9. ガスの罠
三人組の挑戦者たちを見送った後、私は急いで《黎明迷宮》の最下層へと舞い戻った。
彼らの特徴と会話の内容、それから隠された区画が突破されたことを牛頭の管理人に報告すると、オゥミ氏は難しい顔で腕を組んだ。
「するってェと、そのサイトとかいう少年が《恩寵》持ちで、《擬装》を見破ってる張本人だってのか?」
「多分、ですけど」
元の世界では、彼も一般的な高校生だったはずだ。彼が『四王国』の世界に落ちたとき、私と同じように特別な視力を手に入れた可能性は高いんじゃないかと思う。ついさっき見た彼が眼鏡をかけていなかったことも、私の推測を裏付けている。
「もし本当なら、かなり面倒な相手だな」
「あ、あと、一番奥で万能薬を手に入れるんだって、挑戦者のひとりが言ってたんですけど」
「万能薬ならその辺に転がってる筈だが……くれてやるつもりは無いぞ?」
「いえ、そんなつもりじゃなくて。本当にあるんですね」
オゥミ氏の言葉に、私は慌てて言葉を付け足した。彼らが目的を達成してしまったら、もうこの迷宮にやってこないかもしれない。それでは困る。
「……あの。彼については、私に任せて貰えないですか」
「まァ、何か事情がありそうだとは思っとったが、ノッカ君にはちょいと荷が重過ぎるんじゃないかね?」
「それは、その……」
今回ばかりは、大丈夫です、とは言えなかった。何をどうしたら彼を助けられるのか、さっぱり思いついていない。
言葉に詰まった私を見下ろしながら、オゥミ氏は言葉を続けた。
「具体的な策でも持ってこない限り、迷宮の管理者としては許可を出せんよ」
「そう、ですよね」
牛頭の管理人は組んでいた腕を解き、上体を屈めて顔を近づけてきた。迫力にちょっと気圧されつつ視線を合わせてみれば、伸ばされた手が私の頭を軽く叩いてきた。
「今日のところは還りなさい。聞いた感じなら、連中がすぐにここまでやってくることもなかろうさ」
諭すように言われて、私は大人しく頷くしかなかった。
†
丸太小屋へと戻った私は、絶賛出動中の相棒に書置きを残して、外に飛び出した。《市場》へと通じる道を早足で駆け下りながら、点滅していた左手の《腕輪》を操作する。
『ペコラスだ。協会前の広場だよな? どこにいるんだ?』
「ごめん! すぐ行くからちょっと待ってて!」
灰妖精からのメッセージに返事を送り、途中で息切れしない程度に加速する。
協会のある中心部に近づくにつれて、《市場》の店々は密度を増していく。行き交う人々の間を通り抜けようとして、段差に足を引っ掛けてしまう。
「──わ、にゃッ」
倒れる直前、どうにか両手で顔だけは庇うことができた。
着替える時間も惜しんで出てきたのが逆に幸いして、かなり派手にすっ転んだ割には大して痛みもなく。服についた砂粒を払って、私はまた走り出した。周囲の視線なんか気にしている余裕は無かった。
周囲の建物よりもひときわ大きな、四階建ての協会本部を目指して走ること十分ほど。何度も転びかけながらようやく大きな広場へと辿り着いた私は、膝に手をついて息を整えてから、改めて周囲を見回した。
「えっと……」
「そこまで慌てなくても、帰ったりはしないぞ」
背後からの声に慌てて振り返ると、相変わらずの白衣に身を包み、呆れたように見下ろしてくるペコラスの姿があった。
「ごめん、待った?」
「まあ、それなりにな」
「だよねえ」
いつも通りの面白味の無い返答に安心していると、彼は背負っていた袋を持ち上げて見せてきた。
「買出しの途中だったんだが、いきなり呼び出して何の用だ」
「あー、えっと。ちょっと長くなりそうなんだけど、どっかで食事しながらじゃ駄目かな。奢るからさ」
「……なんだと?」
私の言葉に、ペコラスは目を見開いた。肩からずり落ちそうになった袋を背負い直して、彼は真面目な顔になった。
「金にうるさい君がそこまで言うとは、つまり、余程の事態ということだな」
「余計なお世話ですし。ペコラスだっていつもお金の話してるじゃん」
