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ルナティックアーティスト  作者: 東城恵介
9/12

またの名を、三文菩薩

 

 千手観音像の保管庫前で、村田と別れたときには西日が差していた。

 ナンバー665は立川区警察署の一階フロアのソファーに座り、紅の帰りを待った。受付には、ひっきりなしに区民が訪れている。交通課の警察官が対応に追われてフロアを駆け回っていた。


 業務時間終了の管内放送が流れる。

 ちょうどそのときに玄関の自動ドアが開いた。そこには紅の手を引いた女性警官が立っている。そして背中には小さな女の子を背負っていた。


「す、すいません……紅ちゃん、途中で寝ちゃって、遅くなりました」

 息を切らして、女性警官は深く頭を下げた。身体を屈めて、背負った紅をソファーに寝かせる。しかし警官の背中がよほど心地よかったのだろうか、紅は目を覚ました。


「ああ、ごめんね。起こしちゃったね」

「ううん、ありがとう」

「お腹、いっぱい?」


 女性警官が首を傾げて、紅に訊ねると何度も首を縦に振った。身体を起こして、ソファーに座り直した。


「……黒のお兄さん」

「好きこのんで黒服を着ているわけじゃない」

 女性警官は、ナンバー665に深く一礼すると交通課のデスクへと帰った。


 そろそろ署内にも身支度を済ませている警官がちらほらいる。長居は迷惑だろうと思い、ナンバー665はレザーバッグを肩に背負い、玄関に向かった。


 後ろをついてくる紅は、わずかに駆け足をしたあと、彼の手を握った。

 自動ドアを出ると、玄関の外灯以外に明かりは見られない。


「僕、立川区は都会だって聞いていたけど、街の外は暗いんだね」

「いや、そうでもないさ。ここは、特別だからな」


 ナンバー665が玄関から階段を降りて、駐車場のアスファルトを踏んだときに眩い明かりが夜空を照らした。有機的な色彩。蛍光色も含まれている、その明かりの数々は玉蟲のような虹色の輝きとなって街を照らしている。


 その明かりのせいで、星はおろか、月すらも青白い輝きを奪われて、夜に溶けている。


―――グロリアスネオン。栄誉なる電採光。


 立川区の街全体に広がる外灯の名前を、人はそう呼んでいる。守護聖人財団によって発展した立川区には、眩い外灯が無数に焚かれて、日が昇るまで街を明るく照らし続ける。立川区が暗闇に落ちるのは、日が暮れて群青色に空が染まる5分間。たったそれだけの時間のみ、暗闇が訪れる。分厚い雲が空を覆うときも、スチームフォッグによって街に霧が出るときも、特例でグロリアスネオンが焚かれる。


 ナンバー665はその外灯を初めて見た。

 夜光虫が神樹に群がる光景―――幼い頃に、釈迦堂家の屋敷から山を見たときに似た輝きがそこに広がっていた。


「わ、昼間みたいだね」

 紅はその輝きに見とれていた。

 警察署の駐車場を出て、ビルが連なる通りに出る。ビルのガラスはネオンの輝きを反射していた。インダストリアル・モノのステーションを中央に構え、南はオフィス街と歓楽街が混在している。二人が交差点を渡り、向かい路地に入ると、ゲームセンターやデパート、電気量販店が軒を連ねている。


 狭い路地には飲食店も並んでおり、夜になればオフィスの並ぶ大通りよりも路地に入ったほうが人の数が多かった。新渋谷がジャンクヤードとなってから、若者が大量に立川区に流れたとも聞く。人だかりを見れば、それも納得がいった。


 紅は夜の街を歩くことが楽しいようだった。

「ねえ、ナンバー665。さっきまで僕はこの辺りをお姉さんと二人で歩いてたのに、どうしてかな。初めて歩いているような気分だよ」

「グロリアスネオンが照った立川区の夜は、まったく別物だ。街の姿も、そこいる人もな」

「そうか……そうだね。たしかにいろんな人がいる」


 すれ違う人は、国籍も人種も肌の色もばらばらだった。

 普段ならば、顔の半分を包帯で包み、さらにタトゥーに彩られたナンバー665を、奇異の目で見つめる人間は多い。しかし夜の立川区において、彼に目を留める者はいなかった。


「僕はこの街が気に入ったよ。夜が明るいのも、スーツ以外の人がいるところも」


 紅はナンバー665の手を握っていたかと思うと、前に駆けだしてネオンに照らされた街を見上げている。人にぶつかりそうになりながら、舞うようにしてネオンの輝きをその目に焼き付けていた。


