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ルナティックアーティスト  作者: 東城恵介
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インダストリアル・モノ

 短く整えられた髪とすっきりとした目鼻立ちから一目見ると、男の子かと間違うほどだ。しかしその体躯と声色から少女のものだとわかる。


 肩にかけたレザーバッグを、一度背負い直す。がちゃん、と鉄が擦り合う音が響いた。


「それじゃ、頼んだぞ。報告は支部にしてくれてかまわない。これは俺が関わる事件ではないからな」

「わかってます。それから―――」

「ああ、情報を得てから羊歯狂いを追跡するかどうかはお前の判断に任せる。ま、徒労に終わる可能性のほうが高いがな」


 源蔵はコーヒーカップを啜って微笑んだ。

「ミネルヴァの加護を」


 少女の手を引いて、ナンバー665はその言葉を背中で受け止めた。ミネルヴァの加護、それは財団の人間が、キュレーターを見送る際にかける言葉だった。財団が組織の守護神として掲げる、芸術の神―――ミネルヴァ。ナンバー665が、組織に不満があるとするならば、芸術の神を崇め奉る宗教施設のような側面を持っていることだ。


 どこかそれを、ナンバー665は不気味に感じていた。

 扉が閉まると、少女はナンバー665の手を握った。

「お兄さんに連れていってもらえるなんて頼もしいね」

「お前、俺を知ってるのか?」

「ううん、たださ、なんとなく強そうかなって」

「強くはないさ―――ただ、このタトゥーに呪われているんだ」


 通路をまっすぐ歩き、突き当りのエレベーターでいったん地上階に向かうことにした。


 たしかF5番口がインダストリアル・モノの南東口に近かったはずだ。F5番出口への通路は、インダストリアル・モノの運行が制限されるようになってから人が歩いた形跡がない。 


 そのせいで天井のライトが消えかかっていて、明滅するたびに、少女はナンバー665の手を強く握った。

「怖いか」

「ううん、こういう場所が苦手なだけ」

 病院の廊下のように、無機質な白い壁を少女は指でなぞった。

「それと、お兄さん。僕、名前は紅って言うんだ。ちゃんと名前で呼んでよ」

「ああ、そうか……紅。これでいいか」

「うん、まあそれなら満足かな―――ナンバー665」


 そっちは作品ナンバーで俺を呼ぶのか、と言いかけたが、到着までわずか二時間弱。


 立川区の基地跡収監所までも歩いて20分とかからない。短い間柄の人間に、いちいち呼び方まで訂正する必要もないだろうと呑み込んだ。


 エレベーターに乗り込んで地上階に出る間、狭い四角の空間で踵を上下させていた。ようやく地上に出られることを喜んでいるようだった。


 フェイクポップの娘となれば、財団が目を掛けているのは間違いない。きっと、この子は長い間この地下施設に閉じ込められていたのだろう。同情は迷いを生むが、それでも少女に憐憫の目を向けずにはいられなかった。


 強く握っていた手が、ふっと和らぐと同時にエレベーターの扉が開いた。

「―――わっ」

 紅は大きく目を見開いたあと、何度も瞬いた。

「そんなに地上が珍しいか?」

 彼女はナンバー665の問いに答えることなく、思い切り駆けだした。

「あははは、ナンバー665っ! 見てよ、僕、地上にいるよっ!」

「そうだな、たしかにここは地上だ」


 インダストリアル・モノの終着駅である新渋谷のステーションには、廃材と古い機械が山のように積まれている。活気があった頃の時代とはかけ離れていて、当時を知るならむしろ、哀愁を感じるのが普通だろう。


