18. 休眠迷宮
闇市の取引で賑わう一角を離れ、人目につかないように大きな柱の陰へと身を隠す。適当な瓦礫に腰を据えて、私は《修繕の杖》を取り出した。黒髪の剣士から預かった剣に闇青鋼の欠片を重ねて、小声で《合い言葉》を詠唱する。
黒小人の露店で手に入れた鉱石の欠片が少しずつ小さくなっていくにつれて、赤茶色だった刀身が暗い青色へと変化していく。
数分の後、元の色味を取り戻したように見える剣を、すぐ近くでそわそわと待ち構えていた持ち主へと返却する。
さっそく刀身に顔を寄せてしげしげと眺めたり、感触を確かめるように一通りの型をなぞってみたりした末に、モンツァはようやく満足そうに頷いた。どうやら無事に、彼の御眼鏡に適うことができたらしい。
「いやはや、助かり申した。緋国まで行ったとして、元通りになるかは怪しいところでござったからな」
「深い部分まで腐っていたら、この杖でも無理だったと思いますけど」
「なかなかどうして、便利なまじないもあるものでござるなあ……」
感心した様子で剣を鞘に納め、腰帯へと差し込むと、モンツァは改めて私の方に向き直った。
「さて。聞きたいのは竜についてでござったな。であれば、拙者も噂話を耳にした覚えがあり申す」
「えっと、どんな噂です?」
「あれは確か……」
再び顎に手を当ててしばらく考え込んだ後、彼はぽん、と手を打った。
「そうそう、開拓村で聞いたのだったか。外へ狩りに出た何某が、追っていた獲物を竜に掻っ攫われたとか何とか」
「その話、もう少し詳しく」
「ふむ。拙者と一緒に西側を巡ってきた同輩なら、もう少し詳しい話を知っておるやもしれぬな。ちと聞き出してくるとしよう」
しばし待たれよと言い残して、モンツァは外からやってきた集団の方へと歩いて行った。
†
大陸の北西部には、西方荒野と呼ばれる不毛地帯が広がっている。新天地を求めて山脈を越えたはぐれ者たちが荒野の外れに築き上げた集落は、そこを訪れる隊商の人たちから「開拓村」と呼ばれている。
そんな開拓村の住人の中でも腕に自信のある連中が、怪物狩りのために荒野を巡回しているときに、巨大な竜を目撃したらしい。
空から舞い降りてきた巨竜は、狩人たちが狙っていた鷲頭獅子を踏みつけると、獲物を掴んだまま飛び去ってしまったのだという。
「何というか、ご愁傷さまな感じですね」
「自分たちが襲われなかっただけ、幸運でござろうな」
物見櫓を見下ろすほどの巨体は鉛色の鱗で覆われ、太陽の光を鈍く反射していた。一対の飛膜を羽ばたかせ、矢弾も《秘術》も届かない高みを悠然と飛んでいく。黒い爪、白い牙は鋭く、口から洩れる吐息は熱く揺らめいて、とても手を出せるような相手ではなかったと、村に戻った狩人たちは口をそろえて言ったらしい。
その後も荒野を飛ぶ暗色の竜は何度か目撃され、どうやら山脈の方からやってきているようだ、と村で話題になっていたようで。
「山脈のどの辺りだとかは言ってましたか」
「万尋峡谷を根城としておるのでは、と当たりをつけておるようだったが」
「えっと、万尋峡谷、ですか」
言葉の響きからしてどんな場所かは想像はできるけれど、一体どこにあるのだろう。わずかに首を傾げた私を見て、モンツァは意外そうに目を見開いた。もしかしたら、一般常識だっただろうか。
「北の方にある深い谷でござるよ。開拓村を出るときに調査隊を募っておったから、今頃は峡谷に辿り着いておるやもしれぬな」
「なるほど……」
聞いた限りでは、竜玉に関する話はまだ知られていないようだ。調査隊は竜の様子を窺うためのものだろうけれど、噂が山脈を越えて西側に伝わったら、彼らの目的も変わってしまうかもしれない。ううむむむ。
「ちょっと、急いだ方がいいかな」
「ふむ? もしや峡谷まで行くつもりでござるか」
うっかり漏れた呟きに、強面の剣士は眉根を寄せた。彼は諭すような表情で、身振りも交えて私を止め始めた。
「隧道を西に抜けて直に向かったとしても、徒歩で十日はかかる場所でござるよ。道中も決して平穏ではござらん」
