10. 休憩所
《黎明迷宮》の地下三階。
私が露天商の服装で腰を据えているのは、《秘術》による青い光に照らされた、十メートル四方の標準的な広間の中央である。
部屋の片隅には乙女の像が立っていて、担ぐように肩に乗せられた《水瓶》からは、きれいな水が少しずつ流れ落ち続けている。水は乙女像の台座を囲っている石垣の内側に溜まり、溢れた分が壁に開いた排水用の穴へと流れ込んでいる。リクの話では、出て行った水は地下四階の水没エリアを経由して、さらに下の階層まで流れるようになっているらしい。
それはさておき。これでひとまず、水場のある休憩所としての役割は問題なく果たせているはずである。
この部屋の出入り口はふたつ。ひとつは地下三階前半の通常区画からやってくるための短い通路。もうひとつは、隠された宝物庫へと通じている細い通路だ。
あの三人組なら、彼の能力で通路を隠している《擬装》を見破って、この休憩所まで来られるはずだ。
「だと、いいんだけど……」
なけなしの資金と手間をかけて用意したこの場所が、スルーされないことを信じるしかない。彼らの探索が順調であれば、もうそろそろ地下三階まで到達している頃合いのはずだ。
目を閉じて、耳を澄ませる。流れる水の音を聴きながら、私はここまでの経緯を思い返し始めた。
†
ぼんやり浮かんでいたアイデアをちゃんとした提案書の形にまとめるのに二日。それを牛頭の管理者に見せ、不備のあった点を手直しして、図面と一緒に再提出するのにもう二日。
オゥミ氏から許可を貰ってすぐ、私は兎耳の坑掘り屋と灰妖精の秘術使いを呼び寄せて、改修作業に着手した。
それから、あれこれ指示を出したり、相棒が暇なときに手伝ってもらったり、《工房》で資材を仕入れたり、《恩寵》を使って作業を補佐したりと、休む間もなく時間は過ぎていって。
「……えっと、十日目、か」
《腕輪》に表示された日時を確かめて、私は手帳に視線を戻した。ずっと地下に篭っていると、時間の感覚が曖昧になってきてよろしくない。
区画の改修作業自体は順調で、後は細かい見栄えの部分の仕上げを残すのみになっている。この調子なら、少し前に地下六階から脱出した例の三人組が再び挑戦してくる前に、作業を完了させることができそうだ。
やり残しや漏れが無いかどうか、工程表を見直していると、奥の通路から近づいてくる足音が聞こえてきた。
「えっと、ペコラスかな」
軽装かつ細身で長身、規則正しいちょっと早めの歩調は、もう聞き慣れている。
私の予想通り、通路から現れた白衣の灰妖精は、左手に灯していた秘術の光を消して近づいてきた。
「《宝石錠》の設定は終わったぞ、ノッカ」
「うん、お疲れさま。木偶人形たちの調子はどう?」
「どれも大きな問題は無かったが、あのウサギの小僧を手伝わせていた奴等は相当こき使われてるようだな。ちょっと修復が間に合ってない感じだった」
「あれは、ホント助かったよ。ペコラスの人形を借りられなかったら、十日で完成なんて無理だったし」
「俺の方も、なかなか貴重なデータが取れた。坑堀り屋のサポート用に、一から設計してみるのもいいかもしれんな」
わりと満足げに頷いている様子に安心していると、彼は私の手元を覗き込んできた。
「目当ての挑戦者は、そろそろやってくる頃か?」
「うん、そだね。前回は四日間潜ってたみたいだから、順番さえ来れば再挑戦してくるはず」
《魂の研鑽》によって磨耗した《魂》を回復させるため、挑戦者たちは迷宮に滞在していた日数の倍ほどの期間を迷宮外での休息と鍛錬に当てているらしい。それを守らず、迷宮に潜り続けていた挑戦者は、《魂》を削りすぎて《復活》できなかったり、人の姿を保てなくなったりしたという。さすがに、そんな重い不利益を負ってまで、あの三人が挑戦してくることはないだろう。
「一応、ノッカでも人形に指示を出せるようにしておいたが、細かい作業をやらせるなら俺を呼んでくれ」
「うん。その方が安全だろうしね」
「しかし、何だな。ここまで《秘術》の適性が無いと、逆に感心するぞ」
呆れたように見下ろしてくるペコラスには、無言で肩をすくめて応えておく。
前に貸してもらった入門書はどうにか一通り読み終えたのだけれど、結局、一番簡単な《秘術の灯火》ですら私の手に余る代物だったのだ。
コートのポケットに手を入れて、その中にある切り札の丸い手触りを確かめる。
「えっと、適性が無くても、ちゃんと《宝珠》は使えるんだよね?」
「ああ。《合い言葉》さえ正しければ、《宝珠》に刻まれた《秘術》が発動する」
ただし、とペコラスは言葉を続けた。
「念を押しておくが、そいつが使えるのはいちど切りだ。相手に意識があって、君の声が届く状態でなければ、効果が出ないからな?」
「うん、気をつける」
