2. 隠し通路
左手の《腕輪》がいきなり光り始めたのは、丸太小屋の居間で遅めの朝食をいただいている最中だった。
ワイスの《腕輪》が光っているのは何度も見たことがあったものの、いざ自分がとなると、さて何をどうするのだったか、
「えっと、あれ、えーっと」
「落ち着け、ノッカ。青はただの指名召喚で、緊急じゃない。ちゃんと飯食ってゆっくり準備すりゃあいい」
「あ、うん」
「それで、相手は誰だ」
食べかけだった鶏肉のサンドイッチを口に放り込んでから、《腕輪》の表面を流れていく小さな文字を読み上げる。
「……《黎明迷宮》って、オゥミさんのとこだっけ」
「そうだな。まあ、ノッカに会ったことがある管理者はまだアイツと姫様だけだし、どっちかだろうと思ってたが」
「そっか、なるほど」
「オゥミの奴なら先に受諾だけして、待たせとけばいいさ」
「いや、でも……」
相棒の言葉に首を振る。緊急じゃないなら二時間は猶予があるとは聞いているけれど、私にとっては初めての指名なのだ。
橙豆のスープを一気に飲み干し、一息ついて手を合わせる。ごちそうさまでした、っと。
「俺もついて行くか?」
「大丈夫、ありがと」
さすがに単身で挑戦者との戦闘に駆り出されたりはしないだろう。食器の片付けをワイスに任せて、商売道具が置いてある隣の部屋へと移動する。
支度にかかる時間とか、《市場》から小屋までの移動時間とか、前もって計っておいた方がいいかもしれないな、と思案しながら、私は革鎧へと手を伸ばした。
†
準備を終えて、迷宮の最下層へと転移する。
最後の試練の場として用意されているはずの大広間には、相変わらず巨大なテーブルが鎮座している。
オゥミ氏はといえば、前回と同様なラフな服装──その格好で決戦に臨んじゃったりするんだろうか──で椅子に座り、地図らしき大きな紙を両手で広げて睨みつけていた。
低い声で唸り続ける彼の背中に声を掛けるのは憚られるけど、このままずっと《召喚陣》の上でぼんやり立っていても仕方ない。
「えっと、あの、失礼します」
「おっ、思ったより早かったじゃあないか」
牛頭の管理者は私の方を振り返ると、地図をテーブルの上に放り出して立ち上がった。
「じゃあ、始めるか」
「“我を喚びし者よ、汝の望みと対価を告げよ”……でしたっけ」
「そこは適当で構わんよ。ノッカ君には、今回も仕掛けの点検を頼もうと思っとる。報酬は協会の規定に準ずる、で、いいかな?」
「はい、了承です」
《腕輪》に触れて、契約成立の手続きを行う。《召喚陣》の光が消えていき、私は勧められるままにテーブルの方へと移動する。
「ここ最近、中層までやってくる挑戦者が増えててな。それは構わんのだが、そいつらの大半が地下四階の序盤でリタイアしやがるんだ」
「えっと、はい」
「上層を突破できる実力があれば、もう少し先までやってきてもいいハズなんだ。で、ちょいと気になったんで、調べてみたんだが」
オゥミ氏はテーブルの上の地図を指し示しながら、説明を続ける。地図には《黎明迷宮》の上層部分、地下一階から地下三階までが描かれている。
「地下三階には必ず通らにゃならん大部屋がある。そこに常駐している石巨人と戦うのが試練になっとるんだが、どうも石巨人が倒された回数と中層に下りてくる挑戦者の数が合わんのよ」
「えっと、無視して通り抜けたりはできないんですか?」
「石巨人を無力化しないと、奥の扉が開かん仕掛けでなァ」
扉の仕掛けはいくつかの《秘術》を組み合わせたもので、錠前外しの業や力押しでどうにかできるものではないらしい。
「扉の方をどうにかするのは難しいってことですね」
「あァ。俺も《秘術》に詳しいわけじゃないが、この大部屋でインチキは通らんようになっとる、ハズだ」
「うーん、そですか……」
だとすると、大部屋以外に問題があるのだろうか。
ゴーレム部屋は地下三階の中央にあり、そこで前半部分と後半部分を分断する形になっている。けれど、それは挑戦者の視点なら、という大前提がある。
実線で描かれている地図の片隅で、点線で示されているマスへと視線を向けた。
「ここか、こっちの裏道が怪しいですけど」
「うむ。やはりノッカ君は察しがいいな」
