15. 回転床
翌朝、私が目を覚ましたときには、既にサイトの姿は無かった。居間のテーブルには、彼が一晩で書き起こした《測位儀》の簡単な図面と説明書きだけが残されていた。
入り組んだ洞窟の立体構造をどうやって地図へと書き起こしたものか、という問題は残っているものの、この《測位儀》さえ完成すれば現在位置を見失うことは無くなるだろう。
まあ、それはそれとして。
「出る前に一声かけてくれても良かったのに」
「お前さん、ぐっすり寝とったからな」
ワイスが用意した朝食を頂きながら、どうしたものかと思案する。同郷の落人ではあるけれど、元の世界ではろくに顔も知らないただの同級生だったわけで。
巻き込んでしまった側としては、達者でねー、くらいは言っておきたかった。しかし現実問題、今から協会に向かっても会うことはできないだろう。
「仕方ない、かなあ」
「まァ、いいんじゃねえか。お互い生きてりゃ、また会うこともあるだろう」
「なーんか、それって、気の長い話じゃない?」
「いいや、そうでもないさ」
相棒は私の言葉に首を振ると、空になった木皿を両手に持って立ち上がった。私の腕輪が青く光り始めたのは、その直後だった。
†
《狂騒尖塔》の最上層、光射し込む大広間は、いつもより静かだった。段上の椅子に座って本を読んでいた褐色肌の女性を除いて、他に人影は見当たらなかった。
取り巻きの人たちは居ないのだろうかと周囲を見回していると、私に気付いたのか、段上の女性は本を閉じて立ち上がった。長い金髪を揺らし、靴音を立てながら近づいてくる彼女の名前を記憶の片隅から引っ張り出しつつ、ひとまず頭を下げておく。
「えっと、お邪魔します、ヒ・ナィさん」
「……ねえ、アンタさ」
何だろうかと顔を上げると、《召喚陣》の光のすぐ先に、私をじっと見下ろすヒ・ナィの顔があった。
結構きつそうな顔立ちとか、化粧ばっちりの目元とか、なかなかスタイルがいいのとか、ちょっと苦手な雰囲気を漂わせている。そんな彼女が、じっと私を見つめたまま口を開いた。
「なんでウチの依頼、受けてるワケ?」
「……はい?」
思わず首を傾げて、問い返してしまった。私としては、喚ばれたから参上つかまつっただけなんだけど、何か不味かっただろうか。
私の反応が芳しくなかったためか、彼女は両手を腰に当てて、さらに言い募ってくる。
「だってさ、ウチの報酬、見習いの最低ラインだし、追加報酬も出してなかったじゃん」
「えっと、まあ、そうですけど」
実際、見習いなわけだから。勢いに押されて頷くと、ヒ・ナィは少し声のトーンを落として言葉を続けていく。
「ヤ・タの奴、こんなんじゃ使えない奴らしか来ないって愚痴ってたのに」
「はい」
「イケてそうな人が来ても、報酬聞いたらすぐ還っちゃうし」
「はい」
「なのにアイツってばアンタのコトはなんか褒めてるし。また喚ぶとか言い出すしさ」
「はい」
「今まで、指名したって来る人なんか居なかったのに……なんで?」
すっかり相槌マシーンと化した私を睨みつけてはいるけれど、彼女の表情はなんとなく不安そうだった。
さて、どう答えたものだろうか。対人経験値の低い私に降りかかったいきなりの試練に、頑張って頭を働かせる。目覚めよ我が灰色の脳細胞。謎かけの答えはすぐそこにある……はずだ。
「……えっと、心配しなくても大丈夫ですよ」
「どういうこと?」
「ヤ・タさんはわりと格好いいですけど、守備範囲外なので」
もし勘違いさせていたのなら、申し訳ないことをしたと思う。彼とはビジネス上の付き合いだけなんです。
私の言葉に、彼女は一瞬だけ身を強張らせると、ぷるぷると小さく震え始めた。
「……あ、」
「あ?」
「あほう! べ、別にそんなコト、聞いとらへんし!」
右手を振り上げたヒ・ナィの叫びに合わせて、《召喚陣》が明るく輝き始める。最後に見えたのは、ちょっと涙目になった彼女の赤い顔だった。
†
私が再び《狂騒尖塔》に転移したのは、それから十分ほど経った後だった。
「いやあ、堪忍な。なんか手違いで送り還してしもたみたいやけど」
「あー、はい」
神妙な様子で謝ってくる黒羽の鳥人の後ろでは、ヒ・ナィが無表情を装いつつ「余計なこと言うなよ」的な視線を向けてきている。
後でまたちゃんと話をしないといけないか、と少しだけ落ち込んだ気分を立て直して、頭を仕事モードに切り替えた。
「えっと、ひとまず依頼内容をお願いします」
