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16. 地底湖

 細く曲がりくねった洞窟の奥から、湿った空気がゆっくりと流れてくる。岩肌のあちこちには青白く光る苔が広がっていて、ランタンの灯りが無くてもどうにか進むことができるだけの明るさはある。

 とはいえ、そんな状態で足場の悪い洞窟を歩くのは危険極まりないし、探索もままならないだろう。


 すぐ後ろを歩くホブを右手で止めて、私は身を屈めた。地面の上に置かれたランタンの光が、小さな横穴の奥へと射しこんでいく。

 さらに頭を下げて覗き込んでみれば、横穴はしばらく先で幅を広げ、さらに奥の方へと延びているように見えた。這って進めば通り抜けられる広さだけれど、ひとまずこちらは後回しにしておこう。


「ホブ、お願い」

「へい」


 荷物を下ろしたホブは、袋の中から小さな箱を取り出した。《学院(アカデミー)》に頼んで作ってもらった《測位儀(ロケーター)》をランタンで照らして、上面の指針が示す数値を読み上げてもらう。


「北に二十七、東に五十一、深さは二十三」

「二十七、五十一、二十三。方位は?」

「今来た道が七、この先が一で、そっちの横道が……あー、四と五の間くらい、ですかねえ」

「よん、てん、ご、と」


 ホブが告げる方角をメモし終えてから、私は周囲を見回した。何か目印になるようなものがあるといいのだけれど、天然の洞窟を利用した迷宮(ダンジョン)の中で、目立つ特徴を探すのは難しい。


「目印は特になし。ここも、見逃さないように気をつけるしかないか」

「だったら、その辺の苔を削っておくってのはどうですかい」

「それだと挑戦者たちにも判りやすくなっちゃうし、すぐ元に戻りそうじゃない?」


 ちゃんとした地図と《測位儀》さえあれば、この場所に戻ってこられるはずだ。ナイフを取り出そうとしたホブを止めて、私は再び通路の先へと足を踏み出した。


    †


 一からきちんと設計され、まっすぐ直交する石壁で構成されている《黎明迷宮(ザ・ドーン)》と違って、この洞窟ではマス目の引かれた地図制作(マッピング)用の紙はあまり役に立ってくれない。

 通路の曲がり具合や壁の凹凸まできっちり書いていたら、時間がどれだけあっても足りないだろう。


 そんなわけで、私たちが改めて取り掛かったのは、分岐点や曲がり角の座標と、それぞれの繋がりを記録していく作業だった。

 先に正確な測量を行っておいて、実際に地図を起こす作業は明るくて安全な場所でやってしまおうという計画である。そういえば、タダタカさんがやっていたのもそんな感じの方法だったような気がする。


 《測位儀》の調子は悪くない。方位磁針(コンパス)に頼らなくても正確な方位まで知ることができる点も、なかなかの優れものだ。まかり間違って挑戦者の手に渡ってしまったとしても、《黄金城砦(フォート・ブライト)》に置かれている基準点を破棄してしまえば無用の長物に早変わりするので、セキュリティ面でも不安は無い。


 この新兵器のおかげで作業は順調に進み、この二日間でかなり下の方まで調査することができている。この辺りで一度、資料を整理したほうがいいだろうかと思案しながら歩いていると、踏み出した右足にわずかな抵抗があった。

 ずっと遠くでからんからんと響く音を聞きながら、足元をランタンで照らし出す。目を凝らしてみれば、地面から数センチほどの高さに、通路を横切るように張られた黒塗りのワイヤーを見つけることができた。


「また警報(アラーム)ですかい?」

「そろそろ居住区が近いのかもね」


 小声で会話しながら、再びワイヤーを右足で踏みつける。さらに数秒待ってから、もう一度だけ警報を鳴らす。

 間隔を置いて三度鳴らすのは、この先に潜んでいるはずの蜥蜴人からいきなり襲われないようにするための合図である。ワイヤーの仕掛けられている場所は定期的に変わるらしいので、私たちはそのまま先へと進んでいく。


