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第七章 森の中、そして、その先へ

「しゃーない。いつまでもこんなところでぐだぐだ悩んでいてもしょーがねぇしよ。そろそろ出発すっか」

「そ、そうだな」

「け、けど、しかし……」

「まあ、心配すんな。案ずるより産むがやすしってな。案外、行ってみると、なんとかなるかもしんねぇぜ」

「そ、それはそうかもしれないが……」

「って、なんで、ロムス、あんたさっきから私の顔ばかり見るのよ? 私がお荷物だって言いたいわけ?」

「ち、ちがう。そ、そんなことは……」

「はぁ~ まあいいわ。たとえ、あんたが足手まといだからついてくんなって言っても、私はついていくからね。大体、こんなところで一人取り残される方が、よっぽど危険だわ」

「ん? ああ、それもそうだな。ここにこんなヤツを放置しておいたら、森中の動物を全部食い尽くして、ほんとうに死の森にしちまうしな。そんなことになったらチェッレの町の人たちに申し訳がたたねぇや」

「はぁ? あんた、なに言ってんのよ。喧嘩売ってんの?」

「そっちこそ、一人じゃ怖いから一緒に連れて行ってくれって素直に言やいいじゃねぇか」

「はぁ? だれが怖いって?」

「おめぇだよ。お前」

――また口喧嘩かよ。ったく。こんなときまで…… 

 ともあれ、このままじゃ、いつまでたっても出発できそうにもないので、

「二人とも、そのぐらいにしとこうぜ。それよりも、マリーも一緒に来てくれよな。俺たちには、お前の魔法がこれからも必要なんだしさ」

 まっすぐにマリーの眼を見つめながらそう言うと、マリーの顔にしだいに血の色が差してきて。

――やべっ、もしかしてマリーの機嫌を損ねたか?

 怯えながらマリーの顔色を窺っている。だけど、すぐに存外、明るい声が返ってきた。

「そ、それもそうね。私がいないと、みんな困っちゃうわよね。し、仕方ないな。私もついて行かないとね」

 そうして、全然怒った様子もなく、それどころか、どこか楽しげな様子で自分の荷物を背負うのだった。

――ふぅ~ どうやら、逆鱗に触れたりはしなかったみたいだな。よかったよかった。

 そんな俺の背を、ジャックがバシッと力を込めて叩いていく。

「いたっ! なにすんだよ」

 抗議する俺にウィンクを一つ投げてよこして、あいつは俺から離れていくのだった。

「なんなんだよ?」



「じゃ、これから俺が先頭を行くからな。一列になってついてこい。ロムスは一番後ろ。だれかが遅れそうになってたらすぐに俺に声をかけてくれ。いいな」

「おう」

「って、ジャック、なんであんたが仕切ってるのよ?」

「ああ? なら、お前が先頭行くか?」

「あ、う…… 嫌に決まってんでしょ、そんなの!」

「ふふふ、なら、早速、出発だ」

 そうして、俺たちは遠くに見えている崖の下を目指して歩き始めた。

 だが……

「なぁ、なんか俺たちもしかして間違った方向へ進んでないか?」

 俺のそんな疑問に、獣道もない下草の中を掻き分けて進むジャックが振り返りもせずに、

「ああん? この方向であってるよ。別に間違っちゃいねぇぜ」

「で、でもよ」

 そう、俺たちは崖を目指して歩いているはずだった。崖を目指して一直線に。だというのに、なぜ、俺たちの左前の方角に、木々の間を通して、その目指している崖の姿見えているのだ?

 目的地へ向かっているのだから、進行方向上に見えていなきゃおかしいだろ?

