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ルナティックアーティスト  作者: 東城恵介
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キーポイント

ナンバー665は、背もたれに身体を預けて天井を見上げた。


 デスクには積まれた書籍と読書灯の前にノート型ネット端末。地下書庫に毎日籠って調べ上げても有力な情報は得られなかった。


 顔の半分を包帯で包み、黒の夜外套と手袋でほぼ全身を隠している。彼が自身を覆う特殊外装は銃弾が当たったくらいでは傷一つつけることはできない。しかし守られているのは彼ではなく、その肌に刻まれた『タトゥー』だった。


 唯一肌が露出している顔の右半分も、首から頬へと昇る羊歯のタトゥーが端麗な顔立ちに傷をつけている。不気味な羊歯の葉が伸びていない瞳は、あのときの痛みを受けたまま暗く沈んでいた。


 およそ、あの日の苦痛を上回る感情の起伏は、死ぬまで訪れることはない。それを理解しているかのように、心は彼の瞳のずっと奥で鈍い輝きを覗かせるのみだった。


 袖と手袋の下から見える、紋様を見つめる。

 たしかに、美しいと思う。

 しかし彼が助けられてから10年が経つ。


―――ルナティックアーティスト。通称、ルナティスト。


 アートを異能にまで高めた狂人たち。まだ幼かったナンバー665は、ルナティスト『羊歯狂い』によって、その肌にタトゥー、つまり作品を刻まれた。


 それから、今日まで羊歯狂いが残した傷跡に苦しめられた。

 国家の資産を根こそぎはぎとるほどの価値がある。病院で目を覚ましたとき、スーツ姿の男がそう云った。故に、今もなお特殊外装を自身の意思で脱ぐことはできない。


 もちろん、病院に駆け込み、タトゥーを除去してもらうこともできはしない。ナイフで肌ごと削りとることも、特殊外装に阻まれて不可能だった。ナンバー665は、その10年をただ羊歯狂いの作品を保存するためだけに生きてきた。


 スラリとした下肢を組み、もう一度青白く光るモニタを見つめる。

 羊歯狂い―――その作品群がモニタに羅列している。そこに、自身の肌に刻まれた羊歯模様の作品も並んでいた。


 この10年間、ナンバー665は最初に病室に現れたスーツ姿の男、宮下源蔵の許で育った。


 そして源蔵の組織に入ることで、羊歯狂いを追う一人となった。

 しかし手がかりは、あの日からまったくと言っていいほどなかった。

 

 瞼を閉じて、疲れで乾ききった目を休ませる。すると、軽く肩に手を置かれた。振り返ると、そこには毬栗頭の中年男性が立っていた。


「……そんなに根を詰めると、大事なときに身体が動かんぞ、ナンバー665」

「源蔵さん。すいません、きりがいいところで今日は帰ります」

「そうしとけ。コーヒー飲むか?」

「はい。ありがとうございます」


 恰幅のいい体格に、シャツの上をサスペンダーが通っている。

右腕は失われているため、袖口を縛っていた。上着を左側だけに引っかけている。無くした腕も見慣れて、むしろ豪放な彼の性格を現す一部になっている。


 宮下源蔵は、変わった。

 体格も性格も、外回りから内勤になったことがきっかけだったのだろう。ナンバー665自身、組織に入るまでは共同生活をしていた。

 その生活の中で彼の変化というものを、目の当たりにした。


―――あれでダメだったんだ。もう俺じゃあ、どうにもできんさ。


 共同生活をするマンションの一室で、ぽつりとPC端末越しに呟いた声を、ナンバー665は聞いた事があった。源蔵から直接、内勤に異動になったと教えてもらったのも同じ時期だった。


