12. 迷宮と協会
サイトにかけられた《命令》を無効化して、《黎明迷宮》から連れて還った後、私たちは丸太小屋の居間で「こちら側」についての説明を始めた。
「一応、こっちの世界には『鼎陽』なんて名前がついてるみたい。だけど、そんな風に呼ぶ人はほとんどいないかな」
「まァ、大抵は『こっち側』で通じるからな」
「なるほど」
サイトは窓の外へと顔を向けて、雲間からのぞく赤い太陽に目を細めた。
「それにしても、随分と暗いような気がするなあ」
「ここからだとひとつしか見えないけど、もうちょっと明るい太陽があとふたつあるんだ」
「そいつがこの世界の名前の由来ってことは……赤色矮星の、三重星系ってことか? 公転軌道とか、どうなってるんだろうな」
「えっと……さあ……?」
彼が口にした疑問に、私は首を傾げた。そもそも、トンデモ現象でこっちの世界に落ちてきたわけだし、その辺は深く考えても仕方ないような気がするんだけど。
「いや、だって、この星の環境がどうなってるのかとか、気になるだろ?」
「そう言われてもなー、太陽とかそっちの方は専門分野じゃないし。ねえ」
「俺に振るな。お前さんと一緒にするな」
同意を求めて相棒を見たのに、嫌そうな顔で否定されてしまった。
「とはいえ、天文学やら環境学やらに関しては俺も素人だ。詳しく知りたければ、《学院》を訪ねてみた方がいいな」
「ちゃんと研究しているところがあるんですね」
「あれこれ片付いて、落ち着いたら行ってみるといいだろう」
「そうしてみます」
サイトは軽く頷くと、色々と湧いてきた疑問点やら重要な事柄やらを、手元の紙に書き留め始めた。その手が途中で止まって、物問いたげな視線が私の方を向く。
「そうだ、ダンジョンだよ。ずっと疑問に思ってたんだ。一体全体、どうしてダンジョンなんてものがあるんだ?」
「おっ、いきなり哲学的な質問だねえ」
何ゆえに、ダンジョンは存在するのか。そもそも、ダンジョンとは一体、何であろうか。その答えを得るにはまず、ダンジョンの定義から考えていかなければならないだろう──
†
第一に、閉ざされた場所であること。簡単に安全な場所へと逃げ出せるような開けた場所は論外だ。
それから、侵入者を迷わせるような構造であること。探索が容易である場所もまた、ダンジョンと呼ぶには不適切だろう。
加えて、そこに脅威となる怪物や罠が存在すること。暗闇の中に潜む危険が無いなら、そこは単なる迷路でしかない。
そして最後に、危険を冒すに足る見返りがあること。死と隣り合わせの栄誉があるからこそ、ダンジョンに挑む者たちが現れるのだから。
昔からぼんやりと考えていたことだけれど。こっちの世界で被召喚者として活動しているうちに、なんとなくはっきりしてきた気がする。
†
──なんて、私が思案にふけっているうちに。
「そのために、《魂の研鑽》が存在しているわけだ」
「理屈は分かりました。けど、それって向こう側の人たちには知らされてないんですよね」
「ああ。公平じゃないと思うか?」
「駄目だとは、言いませんけど……」
いつの間にか、相棒と少年とで会話が進んでいた。
難しい顔で考え込んでいるサイトに向かって、少しばかり困ったような表情でワイスは話を続けていく。
「《魂の欠片》は貴重な資源でな。俺たちがこの星で暮らしていくためには欠かせないものだし、落人が元の世界に帰るのにも必要になるのだ」
「元の、世界……」
顔を上げた少年に、大男は諭すように言葉を重ねる。
「ダンジョンに挑めば、引き換えに強さを手に入れることができる。短期間のうちに挑戦を繰り返すことの危険性は伝わっているし、向こう側の連中にとって悪い話ばかりでもあるまい?」
「昔の英雄も、《黎明迷宮》で鍛錬を積んだり、凄い斧を手に入れたりして王国を再興したって話だしね」
「……それは都の酒場でも聞いたな。珀王ヨキの、月光の斧だったか」
『年代記』にも書かれていた、英雄譚の一節である。何にせよ、各地にあるダンジョンが向こうの世界で一定の立場を有しているのは確かだろう。
また考え込み始めた少年を見て、ワイスは膝を叩いて腰を上げた。
「ノッカも妄想から戻ってきたようだし、話はここまでにして、とりあえず飯にするか。そろそろ腹も減ってきただろう」
「そだね。サイト君はちょっと休んでて」
†
軽めの食事を済ませた後、私とサイトは丸太小屋を出て協会へと向かった。サイトもまた別の世界からやってきた落人であり、協会に報告する必要があるためだ。相棒は別件で喚ばれているということで、準備のために小屋に残ることになった。