「えっ? 私たち違う方向へ向かっているの?」

 背後のマヤが俺たちの会話を耳にして戸惑いの声を上げる。

「だって、ほら、俺たち崖の方へ向かっているはずだろ? なのに、左手前方に当のその崖が見えているってことは」

「ん? それがなにかヘンなことなの?」

 思わず、背後を振り返る。そこには冗談を言っているわけでもなく、真剣な表情で首をひねっているマヤがいて。

「……」

「どうして? なにかおかしいのかしら?」

 そ、そうだった。マヤは方向音痴だった。大体、俺が最初にあったときも、マヤは道に迷っていたのだ。

「な、なんでもないです……」

 黙り込むしかないわけで。

 それからも黙々と俺たちはジャックの先導に従って森の中を進んでいった。

 それでも木々の枝葉の隙間から小さく見えていた崖が次第に大きくなり、ついには左手すぐから始まって、はっきりと左手奥の方向へ延々と伸びていっていて。

――って、完全にここは崖下じゃないじゃねぇかよ!



「そろそろだな。みんな止まれ!」

 もうすぐ森を抜けるというところでジャックが号令をかける。それから俺を振り返って。

「エド、さっきの場所から今で何歩だ?」

「えっ? あ、えっと、三,七五三歩目だ」

「そっか、ま、大体、そんなところだな」

「はあ? なんだよ、それ? なんで、こんな崖下じゃねぇところにみんなを連れてきたんだよ?」

 俺の抗議に、バカにしたような笑い顔を返してくる。

「ここでいいんだよ」

「はぁ? よくねぇだろ? ここ、どう見ても崖下じゃないじゃねぇかよ!」

「だから、それでいいんだって」

「え? なんで?」

 そうして、ジャックは戸惑う俺たちに説明を始めた。

「考えてもみろよ。俺たちは、崖下を目指していたんじゃなくて、崖の下にあるっていう石像を探しに来たんだろ?」

「ああ」

「もし、俺たちがあそこでそのまま崖下を目指していたとしたら、ついた時には、半々の確率でその場所から左手と右手のどちらかにその目的の石像があるってことだろうが?」

「ああ、そうなるな」

「そしたら、お前ならどうするよ?」

「お、俺? 俺だったら、そうだな、パーティを二つに分けて……」

「はい、来た、それ。それをやったら、そのパーティは全滅だな」

 鼻で笑いやがる。なんかムカツク!

「はぁ? なんでだよ?」

「考えてもみろよ。もし未知の敵がいたとして、目の前でパーティが二つになるんだぜ。個別に撃破して終わりじゃねぇかよ」

 た、たしかに……

「そ、それはそうかもしれないが」

「もし仮に、敵が現れなかったとしても、半分になった一方で事故とかなにかが起きたらどうすんだよ? もう半分は緊急事態があってもすぐには駆けつけられないんだぜ? 大体、時間が経てば経つほどお互いに離れていくんだしよ」

「……」

「さらに言うとだな。一方が目的の物を見つけたとしても、必ず最終的にはもう片方と合流しなきゃいけないわけだ。それをどうやってやるんだよ? 大声でも出して、呼び合うのかよ?」

「……」

「それこそ、わざわざ俺たちがここにいますよって未知の敵に宣伝しているようなもんだろうが?」

「……」

 ぐうの音も出ないとはこのことだ。たしかにその通りだ。

 そんな俺の様子をニヤニヤしながら眺めつつ、ジャックはさらに説明を続ける。

「けどよ。もし、最初から俺たちが崖下の端っこあたりを目指して歩いていたらどうなるよ? たとえば、今みたいに南端によ」

「そ、それは……」

「すくなくとも、この場所から見て北側である左手には、かならず石像があるはずだぜ。当然、石像を探すっつうんでパーティを分ける必要なんてない。せいぜい、お互いに見える範囲に分散して、探索しながら北上していくってぐらいなもんだ。これなら、だれかに何かがあってもすぐに周りのヤツが駆けつけることができるし、石像を発見したら、すぐに全員が集まれる。敵を呼び寄せる心配もない。もっと言えば、眼を分けるわけでもないから、目的のものを見逃す可能性もより小さくなる。どうよ?」

