が据わったらしい。
「じゃあ、アリスについて相談に乗って頂戴。彼女が問題なければいいのよね。」
「ああ、そうなんだが・・・その前に1つだけ、向こうを向いて座ってくれないか?この姿勢はさすがにまずいと思う。」
俺が気まずげに、そう話すと彼女は胸から下半身に視線を動かしボンッという音が聞こえそうな勢いで赤面した。
「だ・だ・だいじょうぶよ。大人の女はこんにゃことじゃ、動揺しないの・・・」
そういいながら背中を向けて座りなおす。
(いや大人の女は普通膝の上に座らないと思う。)
突っ込みは心の中だけにして確認する。
「男性と付き合ったことは?」
「にゃにゃにゃんでそんにゃことをきくーーー」
後ろ姿で顔は見えないが首筋まで真っ赤である。
(あー、箱入り娘はAIだけでなくてこっちもか。)
「AIの教育に恋愛相談が入りそうだからだよ。」
自分の口調が上官相手には大分くだけているのを自覚したが、この状況だしあきらめた。
「・・・・ないわ」
「肉体関係までいかない奴でもいいんだが?」
「にくっ肉体関係ぇぃーーー」
(ここまで免疫ないとこまったもんだな、男性の部下とか同僚はどうしてるんだろう?)
この疑問は図書館を出るときに氷解するのだが、ひとまず置いておく。
「わかった。とりあえず恋愛関係について聞きたいときは個人回線につないでくれればアリスでもあなたでも教えるよ。」
「私にまで肉体関係を教える気なの!」
「肉体関係でなく恋愛関係の方ね。!」
機械に肉体関係を教えられるとはとても思えないし、理解できないだろう。
「とりあえず方針も決まったし図書館を出よう。」
個室に閉じこもっているよりは精神的に楽だ。まあ膝に乗られてるのはうれしかったが。