「後で着替えとか色々買い揃えないとね。ワイスの服とか着れないだろうし」
「さすがにサイズが違い過ぎるよな」
彼が寝泊りする場所についても考えないといけないけれど、今日のところは居間で寝てもらうしか無さそうだ。
「しかし、なんだかこっち側の方が、異世界って雰囲気があるぜ」
昼下がりの《市場》を行き交う人たちを横目に見ながら、感心したようにサイトが呟いた。
そうだろうか。何となく中東風の異国情緒はあるけれど、それを言うなら。
「向こうだって中世ファンタジーっぽい感じがするんだけど」
「あっちじゃ人間以外の種族なんて、数えるほどしか出会わなかったからな」
なるほど。言われてみれば確かに、私が会った挑戦者達はみんな、私やサイトと同じような外見だった。
「私たちみたいなのは、こっちでは汎人って呼ばれてるね」
「ああ、その辺から認識が違うんだな」
慣れるまで大変そうだ、と彼は肩をすくめた。
†
三十分ほどかけて中央広場に辿り着き、協会本部へと突入する。エントランスをまっすぐ抜けて、犬耳の受付嬢に事情を説明する。さらに十分ほど待たされてから、私たちは二階にある応接用の一室に案内された。
ちょっと高級そうな机の手前に来客用の長椅子があり、奥には職員用の椅子が置かれている。対面の窓から差し込んでくる赤い陽光を背に、背の高い誰かが軽く頭を下げた。
「お久しぶり。ノッカくん」
「えっと、ご無沙汰してます」
協会職員の制服を着た、白い肌の妖精族である。確か、私がこの世界に落ちてきたときに応対してくれた人のはずだ。
……彼女とはあのとき以来会っていないので、うろ覚えではあるけれど。
「君がサイトくんだね。私は落人担当のアグラだ。よろしく頼む」
「あ、はい。こちらこそ」
金髪を揺らしながら、彼女は椅子に腰掛けた。私たちも、手前の長椅子に並んで座る。
「早速だけれど。まずは、君が上の世界から落ちてきた際の状況を聞かせてもらえるかな」
「その時の記憶は、かなり曖昧ですけど」
「分かる範囲で問題ないよ」
白妖精の職員に促されて、少年は語り始めた。学校の図書室で私を突き飛ばしてから、彼に何があったのか。
「確か、黒い裂け目みたいな穴に吸い込まれて……気がついたら、もう知らない場所で倒れていたんだ」
そこは見渡す限りの平原を横切る、石畳の街道の上だった。夕暮れ時に目を覚ました少年は、途方に暮れながらも夜道を歩き続け、その末になんとか大きな街へと辿り着いた。
しかし、街に入るための門は閉ざされていて、少年は見張りの兵士に誰何されてしまう。何でもない問いかけにも疲労困憊で頭が回らず、答えに窮して怪しい人物だと思われて。
そのまま問答無用で牢屋へと放り込まれそうになったとき、ひとりの老女に助けられたらしい。
老女に身元を保証され、街の中へと入ることができたものの、行く当てのない彼は大人しく老女についていくことにした。
「で、そいつが若い美女に化ける幻術を使ってたことに気付かないで、老人扱いしてたのが運の尽きでさ」
少年の目に宿っていた「幻術を見破る能力」に気付くと、アンヌと名乗った老術士は、彼から聞き出した真名を利用した強力な術を使って、少年の行動を束縛してしまった。
「その後は、私が助けるまでずっとこき使われてた、と」
「ああ。眼鏡を無くしてたこととか、やけに夜目が利いたこととか、よく分からないまま流してたのは失敗だったな」
「《擬装》を見破る力に加えて、《暗視》も保有、と。これはどうにか言いくるめて、じっくり精密検査したいところだけれど……」
「アグラさん」
白妖精が小声で物騒なことを呟いていたので、聞こえてますよと釘を刺しておいた。
†
この世界に落ちてきてすぐ協会に連れてこられた私と違って、いろいろと紆余曲折あったサイトの経緯は、説明にかなりの時間が費やされた。
時折はさまれるアグラからの質問に答えながら、話が終わったのは一時間ほど経った頃だった。
「聴取はこれで終わりだけれど。一応、根源座標を計測させてもらうよ」
「根源座標の、計測ですか」
「ノッカさんと同郷とは聞いているけれどね」
アグラが《腕輪》を操作して合図すると、部屋の外から大きな測定用の機材が運び込まれ、机の上に置かれた。
何重もの円環が組み合わさった、天球儀のような道具を前にして、サイトは目を輝かせる。