 勝ち誇り、見下すように俺に確認してくるわけで……

「じゃ、ジャックが。あのジャックが、初めて頼りになる人間に見えるなんて……」

「だな。これほど頼り甲斐があるジャックなんて貴重だな」

 俺たちの話を耳にしていたマリーもロムスも驚いている様子だった。

「おうおう。いいね。もっと言ってくれ。もっと賞賛してくれ」

 ふんぞり返って、うれしげに顔を緩ませているのだが、

「普段からこうだったらいいのに」

「そうだな。いつものジャックはおバカだから」

「って、お前ら! それでも、友達かよ!」

 涙目で抗議しているし。

「すごいのね。見直しちゃったわ」

 最後にマヤが感心した顔でジャックに声をかけて来たものだから、途端にだらしない笑顔が広がっていて、正直、眼も当てられない。

「そ、そうだろ。な? 俺ってすごいだろ?」

「ええ、そうね。すごいわ。立派ね」

「だろ? あははは」

 一通り讃嘆し終え、もうそれで気が済んだのか、マヤはさっさと俺たちに振り返っている。

「それじゃあ、さっきジャックが言ったように石像を探しましょうか? たぶん、大体これぐらいの子供の背丈ぐらいの大きさだと思うの」

 自分の腰ぐらいの高さを示すのだけど、

「あははは、そうか、俺に感心しちゃったんだ。そうか、そうか。な、なら、いや、も、もし、よかったら、まだ、き、決まった相手がいないのだったら、お、俺と……」

 その背後では、俺たちに背を向けて、頭を掻いているリーデン一家の跡取り息子がいて。

 いや、ジャック。マヤはすでに聞いていないのだけどな。

 ふ、不憫な……



 俺たちは右手に崖を見ながら、お互いを視界に納める間隔で左右に広がり、森の中を歩調を合わせて北上していく。

 一番崖に近い場所をロムスが担当し、俺、マリー、マヤ、一番西側をジャックが担当している。

 時々、背の高い木々の上が暗くなり、『ギャァアアアーーーー』という不吉な轟音が降ってくるが、どうやら本当にあの羽トカゲたちは森の中にまでは下りて来られないようだった。

 ロムスが進んでいる向こう、さらにその先の崖との間では、森が途切れて岩がゴロゴロと転がっており、太陽の明かりが燦々と降り注いでいるのだが、そこにも動くものの姿はなかった。

 そうして、俺たちは黙々と足元に眼を凝らして歩く。マヤが探しているという石像がないかどうか見逃さないように気を抜かない。

 もちろん可能性としては、倒木の下敷きになっていたり、下草に覆われていて見えなくなっていたり、あるいはコケが全体を覆い、判別が付きにくくなっていることも考えられた。

 だから、怪しい場所が見つかれば、それを皆に報告しあい、全員で協力して倒木を除け、下草をかき分け、そして、コケを剥がした。だが、それでも、なかなか目的の石像を見つけることはできない。