巡回の際に、避けて通ることが難しい罠を迂回したり、挑戦者との遭遇を回避したりするために用意されている隠し通路。それらを利用すれば、中ボスを無視して先に進むことは可能だろう。
オゥミ氏は私の推測に対して満足そうに頷いている、けれど。
「本当だとしたら結構ピンチじゃないですか?」
「うむうむ。そこで今回の依頼なわけだ」
地下三階、二箇所の隠し通路を点検するのが、私の仕事であるらしかった。
†
《黎明迷宮》の階層と階層の間は、およそ十マス分、十五メートルの距離がある。つまり、最下層である地下十階から地下三階までは百メートル以上の標高差があり、延々と続く螺旋階段の段数に換算すると五百──
「やめよう、不毛な計算」
一段の高さを測るために取り出していた巻尺を、背負い袋に放り込む。いま休憩しているのが地下七階の踊り場だから、この先、まだ半分以上の道程が──
「それ以上、よくない。ノーモア思考」
果たして前回はこんなに大変だっただろうかと思い返してみれば、挑戦者を撃退するために急いでいたワイスが私を抱えている映像が浮かび上がってきた。
なるほど、すっかり記憶から排除していたけれど、自力で登るのは今回が初めてだったらしい。
「エレベーターくらい、あってもいいのに……」
長い吹き抜けを見上げても、当然ながら青いリボンが降ってくる様子は無い。両手で頬を叩き、気合を入れ直して立ち上がった。
†
二度の休憩を挟んで、私はどうにか地下三階へと辿り着いた。最下層で書き写した地図を元に、曲がりくねった通路を進み、小部屋を通り抜ける。
道中にある仕掛けも、ついでに金鎚を使って不備が無いかどうか確かめていく。暗がりに佇む骸骨兵士に驚いて身構えたり、挑戦者の成れの果てを消化している不定形の掃除屋を間違って踏まないように避けたりしつつ、目的地へと近づいていく。
「……ちょっと、変だったかな」
道中、少しだけ違和感があった。《擬装》の《秘術》を使って巧妙に隠蔽されているはずの罠が発動しないように手を加えられていたり、逆にそこそこ気をつけていれば引っかからないであろう罠には犠牲者の遺品が残っていたり。
偶然かもしれないけれど、後で報告はしておこうと地図への書き込みを行ってから、左手の壁に注意を向ける。
何の変哲も無い通路の途中、これまた普通に見える石壁こそが、隠し通路の入り口である。
目を閉じて金鎚を振り下ろせば、見えない仕掛けの構造が、脳裏に浮かび上がってくる。
目の前の石壁は、実際は幅一マス分の鉄板に石を張り付けたものである。境界部分は違和感が無いように《擬装》で覆い隠されていて、実際に触れてみないと気付くことはできないだろう。
鉄板の下には車輪がついている。床に近い部分にある小さなスイッチを押してやればストッパーが外れ、レールに沿って動かせるようになる。
とはいえ、小柄な私ひとりで重い鉄板を動かすのは重労働だった。目一杯に体重をかけ、なんとか通り抜けられるだけの隙間を開いて隠し通路に入り込むと、鉄板は自重によって元の位置に戻っていった。
「うん、こっち側は異常なし」
圧迫感のある細い隠し通路を進んでいくと、すぐに出口を塞ぐ鉄板に行き当たった。裏側には取っ手が付いているとはいえ、今度は引っ張らないといけないのかとうんざりしながら手を伸ばしたところで、鉄板がわずかにずれていることに気がついた。
ランタンで照らしてみれば、隙間から反対側の通路がはっきり見えていた。原因はどこかと探っていくうちに、レールの上、車輪の奥に打ち付けられた木片を発見する。
「あー、なるほど……」
こいつが楔になっていて、鉄板が本来の位置まで戻らなくなっている。隠し通路には隙間が開いたままで、これなら《擬装》がかかっていても手探りで簡単に見つかってしまうだろう。
木片を取り除いてしまえばいいかと背負い袋を置いたものの、なんとなく、そこで手が止まってしまった。
果たして、これを元通りにしたところで、問題は解決するんだろうか。
†
私の報告を聞き終えて、オゥミ氏は組んでいた腕をゆっくりと解いた。右手の指が、机の上をとんとんと叩く。
「二箇所とも、挑戦者どもが簡単に通れるようになってた、と」
「はい」
「それで、他にも細工されてる罠があったわけか」
頷いて、色々と書き込んだ地下三階の地図を差し出した。オゥミ氏はざっと地図を眺めてから、また私の方へと視線を向けた。