 それから帰宅時間が早まって源蔵と過ごす時間が増えた。それからだ、体重が増えて丸くなった体型を追うように中身も人当たりが良くなったのは。


「ほれ、お前ブラックで良かったよな」

「はい……源蔵さん、砂糖そんなに使うんですか」


 源蔵はシュガースティックを右手に4本握っている。彼は異常な甘党だった。


「俺の仕事は頭脳労働だからな、糖分が必要なんだ」


 4本まとめてスティックの口をもぎり、紙のコーヒーカップに注ぐ。

 琥珀色の液体に、砂糖が流れ込む様に、ナンバー665は顔を顰めた。源蔵の体格から言って、補給した糖分がすべて頭脳に使用されているかは疑わしい。


「羊歯狂いの情報は何か見つかったか」

「いいえ。オークションもすべて洗ってみましたが、その気配すら見られません」

「そらあそうよ。あれの作品が出たとなったら、多少の話題にはなる」

「まだ……生きているんでしょうか」

「……死ぬわけないだろう。俺が生きているんだからな。個人所蔵ファイルは洗ったか?」

「はい、一応。しかし作品が作品ですから……すべてロストしてます」

「人が死ねば失われるタトゥー、か。やっかいなものだな」


 羊歯狂いは、並みいるルナティストの中でも特殊な部類だった。

 人の肌に刻まれるタトゥーは持ち主が死ぬことで失われてしまう。死後、皮膚を剥いで保存する方法が用いられたこともあるが、それでも本来タトゥーの持つ美しさは消えてしまう。


―――なぜ、羊歯狂いは失われる美にこだわる?


 永遠に自身の作品を世に遺そうとやっきになるルナティストが大多数だった。


 故に元々失われることを想定している羊歯狂いは彼らとは思想を異にしている。

「いったい、なぜ羊歯狂いは人の肌に描くのでしょう」

 じくり、と自身の皮膚が痛んだ。


 あの日の痛みも記憶も忘れるわけはない。タトゥーを拒もうと暴れるほどニードルが深く突き刺さる。やがてじっと彫られていれば痛みが軽減されることを知り、針と術師に服従し、ただ耐える。


 その過程を、彼女は心の底から楽しんでいるようだった。

「瞬間的な美しさだろう。永遠もまた美しかろうが、消え失せる運命にあることで映えるもの―――それもまた美でありアートだ」

「……源蔵さん、今のちょっとキュレーターっぽいですね」

「馬鹿言うな。俺にゃあ、もう無理だ。身体がついていかんよ」


 内勤ばかりで美術館博物館などの館物に足を運ばなくなった源蔵への嫌味のつもりだったが、生真面目に返されてしまい、ナンバー665は肩を竦めた。


「佐智さんには今日何時に帰るって言ってるんですか?」

 キュレーターの仕事である外回りは死と隣り合わせだ。

 それが原因で、当時、源蔵には恋人がいたらしいが結婚するには至らなかった。


 ナンバー665はその間、源蔵と暮らし、彼の恋人の存在を知ると家を出た。羊歯狂いの作品でありながら、キュレーターとしての資格を取得し、一人暮らしを始めた。


 それが7年前―――ナンバー665が10歳の誕生日を迎えた日だった。恋人と籍を入れるという話を聞いたのは、それから二ヶ月ほど経ってからだった。


 源蔵の変化は偏に佐智のおかげでもある、とナンバー665は思っている。


 源蔵は時計を見て、頭を掻いた。

「いっけねえ、連絡入れとくの忘れた……怒ってんだろうなあ」

「佐智さんも、怒ったりするんですね」

「猫かぶってんだよ、お前のまえじゃあな。こええんだよ、あいつ」


 佐智はナンバー665の目から見ても、おっとりとしていて女性らしい。

 傍目に見れば、源蔵の後ろでにこにこと笑っている印象しかなかった。

「ちょっと雑談が過ぎたな。お前に用があったんだ、とっとと終わらせて帰んねえとな」


 デスクの上のコーヒーを一口すする。苦みが重たくなった頭を楽にしてくれる。源蔵が隣のデスクに座る。ぐっとコーヒーを飲みほして両手で紙コップを潰すと、デスクの上に立てた。缶やペットボトルを潰して立てるのは源蔵の癖だった。


「羊歯狂いの尻尾をようやくつかんだ。これで、やつが出てきてくれるなら御の字だ」


 ぱさり、と1枚の書類をナンバー665のデスクに置いた。

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