柔肌を揉む
緑色のキャベツを千切って水洗いをして塩をまぶす。水気を切って塩気を均等にするように揉む。
「…揉む」
揉みたい。
*****
「絶対に嫌だけど」
「頼むよ〜頼むよ〜!」
「それで本当に揉めると思ったんならお前相当頭イってるしキてるよ」
「ええ〜頼む〜よ〜」
そうなのだ。女子のおっぱいが揉みたいわけじゃない。確かにあの柔らかさや弾力に惹かれることもある。だけどそうじゃない。俺が揉みたいのはどっからどう見ても男の、しかも割と男らしい部類の人間のなのだ。
「なあ〜いいじゃんか〜」
予鈴が鳴っても一誠の机にしがみ付いていたら、鬼のような目で廊下に投げ出された。
「帰りまでに忘れろ」
ドアが思い切り閉められる最後の瞬間に見たのは、真っ直ぐに立てられた中指だった。一誠の教室と俺の教室は廊下の端と端にあるもんだから、当然授業には遅刻した。
「遊テメ何回言えばわかるんだゴルァ五回死ね!」
「わーん怒らないでよ織之せんせえ〜」
「お前の試験だけドチャクソ難しくするからな!」
「職権乱用だよ〜訴える〜!」
「最近の教師がみんな弱気だと思ってんじゃねえぞさっさと椅子にケツつけとけ!」
「は〜い」
****
「さー今日は楽しい実験だニャー。まず鶏胸肉に下味をつけるニャー」
今回の実験の予習をしていないからこれがどう実験材料に変貌するのか分からなかったが、とりあえず醤油と酒、みりんで出来た液を馴染ませるように揉んでいく。ひたすら無心に揉んでいく。
「これってただの調理実習じゃねーのかなー。なあ遊?」
「…みたい」
「あ?なんだって?」
「揉みたい」
左手に自分の肉を、右手に南部が揉んでいた下味のしっかりとついた肉を持ち天に掲げる。ぼたぼたと垂れる合わせ調味料の芳しいこと…しかし俺が求める香りはこれではなかった。
「っちがう…俺が求めてるのは、これではない…」
「お、おい、すさ…」
「くそおおお」
もっと人間の匂いがして、ちょっと体温低めの胸から伝わる鼓動、それと拭った後の汗の香り。そういうのが感じたいんだよ俺は。だから総称しておっぱい揉みたいって言ったのに、何で分かってくれないんだ一誠!俺の言葉が足りなかったことは認めよう。だけど、忘れろはないんじゃないか?!もっと理解しようという心をだな
「おいお前何してる?」
「一誠、俺…!」
「何してるって聞いてんだよグズ」
「よっ、ヨムせんせい死んじゃう…!遊が死んじゃう…!」
「授業中になに考えてる?さっさと座れ」
どうして俺の呼吸は今にも止まりそうになっているんだ?ただ考え事をしていただけなのにどうしてヨム先生はこんなに怒ってっていうかこの人腕力やばくない?!男子高校生片手で持ち上げてるんですけどなにこれ超人番付的なドッキリ?そうじゃなかったら俺の命結構やばいよね?ああ、最後に一誠のおっぱい揉みたかった…な…
「いてっ!」
「さっさと隣に肉を返すニャ。あと遊、お前放課後理科準備室の片付け手伝いニャー」
「はっ、はい!」
どすっと鈍い音と共に尻に鈍痛。奇跡的に助かったことを知った。そういや前もヨム先生に怒られたことあったっけ。いやこんな怖くなかったけど。本当は織之先生より怖いっていうのは、あながち嘘じゃないのかもしれない。
「だ、大丈夫か…?」
「郁斗、俺はどうすればいいんだろうな」
「さあ…とりあえず肉返せよ」
焼いて食うらしいぞって聞いた途端腹の虫が鳴き出した。現金なやつだぜ。
***
「起きなよ遊ぁ〜」
「椎也…えっ俺寝てた?寝てたの?」
「三角ちゃんちょー怒ってたよ。次の英訳全部お前だって〜」
ただでさえフランス語は苦手なのに全訳とは殺す気なのか三角花純略して三角ちゃん!全訳は、前に「三角花純ちゃんって韻踏んでるね〜あはは〜」って言った次の日の授業以来だなあ。あの時、笑顔は怒りの裏返しってことを学んだ。それから女子の笑顔を一瞬読む癖がしばらく治らなかった。
「起こせよ!」
「だってお前知ってる?自分が寝言で何言ってたか」
「え」
知るわけがない。俺は授業が始まって三角ちゃんが入ってきたことすら覚えていないのだ。そう、寝ていたから自分の様子なんて分かるわけがない。馬鹿なのかこいつは?
