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19. 竜の住処へ

 考えてみれば、ワイスとふたりで仕事に取りかかるのは久しぶりのことだった。


「お前さんの仕事は裏方だからな。俺と違って挑戦者どもの前に姿を出したりせんだろう?」

「いや、まあ、そう思うよねえ」


 最近なんだかんだで挑戦者とちょくちょく遭遇(エンカウント)してしまっているような気がするのだけれど、それはあくまで特殊な状況だった、と思いたいところだ。

 アグラとの細かい打ち合わせの後、協会(ギルド)を出た私たちは《市場(バザール)》に立ち寄ることにした。携帯食糧や消耗品を買い足して、ボーリィ商会のホブに一声かけてから、ワイスの丸太小屋に戻って荷物の整理に取り掛かる。

 説明とともにアグラから渡された《万尋峡谷(グラン・ガップ)》の地図は、ルートだけが記された簡易的なもので、どんな罠があるのかもはっきりしない。普段持ち歩いている罠や仕掛けを補修するための工具は棚に戻して、かわりに罠の解除、無力化に必要な道具を背負い袋へと放り込んでいく。


「鉄の(くさび)万能鍵(スケルトンキー)、砂袋。二メーテ棒と、それから……」

「……なあ、その棒は本当に必要なのか?」

「え? だって、定番じゃないの」


 疑いの目を向けてくる相棒は置いておいて、箱から木の棒を引っ張り出す。長さ六十センチほどの棒は両端に金具がついていて、同じ規格の棒を連結できるようになっている。こいつを十本繋げれば長さは三メートルとなり、いわゆる「十フィートの棒」が完成する。

 知っての通り、これは遠くから怪しい場所を突いたり払ったりして調べることができるという優れもの。斥候にとっては必需品なのだ。強度面に問題があるため、向こう側の世界では折り畳み式のものが主流であるらしい。


「とはいっても、さすがに定番すぎて、あれこれ対策もされてるんだけどさ」

「ふむ?」


 例えば、まっすぐの棒では届かないように、曲がり角の先に仕掛けを用意する。これはまだ優しい方だ。


「通路の突き当たりに見え見えのスイッチを用意しといて、いざこの棒を使ってスイッチを押してみたら足元に落とし穴が開いたり、とか」

「そいつの実用性って奴が、ますます怪しくなってきたんだが」


 そこはそれ。そんなこともあろうかと、この棒は状況に合わせて長さを調整できるのである。


「設計者の癖を読んで伸ばしたり縮めたり、さらに裏をかかれたり。そう、言うなればダンジョンとの知恵比べのような──」

「ああ、わかった。聞いた俺が悪かったんだな」


 七面倒臭い話はお前さんに任せたぜ、と普段以上のしかめ面で言い残して、ワイスは自分の作業に戻ってしまった。


    †


 そして翌日。滞りなく準備を終えて、再び協会本部へと戻ってきた私たちは、アグラの案内で本部の地下に足を運ぶことになった。

 詳しいことはよくわからないのだけれど、管理者がいる普通の迷宮(ダンジョン)とは違って、休眠迷宮へは通常の《召喚陣(コーラー)》による転移が行えないため、特殊な手続きが必要になるらしい。


「考えてみりゃあ、喚んでくれる相手が居ないんだから、当然だな」

「それはわかるんだけど……代わりの移動手段がこの先にあるってこと?」

「さてなあ。ここいらについては俺も良く知らん。行ってみりゃわかるだろうさ」


 非常階段めいた無機質な空間を、白妖精の先導で降りていく。踊り場に設置された青白い秘術の光は弱々しく、なんとなく不安にさせられる。会話が途絶えてしまえば、後は私たちの足音しか聞こえてこない。

 段数からして恐らくは数十メートルは下ったところで、細長い通路へと進入する。飾り気のない灰色の壁面には一定間隔で扉があり、それぞれに小さなプレートが取り付けられていた。