 紅は靴で石を蹴ってみたり、指で落ちたタイルや鉄板をひっくり返してみたりと忙しない。息を大きく吸い込んで、吐く。それを何度か繰り返して、


「地上って、いいね」とそんな当たり前のことを、満足げに呟いた。

 背の高い鉄板で仕切られた道路沿いを歩く。


 うず高く積まれたジャンク品の山の間に、狭い小路ができている。そこから地上百メートル上空のモノ・ステーションまでエスカレーターが伸びていた。


 薄手のワンピース、腰に朱いリボンをつけた紅は、目移りする視界をあてどなく彷徨ってふらふらと歩いていた。


「物珍しいのはわかるが、時間がない。さっさと登れ」

 足をもつれさせて振り返った紅は、後ろで手を組んで満面の笑みを浮かべた。ナンバー665の周りをくるくると周りながら、自動で動く階段をまた珍しそうに眺める。


 先に段に足をかけた彼の真似をして、紅も後につづいた。そして指先で手すりに触れたあと、しっかりと握る。


「いいよ、初めての旅だもん。こんなところで躓いてたらもったいないよね」

「源蔵が言ったのか?」、ナンバー665は少女を収監所に連れて行くよう命じられている、それはとても旅とは言い難い。

「うん、せっかくだから楽しんできなって」


 きっと、外に出ることができる喜びに胸を躍らせる紅に、源蔵が調子のいい嘘をついたのだろう。その場で勝手な嘘をつくのは彼の悪い癖だ。

 しかし父親に会うときになれば、旅のことも忘れるだろうとナンバー665はステーションの床に足を踏み出した。


 目の前には、インダストリアル・モノが発車を待っていた。外観は蒸気機関に似ている。


 スチームフォッグと呼ばれる黒い霧を煙突から噴き出しながら走る車輌は、旧時代のそれを思わせる。しかし外観はあくまで、財団に所属するルナティストの美的センスによるもので、車体内部は電子制御された高性能列車だった。


 飴色に輝く一号車の前に立つと、蛇腹のドアが開いた。

 先頭車両はネット端末と機器が据え置かれているだけなので、二人が座るスペースも十分にあった。まだ車掌が必要だった頃に、車掌室に使われていた空間だ。しかし椅子はなく、紅は鉄の地べたに座り込んだ。


 ピイイイイイイ―――――…………


 長い警笛音が鳴り響き、静かにインダストリアル・モノは発車した。

 ナンバー665は車体の壁に背中を預けて、レザーバッグを隣に置いた。

「動いた、動いたよっ!」


 紅は急に立ち上がると、背伸びをして窓の外を眺める。そして灰色と土気色しかない新渋谷のビル群をその目で追っていた。珊瑚のように変形した街の姿も、紅にとっては新鮮に感じられるのだろうとナンバー665は車輌の壁に背中を預けて微かに笑った。


 列車のシリンダからスチームフォッグが噴き出す音が聞こえる。

 真夜中では、地上百メートルの高さにあっては、地表を見ることができない。ただ、インダストリアル・モノがモノ路線を照らすためのフロントライトだけがわずかに、街の様子を紅に伝えていた。


「なあ、紅。お前、あの地下施設にどのくらいいたんだ?」

 背伸びをして窓の外を眺めていた紅は、振り向き首をひねった。

「生まれてからずっとだよ?」

「ずっと? ずっと、あんなところにいたのか?」

「うん、源蔵に地上のことをいろいろ教えてもらったんだ。だけどまさか、こんなにあっさり出られるものだとは思わなかったよ」


 紅は踵を車輌の床に降ろして、ナンバー665の横に座った。足首まで覆うワンピースの裾を、足と一緒に抱え込んだ。


「ナンバー665はずっと地上に住んでるの?」

「ほとんどの人間は地上で暮らしてる」

「そっか。なら僕だけなんだね……夜がこんなに珍しいのは」


 インダストリアル・モノの振動に身体を預けて、紅は膝に指を置いて、リズムと取っている。振カーブに差しかかると、オークションに出品するルナティストの作品が音を立てる。例えフェルト材や緩衝材で保護されているとしても、あまり聞き心地がいい音ではなかった。


「く、くくくく……」


 膝に顔を押しつけていた紅は、籠ったような声を挙げた。それが笑い声だと気づくまでに時間がかかったが、顔をあげた彼女は悪戯っぽい表情でナンバー665を見上げていた。


「夜っていいね」

「ああ、俺も夜は好きだよ」


 紅は落ち着きなく身体を揺すっている。

そのとき―――バタン、と天板に何かがぶつかる激しい音が聞こえた。同じくして、けたたましいほどの警告音の後、一号車の電灯が落ちた。真っ暗闇の中、ゆるりとインダストリアル・モノが停車した。


―――襲撃、か。


隣に置いたレザーバッグを握りしめた。


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