「それは仕方あるまい。《秘術》の研究には資金が必要なんだ」
私だって元の世界に戻るための資金を貯めているだけである。別に、そんなケチケチしてたつもりはない。はずだ。
それはともかくとして、不毛なにらみ合いを回避すべく、私は話題を変えた。
「で、何か食べたいものある?」
「そうだな……」
左手を顎に当て、少しばかり思案していたペコラスは、厳かな口調で「やはり、甘味だな」と告げた。
†
《市場》の外れ、《学院》に程近い場所に、ペコラスが行きつけにしているという甘味処があった。
串に刺さった草団子を頬張り、薬草茶を一口飲んで、ほう、と一息ついたところで、ペコラスの赤い瞳が私に向けられた。
「そいつは、嫌々従ってる感じだったんだな?」
「他のふたりに聞こえないように小声で文句言ってたし、間違いないと思う」
あの待遇に不満を抱いていない、なんてことは無いだろう。団子の無くなった串をぶらぶらと振りながら、ペコラスは「だったら」と言葉を続けた。
「状況からして、恐らく《命令》をいくつか掛けられているな」
「えっと、それって?」
「対象に行動を強制する《秘術》だ。普通ならそれほど長続きするものじゃないんだが、相手の真名を知っているとなると、話が変わってくる」
真名を知っている相手への《命令》は、より高い強制力と、長い持続時間を持っているらしい。それによって、無理矢理に探索へと同行させているんだろう、と彼は解説する。
「それって、なんとか解除できないかな?」
「効果を消去する《秘術》も無くはないが、より強い力が必要になるぞ」
「ペコラスでも無理なの?」
「ああ、相手に真名を知られているのが大きい。こちらが真名を知らなければ、そもそも勝負にならないだろうな」
つまり、少なくともサイト少年の本名を知る必要があるわけだ。
腕を組んで考え込む私を見て、ペコラスは黙って三本目の串に手を伸ばした。
「えっと、例えば……隙を見て、直接本人に聞くのはどうかな?」
「俺なら『誰にも真名を答えてはいけない』って《命令》しておくがな」
「だったらもう、ワイスに頼んで無理矢理攫っちゃうとか」
「ひとりになった場合にはとにかく合流を最優先させろ、どうしようもなくなったら問答無用で自殺しろとか、そんな指示をされていたらどうする?」
「ぐぬぬ……」
助言を求めて呼んだのに、駄目出しされまくりである。
真名についてはひとまず置いておくとして、頭を振って思考を切り替える。
「それなら、なんかこう、《秘術》で眠らせたりとかさ。あるのか分かんないけど、眠りの雲みたいなので」
「そういった《秘術》も無くはないがな……」
ペコラスは薬草茶で口を湿らせながら、少しだけ思案した。
「そのアンヌとかいう術士、話によれば実力者なんだろう? となると、精神に作用する《秘術》は効かない可能性が高いぞ」
「八方塞りじゃんかもう」
「それを俺に言われてもな……」
確かにその通りである。あの少年がどんな状況になっているのか知ることができただけでも、ペコラスにはお礼を言わないといけないのだけれど。
最後の串に取り掛かっていたペコラスが、団子の刺さったそれを私の方に向けてきた。存外に行儀の悪い奴である。
「《秘術》が通用しなくても、他にも方法はあるんじゃないか?」
「えっと、他にもって?」
「例えば、上手いこと三人まとめて無力化できるような罠は無いのか、って話だ。素人考えだけどな」
「ああー」
なるほど、罠ときた。その方向でならもう少し頭が回りそうな気がする。
罠のことだったら、あの人に話を聞くべきだろう。すっかり冷めた薬草茶を一気に飲み干して、私は立ち上がった。
「なんだ、もう行くのか?」
「なるべく早く、なんとかしたいんだ。ごめん」
「それは構わないが。他に方法がないか、俺も師匠に聞いてみるか」
「うん、お願い。ありがと」
ペコラスに礼を言って店を出てすぐ、私は《腕輪》を操作した。
†
小さな部屋の中には、本棚に収まり切らなかったらしい書物や資料の束が、床を覆い尽くすように散らばっていた。壁にかけられた大きなボードには、いくつものメモ書きが貼り付けられている。この散らかり具合は、非常に落ち着かない。