「二十五……二十六……二十七番。ここだな」


 プレートに刻まれた番号を確かめると、アグラは懐から取り出した鍵で扉を開き、私たちを中へと招き入れた。


 少しばかり広い、およそ十メートル四方の殺風景な部屋の中央に、巨大な水晶の塊が浮かんでいる。まるで生きているかのように淡く明滅する水晶を見上げて、相棒が何やら得心した様子を見せた。


「なるほど。こいつは、《万尋峡谷》の迷宮核(カーネル)か」

「ええ、お察しの通り」


 私も初めて見る代物だけど、話にだけは聞いている。

 迷宮を維持し、挑戦者の魂を研磨する秘術の心臓。削られた魂の欠片はこちら側の世界に吸い上げられて、貴重なエネルギー源として蓄積、消費されている。

 この迷宮核が無ければ、『鼎陽(トライ・ソル)』の住人たちの文明的な生活を維持することはできない、という話だけれど。


「えっと、それで、つまり?」


 目の前の物体については理解したものの、具体的に何をするのかさっぱり想像できない。

 扉を閉めていたアグラに振り返って尋ねると、彼は私たちに《腕輪(ブレス)》を差し出すように促してきた。


「君たちを一時的に管理者として登録させてもらう。そうすれば、《腕輪》の力で転移が可能だからね」


    †


 あれやこれやと細かな説明を受けた以外には、特に大仰な儀式を行うようなこともなく、《腕輪》への細工は数分で完了した。左手に戻ってきた《腕輪》には何の変化も見られないけれど、アグラによればこれで問題ないらしい。

 運び込んでいだ荷物をもう一度背負い直して、隣に立つ相棒に声をかける。


「準備はいい?」

「お前さんこそ、忘れ物は無いか」


 互いにうなずき合ったところで、左手の《腕輪》を目の前に掲げる。


道を開け(ヴァウアリフ)


 《合い言葉(キーワード)》に合わせて《腕輪》に浮かび上がる文章を確かめる。《執務室》と記されている部分を人差し指でなぞると、足元に見慣れた《召喚陣》が現れた。

 一瞬置いて、いつものように周囲が光に包まれる。目を閉じて数秒、光が収まった頃合いを見計らって、ゆっくり瞼を上げていく。


「……成功、したんだよね?」

「と、思うがな」


 なんとも、あっさりとしたものだった。普段の召喚よりも簡単な気がする。

 あらかじめ点けておいた角灯を拾い上げ、辺りの様子を確かめる。当然ながら、巨大な水晶や白妖精の姿は見当たらない。部屋の大きさは二回りほど小さくなっていて、天井も手を伸ばせば届きそうな低さだった。

 部屋の中には、小さな机と椅子がひとつずつ。壁の一面には大陸の地図が描かれた古い綴織(タペストリ)。唯一の出入口である木製の扉も小さめで、私でも少し屈まないと通れそうにない。


「前の管理人、ずいぶん小さい人だったみたいだねえ」

「こいつはちょいと問題だな」


 窮屈そうに呻くワイスとどうにか向き合って、《腕輪》からの情報を確認していく。


「管理者二名、契約している被召喚者(サモニー)なし。居住者もゼロ」

「外からの侵入者はいくつか反応があるな。除外(オミット)タグが付いてるのは小人(ノーム)の団体か」

「あとはそこそこのサイズのがぼちぼちと……かなり大きいのがひとつ」

「となると、そいつが怪しいな」


 管理者としての権限を利用すれば、迷宮内に存在する《魂》に関する情報を知ることができる。ただし、契約によって一時的にやってきた被召喚者、迷宮の一部となって生活している居住者、そして迷宮外からやってきた侵入者を区別することと、《魂》の大まかな位階(サイズ)を測ることしかできない。