「せやったな。今回も仕掛けの点検と修理を手伝って貰うつもりなんやけど、いけるか?」
「はい、大丈夫です」
ヤ・タの問いかけに頷いて、《腕輪》を操作する。褐色肌の管理人も、渋々といった様子で右手を動かした。
消えていく《召喚陣》の上で背負い袋を担ぎ直していると、ヤ・タは「ほな、行こか」と歩き始めた。
「あの、えっと」
「いいから、行きなよ」
腕を組んでそっぽを向いてしまったヒ・ナィに軽く頭を下げて、急いでヤ・タの後を追っていく。
広間の隅にある扉を通り抜け、管理用の薄暗い通路を進みながら、前を歩く罠師に話しかける。
「今回はどんな仕掛けなんですか?」
「第三層にある回転床の調子が悪いって話が上がってきとってな。ちょいと様子見に、ノッカくんの耳を借りようと思ってん」
「……えっと、今、回転床って聞こえた気がするんですけど」
「言ったで。回転床、ターンテーブルな」
私の問いかけに対して、ヤ・タは訝しげに頷いた。どうやら聞き間違いではないらしい。
「あの、それってどんな感じですか。やっぱり《秘術》を使って向きを変えたりとか? それとも物理で?」
「まぁまぁ、ちょっと落ち着き。その辺の話は、実物を見てからでもええやろ」
†
隠し区画に存在している昇降機に乗って下層までやってきたヤ・タと私は、狭く薄暗いメンテナンス用の通路を通って第三層へと辿り着いた。
小さな床扉を開き、ロープを伝って降りていくと、そこは五メートル四方の小部屋になっていた。
部屋の中央には大きな石版が聳え立っている。石版には何やら難解な文章と、星を象ったシンボルが刻まれていた。恐らくは、何らかの謎解きに関わるものだろうと思われた。
「ここが、第三層の一番北側の部屋や」
南側の壁面にひとつだけ存在している石扉に近づくと、ヤ・タは扉の横のレバーを引き下げた。噛み合う歯車や巻き上げられる鎖の音を聞きながら、分厚い石扉が左右に開いていくのをじっと待つ。
「罠は止めてあるけど、気をつけてな?」
「あ、はい。了解です」
扉の先には、暗い通路が延びていた。ヤ・タに促され、ランタンを片手に通路へと侵入する。幅一メートル半ほどの細い通路は、数メートル先で十字路になっていた。
通路を歩き始めた私の背後で、黒羽の罠師が通路側のレバーを動かした。再び閉まっていく石扉の音を聞きながら、十字路の中心に立って四方を観察する。
十字路の先の通路は、いずれも少し先で同じような石扉に突き当たっていた。目隠ししてぐるぐる回されたら、どちらから来たのか判らなくなりそうである。
どちらに向かえばいいのだろう。ヤ・タの方を振り返ると、彼はこちらに向かって歩いてきながら、足元を指し示した。
「そろそろ始まるで」
その言葉と同時に、通路がわずかに揺れ始めた。床下の仕掛けがごとごとと音を立てるのに混じって、どこからか鐘が鳴らされているような音が聞こえてきて、私は目を閉じた。
規則的に鳴り響くいくつもの鐘の音は、まるでひとつの曲を奏でているようにも思えた。
しばらくして通路の振動が収まると、鐘の音もぴたりと止んだ。目を開くと、すぐ近くまでやってきていたカラス頭の罠師が問いかけてくる。
「どや?」
「なんとなく、回ったかなって感じはしてますけど」
鐘の音に気をとられていたせいで、仕掛けの構造を上手く把握できていない。足元の床石に切れ目は見当たらないし、視覚的には何の変化も見られない。
仕方なく、外套のポケットから方位磁針を取り出して確かめる。つい先ほど通過した扉が、北東の方角に存在している、ということは。
「時計回りに四十五度。この通路全体が動いたってことですか」
「正解や。幅一メーテ、長さ九メーテの十字型の通路が、扉と一緒にちょうど八分の一だけ回転したわけやな」
そう答えつつ、ヤ・タはまっすぐ反対側──南西方向の石扉へと歩いていき、またもレバーを引き下げた。
彼の後を追いかけ、ゆっくりと開いていく石扉の先を覗き込むと、そこには同じような薄暗い十字路が存在していた。
「もしかして、こっちもですか」
「回転床の仕掛けは、全部で十六個並んどってな。通路がこの角度のときに、隣同士繋がるようになっとる」
「むむむ……」
「後で図面を見せたるさかい、とりあえず先に進もか」
なんとか脳内で地図を描き出そうと唸っていた私の肩を叩いて、ヤ・タはそのまま、次の十字路へと歩いていく。
†
回転床に異常が無いかどうかを調べつつ、いくつかの十字路と小部屋を通り抜けて移動する間に、私はヤ・タからこの階層の仕掛けについての説明を受けていた。