どうやら外は夜らしく、室内を照らしているのはランタンの光だけで薄暗い。部屋の主は大丈夫なんだろうかという心配を余所に、カラス頭の罠師は部屋の片隅を指し示した。
「座りたかったら、その辺に椅子が転がっとるハズや。好きに使い」
積み上げられた書物の山から椅子を発掘する手間を考えて、私は首を振った。手をつけたら多分、片付けずには居られなくなるだろう。
「いえ、それより、話の続きを」
「さよか」
ヤ・タに案内されてやってきたのは、《狂騒尖塔》の隠し区画にある、資料室らしき場所だった。
部屋の中央に置かれた作業机を挟んで、私たちは顔を見合わせた。
「で、なるべく怪我させずに挑戦者を無力化したい、っちゅー話やったな」
「はい」
「無力化いうたらそら、眠らせるとか、麻痺させるとか、そっちの系統になるわな」
「やっぱり、そんな感じですよね」
どうにかして意識を奪うか、動けなくする。問題は、それをどうやって実現するかである。
「定番なんは、待機させといた《眠り》とか《痺れ》とかをスイッチで発動させる奴やけど」
「えっと、《秘術》は使わない方向がいいんです」
「そういう話やったな。ノッカくんは何か考えとる?」
ヤ・タの問いかけに、私は頷いた。彼に連絡をとってから、塔へと召喚してもらうまでの間に、思いついたことはある。
「ガスの罠、なんてどうでしょうか」
「ああ、なるほどなァ……」
私としては、こっちの方が定番じゃないかと考えていたのだけれど、ヤ・タの反応は芳しくない雰囲気だった。
「えっと、イマイチですか?」
「いやいや、悪くないとは思うで。水攻めとか砂攻めとか、他にも方法はあるけど、どうしても大掛かりになってしまうしな」
ただし、保守管理のことを考えると面倒なのだと、彼はぼやき気味に話し始めた。
ガス系の罠はその性質上、一回限りの使い捨てが基本である。再使用可能なタイプでも、起動する度に人手をかけて仕掛け直す必要があるのだ。
ヤ・タは壁の本棚へと向かうと、何やら探し物を始めながら、愚痴を続けてきた。
「それにな、ガスを発生させるのに特殊な薬剤を扱うもんやから、作業を鳥頭どもに任せるワケにもいかん」
「えっと、大変なんですね」
「ま、そんな内部事情は置いといて、や」
本棚から探し当て、抜き取られた大判の本が、作業机の上で広げられる。
ヤ・タの手でぺらぺらと捲られ、示されたページには、ガスを発生させる装置の図面らしきものが書かれていた。
「基本部分の設計図と、必要な部品のリストや。貸すことはできんけど、書き写すのは構わんで」
「有難うございます」
「《工房》に依頼を出せば、時間はそれほどかからんとは思うで。ま、それなりに取られるのは覚悟しとき」
そう言いつつ私の方に押し出された本を、自前のランタンに灯りを点けて読み解いていく。この際、出費がかさむのは仕方ない。なるべく確実な方法で、彼を救出するのが最優先である。
その後、ヤ・タはいくつか注意すべき事柄を私に教えてくれた。数ページに渡って手帳に書き込まれた内容を、復唱しつつ頭の中に刻んでいく。
「まず、風の《秘術》なんかでガスを散らされたりしないような、狭い場所で仕掛けること。対象に逃げられないように足止めすること。作業中にうっかりガスを発生させてしまわないように、薬剤の管理には気を使うこと。その薬剤は即効性の高いもので、なおかつ意識を奪うタイプが望ましい。それから──」
時間をかけて確認を済ませ、本とメモ帳を袋に仕舞った後、私はヤ・タに頭を下げた。
「いきなり押しかけてしまって、すいませんでした」
「なあに、いい気分転換やったし、また今度手伝って貰うつもりやしな。それより、これでなんとかなりそうなんか?」
「えっと、はい。罠に誘い込む方法はもう少し考えてみます」
「ワイも他所の迷宮には詳しくないさかい、その辺は管理者とか坑掘り屋とかと相談した方がええで」
†