「あー、結構遠いんですね」
どうやら気軽に足を運べる距離ではないようだった。どちらにしても、ここで蜥蜴人たちと別行動、というわけにもいかないし、そもそも何の準備もしていない状態である。一度向こう側に戻って、出直さないと駄目だろう。
「いやさて、役に立ちそうな話ではなかったが」
「いえ、十分です。お手数おかけしました」
「なあに、なかなか興味深かったでござる。護衛の仕事が無ければ、拙者の方こそ隧道を引き返していたやもしれぬ……と、そろそろ潮時か」
「みたいですね」
辺りを見回してみれば、既にあちこちで撤収作業が始まっていた。何日も前から準備していても、実際の取引は半日もかからずに終わってしまうらしい。
祭りの後の寂しさみたいなものをちょっとだけ感じつつ、私は静かに去っていくモンツァの後姿を見送った。
†
黒髪の剣士に見つからないように、こっそりと蜥蜴人の集団の中に潜り込む。荷車の傍で休憩していた先客を見つけたので、小声で問いかけてみる。
「竜の話、聞けた?」
「いや、それがさっぱりでさァ。本当にいるんですかねえ」
まったく使えない奴である。ボーナスを出すのはちょっと考えなおした方がいいかもしれない。
私がそんなことを考えているとは露知らず、ホブは念願の酒を手に入れてご満悦な様子だった。
軽くなった酒樽の横に闇市で仕入れたと思しき品々を載せた荷車と共に、半日かけて暗い洞窟を引き返していく。吊籠で縦穴を昇り、小舟に乗って水路を遡る。
無事に蜥蜴人の居住区へと戻ったところで仮眠をとり、自家製の地図を頼りにさらに数時間かけて《黄金城砦》へと帰還してみれば、出発してから丸一日以上が経過していたようだった。
†
長時間の移動で疲れてはいたものの、そのまま本来の仕事を片付けるために依頼主の元へと足を運ぶことにする。
中庭を抜けて居館に入り、応接間へと移動する。半開きの扉から部屋の中を覗き込むと、テーブルの上に地図を広げ、腰に手を当てて満足そうに眺めていた姫殿下の金色の瞳と目が合った。
「しかと見たぞ、ノッカよ! 良い出来栄えではないか!」
「えっと、はい。どうもです」
私たちが部屋に入ったところで、脇に立っていた衛兵隊長、ビゴールが静かに扉を閉めた。彼に促されて、私とホブはテーブルの方へと近づいた。
「山の中がどうなっておるのか、これはなかなか分かりやすいのう」
「ということですので、精度は同じくらいで、ひとまず大隧道あたりまでの地図をお願いしたいのですが」
「姐さん、姐さん」
頷こうとした私の肩をつついて、ホブが目配せをしてくる。ああ、そういえば。
姫殿下と衛兵隊長さんには好評のようだけれど、実際に地図を使って作業をする人からの意見も必要だろう。
「えっと、何か問題とか、要望とかはないですか? 納品した後であれこれ手直しするのも面倒な話なので」
「でしたら、ヨークとハンプにも見せてみましょうか」
さっそく聞いてみましょう、と地図を丸めて脇に抱えたビゴールが応接間を出ていくのを見送ってから、私は視線を戻した。
「話は変わりますけど。キンカ様は万尋峡谷ってご存知ですか」
「もちろん知っておるぞ。同じ山脈に陣取っておるダンジョンであるからの」
それがどうかしたか、と問い返されて、私は闇市で聞いた竜の話をなるべく手短に説明する。
「──ほほう。万尋峡谷に竜が住み着いた、と」
「もしかすると、例の竜玉がそこにあるかもしれなくて。早めに状況を確かめておきたいんですけど」
「むむ、そうであるか……」
何となく困った様子で、キンカ姫は頬に指を当てた。はて。
あちらの管理者と仲が悪いとかだろうか、と考えていると、姫殿下が再び口を開いた。
「それがの。万尋峡谷には、管理者がおらんのじゃ」
「えっと、そんなことあるんですか」
「先代がぽっくり逝ってから、誰も後を継ごうとせんでのう」
彼女の話によると、立地の悪さだとか、残された債務だとかが原因で、管理者不在のまま長い間放置され、現在は休眠迷宮として協会に管理されているらしい。