十字型の通路は、車輪の付いた巨大な土台の上に乗っている。車輪は円形のレールにはまっていて、石扉が閉められたタイミングですべての土台が同期して回転するらしい。
「石扉を開けっ放しにはできないんですよね」
「当然やな。どっかの扉が開いとったら、他の扉は開けんようになっとる」
予想通りである。そうしておけば、仕掛けを無視して探索されることは無いし、複数の集団がやってきた場合でも移動を制限できるだろう。
通路が回転し終えるのを待つ間、私はもう一度、仕掛けの構造を把握するべく目を閉じた。相変わらず聞こえてくる鐘の音にも、ようやく慣れてきた感じがある。
「……この音って、何かの曲ですか」
「『巡りの歌』っちゅう題名でな。そいつも謎解きの手がかりなんや」
ヤ・タの話によると、曲の内容とその意味を知っていれば、四方に置かれている石版の謎解きが楽になる、ということらしかった。パイプオルガンの仕掛けといい、この塔を作った人は、かなりの音楽好きだったようだ。
「挑戦者って、あんまり音楽には詳しく無さそうなイメージですけど」
「言うても、ココは翠の都が近いしな。吟遊詩人を連れてやってくる連中も多いで?」
何でも、この塔に挑戦することが吟遊詩人にとってのステータスになっていて、他の国からはるばるやってくる者もいるらしい。
上層まで辿り着いた者は都でも一目置かれているということで、時には外壁を登ろうとする者も現れるのだ、とヤ・タは呆れたように言った。
「そんな横着はできんようになっとるのにな」
「あー、やっぱり対策してるんですね」
「外壁にも罠は仕掛けられとるし、上手いこと窓まで登れても、その先はダミーの回廊に──おっと!」
ヤ・タの話を遮るように、突然、通路がぐらりと大きく揺れた。
思わぬ方向からの振動に、私はバランスを崩して膝をついてしまった。ばさりと羽ばたいて軽やかに着地したヤ・タを見上げると、彼は足元をじっと睨みつけていた。
「どうやら、調子が悪いのはこいつのようやな」
「みたいですね」
大きな揺れは一度きりで、その後は目立った問題も無く、通路は回転していく。揺れの原因を探るべく、私は腰の金鎚へと右手を伸ばした。
†
何度か仕掛けを動かして、通路の揺れを確認しながら、金鎚で床下の様子を窺うこと数十分。ようやく原因らしき場所を探り当てることができて、私は大きく息を吐いた。
目の前の石扉から左に二メートルほど、下に一メートルほどの場所を指差して、少し離れた場所で図面を見ていたヤ・タに声をかける。
「その辺のレールの上に、何か石みたいな障害物が乗っかってる感じです」
「車輪が乗り上げとるっちゅーことかいな」
正確な大きさまでは判らないものの、放置しておいたら迷宮を維持している《秘術》にも悪影響が及ぶかもしれない。振動によって通路や仕掛けに大きな負荷が掛かっているだろうし、他の回転床との連動部分にも問題が出てきそうだ。
目の前の罠師も同意見らしく、少しばかり思案した後、図面を丸めながら近づいてくる。
「お疲れのトコロを悪いんやけど、一緒に移動してくれんか」
「あ、はい。了解です」
勝手のわからないダンジョンで単独行動は避けたいところだし、気分の悪さを堪えて立ち上がる。
小部屋と十字路をいくつか経由して、残りの回転床が正常に動作していることを確認しつつ、私たちは北端の部屋へと移動する。
ロープを登って再び天井裏の通路へと戻り、外周沿いに上下に伸びる階段まで辿り着くと、黒羽の罠師は私の方を振り向いた。
「ほな、ノッカくんはリフトの前で待っとき」
「私もちょっと見てみたいんですけど……」
「下はえらく狭くてな、仕掛けが動くと危ないんや。そっちまで気ぃ配れんと思うし、悪いな」
「いえ。じゃあ、上で待ってます」
すまなそうに片手を上げると、彼は階段を急ぎ足で降りていった。
回転床の実物は見てみたいけれど、ここで無理を言っても仕方ない。私は大人しく、階段を登ることにした。
†
《秘術の灯火》によって明るく照らされている昇降機前の踊り場には、あちこちで動いている仕掛けの音や、それに合わせて奏でられる様々な曲が途切れ途切れに聞こえてきている。
それらを聞くともなしに聞きながら、踊り場の片隅に置かれた椅子に座って手帳への書き込みを行っていると、背後でがらがらと昇降口の金網が開く音がした。
