13. 転がる岩
転移の光が収まると、そこは召喚のために用意された大広間だった。広間の出入り口には両開きの大きな扉があり、巨大な生き物だとか、大量の物資だとかを喚び寄せた場合でも、出入りに問題が無いようになっている。
そんな広間の扉は片側だけ開いており、外の光を背に、二人の人影が向かい合って何やら話し合っていた。
「ノッカ殿が来ましたらすぐに呼びますゆえ、部屋でお待ちください、殿下」
「いいや、それには及ばぬ。余の勘では、そろそろ来る頃で……ほれ! 言ったとおりであろう」
黄銅色の全身鎧に身を包んだ茶色い毛並みの猪人が、《召喚陣》の中心に現れた私の姿に気付いて、金色の瞳を輝かせながら駆け寄ってくる。その全身鎧、いつも身に着けてるけど重くないんだろうか。
「ノッカよ、待っておったぞ」
「お元気そうで何よりです、殿下」
荷物を床に置き、右手を背に、左手を胸に当てて一礼する。頭を上げると、なんとなく不満そうな彼女の顔が目の前にあった。
「なんじゃなんじゃ、他人行儀じゃのう。キンカでよいと言ったであろうに」
「えっと、はい。すいません」
そういえば前にそんなことを言われていた気がするけど、曲がりなりにも姫様なわけだし、あまり馴れ馴れしくするのもなー。
などと考えながら、もう一度軽く頭を下げて許しを請うと、彼女は幾分か機嫌を直したように見えた。
「何やら多忙だったようじゃが、もう大丈夫なのかの?」
「そですね、急いでやらなきゃならないコトは片付きました」
まー、後のことはサイトが上手くやってくれるでしょう。これは丸投げではなく、適材適所である。
積み増しされた借金のせいで長期的な目標からはちょっと遠ざかってしまった感じだけれど、どうせそちらは急ぐ話でもない。
私の返事を聞いたキンカ姫は、腰に手を当てて満足そうに頷いた。
「うむ、それは良かった。であるなら、今日も食事の用意をさせておこうかの!」
「は、はあ」
「西方荒野の遠征隊が大物を仕留めて戻ってきておっての。せっかくじゃから──」
「殿下」
いつの間にか、キンカ姫の背後に歩み寄っていた黒毛の衛兵が、嗜めるように言葉を遮った。
「先に依頼の話をしませんと、ノッカ殿が出られませんぞ」
「おっと、そうであったな」
悪い悪い、とあまり反省した風でもなく謝りつつ、彼女は今回の点検依頼について話し始めた。
†
猪人の要塞、《黄金城砦》の地下に広がる洞窟は、元々は大陸を東西に分断している山脈を潜り抜けるための隧道であったらしい。太古の時代に作られたその交易路も、西側の帝国が滅亡してからは利用する者も無く打ち捨てられ、廃墟となった。その後、蜥蜴人や甲殻人、黒妖精といった様々な種族が入り込み、それぞれが思い思いに拠点を掘り広げていった結果、今のような複雑怪奇な迷宮へと化してしまったのだという。
そもそもの経緯がそんな感じであるから、大洞窟の住人たちも砦の猪人たちも、洞窟の全体像を把握できていない。既存の通路のすぐ近くを掘り進めたために落盤を引き起こしてしまったり、地下水脈や毒ガス溜まりを掘り当ててしまったりと、面倒な事故も頻繁に起きている、とのことで。
「ノッカ殿の知恵で、どうにかなりませんか」
「えっと、さすがにそれは、地道に地図作っていくしかないんじゃないかと」
「そうでしょうなあ」
私の返答を聞いて、前を歩いていた黒毛の衛兵、ビゴールは残念そうに頷いた。
「その場で対応するなら、探知系の《秘術》を利用するとか、それこそ本職に頼むとかしないと駄目な気がしますけど」
「やはり、その方向でどうにかやっていくしか無さそうですな」
私の《恩寵》を使えば、壁の向こうに何があるか大体把握できるとは思う。けれど、私をこの大洞窟に常駐させるような予算は無いだろうし、私自身もそんなのは御免被りたいところだ。
こんなとき、リクやペコラスだったら、もっとちゃんとしたお悩み解決法を知ってるかもしれない。こんど会ったときに話をしてみようかと考えながら、ランタンを片手に砦の地下通路を進んでいく。
奥の方からわずかに湿った空気が流れてきている感じがするのは、大洞窟に存在する水脈とか地熱とかの影響なのかもしれない。