 しばらく続いた下り坂の終端は、少し広めの通路に突き当たっていた。左右に延びる通路の地面は濡れていて、わずかに水が流れているように見える。

 うっかり足を滑らせてしまわないように気をつけながら座標と方角を調べ、周囲の様子を確かめてから、私とホブは顔を見合わせた。


「さて、どっちに行きますかい?」

「しいて言えば、水源がどうなってるのかちょっと気になるかな」


 異論は無かったのか、ホブは黙って頷くと《測位儀》を袋の中に仕舞い込んだ。それを見届けて、私はランタンの光を通路の先へと向ける。

 いざ先へと進もうとしたその瞬間。ばしゃりと水が跳ねる音と共に、目の前に大きな人影が立ち塞がった。


    †


 暗い青色の鱗に包まれた蜥蜴頭の巨漢は、鎖帷子を身に纏い、片手に短槍を携えた出で立ちで通路の中央に仁王立ちしている。

 灰色の瞳でぎろりと私たちを睨みつけながら、彼はゆっくりと口を開いた。


「……おんしら、どっから来やった」

「えっと、砦の方から、ですけど」


 恐る恐る答えた私の左腕をちらりと見やり、そこにある腕輪に気付くと、蜥蜴人は「ふむ」と頷きながら構えを解いた。


「地図作っとっとか、そげん話ば聞いちょう」

「は、はい、そんな感じで」


 いまいち聞き取りづらい話し方ではあるものの、どうやら話は通っているらしい雰囲気である。

 《黄金城砦》の管理者からの依頼で測量を行っているのだと伝えると、目の前の彼はなんとなく申し訳なさそうに首を振った。


「悪ぃが、余所者(よそもん)ば通さん決まりなんじゃが」


 この先にあるのは彼らの居住区だろうか。見知らぬ小娘に住処を探られたくないのかもしれないけれど、こちとら仕事である。はいそうですかと引き下がるわけにもいかない。


「私たちって挑戦者じゃないんですけど、駄目です?」

「うむむ、ばってんなあ……」


 空いた手で頬を掻きながら、困ったように唸り声を上げている蜥蜴人の様子を見るに、何か適当な理由でもあれば通してくれそうな雰囲気である。

 だったらここは、私の得意分野で攻めるしかないだろう。


罠師(トラッパー)の仕事とか、あったりしないですか」

「おんし、罠師やっとっと?」

「まだ見習い(ノービス)ですけど。罠の点検とか修理とか、測量のついでに請け負いますよ」


 最低限の作業を行えるだけの道具は、ちゃんと背負い袋の中に入っている。よほど特殊な仕掛けでもない限り、まるっきり手が出せないということは無いだろうと考えているうちに、目の前の蜥蜴人は結論を出したようだった。


「ほんにあかん場所ば見せれんが、そんでもよかかね」

「はい、大丈夫です」


 よろしくお願いします、と頭を下げた私に軽く頷き返すと、蜥蜴人は顔を通路の天井へと向けた。


「ミツ兄ィ! ちっとばかし頼むばい!」


 彼の大声に応えるように、上の方が明るくなる。見上げてみれば、一面の岩肌だと思っていた天井には穴が開いていて、そこから別の蜥蜴人が顔を覗かせているのが見て取れた。


「仕様なかね。代わりに誰か呼ばっとよ」

「わがった」


 短い受け答えのあと、光の漏れる天井の穴には蓋がされて、辺りはまた薄暗くなった。目の前の蜥蜴人は顔をこちらに向けると、私を指差して口を開いた。


「そういえば、わいの名前ばまだ聞いとらんかったが」

「えっと、私はノッカです。こっちは助手のホブ」

「でさァ」


 私たちの名前をもごもごと呟いてから、蜥蜴人は親指を自身に向けて胸を張った。


「おいのこつば、テルナガと呼びんしゃい。長い尻尾で、テルナガじゃ」

「なる、ほど……?」


 どうしてそうなるのか意味が分からなかったけれど、自信満々に尻尾を振っている様子に、私はただ頷くしかなかった。


    †


 テルナガの先導で、ゆるやかな上り坂を登っていく。通路を流れている水はときおり左右に蛇行していて、気付かないうちに足を踏み入れてしまい、革靴の中まで水が染み込み始めている。