今どういう状態になっているのか、詳しいことは協会に問い合わせてみないことには分からないと言われて、私は隣に視線を向けた。
「そういう情報って、見習いでも教えて貰えるのかな。ほら、機密事項みたいなヤツじゃないの?」
「確かに、ちょいと厳しいかもしれやせんがね」
ホブはそこで言葉を切って、右手で何やら、ふたつ、みっつと指折り数えてから、また私の方を見た。
「姐さんなら、そろそろ見習い卒業できるんじゃねえですかい」
「え、そなの? まだ半年くらいなんだけど」
昇格の条件を記憶の中から引っ張り出してみる。見習いとしての下積み経験は最短でも一年必要で、私の被召喚者としての活動期間はそこまで達していない。一年が三百日ちょうど、というのは最初に確かめているし、数え間違いもないはずだ。
「三人以上の迷宮管理者からの推薦があれば、下級への昇格審査を受けられるって規約があったはずですぜ」
「言われてみれば、そんな説明された気もするけど」
協会で白妖精から《腕輪》を渡されたときに聞いてはいたものの、どうせ自分には関係ないだろうとすっかり忘れていた。
大体、私みたいなちょっと耳がいいだけの新米罠師を推薦してくれるような、物好きな管理者がいるとも思えない。
「推薦状か。必要なら書いてやってもよいがの」
「いやいや、そんな安請け合いしちゃって大丈夫なんです? 怒られたりとかしないですか」
「むむむ……ど、どうかの、ビゴールよ」
「殿下はまた勝手に、と言いたいところですが、いいんじゃないでしょうか」
背後からの声に振り返ると、地図を小脇に抱えた衛兵が部屋の入口に立っていた。どうやら、少し前から話を聞いていたらしい。
「ノッカ殿に昇格して頂ければ、他にも色々と依頼できるようになりますしね」
「う、うむ。そういうことじゃ。遠慮するでないぞ」
くれるというならありがたく頂いておこう。でも、果たして三人分の推薦を集められるかどうかは、怪しいところだ。
私が知っている管理者はあとふたりしかいない。選ぶ余地といったら、先にどっちらの迷宮に連絡しようか、というくらいだった。
†
「ヤ・タがいいなら、ウチはかめへんよ」
《狂騒尖塔》の中層。塔のあちこちから様々な音色が聞こえてくる昇降機前。
椅子に座り、飾り羽根を弄りながらヒ・ナィが答えると、彼女の正面に立っていたカラス頭の罠師は腕を組んで悩むそぶりを見せた。
「せやなあ……あんまり高い報酬は払えんのやけど、これからも引き続き来てくれるんなら……」
「その辺は、かわりに罠師の仕事についていろいろ教えて貰えれば」
「ええんか?」
疑り深そうな視線には、下心たっぷりの笑顔を返しておく。ご安心ください、大丈夫ですよ。
今のところ、彼以外に罠師としての実践的な知識を得られる当ては無い。昇格したらこれまで以上に知識や経験が必要になるだろうし、この縁は大切にしていきたいところだ。
「ほんなら、まあ、ワイも言うコトないんやけど」
「そしたらアンタ、用意できたらこっちから喚び出す的なカンジでええな?」
「あ、はい。よろしくお願いします」
用が済んだらさっさと出ていけ的な視線を向けられてしまったし、お邪魔虫は大人しく退散するとしよう。
†
そして、しばらく振りの《黎明迷宮》最下層。
「ご無沙汰してます」
「うむ。元気でやっとるようで、何よりだ」
オゥミ氏は軽く頷くと、テーブルの上に広げたままだった書類を整理し始めた。
彼の邪魔をしないように手近な椅子に座り、空になっていた湯飲みに薬草茶を注ぎながら、ずっと気にかかっていたことを尋ねてみる。
「術士のお婆さんはどんな感じですか」
「あー、アンヌってヤツだったか? あれから何度かやって来ていたが、ここしばらくは音沙汰がないな」
どんな手を使ったのか、他の挑戦者を何人か引き入れて挑戦してきたらしい。けれど、人数を増やしたのはいいものの、即席のパーティでは連携もままならず。上層や中層で探索を断念しての撤退を繰り返して、これでは埒が明かないと諦めたのか。あるいは、再挑戦のために準備を整えているのかもしれない。