「砦まで入ってくる挑戦者って、どれくらいいるんです?」
「それほど多くはありませんな。山脈の西側に抜けることや、洞窟自体を探索することが目的の連中もかなりいますし、山頂を目指している物好きな輩もおります」
「えっと、山頂だったら、普通に登っていけばいいと思うんですけど」
「地表を行けば、空を飛ぶ怪物たちの格好の餌ですからな」
「あー、なるほど……」
そんなわけで、砦への侵入を許すのは月に数度あるかどうか。ここ数年、宝物庫まで辿り着かれたことは無いらしい。
そんな話を聞いているうちに、私たちは本日の点検対象がある小部屋へと辿り着いた。
†
小部屋の中心には、真っ先に注目せざるを得ない、大きな物体が鎮座していた。直径三メートルほどの黒い球体は、近づいてみるとかなりの威圧感がある。
金鎚で軽く叩いてみた感じ、どうやら内側に重い金属の塊を包み込んだ岩か土で出来ているらしい。よく見てみればあちこちにひび割れがあり、かなり年期が入っているように思えた。
球体の左側には、天井から吊り下げられた丸太が水平に設置されている。見たところ、この丸太が鐘つきの要領で動いて、球体を横から叩くような仕掛けになっているらしい。
一度動き始めたら、黒い球体は床に刻まれた窪みに沿って転がり、右側に見える下り坂の通路へと入っていくのだろう。
「砦で管理している仕掛けのうちでは、こいつが一番下のものですな」
つまり、洞窟から砦を目指してやってきた挑戦者が、最初に出くわす罠ということになる。
こうして実物を見てみると、気になることがひとつ。今まで歩いてきた通路の幅は、この球体よりも狭いように見えるのだけれど。
「これって、どうやって運び込んだんですか?」
「ああ。向こう側にもうひとつ通路がありまして」
うっかり球体を動かしてしまわないように気をつけながら裏側へと回り込むと、その先にはビゴールの言う通り、上り坂の通路が存在していた。
岩肌が剥き出しになった通路は広く、曲がりくねりながらずっと上の方まで続いているように見える。
「この先は雲巨人の住居です。泥団子はそちらから譲って頂いたものでして」
「えっと、泥団子ですか?」
「はい。丁度良い大きさに、なかなかの硬さと丸さだったので、当時の罠師の方が頼み込んだという話ですな」
「……泥団子を?」
「はい」
それが何か、と言わんばかりのすげない返答に、それ以上の質問は断念した。まあ、当初の疑問は解決したことだし、本来の仕事である点検作業に戻ることにしよう。
泥団子の強度はまだ問題なし。丸太を吊り下げているロープも大丈夫。丸太を後ろに引っ張るための鎖は、壁際の大きな仕掛けに繋がっている。
「鎖がこっちのラックに繋がってて、歯車が回ると引っ張られて……」
頭の中だけでは追いつかなくなって、手帳に書き込みながら仕掛けの動きを読み解いていく。丸太を引っ張る機構を逆に辿っていくと、天井を伝って下り坂の通路へと伸びている黒いワイヤーに行き当たった。
ワイヤーの終端は、仕掛けの中の小さな留め金に繋がっている。この留め金が外れることで、仕掛けが動き始めるのだろうと当たりをつけ、手帳をぱたりと閉じた瞬間。
目の前でワイヤーがくい、と引っ張られ、留め金が弾かれるように宙を待った。
「えっと、あ、あれ?」
歯車がかちり、かちりと動き始める。それに合わせて、ゆっくりと丸太が引っ張られていく。
私はどこも触っていないはずだ。慌ててビゴールの方を振り返る。
「……この仕掛けが発動する条件、聞いてもいいですか」
「はい。あちらの通路の途中にダミーの扉がありまして、それを開けようとすると作動するはずですが」
彼の話によると、ダミーの扉以外にも、色々な仕掛けで挑戦者たちの気を引いて、足止めを図っているらしい。
なんて、悠長に説明を聞いている間も、歯車は止まることなくピタゴラし続けている。
「これ、もしかして誰か引っかかっちゃったとかですか?」
「そうかもしれませんな」
何か落ち着いた様子で頷かれてしまったけれど、つまりそれは、すぐそこまで挑戦者が迫ってきているということじゃないだろうか。