 やがて、昼が過ぎ、遅々としたスピードでもなんとか崖の幅三分の二ぐらいまで来た時だった。

「おいっ、もしかしたら、あれじゃないのか?」

 突然、右手からロムスの太い声が聞こえてきた。

「なにか見つけたのか?」

「ああ、多分、あれが目的の石像だと思う」

 やけに確信ありげに言うところを見ると、何かの下敷きにも何かで覆われて見えなくなっているってわけでもないようだ。

「ロムスがなにか見つけたみたいだ」

 俺は左手を進むマリーへ声をかけて、ロムスの下へ向かう。

 ロムスが立ち止り、眼を凝らしている場所へ向かうと、森の切れ目からなぜか崖の方を向いている。

「どこだ?」

「ああ、あそこだ」

 そうして、指さした先は崖の直下で。

 森の切れ目から二十歩ほど離れた場所に、たしかに石像のようなものが立っている。

 もちろん、そこは木々が生えておらず、開けていて、そして、そのすぐ後ろの崖のはるか上方では、今まさに巨大な羽トカゲがその巣から羽ばたこうとしていて……

 呆然と見上げているとジャックたちも集まってくる。

「おい、どこだ? どこにあった?」

「あそこだ」

 ロムスが指さす先を見、全員が黙り込んでしまった。

「ここで夜を待つしかないな……」

「はぁ? なに言ってんだよ。お宝を目の前にしてよ」

「お前こそ、なに言ってんだよ。あれが見えないのかよ?」

「フンッ。あんなもん」

 口では強がってはいても、足がブルブル震えている。

「やめとけ、無駄な冒険はするな」

「けどよ。こんなところでぼやぼやしてたら、夜になってジェミンの奴らが気が 変わって追ってこねぇともかぎらねぇんだぜ」

「そ、それはそうだが」

「だ、大丈夫さ。俺には、なにしろ、こいつがあるからな」

 そう言って、ジャックが懐から取り出したものは…… 真っ白な石。つい最近まで身近に見ていたあのデルチの幸運石。

「お、お前……」

「へへへ、おっさんの眼をちょっと盗んでな。あのおっさん、人の好さそうな顔して相当な食わせもんだぜ」

 そうして、その手のひら大の大きさの白い石を真上に放り投げ、落ちてきたところを受け止める。

「なにがデルチの幸運石だってんだ。知ってるか? 幸運石ってのはな、真黒なんだぜ」

「そ、そうなのか?」

「ああ、親父が一つ持ってっからな。こいつはニセモンだぜ」

「にせもの……」

「こいつは幸運石どころか、もっと値の張る代物なんだぜ」

「えっ?」

 そうして、ジャックはにやりと笑う。

「こいつ一つで馬車付きで馬四頭買ってもおつりがくらぁ」

「……」

「実は、こいつは銀の鉱石だぜ、間違いなく。それもとんでもなく純度が高いな」

「銀……」

 改めて、ジャックの手元を見つめるが、とても銀には見えない。銀のようにピカピカ光っているわけでもない。ただの表面がざらついた白い石だ。

「銀? これが?」

「ああ。俺たち、おっさんの案内で精錬所にいただろ?」

「ああ」

「そのとき、中で何やってたかお前らのぞいて見たのかよ?」

「えっ? い、いや、俺たちは外で荷馬車から石を運んでいたから……」

「へへへ、見ておくんだったな。惜しいことしたな。まさにあの時、中で精錬所の奴らがこいつを炉で溶かして、不純物を飛ばして、銀をとりだしてたんだぜ。なんのことはない、あのおっさん、本当は銀の密輸業者だ。銀を密輸してお前らみたいのからの徴税を免れてやがったんだぜ」

「……っ!」

 衝撃の事実が……

 これまで、親父の下で様々な脱税の手口を教わり、実際にそのいくつかの現場の捜索に立ち会ったりしてきたが、正直、そんな方法があるなんて気が付きもしなかった。

 脱税といえば、だれもが銀貨や金の延べ棒なんかを土に埋めたり、秘密の金庫に保管したりっていうものばかりだったのに……

 今まで考えたこともない手法だった。

 銀に別の物質を混ぜて溶かしこんで、なんの変哲もないこの石を作り出し、運び、それを安全な別の場所で溶かし直して、銀だけを分離する。そうすることで、税金の徴収を免れるっていう手法だ。

「そ、そんなことが……」

「その顔は、初めて聞いたって様子だな。ああ、正直、俺も炉から銀が出てきたところを見た時には驚いたぜ。びっくりして潜んでいるところを精錬所のやつらに見つかりそうになったぜ」

「……」

 驚いて、声も出せなかった。だが、今は、そんな場合ではなく。

「って、それよりも、純度の高い銀はデルチの幸運石よりもさらに高い開運効果をもっているって知ってるよな?」

 もちろん、即座にマリーは首肯する。

「だから、これを持っている俺は今はめちゃめちゃ幸運に恵まれているのさ」

 そうして、その白い石を懐へしまい直し、ジャックは気合を入れるように自分の胸の前で両手を二度合わせた。

「よし、行ってくるぜ! そこで幸運を祈っててくれ!」

「お、おいっ!」

 俺たちが心配して見守る中を、ジャックが明るい日差しの中へ身を躍らせる。そのまま、飛び跳ねるようにして、崖下の石像へ向かって突き進んでいく。だが、

 ギィヤァアアアアーーーー!