「後から来る挑戦者の助けになっちまうから、罠を無力化するなんて真似はしねえ筈なんだがなァ」
「ですよね……」
チームを組んで行動しているならともかく、ライバルである他の挑戦者が有利になる痕跡を残すようなお人好しは、普通は居ないらしい。まあ、それで先を越されて、お宝をゲットされでもしたら丸損だろうし。
だけど、隠し通路の情報がそれなりに広まっていて、ゴーレム部屋が無視されているのは事実だ。
「理由はともかく、そんなお節介な奴がまだうろついてるとしたら、一度、上層の大掃除をした方がいいかもしれねェな」
迷宮内での記憶や記録は、挑戦者が外に出た瞬間に曖昧になり、ほとんどが失われてしまう。それは、死者の魂を呼び戻す《復活》の《秘術》を行使したとしても例外ではない。
だから、迷宮内にいる挑戦者たちを全員片付けてしまえば、隠し通路に関する情報をある程度ぼかすことができる、という寸法らしい。けれど、それでも対処は完全とは言えない。
「隠し通路を見つけた方法が分からないと、また同じように発見されちゃいませんか?」
「ああ。そりゃあ、そうだな……」
それが何度も使える方法だとしたら、隠し通路や罠を元の状態に戻したところであまり意味が無い。ストッパーを外すスイッチを探す手間さえかければ、また通り抜けできてしまう。
「面倒だが、隠し通路を潰すしかねェか」
「あの、それなんですけど」
坑掘り屋を喚ぶかねえ、と渋い顔で唸るオゥミ氏に、長い長い螺旋階段を下りながら考えていたことを提案する。
「だったら単純に通路を塞ぐより、罠にしちゃった方がいいかもですね」
「ほう、どういうことだ?」
どうやら興味を引けたらしい。身を乗り出してきた牛頭の管理者との間に、地下三階の地図を滑らせる。
「隠し通路の入り口ですけど、こっち側の壁のスイッチを増やすのはどうでしょう」
「っつーと……ハズレを用意するってことか」
その通り。正解が分からなければ、スイッチを見つけるたびに壁を押してみなければならなくなる。途中で諦める挑戦者も出てくるに違いない。
一部のスイッチはもっと直接的な罠──毒針とか、催涙ガスとか──と連動させてもいいだろう。
「──って感じかなあ、と」
「う、うむ」
「あっ、それから、通り抜けた先を独立した区画にして、進めなくしちゃうのもいいですね」
「お、おう?」
見たところ、何箇所か通路の繋ぎ方を変えるだけで袋小路にできそうなのだ。隠し通路でショートカットしたと思ったら、結局は無駄足だったとなれば、多少なりとも消耗してくれるだろう。
欲を言えば、さらに背後から骸骨兵士あたりをけしかけたいところだけれど、これは予算的に厳しそうな気がする。
「ノッカ君、ひとまずその辺で、な」
「あ、はい」
何だか引き気味の声を掛けられて、慌てて地図から顔を上げる。途中から説明しているんだかただの呟きなんだか、自分でも分からなくなっていた気がする。
調子に乗って口を出しすぎたかなと恐縮しつつ顔色を窺えば、オゥミ氏はまた腕を組んで何やら思案している様子だった。
「何故だかノッカ君がやたら乗り気なのはさておくとしてな」
「……はい」
「ちょいと大掛かりにはなるが、手を付けとかんとマズかろうなァ」
「だと、思いますけど」
どちらにしても、すぐに決められることでは無さそうだ。私はそろそろ退散するべきだろう。
すっかり温くなった薬草茶を一口飲んで、大きな椅子から飛び降りた。
†
結局、丸太小屋へと帰還できたのは、正午を過ぎた頃合だった。昼御飯はどうしようかと考えながら居間へと戻ると、すっかり片付いた食卓の上には、ワイスが残したらしき書置きがあった。
「緊急喚び出し、適当にやっといてくれ……って、またテキトーだなあ」
書き殴ったような文字からして、相当急いでいたんだろう。何時頃戻ってくるかも分からないし、ここは大人しく指示に従っておくことにする。
《市場》のどこかで軽く昼食をとって、ぶらぶら巡りつつ食材を買ってこよう。そういえば、オゥミ氏からの報酬がちゃんと処理されてるか気になるし、協会にも寄ってみるとしよう。
「初任給、じゃないけど……」
この世界に落ちてきてから色々と世話になっているワイスに、何かお礼になりそうなものを探してみようか。