「サイト君が抜けた穴も大きかったのかな……」
「他の挑戦者たちがノッカ君を探している様子は見受けられんし、そろそろ戻ってきても良い頃合いだと思うが」
「んー。罠の点検とかなら、たぶん大丈夫だと思います」
さっさと地図制作の方を一段落させて、また大掛かりな仕事でも受けられるようにしなければ。
「さて。そろそろ本題を聞くとしようか?」
「あ、はい」
姿勢を正して、お願いを切り出すことにする。
ええっとですね、実は、見習いから昇格するために推薦状が必要なんです、とまで言ったところで、牛頭の管理者は鷹揚に頷いた。
「ふむ、よかろう」
「最後まで聞いてくださいよう」
キンカ姫といい、簡単に答えすぎじゃないだろうか。私の文句を他所に、オゥミ氏は大きな湯飲みを手に取って、ずず、と茶をすすった。
「昇格したとして、何か悪さをするつもりでもなかろう?」
「それはそうですけど」
「なら問題ないさ。ノッカ君の実力はよく知っとるし、業者に負けんように、もっと手広くやって貰うつもりだしな」
「えっと、それはその、お手柔らかにお願いします」
神妙に頭を下げてから、昇格が必要な理由に絡んでくる竜玉探索の件についても話しておく。かくかくしかじか。
「万尋峡谷とは、懐かしい名前を聞いたなァ。その様子だと山脈の方は騒がしくなりそうか」
「竜玉を狙ってる人たちが噂を聞きつけて西側にやってくるまで、もう少しかかるとは思うんですけどね」
珀都は山脈からかなり離れているし、この地下迷宮から客足が遠のくことは無さそうである。
私が隧道闇市の顛末まで話し終えると、オゥミ氏はわずかに表情を曇らせたように見えた。
「そのモンツァってヤツに竜の話をしたのは、ちょいとマズかったかもしれんぞ」
「そうですか?」
「例の少年絡みで大変そうだったんで、ノッカ君には教えて無かったンだが……」
初挑戦にも関わらず《黎明迷宮》の上層を蹂躙し、石巨人をひとりで撃破して帰っていった黒髪の剣客のせいで、上層の復旧作業には相当苦労したらしい。
「ソイツが手を出してくるとなると、ちょいと厄介かもしれん」
「でも、謎解きとかは苦手そうでしたけど。地下二階の最後はどうやって抜けたんでしょうか」
「隠し部屋から様子を窺ってた小鬼の話じゃ、考えなしに何度も何度も石像を動かしてたみたいだな」
配置を間違えるたびに発動する罠をすべて避けたり潰したりしながら、繰り返し石像を並べ替えて無理矢理突破したらしい。思っていた以上に脳筋だった。
「おかげでその広間の罠がほとんど使い物にならなくなってなァ。散々だったぜ」
整理を終えた書類に紐をかけて綴じこむと、オゥミ氏は「ふゥむ」と長い鼻息を漏らした。
「しかし、竜、ってのはいいな。うちの迷宮にも来てくれんもんかなァ」
「この部屋でも広さが足りないんじゃないですか?」
体高は数メートルではきかないようだし、翼を持つ竜が自在に飛び回れる空間となると全然不足している気がする。
私のダメ出しを「そうだろうな」と肯定すると、彼はにやりと白い歯を見せた。
「だが、ノッカ君たちのおかげで最近余裕が出てきてな。もう少し深くまで広げようかと考えとるんだ」
「おおー。それなら、地下百階には鋼竜をですね」
「何年かかるかわからん話だなァ、そいつは……」
呆れたように肩をすくめられてしまったけれど、それくらい夢を大きく持ってほしいところである。せっかく地下十階に牛頭のボスがいるわけだし。
「とりあえず、拡張するのは三階分だけだぞ」
「もっと増やすのかと思ってましたけど、ずいぶん控えめな感じで……」
「俺だってよ、気分的には倍くらいにしたいところなんだがな」
業者に頼むととにかく金がかかるんだよ、とぼやくように言われては、返す言葉もなかった。
†
予想外にすんなりと手に入ってしまった三枚の推薦状を手に、昇格申請を行ってから数日後。私は後見人であるワイスと共に、ふたたび協会本部へと足を運んでいだ。
受付で用件を告げてすぐに会議室へと案内されると、中では落人担当である白妖精のアグラが待っていた。