 《万尋峡谷》の地図を広げて、目標(ターゲット)が居座っていることを前提に作戦を再確認する。今いる《執務室》が、迷宮全体から見てほぼ中間あたり。


「ここを出たら、まずは一番奥の大広間を確認する。そこに竜が居なかったら、奥から順番に怪しい場所を調査していく」

「竜に遭遇したら、なるべく距離を維持しつつ観察。対話が可能ならお前さんが交渉。決裂したらさっさと撤退、だな」


 私たちが失敗したら、改めて別の誰かが「話し合い」に挑むことになるだろう。そうなったときのためにも、可能な限り情報を集める必要がある。


「まずは、ここを出るとするか」

「あ、待って待って」


 地図を畳む私を尻目に動き始め、扉に手をかけようとしたワイスを、急いで呼び止める。腰の金鎚(ハンマー)に手を伸ばしつつ、彼の前に移動する。


「罠があるかもしれないし、ちゃんと調べないと」

「管理者の《執務室》から出るだけだろうに、そんな心配が必要かねえ……」


    †


 通路の分かれ道、曲がり角、広間の出入り口。ごつごつとした壁の裂け目や天井にも気を配りつつ、狭い坑道をゆっくり進むことおよそ一時間ほど。


「……」

「なあ、ノッカ」


 口を開こうとした相棒を片手で制止して、金鎚で地面をこつんと叩く。罠の気配はない。金槌を腰に戻して立ち上がり、袖で額の汗をぬぐう素振り。


「大丈夫。行こう」

「そろそろ諦めて普通に歩かねえか?」

「いやいやどんな罠があるかまだ分かんないし? そうやって油断させたところで満を持して落とし穴がぱっくりだし?」


 ねえだろそんなもん、と無言で見下ろしてくるワイスから目をそらして、細く長く息を吐く。はぁー。


「がっかりだよ、もう」

「罠がねえんなら楽でいいじゃねえか」


 この大鬼さんはさっぱり分かっていない。メンテナンスされていない休眠迷宮だから、まともに稼働している罠については、私だって期待していなかった。それでも、何か目新しい仕掛けの痕跡でも見つかれば、新しい発想につながるんじゃないかと思っていたのである。

 気が済んだろうと言わんばかりに、ワイスはさっさと歩き始めてしまった。これまで通ってきた通路を一度だけ振り返ってから、私もその後を追いかける。


「でも、前の管理者の方針がどんなだったかは、だいたい見えてきたかも」

「《招来陣(スポナー)》か。挑戦者が来るたびに、そいつで何かしら喚び出して戦わせてたんだろうが」


 ここまで通ってきた通路や広間には、怪物を召喚するための《招来陣》がいくつも設置されていた。今は機能していないものの、それらは本来《腕輪》の機能で遠隔起動できるようになっているらしい。

 とはいえ、何をするにも代償は必要である。具体的には業者(ブリーダー)に対して支払う基本料金とか、喚び出しごとの使用料金とか。《黎明迷宮(ザ・ドーン)》でも深層にいくつか設置しているらしく、オゥミ氏が何やら愚痴っていたのを覚えている。


「外からの来客が多かった頃なら、そんなやり方でも良かったのかな」

「何にせよ、こうなっちまったらもう、立て直すのは難しかろうさ」


 まったく世知辛い世の中である。もう少し罠や仕掛けを工夫するとしても、何か目玉になるものがないとやはり厳しそうだ。それならいっそのこと、(くだん)の竜を宣伝に使ったりとか、できないだろうか。

 なんてことを考えていたところで、急に視界が開けてきた。足を止めたワイスの横に並んで周囲を見渡せば、切り立った断崖に挟まれた峡谷の底に出てきたことが理解できた。冷たい風が、まばらに生える雑草を揺らしている。


「さて、ここからどうすりゃいいんだ?」

「えっと……谷に沿って北に進むと、反対側に階段があるみたい」

「そいつは何よりだ。しばらくは腰を楽にできそうだな」


 崖の合間に見える狭い青空を仰ぎながら、ワイスは大きく伸びをした。


    †


 それから歩き続けること、さらに三時間ほど。急な縦穴を登らされたり、谷間に架けられた吊り橋を渡ったり、崩れた通路を迂回したりの末に、私たちは最奥の大広間まで辿り着いて。


 状況をさっぱり把握できないまま、ふたり揃って倒れることになったのだった。

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