 直後に轟音とともに黒い影がジャックの体ごと地面を覆う。強烈な風が吹き降ろしてくる。昨日のあのマリーの魔法なんてまだまだ可愛いぐらいの風量だ。

 大量のホコリが舞い上がり、思わず顔をそむけるが、慌てて視線を戻すと、ジャックの姿はそこにはなく……

 ジャック……

「なんとか無事に石像までたどり着いたな」

 冷静に一部始終を見ていたロムスが俺の隣でつぶやいている。

「えっ?」

 見ると、さらに先、すでに石像の隣にジャックがたどり着いていたのだった。

「やった。やったよ。ジャックのヤツ、やりやがった!」

 そんな俺たちの様子をさっきから黙って観ていたマヤが一言つぶやくのだった。

「そりゃそうに決まっているじゃない。私たち、あの石像の中に隠されている魔物除けのお守りを取りに来たのだもの。効力がまだ残っていたなら、羽トカゲ程度のモンスターなんて近寄れるわけは最初からなかったわ」

「……えっ?」

 そうして、お気楽なのんびりとした足取りで森から出、日差しをたっぷり浴びている石像の下へ歩いて行くのだった。

「ありがとうね。あなたのおかげで、まだこの魔物除けのお守りが効力を持っているのがわかって安心したわ」

 唖然としている俺たちが見守る中、石像の背中に回り込んで、背後に開いていた穴から平たくて丸いものを取り出すのだった。

 それを俺たちにも見えるように掲げて見せて、

「やっと手に入れたわ。魔物除けのお守り。さあ、いよいよ行くわよ。最後の目的地へ。魔龍の塔へ。待ってなさい、リタ!」



 なんのことはない。古代の森にオオカミのような凶暴な動物しかおらず、どこにでもいるような魔物やモンスターが湧かなかったのはこのマヤが手に入れた強力なお守りのおかげだったのだ。

 あまりに強力すぎて、森の中に魔物たちが近寄ることすらもできなかったらしい。もちろん、羽トカゲも。自分たちの足元をうまそうな人間たちが無防備でうろうろしていても、そのお守りのおかげで一定距離より下まで下りてくることができなかったのだ。

 もし、それでも下りようとすると、たちまちその体内の魔力が虚空へ撥ね飛ばされ、その姿を維持することも難しくなるのだという。

 そして、最後にマヤが言っていた最終目的地とは……

「な、なんで魔龍の塔?」

「私は、その塔の最上階に用事があるのよ」

「し、しかし、あそこは、中に大量のモンスターが湧いていて……」

「そうよ。だから、これが必要だったのよ」

「……」

「これがあれば、中でモンスターたちと戦わなくても最上階にたどり着くことができるわ」



 魔龍の塔というのは、オリューエの街のすぐ南を東西に流れるオリューエ河をさかのぼった先にある尖塔のことだ。

 この国が興る前のさらに何百年も前からそこに建っていて、内部に大量の魔物が湧いているといわれている。当然、モンスターを退治して一攫千金を狙う冒険者でもない限り、近寄るものなどだれもいない、そんな建物だった。

 もっとも、そんな冒険者たちでさえも、下層のフロアで引き返して来ればともかく、そうでなければ必ず内部で全滅し、二度と彼らの姿を見るものなどないといわれているのだが。

 その塔の最上階に住むといわれているのが、塔の名前の由来となっている魔龍だ。王家の守護者たる聖龍ともされていて、建国伝説によると、このドラゴンに導かれて、今の場所に王都が拓かれたとされている。

 だというのに、なぜマヤは魔龍の塔の最上階に行こうとしているのだ? それに、リタとは?