 これ以上は靴を濡らすまいと、水の流れを飛び越えるべく腰を落としたところで、テルナガの尻尾が行く手を遮ってきた。

 何事かと視線を向けると、彼は「飛んだらあんねえ」と尻尾を振った。


「もしかして、罠ですか」

「わいの背丈なら屈まんでもええばな。ばってん、気をつけんと」


 そう言いながら、彼は頭を下げて足を進めていった。じっくりと観察してみてようやく、目線よりも少し高い位置に張られた黒い線に気づくことができた。よくよくワイヤートラップが好きな人たちであるらしい。

 後ろを歩くホブにワイヤーの存在を伝えてから、大人しくテルナガの後についていくことにする。


「アレって、引っかかるとどうなるんです?」

「こん先の門ば開くようになっちょう」


 門が開いちゃったら逆に困るんじゃなかろうかと問いかけるより前に、蜥蜴人の槍が通路の奥を指し示した。

 足元を照らしていたランタンを正面に向けると、まっすぐ続いていた広い通路は十メートルほど先で行き止まりになっていた。

 さらに近づいていくにつれて、通路を塞いでいるのが鉄製らしき金属の扉であることが分かってくる。

 私の横に並んだホブが、へえ、と感心したような声を上げた。


「こいつが、門ですかい」

「持ち上げて開くタイプっぽいけど、人力じゃ無理そうだね」


 重厚そうな鉄の門と通路の壁との間に空いている小さな隙間から、少しずつ水が流れ出している。門の向こう側に存在するであろう水の量を想像して、これは開けちゃ駄目な奴だと理解した。

 だとしたら、蜥蜴人の居住区にはどうやって行けばいいのだろうか。


「ノッカど、こっちばい」


 いつの間にか壁際へと移動していたテルナガが、暗がりに隠されていた取っ手を引っ張った。鎖の音に続いて、すぐ横の壁が左右に分かれていき、その隙間から急な登り階段が姿を見せ始めた。


    †


 階段を上った先には、巨大な空洞があった。奥行きは百メートル以上、高さは十数メートルあるだろうか。学校の体育館がすっぽり収まりそうな空間は、天井に群生する光苔によって淡く照らされている。


 左側の壁面にはいくつもの穴が開いていて、そこから漏れ出す明かりから察するに、それぞれが蜥蜴人の住居であるらしかった。


 しかし、それらよりも目を引くものが、視界の右半分を占めていた。大量の水を湛えた地底湖の水面が、光苔の青白い光を反射して揺らめいている。

 手前の方へと視線を動かしてみると、私たちが歩いてきた通路があるであろう場所に、水の流れを堰き止めるための水門が確かに存在していた。

 招かれざる挑戦者たちがやってきたときには、この水門を開いて押し流す仕組みになっているのだろう。階段を上ってきた距離を考えて、湖の水深は五メートルを超えているはずだ。


「これはちょっと、水泳スキル足りないかな」

「まさか姐さん、潜るつもりですかい」

「まっさか」


 何が棲んでいるかわからない湖になんか、たとえゴムのアヒルを持っていたとしても飛び込みたくはない。

 無駄話を脇に置いて測量を始めた私たちの横で、テルナガは階段を見張っていた蜥蜴人の兵士に声を掛けられていた。


「わい、なんしよっと」

「こん罠師ら案内しちょう。ヨシ兄ィ、代わりに下に行ってくれんと?」

「こないだから、船もほたっちょうが。サボりも程々にせんかね」


 呆れた様子で鼻を鳴らしたものの、相手の蜥蜴人は仕方なさそうに階段を下りて行った。


    †


 《測位儀》で方角を確かめながら、地底湖に沿って空洞を奥へと進んでいくと、船着き場らしき場所でテルナガが立ち止まった。湖面に浮かんでいる小舟とは別に、陸地に引き揚げられている一艘を示すと、彼は私の方を見た。


「どっか引っかかったんか、穴開いちょう。罠とは違うばってん、無理なら仕様なかが……」

「ちょっと、見てみます」


 背負っていた荷物を下ろして、白い木製の小舟を観察する。舳先の方に、確かに握りこぶし大の穴が開いている。これでは、湖に浮かべるのは無理だろう。

 小舟の側には小さな木片やいくつかの工具が置かれていて、すでに誰かが修理の準備をしていたのではないかと思われた。


「穴を塞ぐだけだったら、何とでもなりそうなのに」

「何とでもなる仕事だからこそ、こっちに振ってきたんじゃないですかい」


 小舟の反対側から船底を覗き込んでいたホブの言葉にも一理ある。状況からして、テルナガは見張りや船の修理をサボるための口実が欲しかっただけのようだし、私たちがうまく直せれば儲けもの、といったところなのだろう。