「お前には言われたくねーわー。フランス語以外は弥春と同レベだもんなお前〜」
「い、いいからなんて言ってたか教えてくれよ」
手招きされてそっと教えられた言葉があまりにも自分の欲望に忠実すぎて、忘れていた夢までフラッシュバックした。なぜか風呂のような靄が視界を覆い、ぼんやりとしている風景。そこに見えた人影に触れると、固い感触と小さな粒。そう、それこそまさに俺が求めていたー…
「彼女、つくれよな」
「いや俺が揉みたいのは」
「いいから、皆まで言わなくていいから」
元気出せよって椎也がくれたのは食べかけのフニッカーズだった。中にマシュマロが入ってるからフニッカーズって舐めてるネーミングのお菓子は、最近の椎也のお気に入りらしかった。一口含んだ瞬間に広がるゲロ甘い外国産のチョコレート。舌触りがざらつくのも特徴だ。俺が外国産で許せるのはキ○チョコとウォ○カだけ。それ以外は惹かれる味じゃなければ食べないから、フニッカーズを食べたのもこれが初めてだ。うーん、二度はないかな。
「飽きたからあげるー。じゃーな!」
「お前これからライブ?」
「そーだよ!お前らも来る?」
「お前らって?」
「だから、一誠と」
周りから言われるほど俺たちは仲がいいらしい。これは今夜あたりワンチャンあるっしょ。なきゃ嘘っしょ。だから行けないごめんな椎也!
「いや、別にそんなに来てほしいわけじゃないから!」
「辛辣ゥ!」
**
「だから、頼むよ一誠なぁ〜!」
「ふざけんな離せ」
使ってない教室で放課後だらだらって俺たちに許された特権だと思う。部活をやってるならそれはいいよね。でも、バイトばっかしてるのは俺はちょっと寂しい。折角の短い高校生活を一緒に遊べないのは残念だ。俺は土日含め週三回のシフトだから、まあ大体平日は空いてる。一誠は高校生のくせにカフェで働いていて、この前も年上美人に口説かれていた。
「男の胸揉みたいとかお前まじ頭疑うんだけど」
「んでだよ!!大体俺は男のじゃなくてお前のおっぱいを揉みたいの!」
「尚更だよ何誇らしげにしてんの」
むぎゅっと抓られた頬がどこまでも伸ばされる。おお、とか言って感心してる顔がめちゃくちゃキュートだよ。そんなんだから女豹どもに目をつけられるんだ。お返しにつまんだ薄い頬はすべすべで、男にしては色が白い。お互いの頬をつまみあって、ばかじゃねーのってくすくす笑うのは少しの照れといっぱいの愛情。友達に向けるやつじゃなくて、恋人同士が慈しみ想い合うのと同じ。すごく嬉しいなって思いながら、俺は今日一日中考えていたことをまだ忘れていなかった。
「一誠…」
「ん?」
「すきだ」
「…ああ。俺も」
「…だから」
鋭い彼はそこまで聞いてこの後の言葉を理解したらしい。つまり、
「おっぱい揉ませて」
「テメーのでも揉んでろよ。無謀かよ」
断る準備をコンマ数秒でしたらしい一誠は言葉を被せてきた。無謀。まあ英雄はしばしば無謀と言われることをするよね。俺はお前だけのヒーローになりたいけど、今は別にそんな話してないっていうかあっ待って帰らないで!ぱっと頬を離されて、本日二度目の中指さん。あー爪が綺麗だなー。
「ついてきたらお前の全裸写真掲示板に貼るから」
「い、陰湿…!」
踵を返して歩いて行ってしまう彼はブレザーがよく似合う。少し刈り上げた襟足から続くうなじが最高にエロティックで、危うく学校で変態になるところだった。俺もお揃いにしようかな。でも前に、お前は長い髪が似合う数少ない顔をしてるって言ってくれたからなあ。そういう、いつもはなりを潜めてる素直なところが、猫なで声の女子なんかよりよっぽど可愛い。可愛いと言えばこの間の夜もすごくよかった。いつもは剣豪みたいな仏頂面のくせに、ああいう時はすぐ泣くんだ。堪えてるけど最終的になくのがたまんないよね!