「諸々、特に問題なし。これからも頑張ってくれたまえ」
「えっと、はい」
挨拶もそこそこに、彼女から認可の証明書と新しい《腕輪》を手渡される。見た目は特に変わっていないようだけれど、いくつかの機能が追加されているらしい。
《腕輪》を交換し、あれこれ説明を受けている私を見て、大鬼はふん、と鼻を鳴らした。
「これでお前さんも晴れて一人前ってわけだな」
「長いことお世話になりました、ワイス」
「別に、すぐ出ていかんでもいいんだぞ」
何度目かのワイスの意見にも、首を横に振っておく。彼の凶悪な笑顔も見慣れたものだけれど、見習いを卒業したからにはひとりで頑張ってみたいのである。
「駄目だったら改めてお願いするってことで」
「ま、いいんだがよ」
不機嫌そうに顔を背けると、ワイスは左手を振って話を打ち切った。
確かにここでする話でもないし、これから本題が待っているし。
「そうそう、万尋峡谷について聞きたいんだったね」
白妖精は私たちの視線を受けて、ここ数日で用意してきたらしい資料を机の上に広げ始めた。
†
──《万尋峡谷》。竜の背の北西部に位置するそのダンジョンは、広い台地に縦横無尽に走る深い峡谷と地下の洞窟から構成されている。谷間の深さは最大で千メートルを越え、台地の上から降りていくのは非常に困難であるため、峡谷内へは西側にいくつか存在する裂け目から侵入するのが常道であるらしい。
地下には良質な鉱脈が眠っているということで、過去には護衛を引き連れた採掘隊も多くやってきたようなのだけれど。
「帝国が滅んでからは挑戦者の数が減ってしまって、どうにも採算が取れない状況が続いていてね」
時折、山脈に住む小人たちが鉱石目当てに訪れてはいるものの、十年ほど前に管理者が不在となってからは最低限の保守点検すら行われていない状況であるらしい。
「《魂の研鑽》が動いているから経年劣化の影響は無いんだが、挑戦者に対する仕掛けはほとんど死んでしまっているんじゃないかな」
迷宮を維持し、《魂の欠片》を吸い上げる《太古の秘術》も万能ではない。
開拓村からの調査隊がどれほどの実力を持っているのか分からないし、竜がどこにいるのかも不明だけれど、彼らが最深部までやってくる可能性は十分にありそうだ。
「えっと、それで、竜の件ですけど」
「ああ。協会としてはなるべく早く接触するべきだろう、という話になっている」
なるべく平和的に交渉して、迷宮で共存できるなら良し、可能ならばこちら側に引き込みたい、ということらしい。
「被召喚者として契約できるなら上々だけど、そこまではさすがに厳しいだろうね」
さしずめ竜召喚というところだろうか。オゥミ氏が椅子から立ち上がりそうな話ではあるけれど、それはそれとして。もしかして、こっち側にも竜はいたりするんだろうか。
「ん? いるぞ? 《学院》の奥に引き籠ってる白いのとか、地下深くでずっと眠ってる黒いのとかな」
「それって、会いに行ったりとかできるの?」
「さてな。俺も人づてに聞いただけだ。気になるなら……おっと」
白妖精の咳払いを聞いて、私たちは脱線していた話を中断する。こっち側の竜については、また改めて聞くことにしよう。
「それから、万尋峡谷に竜がいるかどうかの調査だけれど。先日の希望から変わりなければ、ノッカ君に任せようと思うんだが」
「はい。ぜひ、お願いします」
「ただし期限は五日以内。それを過ぎたら改めて公開募集をかけることになるから、気をつけたまえ」
自分の《腕輪》を操作しながら、アグラは話を続けていく。
「管理者不在の迷宮だし、相手が相手だからね。不測の事態に備えて、護衛は連れて行った方がいいだろう」
「そうですね。ワイス、お願いできる?」
「……別に、俺は構わんが」
お前さんひとりで頑張るんじゃなかったのか、みたいな視線を向けられても、こればっかりは仕方ない。
被召喚者としてのランクが上がったって、身体的に強くなるわけでも新たな力に目覚めるわけでもないのである。