再び丸太小屋へと戻ってきた私は、部品の調達のために、そのまま《市場》の反対側にある《工房》へと足を運ぶことにした。
しかし、《工房》のある区画に辿り着いた頃には、辺りはすっかり暗くなってしまっていて。
赤黒い夜空にひとつだけ残っている太陽を見上げながら、私は隣を歩く兎耳の少年に言い訳をする。
「いやー、夜でもどこかは開いてるだろうと思ってたんだけどさ」
「《工房》の受付は昼間しかやってないですよ。急ぎの依頼なら、協会を通すしかないですね」
いろんな店があり、どこかしら営業している《市場》と違って、《工房》は業種ごとに受付窓口を共有しているのだ、とリクは説明してくれた。
「お得意様が相手だったら、直接請け負ったりとかもありますけど」
「ここまで来る前に、リク君に聞いとくべきだったなあ」
どの建物で何が行われているかもさっぱり分からず、途方に暮れてぶらぶらと歩き回っているときに、ちょうど作業を終えて帰還したリクと偶然鉢合わせなければ、たぶんまだ《工房》区画を当てもなく放浪していただろう。
「特に指名したい相手が居ないんなら、明日の朝また出直した方がいいですよ」
「んー、仕方ない、か」
確かに少々焦っていたかもしれない。ちゃんと一眠りして、頭を休ませないと駄目な気もする。
ワイスが戻ってきたらちゃんと相談しないとなあ、と考えていると、いきなり腹の虫がぐぐうと鳴いた。
「ノッカさん?」
「いや、だって、そういえば朝から何も食べてなかったし!」
すぐそこで店を構えている屋台から、火に炙られた濃いめのタレらしき、美味しそうな匂いが漂ってきてるし。
私の視線の先を見て、兎耳の少年はなるほど、と長い耳を縦に揺らした。
「僕も晩御飯のために出てきたところでしたし、ここで食べていきますか」
「えっと、でも、ここってさ……」
「もしかして、がっつり系駄目な感じでした?」
「いや、私はいいんだけど」
言いよどむ私に構わず、リクは「じゃあ、行きましょう」と、すたすたと屋台に向かって歩いていく。
看板にでかでかと書かれた「火吹有翼大蜥蜴 特等肉」の文字から視線を外して、私も大人しくついていくことにした。
†
黙々と大盛りの焼肉丼を腹の中に収めていくリクの姿に、「肉食穴兎」という単語を連想しつつ、私も並盛りの丼に手をつける。
しっかり火の通った大蜥蜴の肉は、秘伝の《秘術》で旨みを引き出しているらしく、空腹だったのも相まって大変よろしい一品だった。もう少し家に近かったら、常連になっているかもしれない。
しばらくして、大きな丼を半分ほど片付けたところで、手を休めた彼が顔を上げて話しかけてきた。
「罠を仕掛けるんだったら、地下三階がいいんじゃないでしょうか」
「えっと……確か、リク君が改装してた階だっけ?」
「はい。ちょっと前、袋小路に休憩所を用意しようかって話してましたよね」
そういえば、水場とか養殖場とか、今思えばかなり適当なことを言っていた覚えがある。
後で気になって調べてみれば、水源ひとつ用意するだけでも排水やら手入れやらでかなり大変そうだったし、迷宮の中で大長虫を養殖するなんて、専属の調教師でも雇わなければ無理な話だった。
「あの、ノッカさん」
「あ、ごめん。話は思い出したけど、何でまた?」
「経路の変更は終わってて、袋小路の仕掛けや休憩所についても、業者に頼んでほぼ出来上がってるんですけど、まだどうするか決まっていない場所が一箇所あってですね」
牛頭の管理者もそこに頭を悩ませていた、という話を聞いて、ようやく栄養の回り始めた私の頭が、リクの言わんとすることを理解した。
「つまり、そこを有効活用する感じで、提案書を出せばいいってことか」
「はい。後で現状の地図、渡しましょうか?」
「それは助かるけど、そういうのって守秘義務とかあるんじゃないのかな」
「他の迷宮の関係者とか、ライバルの業者とかだったら問題ですけど。これで僕の仕事も増えるかもしれませんから」
そう言って、兎耳の坑掘り屋は期待の眼差しを私に向けてきた。