「たしか、立川区にはクラフトエリアと呼ばれる、ルナティストのアパート街があったはずだ。用事が済んだらそこ、歩いてみるか? なかなか刺激的だぞ」


 ナンバー665の言葉に、紅は顔をぱっと明るくした。

「面白そうだねっ! 行きたいっ!」

「まずはお前の父親に会おう。それから、どこにでも連れていってやる」

「うんっ」と紅は満面の笑みで頷いた。


 クラフトエリアは、財団の管理下に置かれたルナティストが多く住んでいた。そこら一帯は工場跡地をそのままアパートに改装したエリアだった。


 ルナティストには、ランク以外にも資質によって区分されている。

立体系、平面系、身体系の三つ。例えば、彫刻は立体系に辺り、絵画は平面系、ダンサーや役者などは身体系である。立川区のクラフトエリアには、立体系のアーティストが多く住んでいた。


 廃墟同然のクラフトエリアだが、立体系ルナティストが作った作品が立ち並んでおり、隠れた観光地となっていた。ナンバー665のようなキュレーターも時折、クラフトエリアに派遣されて、その中からえりすぐり、財団のオークションに出品されることもあった。


 話を聞いてよほどそのクラフトエリアに行きたくなったのか、紅は早く、とナンバー665をせかした。

 路地を抜けて再び大通りに出ると、デパートとドラッグストアが正面に見えた。

 大通りに沿って交差点を二つ抜けると、病院があった。立川基地跡収監所はその先だったはずだ。


 デパートの屋上に備え付けられたネオンが一つ、消えていた。それでも通りを歩く人がそのネオンに気を払うことはない。しかし、ナンバー665は片膝を地面についてレザーバッグを地面に置いた。


 前を歩いていた紅は、彼が背後にいなくなったことに気づいて振り返る。

「どうしたの、お兄さん」

「紅―――隠れていろ」


 消えていたネオンが、再びぱっと明るく点灯した。いや。ネオンは消えていたのではない、その前に人が立っていたのだ。デパートの屋上から飛び降りたその人影は何かを携えていた。その正体を、ナンバー665はよく知っていた。


―――オリジナル。


 村田と共に、署内の保管庫で観た千手観音像のオリジナルだ。

 それがネオン街ど真ん中に降り立ったのだ。二メートル弱はあるその木造彫刻は、その重さでアスファルトに足をめり込ませた。しかし木造でありながら、傷は一つとしてついていない。


 異様だ。そうとしか思われなかった。

 目の前に立っているのは三文菩薩。白髪に虚ろな目をした少女だった。特A級のルナティストにして、ナンバー665の姉。少女の体躯は紅に10センチほど上乗せした程度の低身長。僧がその身にまとう袈裟を着ている。それは釈迦堂家の門徒宗が着用する特殊な袈裟だった。


名を堂家袈裟という黄金色の袈裟―――。


 そしてその下に切袴に黒の直綴を着こむ、釈迦堂家の一般礼装だった。

その容貌は、まったく色の抜けきった髪の毛と死んだように肌と同化した唇の色、薄い胸板に骨ばった身体つき。

 どう見ても二十歳前の女とは思えなかった。しかし目の色だけは、暗いものを持ちながらもいやに輝いている。燭台に火を灯したかのような燈色の瞳の輝きは、ナンバー665に地下牢の明かりとあの日の出来事を嫌でも思い出させた。


「久しいな、坊よ……」


 三文菩薩は呟いた。彼女の手で造られた千手観音像が、横でわずかに腕を揺らしている。


 警察署の保管室で観た像のオリジナルが目の前にある、ただそれだけで戦慄が走る。ナンバー665は汗を拭いながらレザーバッグのファスナーを開いた。

 キュレーターにのみ許された寓意解析、その記憶によって使役する武器。宝剣の鞘を握りしめた。

 ルナティストの出没に、人が逃げ惑う。向かってくる人波の中で身体を屈めて、その隙間から姉の姿を睨んだ。


 一つの事件で、これほどA級以上のルナティストが絡むことは異様だった。そもそも彼らが外界に接触を試みることすら稀、その才をわざわざ他者にひけらかすことなど、C級以下がやること。


 なぜなら、彼らはとうの昔に自分の狂気に気づき、煩悶し、受け入れている。才能を見せびらかさずとも、自身が最もよく知っている。自己と芸術に耽溺することこそが、彼らの狂気の元凶だったはずだ。


 なのに、なぜ今このとき三文菩薩が目の前に立っているのか。

「なあ、なぜお前がここにいる?」

 それはナンバー665でなくとも、当然浮かぶ疑問だった。

「フェイクポップの手足みたいなものだよ、坊よ」


―――まさか。


 ナンバー665は舌を打った。警察署の保管室にあった千手観音像が、個人の名でオークションに出品されたことによって考えられる可能性。ナンバー665は村田にその可能性をいくつか提示した。その結果、三文菩薩はフェイクポップ事件とは無関係の可能性が高いと読んだナンバー665だったが、充ては外れた。