 いろいろと、分からないことも多かったが、とりあえず、説明は後にして、俺たちはその場を離れることにした。



 俺たちは、羽トカゲの襲撃を恐れることなく、昼のうちにチェッレの町に戻った。

 もちろん、真昼間の無人の街道を行く俺たちを見つけ、何回も羽トカゲたちが上空から襲ってきた。だが、そのたびに見えない壁にでもぶち当たったかのように、一定の距離より下には降りてこなかった。

 そんな俺たちを町に迎え、町の人たちは気味悪そうに遠巻きにするばかりで、だれも話しかけようとはしてこない。むしろ、一刻でも早く俺たちを町から追い出したそうな様子だった。

 まあ、その手の扱いはオリューエの街にいたときから散々慣れていたわけだから、それほど気にもならなかったのだが。

 それでもチェッレの町で一晩を過ごし、早朝、俺たちは出発した。

 昇り始めた朝日の中を北へ去っていく俺たちを見送る町の人たちの顔には、露骨にホッとした表情が浮かんでいた。

 チェッレの町へ来るときには、キャラバン隊に加わっての旅程で、荷馬車の進む速度に合わせて俺たちが移動してきたわけだが、帰りは完全に人間の歩く速度だ。ただ、キャラバン隊では、途中に立ち寄る町々のそれぞれで、合流したり離脱したりする荷馬車があって、そのたびに隊列を再編し直す必要もあり、最低でも各町には半日ほど滞在するのが常だった。

 けれど、同じ道のりを逆にたどる俺たちは、途中の町に寄っても、食事や宿泊のために足を止める程度。ときには、町そのものを素通りすることも多く、結局、行きの半分ほどの日数でオリューエの渡し場まで戻ってくることができた。

 とはいえ、

「ねぇ、ホント噂って広まるの早いわねぇ」

 オリューエ河を遡る帆船の出発を待つ間、船べりにもたれかかり、遠くにオリューエの街の城壁を眺めながらマリーが呆れた様にこぼす。

 そう、真昼間にチェッレの町へ全くの無傷で入ってきた五人組の噂は、通り過ぎる町、通り過ぎる町、すべてで広まっていたのだった。

 しかも、その人相風体までも詳細に。

 もっとも、まるでだれもがその場面を見てきたかのように語っているにもかかわらず、人々が噂話の中で描き出すその姿は、山賊のような格好のいかつい体型の三人の大男たちと娼婦のような妖しい雰囲気をまき散らす二人の女なんて内容に変っていて。

 ロムスやマヤならともかく、俺やジャックやマリーは……

 まあ、そのおかげもあって、オリューエの街に近づけば近づくほど、噂の本人たちであるはずの俺たち自身は全然注目されなくなっていったのでそれはそれでよかったのだが。

 ともあれ、そんな感じで、オリューエの街に入ることなく、今度は魔龍の塔を目指して、オリューエ河を遡る船旅がこれから始まるのだった。



 出航の時間となり、船員たちが慌ただしく甲板の上をかけずりまわる中、俺たち五人は邪魔にならないよう隅の船べりからオリューエ側の川岸を眺めつつ、次第に遠く小さくなっていく城壁や尖塔を眺めやっていった。

 川岸には、そうして去っていく船に手を振る子供たちがおり、それらに俺たちは手を振り返す。そんな様子を一緒に乗り合わせた他の乗客たちや川岸の大人たちが微笑ましく眺めていた。

 出航して、オリューエの街の姿も見えなくなったころ、

「なぁ……? 桟橋になんであいつらが……」

 ジャックが盛んに首をひねりながら、俺に何かを質問しようとしたのだが、俺が口を開くよりも先に、

「いや、やっぱいいや。人違いだろうし」



 魔龍の塔を目指す船旅は天候にも風にも恵まれ、大したトラブルもなく順調に進んでいく。

 途中、河イルカの群れが船の周りを泳ぎ回ったり、河漁師たちが小舟から網を打つのを眺めたりした。そんな光景を目にするたびに、船に乗り合わせた女や子供たちはキャッキャと楽しげな歓声をあげるのだった。

 一方、男性陣はというと、ロムスのように日がな一日剣の手入れをしていたり、ジャックのように乗り合わせた他の乗客たちや手の空いた船員たちと賭けごとに夢中になっていたり。

