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ルナティックアーティスト  作者: 東城恵介
3/12

フェイクポップの娘

 新渋谷区の外れに、雑居ビルが並んでいる。


 ジャンクヤードとも喩えられる新渋谷区の南―――ビル群の合間を抜き、廃路線になった地下鉄に通じる階段へと向かう。


 電光案内板はどこも消えているが、守護聖人財団本部と書かれた真新しい掲示板だけが煌々と夜を照らしている。


 ナンバー665は、肩に厚手のレザーバッグを背負っていた。

それは肩から膝にかけて、彼の半身をほぼ覆っている。おかげで特殊外装の下がじっとりと汗に濡れている。

 彼は新渋谷という場所をあまり好きではなかった。

 どこを見ても瓦礫ばかり。そんな殺風景さは彼の美的感覚を著しく害した。


 欠けたタイルに手をついて階段を降りる。ぼんやりと緑の蛍光が足許を照らしている。廃路線となってずいぶん経つ。

 少なくとも、ナンバー665はこの地下壕が稼働していた時期を知らない。風化して錆びついた手すりが折れて階段に投げ出されている。壁にはルナティストらが戯れに描いたと思われる、ポップアートが並んでいた。

 階段を降りると、広い空間に出た。


 守護聖人財団が多額の資金で造った本部だ。合板と特殊金属で打ちっぱなしにした丸い円形の広い床。その中央の端末から色素チェックと指紋認証で扉が開く仕組みになっている。


 渦を巻くようにして、丸い扉が開く。タラップから床へと降りて、エスカレーターでさらに地下の本部へと下ることができる。やがてガラスの自動扉が見えて、そこを潜ると本部に向かう通路に繋がっている。ナンバー665の記憶には、本部に来たことは一度だけ。


 任命式のときに、新人のキュレーターたちと共に通路を歩いた。

 守護聖人財団は、世界中の資産家によって設立された。

財団の主たる目的はルナティストの監視、彼ら芸術作品のオークション開催、作品の真贋を判定するキュレーターの育成、芸術家に関する資料編纂と多岐に渡る。


 一方でルナティストに金銭的支援も行っており、守護聖人パトロナージュとは、そのままパトロンを意味する。財団にとってみればキュレーターとしてのナンバー665は、末端の人材でしかなかった。


 通路を闊歩すると、内勤の人間とすれ違う。年配の女性で、ベージュのスーツに資料の束を抱えていた。そしてナンバー665に気づくと深く頭を下げた。


「館物のお方ですね。よくぞ、ご無事で」

「ああ……」

 思わず、ナンバー665も頭を下げる。


 本部から自ずと足が遠のくのは、外回りに向けられる内勤の態度だった。源蔵のように気さくに振る舞ってくれるのはごく一握り。所謂『館物』と呼ばれる、美術館などを周りながら、ルナティストと直接、交渉をする人間には一定の尊崇を持たなければならない決まりがあった。


 薬品と油の匂い。そこに絵の具の匂いも混じる。無菌状態の地下施設に見えるが、やはり財団の性質柄、美術品の匂いを拭うことができないようだった。


 それから幾度かスーツ姿の人間とすれ違い、そのたびに頭を軽く下げた。通路つきあたりの案内図を見て、右手前の扉の前で立ち止まった。

昨夜、呼び出された部屋番号の扉を叩く。源蔵の返事が聞こえる。ドアノブに手をかけて、扉を開いた。


「おお、遅かったな。まあ、入れ」

 部屋に足を一歩踏み出す。脇には美術品を置いた棚が壁を占拠している。その手前にデスクがあり、中央のソファーには一人の女の子が座っていた。

「顔がしゃきっとせんなあ、相変わらず」

「顔色が悪いのはこのタトゥーのせいもありますけどね」

「まあ、そういうな。我々にとってお前は貴重な存在だ」

 ナンバー665の軽口に、源蔵はわずかに笑んだ。

「その子を連れていってもらいたい。フェイクポップの娘、黄泉野紅ちゃんだ」


 女の子はソーサーを手に持ち、スプーンでコーヒーカップをかき混ぜている。『紅ちゃん』と言うその口ぶりに違和感を覚えたが、ナンバー665はその少女を流し見た。ミルクの入ったコーヒーをスプーンですくい、息を何度も吹きかけて口に運んだ。


「娘、ですか」

「そうだ。運よく10分後に本部よりインダストリアル・モノが発車する。そもそも人が乗るものでもないが、致し方ないだろう。二人でそれに乗ってくれ」

「インダストリアル・モノですか。しかしあれはずいぶん前に廃路線になったはずでは。五年前の事故で……」


 ナンバー665は不快を隠そうともせず、眉根に皺を刻んだ。

 インダストリアル・モノは元々、開発地区だった西東京に建材物資を運ぶために作られた仮線。人を乗せるわけでもないので、安全性が保障されていない上、現在ではオークション品を運ぶことが多いため、ルナティストに襲撃を受けることがたびたびあった。


 5年前には原因不明の全車脱線を起こし、地上100メートルを走るモノの車体は地面に打ちつけられて大事故となった。それから廃路線が決定したはずだ。


「そういうわけにもいかんさ。現在は、深夜2便、立川区のみに限り運行している」

「あれで女の子を運ぶなんて無理です」

「五年前から事故は起きていない。そう滅多なことはないさ」

「しかし……」


 ナンバー665はなぜ源蔵がそこまで急ぐのかと怪訝に眉を顰めた。とっくにフェイクポップは、収監済み。ことを急ぐことに意味があるとは思えない。


「よし、決まりだ。発車駅の場所はわかるな? 紅ちゃん、このお兄ちゃんについて行くんだよ」


 押しきられる形で、ナンバー665はわずかに首を縦に振った。

 まるで子をあやすように、少女の肩に手を置いて、その顔を覗き込んで機嫌を伺っている。その顔に、何か裏があるとも思えないが。好々爺のように笑みを讃える源蔵から目を背けて息を吐く。たった数年、内勤に移っただけでこうも人が変わるものだろうか。


「このお兄さんについていけば、パパに会えるんだね」

 少女はナンバー665を睨め上げた。



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