いざとなれば逃げ戻る構え入ったところで、最終段階に入った仕掛けが、引っ張っていた鎖を解放した。がらがらと鎖が滑る音と共に、限界まで引かれた丸太が勢いよく泥団子へと衝突する。
景気のいい音と共に泥団子がぐらりと揺れ、ゆっくりと転がり始めた。泥団子は通路の下り坂で少しずつ加速し、視界から消えていく。遠く離れていっているはずなのに、泥団子が壁を擦る音は大きく聞こえ続けている。
「行っちゃいましたけど」
「そうですなあ」
私たちが巨大泥団子を見送ってしばらくして、挑戦者たちのものと思しき悲鳴がかすかに聞こえてきた。
†
ビゴールが応援を呼びに戻っている間、私は下り坂の奥から挑戦者の生き残りがやってこないかどうか、耳を澄ませて警戒を続けていた。
それから十分ほど、静かな通路に意識を集中していたものの、物音ひとつ聞こえないまま十分ほどが経過して。
「お待たせしました、ノッカ殿」
なんとなく見覚えのある、ややマッチョ気味の猪人ふたりを伴ってビゴールが戻ってきたところで、ようやく私は肩の力を抜くことができた。
通路の方は音沙汰無いことを伝えると、彼は連れてきたふたりに指示を出し始めた。
「ヨークは生存者の確認と死体の検分。ハンプは逃げた奴が居るかどうか、蜥蜴人の縄張りの手前まで調べてくれ」
「あいよ」
「了解でさァ」
それぞれが灯りと手斧を持って通路へと入っていくのを見送って、私は安堵の息を漏らした。
「お手数おかけしましたな」
「いえ、大丈夫です。それより、ふたりだけで大丈夫なんですか?」
「彼らの実力は確かでますし、手に負えないようならすぐ戻ってくるでしょう」
自信ありげなビゴールの言葉に安心して、ぼんやりと思考を巡らせる。
泥団子がここに置かれていなければ、罠が発動することは無いはずだ。それなら、今のうちに通路の先にある仕掛けも見ておいた方がいいかもしれない。
†
下り坂の通路は、左右に蛇行しながらずっと先まで続いていた。巨大泥団子との接触によって削られたためか、カーブの外側の岩肌は内側よりも凹凸が少なく、滑らかなように見える。
柱や梁のようなものは見当たらないけれど、落盤が起きそうな様子が無いのは、迷宮の《秘術》で護られているからだろうか。
通路がカーブしているのは、先の方まで見通せないようにするためだろう。通路の断面が円形に近く、泥団子を避けられるような広い隙間が存在しないのもなかなか高得点だ。
距離にして百メートルほど進んだあたりから、ビゴールの言ったとおり、足止め用の様々な仕掛けがちらほらと散見できるようになってきた。
通路を塞ぐように天井から下げられた垂れ幕には、意味ありげで思わせぶりな意匠が施されていた。
目線の高さにあった小さな横穴は発見してくださいと言わんばかりで、中を照らしてみれば、奥の方に宝石らしき輝きが見えていた。
さらに少し進んだ場所では、壁に埋め込まれた石板を見つけることができた。石版には、見知らぬ文字で何やら刻まれている。
「えっと、何て書かれてるんですか?」
「確か……帝国伝統料理のレシピだったかと」
滅んだ帝国のものとなると、それはそれでどんな料理なのかは気になるけれど、挑戦者にとっては間違いなく余計な情報だろう。
いろいろ考えるものだと感心しながらさらに進んでいくと、挑戦者たちが逃げるときに落としていったらしい荷物が地面の上に散らばっているのが見えてきた。
恐らくは洞窟内で拾い集めたものであろう財宝の入った袋だとか、携帯用の調理道具だとかが、見るも無残に潰れている様子に、世の無常を感じたりしつつ。
そこから数メートル先、カーブの内側の足元に、僅かに窪んでいる空間があった。その中には小さな木箱が置かれている。木箱の蓋は開かれていて、中身は空っぽになっている。
窪みの手前の地面には、岩壁にそってまっすぐ、二本の細い溝が掘られている。視線を横に向ければ、取っ手の付いた鉄製の扉らしきものが溝の上に存在していた。
「あー、スライド式のドアなのか」
手前に引いて開けるタイプの扉では、転がってきた泥団子がぶつかって壊れてしまうしまうからだろうか。
天井を伝ってここまで伸びていた黒いワイヤーは、この扉の裏側に繋がっていて、扉を動かすことで引っ張られる仕組みになっていた。
「そろそろ、元に戻してもよろしいですかな」