 俺はというと、ヒマそうなそこらの乗客や船員たちを捕まえては、彼らがこれまで旅した先で耳にした各地のいろいろな珍しい話を聞き出しては時間を過ごしていた。

 おかげで、西の海上のさらにその先、世界のヘリのすぐ手前に幻の大陸が存在しているだとか、今、世界で一番胸のデカい女は北国の女王で、半年ほど前親善訪問で俺たちの国を訪れたことがあるだとか、この王国にはどこかに民にも秘密にされた王族専用の隠し倉庫があるだとか、最近、中央大神殿の奇跡の力をもつ大司祭が神殿の奥に引きこもっていて、国の祭祀が滞っているだとか、真偽もあやふやな雑多な知識が蓄積されたのだが。

 オリューエの港を出発してから、数日の間に、河沿いにあるいくつかの港に寄港し、やがて遠くに目的の魔龍の塔の最寄り町、カルンが見えてきた。

 城壁もない小さな町。小さな桟橋に船がつくと、この町で下船したのは俺たち五人の他に数人だけだったようだ。

 船旅の間、ほとんどの乗客たちと顔見知りになったのだが、中には船室に閉じこもって、全然他の乗客と交流しないものも何人かいた。俺たちと一緒に下船したのは、そういう客ばかりだったようだ。その上、船を下りるときですら、俺たちと顔を合わそうともしなかったし。

 船旅の間に仲良くなった船員や他の乗客たちに別れを告げ、俺たちは桟橋を後にする。

 町中の一つしかない食堂でいろいろ聞き込みをしたのだが、町の人たちはだれもが俺たちが塔を目指していると知ると、心配げに引き止めようとするのだった。

 今まで、何人もの大陸中に名の轟いた冒険者たちが挑戦したというが、だれひとりとして塔から戻ってきたものはいないという。それなのに、俺たちのような子供が遊び半分に挑戦するなんて、命を粗末にするようなものだとさえいう。

 中には、心配のあまり、剣を片手に俺たちを押しとどめようとするものまで現れたのだが、それでも、俺たちは塔を目指すのをあきらめたりはしなかった。

 理由ははっきりとは言わなかったが、マヤがどうしても行きたいと言い続けたのだ。もちろん、俺たちも散々やめた方がいいと古代の森から説得をつづけてきた。だが、なにか事情を知っているのか、ロムスもなにも言わないので、結局、マヤの意思に引きずられるように、俺たちも付き合うことに覚悟を決めたのだった。

 そうして、押し切るようにして塔への向かう道を聞き出し、カルンの町を後にした。



 塔は、カルンの町から一昼夜歩いた先の丘の上にそびえていた。

 丘のふもとには、古代の森よりもさらに鬱蒼とした森が広がっており、満足な道もなく、獣道をたどって半日かかってようやく森を抜けることができた。

 森を抜けると、塔が建っている丘一帯には草原が広がっており、常に塔に向かって周囲の森から強い風が吹き付けている。

 緩やかな草原の丘を登り、俺たちは塔の足元に立った。目の前には塔の入口。扉が壊れていて、外れかけたドアの向こうに内部の暗闇がうかがえる。見上げると、雲にまで届きそうな高さの細長い尖塔。途中何か所かでゴツゴツとしたでっぱりがあり、見通しの妨げになっていて、ここからでは先端部分を確認することができない。

 風が常に吹き付けているせいか、それともこれから始まる危険な冒険の予感のせいか不意に肌寒く感じる。

「ついたな」

「ついたわね」

「ああ」

「だな」

「……」

 俺たちは言葉少なにそれぞれに塔を見上げている。そこへまた強い風が吹き付け、マヤの髪の毛をもてあそぶ。マヤは気になるのか、片手で髪を押さえ、風下に向けて体の向きを変えた。その動きを横目にして、俺たちは気を取り直した。

「じゃ、まずは……」

 全員の視線が俺に集まる。だれもが俺の次の言葉を待って唾を飲み込んでいる。

 そう、これから俺が言う一言が、危険な冒険の始まりの合図になるのだから。

 だから、俺は持てる勇気をかき集めて、こう宣言するのだった。

「塔の周りを一周してみるか」

「だな。行くか。……って、おい! 中に入るんじゃねぇのかよ。そっちかよ!」


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