「お前は、フェイクポップが三文菩薩の贋作を造っていることを知っているのか」

「ああ、もちろん知っている。それをオークションに流して財団に売ったのは、私なのだからな」


 村田が最後に提示したケース。三文菩薩がフェイクポップ事件に関わっている可能性の一つに、もし警察署の千手観音像が贋作だったとしても、三文菩薩が自身でその贋作をオークションに出品したケース。しかしそれはナンバー665が、ルナティストは自身の贋作を同列に扱い、作品と認めるわけがないと切り捨てたのだ。


「自分の作品の贋作だぞ、お前は贋作が自分のオリジナルと同じ価値を持つことに怒りはないのか」

「あるさ―――しかし、それ以上に私には手に入れたいものがある」


 瞼を何度も閉じかけては重たげに目を上げる。

 三文菩薩と通り名がついたのは、釈迦堂家の当主となって半年後、つい一年前のことだった。しかし以前から姉を知るナンバー665は、その眠たげな眼を見て、彼女が異常なまでのロングスリーパーであることを思い出した。


 三文菩薩、その通り名の意味を紐解くならば、寄る辺なき信仰と言えるだろう。

 釈迦堂家は神仏を信仰する一門だった。それを破壊したのが、現当主の釈迦堂蛟。


 三文菩薩の謂れは、彼女の心にもない信仰心にある。神の慈愛などとうに消え失せ、仏心に身を任せることを良しとしない。その悟りが導き出した答えが、仏像のアート化だった。


 芸術作品にまで昇華された菩薩は美しい。しかしそこに信仰はなく、ただ形があるのみだった。蛟が当主となった後に、釈迦堂家が彫る木造彫刻はその意味を変化させてしまったのだ。神樹に神を見るのではなく、美しさを見る。


 それによって釈迦堂家の仏像は完全に形骸かしてしまった。

「ついに釈迦堂家も贋作家の下にまで落ちたか」

「わかっていないな、坊は。時は移ろい、流れゆく。それはアートも同じこと。時代の潮流に取り残される運命となる釈迦堂家には良い気つけだろう」


 低く、くぐもった声で三文菩薩は呟いた。

「フェイクポップが目指すは、パトロンの破壊。そして芸術の自由を、今一度我らの身に取り戻すことだよ」

「パトロンの破壊、だと?」


 パトロンの破壊は個人間の契約を差すものではない。

 ルナティストに限り、パトロンとは守護聖人財団のことだ。しかし立て続けに起きた殺人事件が、パトロンを破壊することにはならないはずだ。


 三文菩薩の腕には、黄色の布が捲かれていた。下を出したポップな道化のイラスト。それはきっと、フェイクポップそのものを現しているのだろう。それを身につけているということは、三文菩薩は間違いなく、フェイクポップの思想に従っていると考えられた。


「パトロンを破壊して何になる。ルナティストが作品に没頭できるだけの恩恵を与えているだろう」


 ナンバー665の言葉に、三文菩薩は苦笑した。嘲りの混じる、悲しい笑みだった。理解されない者の微笑み。思えば、ルナティストは一様にその笑みを浮かべている。その悲しみの所在が、ナンバー665にはわからなかった。


「恩恵―――坊よ、我々は狂人ではない。芸術に溺れた愚者だ。しかし愚者であろうと、この世の仕組みが理解できぬわけではない。誰が富み、誰が飢え、誰が笑い、誰が泣いているのか」


「ルナティストがパトロンに反逆するというのか」


「私は自分の感情を言葉にすることが苦手でな、坊のように理解が早い人間は助かる。その通りだ、パトロンなどくだらない。芸術にランクをつけ、売りさばく物としか考えていない金の亡者どもにルナティストの言葉の、一体何がわかると言うのだ。パトロンの犬となり、ルナティストの記憶と作品をむさぼるお前たちキュレーターもな」


 人の気配はまったくと言っていいほど消え失せた。

 街は静まりかえり、路地に立つのはナンバー665と三文菩薩のみ。喧騒と採光の街に、自身の心臓の音が耳に響く。逃げ惑う人の声も、ルナティストへの罵倒も、ビルの果てに消えてしまった。


 三文菩薩は身体を屈めて、隆起したアスファルトに手を触れた。ナンバー665は握っていた鞘から剣を抜いた。名高き伝説を残すその剣は、ネオンの下で輝いている。


 しかしナンバー665に身構える余裕などなかった。三文菩薩は隆起したアスファルトに草履を掛けて、千手観音像を背中に負ったまま疾駆した。ネオンの下で流れる影。ナンバー665に見えたのは、ただそれのみだった。



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