「あ、はい」
私が一歩下がると、ビゴールは木箱の中に赤い宝石を収めて蓋を閉じ、体重をかけて扉を引いていく。窪みを隠し終えた扉の中心には、「開けるな危険」と書かれた板が打ち付けられていた。
なるほど親切な忠告ではあるけれど、これを素直に聞く挑戦者は居なさそうだ。
「ワイヤー、たるんじゃってますけど」
「上の部屋に、張り直すためのハンドルがありますので」
「やっぱり、手動なんですね……」
百メートル以上もあるワイヤーの重さは結構なもので、さすがにそのまま手で引っ張ることはしないらしい。
ワイヤーがたるんだ状態では強度の点検を行えないので、ひとまずワイヤーを吊り下げている金具や扉との接続部分だけを確認しながら、通路を引き返していく。
そうこうしている内に、通路の奥から猪人の片割れが駆け足で戻ってきた。
「どうした、ヨーク?」
「死体も生存者も見当たりませんぜ。三人くらい派手に潰れた跡はあったんで、多分、生き残りが死体担いで撤退したんじゃねえかと」
「そうか。まあ、それならしばらくは戻ってこんだろう。ハンプと一緒に仕掛けを戻しておいてくれ」
「合点でさァ」
彼は握った右手を胸に当てて応えると、踵を返して再び通路を下っていった。
「えっと、戻しておく、というと」
「次の挑戦者がやってくる前に、泥団子を設置し直しておかねばなりませんので」
「ちなみに、その泥団子さんはどの辺りまで転がって行かれたんでしょう?」
「ここから二百メーテほど先に砂地の広場があって、そこで止まるようになっておりますな」
「と、いうことは……」
トータルでおよそ五百メートルの上り坂である。直径三メートルの巨大泥団子を上の小部屋まで押し戻すのは、かなり大変そうなのだけど。
黒毛の衛兵は私の視線に気付いたのか、いい鍛錬になるのです、と真顔で補足した。
†
それから数十分後。天井のワイヤーを張り直し、損傷や劣化が無いかどうかの点検を一通り終えた頃に、通路の奥から黒い泥団子が姿を現した。
「そら、もう少しだ!」
「おうさ!」
ほいさ、よいやさ、と繰り返される暑苦しい掛け声が、泥団子の向こう側から聞こえてくる。どうやら本当に、人力で押し転がしてきたらしい。
巨大泥団子はそのまま部屋の中へ、ゆっくりと入ってくる。滝のように汗を流しながら最後の一押しを踏ん張ると、ふたりの猪人は地面に座り込んで大きく息を吐いた。
「ハンプ。下の様子はどうだった?」
「静かなもんですな。ただ、気になる忘れ物があったんで、回収しときましたぜ」
猪人の片割れが差し出したのは、丸められた一枚の羊皮紙だった。血で汚れたそれを受け取り、紐を解いて広げたビゴールは、ランタンの光の下で内容を読み上げ始めた。
「勇士求む。竜玉探索。占術による報あり。発見者には金貨三万枚──」
なんとも結構な大金である。万が一、私が見つけても貰えるだろうか。
羊皮紙の下半分には、黒と灰色が斑に入り混じった、楕円形の玉と、険しい山脈の絵も描かれている。けれど、竜玉なるモノが一体何なのか、何処にあるのかについて、それ以上詳しい記述は無いようだった。
「見つけたら瑠国の官吏に届け出よ、とな」
「瑠国っていうと、えっと……」
『年代記』によれば、氷雪に覆われた大陸北部の王国で、法と秩序を好しとするお国柄だったはずだ。そんな国からの直々の布告であるなら、そこそこ信憑性はあるのだろう。
ビゴールは羊皮紙を丸めると、ふたりの猪人に向かって声をかけた。
「ご苦労だったな。後はノッカ殿に見てもらうから、お前たちは戻っていいぞ」
「うッス」
「あ、えっと、お疲れ様です」
よっこいせと立ち上がり、軽く手を振って歩き去っていくふたりを見送ってから、私は改めて黒い球体に向き直った。何人もの獲物を轢き潰してきたというのに、それほど汚れたように見えないのは、この色のおかげか、あるいは下の部屋の砂地のおかげだろうか。
「……これが竜玉ってことは、無いですよね?」
「さすがに、ないでしょうなあ」
竜玉についてはかなり気になるところだけれど、今ここで考えていても仕方ない。
そんなわけで、目の前のお仕事を粛々と片付けることにしたのだった。