 そんな風に思われているとなると、きっちり華麗に片付けてやりたくなってくる。とはいえ、馬鹿正直に大工仕事をするつもりもない。


「ここはやっぱり、秘密兵器の出番かな」


 背負い袋の奥の方から、細長い筒を引っ張り出す。蓋を開けてひっくり返し、中に収められていた短い銀色の杖を右手に持つ。

 それから、適当な木片を船底の穴に乗せ、杖の先でその上を軽く叩いた。


「命無きものの癒し手よ。発動せよ(ヘーアー)


 《合い言葉(キーワード)》に合わせて杖の先が白く輝き、《秘術(アルカナ)》が発動する。ペコラスから借りた《修繕の杖ワンド・オブ・メンディング》は問題なく効果を発揮して、船に開いていた穴は跡形もなく消えていった。


    †


 無事に湖に浮かんだ小舟の上で、他に水漏れが無いかどうかを確かめていると、手持ち無沙汰になったホブとテルナガの会話が耳に入ってくる。


「この船って、何に使ってるんですかね?」

「向こう側の蔵ば渡るためばい。ばってん、あっちば絶対に見せられんが」


 わざわざ船で渡らないと行けない場所にあるということは、かなり重要な場所なのだろう。


「するってえと、宝物庫とか、そういう」

「うんにゃ、じっさい宝みたいなもんじゃが……」


 テルナガは少しだけ言い淀んだものの、「まあ、よかばいね」と肩をすくめた。


「あっこじゃ、酒ば造っちょう」

「おお、酒蔵ですかい!」


 酒、という単語に惹かれたのか、ホブの声が少しばかり大きくなった。


「そいつは、ぜひ見てみたいんですがねえ」

「蔵ば入れるんは、酒造りに関わっちょうもんだけばい。おいも無理じゃ」

「へえ、さいですか」


 さすがに本気で見学したいとは思っていなかったのだろう。ホブはさして残念でも無さそうに対岸を眺めてから、ふと思いついたようにまた問いかけを発した。


「……もしかして、ここで『(ドラゴン)殺し』なんて造ってたりしませんかい」

「む、よう知っちょうね」

「なに、その『竜殺し』って」


 話の流れからなんとなく予想はつくけれど、聞き逃せない単語についつい反応すると、「おや、知らないんですかい?」とホブが得意気に解説し始めた。


「こっち側の都で流通してる高級酒でさァ。竜の背酒造(ドラゴンスパイン)の琥珀酒、と言えば知る人ぞ知る逸品で、あっち側でも結構な人気ですぜ」

「へえー」


 酒のことなんか知る訳なかろうと思いつつ、適当に相槌を打っておく。とにかく凄いものであるらしいことは理解した。

 竜の背、というのも初めて聞いた単語だけれど、それについて尋ねる間もなく、ホブはどんどん話を続けていく。


「産地や製法を誰も知らなくて、その秘密を探ろうとした連中は誰も帰ってこなかったとか」

「うんにゃ、別に隠しちゃおらんが……」

「他にも、もっと希少な『竜玉』なんて酒もあるらしいんですがね。いやあ、一度は飲んでみたいもんで──」

「ちょい待ち」


 小舟から岸へと飛び移り、ホブの背中を叩いて語りを中断させる。


「『竜玉』って、竜の卵のことじゃなかったっけ? それって玉子酒だったりとかするの?」


 私の問いに、テルナガは「んにゃ」と尻尾を横に振った。


「仕込みに何年もかけとるばい、ちゃんと旨く仕上がるように、名前だけあやかっちょう」

「あー、なるほど、そういう」


 ちょっと期待外れである。けれど、そんな名前の酒を造っているのなら、本物の竜玉についても何か知っているかもしれない。


「秘蔵の酒ばってん、おいども祭りのときにしか飲めんが」

「あわよくば一口でもと、思ったんですがねえ……」


 テルナガのすげない言葉に肩を落としているホブは置いておいて、私は情報収集を試みることにしたのだった。

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