あー、うん。男の子って、こういうのが。
「あの、何をどうやって調べるのか、もうちょっと詳しく聞いてもいいですか?」
「理解できるように説明できるかは分からないけれど」
それでも構わないと請われて、白妖精は準備を進めながら話し始めた。
「《物体測位》などの探知系の《秘術》を落人や上の世界から落ちてきた品物に対して使用すると、実際とはわずかに異なる場所が示されてしまう現象があるんだけれど」
「俺たちが元々この世界の存在ではないから、ですか」
「恐らくね」
早速、ふたりの会話に付いていけなさそうな雲行きになってきたものの、大人しく説明に耳を傾ける。
「その位置情報のずれを元に、元の世界がこの世界に対してどれだけ偏移しているかを導き出すことが可能なんだ。けれど、細かい測定を人力で行うのは、ちょっと無理があってね」
「それで、道具の出番ってことですか」
「その通り。この測定器で偏移値を測定して、元の世界の座標を特定する」
「ああ、なるほど……」
「さて、ここに手を置いてくれるかな」
白妖精に促され、サイトは右手を前にかざした。測定器の中心にある球体が淡く光ると、円環がくるくると回り始める。
「そして、元の世界の座標が特定できれば、《転送陣》で落人を送り返すことができるんだ」
「あの。いざ帰ってみたら何十年も経ってました、なんてことは無いんですか?」
「その点は、同じだけ時間が経過していると考えてくれればいい。落人の存在によって同期がとられているのではないか、という説が有力かな」
ただし、とアグラは言葉を続けた。
「元の世界の位置に合わせた《転送陣》を展開できる時期が来るのは、年に数回だけ。それに、普段は環境維持や研究用に使われている衛星の力も借りなければならないんだ」
「……つまり、望んだときに帰れるわけじゃないし、無償でというわけにもいかない?」
「察しがいいね。助かるよ」
動きを止めた測定器の目盛りを読み取り、少年の座標値を書き留めると、白妖精は小さく頷いた。
「よし、確認した。世界座標はノッカくんと同一で間違いない」
「ということは、えっと……」
手帳を取り出して、一番近い転送可能時期を確認する。どうやら、タイミングは悪くなかったらしい。
「アグラさん。七日後に、彼の転送の予約をお願いします」
「ふむ。そんなに近い時期だったか」
私の言葉を受けて、アグラは再び《腕輪》を操作し始めた。しばらくして、彼女は顔を上げて私に問いかけてきた。
「その日なら《転送陣》は使えるようだけれど、大丈夫なのかな?」
「えっと、はい。サイト君も、それでいいよね」
「いや、ちょっと待ってくれ。話が急すぎるぞ!」
隣に座る少年へと視線を向けると、彼は慌てた様子で両手を挙げて、話を遮った。
†
結局、サイトがその場での返答を保留したため、私たちはひとまず協会を後にすることになった。丸太小屋への道を戻りながら、憮然とした様子の彼に話しかける。
「この機会を逃したら、次は半年後とかになっちゃうんだよ」
「だとしてもな、俺だけ先に帰るってのはどうなんだ?」
それは仕方ないだろう。今回の件であちこちに借りを作ってしまったし、転送のための費用を前借りしなければならないし。借金を片付けない限り、私が《転送陣》を利用するのは無理なのだ。
「まあ、私は私で何とかするから」
「そう言われても、困るぜ」
サイトは首を振るけれど、そう言われて困るのは私も同じである。
「だってさ、サイト君は私を助けようとして、巻き込まれただけだしさ」
「そこは気にするなよ。結局、ノッカもこっちに落ちてきたんだろ」
失敗しちまったな、と肩を落として歩く彼に対して、右手を振って否定する。
「そんなことないって。あの時は助かったよ」
「……そうか?」
「サイト君とワイスのおかげで、私の方は酷いことにならずに済んだし。すぐに状況を把握できたしさ」
疑い深く私の顔を見たサイトに、真面目に頷いて答える。私の方は、本当に大丈夫なのである。
そして、彼に元の世界に戻って欲しい、個人的な理由もあるのだ。
「だから、私が元気でやってるってこと、できれば家族に伝えて欲しいんだ」
「ああ……それは、そうだな」
サイトもまた、表情を引き締めて頷いた。
「ところで、どうやったら無事なことを信じて貰えるか、考えてあるか?」
「んーん、全然」
その辺はさっぱり思いつかなかったので、彼に頑張ってもらうことにしようと思う。サイトならきっと上手くやってくれる、はずだ。