誰かが巡回でやってきたのだろうかと、手帳に視線を向けたまま耳を澄ませていると、昇降機から出てきた人物は私の方に近づいてきた。足音からして細身の女性。というか、この靴音は聞き覚えがある。
……ダンジョンの管理者が一体、こんなところに何の用事だろうか。
「ねえ、アイツは?」
「えっと、回転床の調整に行ってます」
「で、アンタは何してんの?」
「ここで待っててくれって言われてしまったんで、忘れないうちに回転床の仕組みをメモしておこうかと」
「回転床? あんなの、別に大きいだけじゃない」
「いえ、そんなことないですよ」
顔を上げてみると、ヒ・ナィは目を細め、眉根を寄せて私の手帳を覗き込んでいた。
「回転床と言っても、単純に床をぐるぐる回せばいいってものじゃないんです。挑戦者たちを全員まとめて方向転換させないと意味が無いですし」
「ふーん?」
「動き始めと止まるときの加速度を落としてたりとか、十字路の中心をちょっとだけ低くしてたりとか、通路が動いていることをなるべく感じさせないようにって、設計した人のこだわりが色々とありますし」
単に挑戦者を迷わせたいだけなら、こんな大掛かりにしなくても、感覚を狂わせる《秘術》を利用した方が楽なはずだ。けれどもそうしなかったのは、何か理由があるのだろう。
それは、塔の内部を流れていく音楽たちに関係があるのかもしれないし、あるいは目の前に立っている女性が原因なのかもしれない。
──なんてことを考えていると、ヒ・ナィは呆れた様子で肩をすくめた。
「アンタが無害だってアイツが言うのもわかったわ。なんとなくだけど」
「そういえば、ヒ・ナィさんはどうしてまたこんな場所に?」
「別に。私がどこに行こうが勝手じゃん」
それはまあ、そうなんだけれども。つれない返答を返してきた彼女は、大して気にした様子も無く、顔を近づけてきた。
「それよりアンタ、アイツに変なこと言ってないよね」
「言ってない、と思いますけど」
もしかして、それを確かめるためにここまで降りてきたのだろうか。何にせよ、本日ヤ・タと話した内容といえば、罠のこととか地図制作のこととか罠のこととか、くらいである。
「だったらいいんだけどさ。まあ、別に、私はアイツのコトなんてさ」
「なんや、ヒ・ナィもそこにおるんか?」
どうやら作業を終えたらしいヤ・タの大声が、階段の下から聞こえてきた。その途端、ヒ・ナィはがばりと身を起こし、私から距離を取った。
彼女はあたふたした様子で昇降機へと乗り込むと、いそいそとレバーを操作し始めた。
「あれ、戻っちゃうんですか?」
「アイツには適当に言っといて!」
音を立てて金網が閉まり、昇降機は縦穴をゆっくりと登っていく。適当に、と言われましても。
無い知恵を絞りながら手帳を閉じて立ち上がり、階段の方に視線を移すと、カラス頭の罠師がちょうど姿を見せたところだった。
「なんや、ヒ・ナィの声がしとった気がしたんやけど」
「お腹が痛いって、戻っていきました」
なんやそれ、と首を傾げるヤ・タは、小脇に何やら金属の塊を抱えていた。
「えっと、それは?」
「挑戦者が使っとった兜みたいやな。ほれ」
いきなり放り投げられたそれを、どうにか受け止めて観察する。散々轢き潰されたために歪んでしまってはいるものの、内側に刻まれていた《秘紋》の力か、兜は未だに原型を留めていた。
「何でこんなものが落ちてたんでしょうか」
「さてなァ。何にしても、すぐ見つかって良かったわ」
正確なところはわからないけれど、誰かが石扉を開いたままにするために置いたものが、通路の回転に巻き込まれて隙間から落ちたのかもしれない。もしそうだとしたら、行儀の悪い挑戦者も居たものである。
検分を終えた兜をヤ・タに返すと、彼は昇降機が上っていった縦穴を、なんとなく懐かしむように見上げた。
「にしても、ヒ・ナィがここに来るのも久しぶりやな」
「そうなんですか?」
「管理者になる前はよく来とったんや。そこに座って、音楽に合わせて歌って、踊って、な」
そこまで言ったところで、ヤ・タは気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「もしかして私、惚気られてます?」
「いやいやいやいや、別にそういう意味ちゃうねんで」
慌て方はちょっと似ている気がするなあ、という感想を抱きつつ。
昇降機が戻ってくるまでの間、仕掛けについていろいろと聞いておこうと、私はまた手帳を開いた。