不発になったら目も当てられない。何度も使えるものじゃないから、試してみるわけにもいかない。不安を覚えながら、私は手帳へと視線を戻した。
「宝物庫の仕掛け、ちゃんと出来てるかどうかリハーサルしておきたいんだけどさ」
「そうは言ってもな、誰に実験台になってもらうんだ」
「えっと、ワイスとか?」
私の提案に、ペコラスはどうにも不安そうな、微妙な表情を見せた。
「あの御仁、手加減とは縁がなさそうなんだがな。人形を壊されるのは勘弁だぞ」
「さすがに弁えてると思うんだけど……」
そう言われると自信がない。大体において、相棒は丸太めいた杖を振り回して挑戦者たちを弾き飛ばしているわけだし。
なんてことを考えていると、聞き覚えのある別の足音が聞こえてきた。迷宮に響く重い音は、噂の主だと思われた。
しばらくして、反対側の通路から広間に入ってきた角つきの大男は、私たちの姿を認めてふん、と鼻を鳴らした。
「お目当ての三人組、どうやら来たようだぞ、ノッカ」
相棒の言葉に、私とペコラスは顔を見合わせた。地下一階を見張らせていた小鬼からの報告を、わざわざ伝えに来てくれたらしい。
「予想通り、だけれども」
「どちらにせよ、これで仕掛けを確認している余裕は無くなったな」
「ぶっつけ本番かぁ」
こうなったら仕方ない。奥でまだ作業を続けているリクに声をかけて、引き上げて貰わなければ──
†
──水音とは異なる物音に、意識を引き戻された。ここからは、失敗しないように集中しなければ。
数分後、慎重な足取りで通路を進んできた挑戦者たちが、部屋の入り口から姿を見せる。
先頭に立っているのはやはり、斥候の男だった。左手には矢が装填された弩弓を持ち、右手には前回の挑戦で手に入れた短剣──地下一階の隠し区画に安置してあった業物の武器──を持っている。広間の中央で座っている私の姿を見て、彼は足を止めた。
「どうしたんだい、ウィード?」
「いえ、あっし達が一番乗りだと思ったんですがね……」
年老いた女術士と、書きかけの地図を手にした荷物持ちの少年を待たせて、斥候の男はこちらに近づいてきた。
「また会いましたね」
「どうやってここに入ったか、聞いてもいいかい?」
通常の区画からこちらに寄り道するための通路は、《擬装》で石壁に見せかけられている。彼が疑問に思うのも無理はない。
「地下三階に隠された仕掛けがあるって噂を聞いていたので。知り合いにも協力してもらって、ですね」
「噂、かい」
しらみつぶしに壁を叩いて歩けば、《擬装》を見破る能力が無くてもここを見つけることは可能だ。
そういうこともあるだろうかと、少し考える様子を見せた彼は、私の周囲へと視線を向けた。
「露店は広げてないんだな」
「誰か来るとは思ってなかったので、休憩中だったんですよ。商品、見ていきますか?」
「あいにくだが、食糧も道具も足りてるぜ。水はそこにあるようだしな」
「いえいえ、今回はちょっと違いますし」
話を切り上げようとした彼を引き止めて、商品を詰めた皮袋の中から小さな青い宝石を取り出して見せる。透き通った宝石の中に《秘紋》が刻まれていることに気付いて、男はよく見ようと顔を近づけてきた。
「この先の通路で拾ったものですけど、使い道が分からなかったので、誰かに安くお譲りしようかと」
「へえ?」
興味深げに宝石を観察していた彼は、老術士を振り返って声を上げた。
「アンヌさんよ、ちょっと見てもらえますかい」
「仕方ないねえ」
不機嫌そうな表情で、ゆっくりとこちらの方へやってきた老女は、青い宝石をちらりと見ると、私の方を睨みつけてきた。
「いくらだい」
「えっと、金貨五枚でどうでしょう?」
「……払ってやんな」
私の告げた値段が気に食わなかったのか、彼女は鼻を鳴らして踵を返した。けれど、宝石は買うことにしたらしい。
斥候の男は腰の小袋から金貨を取り出すと、青い宝石と引き換えに手渡してきた。臨時収入である。焼け石に水だけど、これは借金返済に充てることにしよう。
男は宝石を手に老女を追いかけ、小声で話しかけた。
「いいんですかい」
「刻まれているのは《鍵》の《秘紋》さね。どこかで対応する錠前が見つかればよし、そうでなくても外で売り払っちまえば損にはならないさ」
それよりも、と老女は広間を見回して、男を杖で叩いた。
「ここを調べ終わったら、すぐ次に行くよ! まだ休憩には早いだろう?」
「わかってますって。おい、サイト! さっさと地図書いて、この部屋に幻術がかかってないか調べな」
男の指示を聞いて、荷物持ちの少年は慌てて手を動かし始めた。この流れなら、いけるだろうか。
「この階の地図、お譲りしてもいいですよ。宝石を買って頂きましたし」
いきなりの私の申し出に、少年は手を止め、老女と男は顔を見合わせた。そんな三人の中で、一番に動いたのは斥候の男だった。