てかなんであの時おっぱい揉んでなかったんだ?馬鹿野郎おれ。
「…やべ」
トイレ、誰も使ってませんように。
*
ああ言ってもお家近くだから、俺たちはよくお互いの部屋に乗り込んで遊ぶ。おばさんに挨拶して、踊り場の窓から入ってくる春風を受けてぼんやりと民家の灯りを見ていた。夜なのに暖かさは昼みたいだ。そろそろ本格的な春がくる。
「…なにしてんだ」
「いや、そろそろ春休みだなーって」
「そうだな」
いつまでも部屋に来ない俺を訝しんで出てきた彼は、俺の隣で夜空を見てちょっとだけ笑った。
「一誠は空を見る派なんだ」
「なんだそれ」
「俺はね、街の灯りを見て眩しいって思う派」
「ふーん」
ちょっとポエミーになっちゃうのは仕方ないよね。高校生だし、春だし。花粉症も患ってない俺は春が結構好き。通学の時に首をすくめなくていいし、昼寝も気持ちいい。何より、暑い時は一誠がすぐカーディガンを脱ぐから。だから見てるだけじゃ満足できなくなって、素直に触らせてって言ってるのにスウェット姿の彼は頑として触れさせてくれない。畜生。
自然と会話が途切れて、無言が空間に溶ける。階段の間接照明の光も手伝って、何だか昼間よりいい雰囲気になってきた。一誠もなんだか落ち着かないし、これはもしかしてもしかするのでは。
「あ、あのさー、一誠」
「…また胸の話かよ」
「う…うん」
「…なんでそんな触りたいの」
別に誰のでも良いわけじゃない。一誠のおっぱいだから揉みたいわけであって、っていうか何で今日こんなにおっぱいのこと考えてるか事の発端はあんまりよく覚えてないんだけど、そのせいでヨム先生には怒られるし職員室でそれ聞いたらしい織之先生には呆れられるし三角ちゃんは鬼の形相で俺のこと見てくるし、散々だったんだよ。でも、女の子の胸が揺れてるの見ても何にも、柔らかそうだなーくらいしか思わないし男のは見たくもないし…でも、でも一誠が体育から帰ってきた時、体操着の下のおっぱい想像したらなんかそれだけで危うく勃ちそうになるしもうどうしたらいいか分かんないんだよ。だからお願い
「おっぱい、揉ませてください…っ」
一息で言い切った俺に、軽く仰け反った一誠はため息をついた。そして、俺の右手をとって、自分の心臓の辺りに触れさせた。シャツ越しの鼓動が早まっている。
「なんか、お前がそんなに言うから、こっちもそんな気になってきたっていうか…だから、仕方ねーな」
今回だけだぞって耳元で甘く響く声で、危うく暴発するところだった。何がとは言わないけれど。
俺たちの夜は長い。