「そいつは助かるがよ。本当にいいのかい」
「四階には行かないつもりなので。あと、調べられた範囲だけですけど」
私は立ち上がって、ポケットから折り畳まれた紙を取り出し、男に向かって広げて見せる。
「えっと、いま居るのがここですね」
「……嬢ちゃん、あんまり字が上手くねえな。ここなんか、何て書いてあるのかさっぱり分からねえ」
「そこは、只より高い物は無い、ということで」
私から紙片を押し付けられた男は、地図に書かれた注釈をなんとか読み解こうと目を細め、すぐに諦めて顔を上げた。この世界の文字に似せてはいるけれど、彼には読めないはずだ。緊張が顔に出ないように気をつけながら、三人の様子を窺い続ける。
「一応、貰っとくか。サイト、自分のとこいつ、見比べとけ」
紙片はさらに、少年へと押し付けられた。彼は渋々といった様子で地図を見て、それからすぐに息を呑んだ。
「どうした?」
「いえ、字が……その、汚くて」
「幻術は見破れても、さすがにその字は読めねえか。ま、参考くらいにはなるんじゃねえか」
「……はい」
サイト少年は小さく頷くと、気を取り直して地図への書き込みを始めた。
その途中で、彼がこちらを見たような気がしたけれど、私はまた床に座り込んで、荷物の整理をする振りをしていた。
斥候の男が広間を調べ終え、水を補給すると、三人組の挑戦者たちは奥の通路へと消えていく。
彼らの足音に注意を向けつつ、私は通路の入り口に落ちていた紙片を回収した。
「……大体、予想通り、と」
地図への注釈に見せかけて日本語で書いておいたいくつかの質問は、ちゃんと彼に伝わったらしい。書き込まれている回答を確かめてから、私も通路へと足を踏み入れた。
†
休憩所の広間から、曲がりくねった細い通路を進んでいくと、その一番奥で分厚い金属製の扉が待ち受けている。
「『この先、宝物庫入口』……ねえ」
扉の横の壁に埋め込まれていたプレートの文言を読み上げて、斥候の男はわずかに首を捻った。
「どうしたんだい」
「いえ、ちょっと気になっただけで。動かしますぜ?」
老術士の了解を得ると、彼はプレートの横にあるレバーを引き下げる。ごとごとと音を立てて左右に開いていく扉の隙間を、彼は慎重に覗き込んだ。
扉の先は、狭い玄室になっていた。部屋の中央には簡素な装飾が施された大きな宝箱が置かれていて、その近くにいくつもの骨が散乱している。合わせて錆びた武具も落ちているのを見れば、骸骨兵士の成れの果てだと考えてくれるだろう。
扉が開ききった後も、動く気配が無いかどうか見守っていた男が、しばらくして玄室へと入っていく。ゆっくりと宝箱に近づき、屈みこんで調べ始める。
箱に罠が仕掛けられていないことを確かめ、鍵の掛かっていない蓋を開けると、斥候の男は肩をすくめて立ち上がった。
「ま、先客が全部持っていったんでしょうな」
「その上、ここで行き止まりかい?」
無駄足だったかね、と老女は不機嫌そうに呟いた。
部屋の壁をあちこち叩いて回った末に、男も諦めたように首を振って、少年に声をかけた。
「どこにも幻術はかかってないんだよな?」
「無いです。でも……」
「でも、何だってんだい? 言ってみな」
聞こえるか聞こえないかの小声の呟きを聞きとがめて、老女が苛立たしげに問い詰める。
「……あの扉の横に、『この先、宝物庫入口』って書いてありましたけど」
「ああ、まったく期待外れな看板だったねえ」
「ここが宝物庫なら、わざわざ『この先』とか『入口』とか書かないでしょう」
少年の言葉に、ふたりは考え込んだようだった。
「確かに、ちょいとおかしな言い回しだとは思ったけどよ」
「宝物庫に宝箱がひとつってのも変な話だしねえ……」
斥候の男は、少年が書き込んでいた地図を覗き込んだ。玄室の周囲にある細い通路の線を見て、彼はまた首を振った。
「どこにも隠し部屋がありそうな隙間は見当たらねえな」
そうなると、と呟いて、男が部屋を見回した。ぐるりと巡った視線が、部屋の中央へと向けられる。彼は再び宝箱の前に座り込み、箱を抱えるように両手を差し出した。
男の両手に力が込められると、宝箱が少しずつ奥へとずれていく。やがて、箱の下から床に開いた四角い穴が見えてきた。
宝箱によって隠されていた穴の中をランタンで照らし、鉄製の梯子が据え付けられているのを見つけて、彼は背後を振り返る。
「この下が、本当の宝物庫のようですな」
「まだ荒らされてないことを願っておくよ」
再び穴の底へと視線を向ける男と、少しばかり機嫌を良くした老女の背後で、少年は誰にも聞こえないように小声で呟いた。
「命令に背かないように、術を妨害する方法、か……」
そうして彼らは、私たちが十日かけて掘り広げた隠し区画へと、意気揚々と降りて行ったのだった。




