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第三章 潜入・捜索

 深夜、俺たちは東地区へ渡る橋のたもとに集まっていた。

 俺とジャックとロムスとマリー、それにマヤも。全員、黒づくめの衣装を着こみ、覆面をして顔を隠している。

「本当にアラセル一家の方には連絡がついているんだろうな?」

「ああ、大丈夫だ。親父を通して連絡はしてある。あっち側で、誰か案内の人間が待っているはずだ」

「で、エドの方は? 例の商人の家の間取り図は手に入っているのか?」

「ああ、ちゃんとここにあるぜ」

 俺が胸ポケットをたたくと、五人はお互いにうなずき合った。

「そろそろ行こうか。いい加減、あちらさんも待ちくたびれているころだろうしよ」

「ああ」



 あの後、俺とロムスの会話を盗み聞いていたジャックとマリーを含め、四人でザイン大公の日記を持っているという商人の家に忍び込む相談をしたのだ。

 もちろん、それは犯罪行為である。俺たちはもちろんのこと、とくにジャックのような南地区の盗賊団の関係者が、本来の縄張りじゃない東地区の商家へアラセル一家に断りなく侵入したりすると、あとあと面倒なことになってしまう恐れがあった。

 だから、午後の間にアラセル一家側にあらかじめ侵入計画を通告しておき、また、東地区の徴税吏を通じて、問題の商家の間取り図を手に入れておいたのだ(課税の都合上、地区内すべての家・屋敷の敷地面積や建物の簡単な間取りを把握しておく必要があるので、どの徴税吏の家にも、そういったものが一通り蔵などに保管されているのだ)。

 今回は、商家に侵入し、日記を探し出し、それを盗み読むことだけが目的で、なにも盗み出す必要はない。なので、余程ひどいしくじりをしでかさないかぎりは、俺たちのしようとしていることが発覚することはないだろう。

 それでも、念には念を入れて、避けられるリスクなら避けておく方がいいに決まっているのだ。



「で、どこにいるのよ? そのアラセルの案内人って?」

 東地区側へ橋を渡り終え、キョロキョロ周囲を見回していたマリーがそう不満げにつぶやいた途端だった。

 突然、橋のたもとにどこからともなく黒づくめの人影が現れる。

「お前らがリーデンから連絡のあった賊か?」

「キャッ!」

「マリー、静かに。そうだ」

 ジャックが代表して返事をする。って、けど、この声はたしか……

 思わず、ジャックの袖を引いてしまったのだが、邪険にふり払われてしまった。

「しっ、黙ってろ。お前らは声を出すな」

 鋭く小声で命じてくるので、それ以上反論もできず。

――って、このアラセルから来たって男は、絶対、ジェミンだよな。昨日、ロムスたちを襲おうとした。俺たちと同じように顔を隠してはいるが声でわかる。

 心持ち、マヤがロムスの背後に隠れるように移動した。どうやらマヤも気が付いたのだろう。

 ロムスはそんなマヤを守るように、悠然と腕組みして立ってはいるが、覆面からもれる眼光がいつにもまして鋭い。

「しかし、なんだお前ら、もしかして女連れか? これから忍び働きしようってのによ。本気かよ?」

「まあ、そのことは気にするな。こちらにもこちらの事情ってもんがあるのでな」

 いつもとは違う作った声でジャックが返事をしている。途端に、なぜかマリーが俺の脇腹を突っついてきて、

「くっくっくっ…… ジャックが、ジャックが…… くっくっくっ」

 必死に笑いをこらえているし。

 まあ、いつもいい加減で能天気なヤツが急に聞き慣れない真剣な大人びた声をだしているんだもんな。こいつのツボに入るのも、し、仕方ないか。くくく。

「ん? どうした? しかも、そっちの二人、急病か?」

「いや、こいつらのことは気にするな」

 そうして、俺たちはジャックに思いっきりつま先を踏んづけられるのだった。

 っぅ~ くくく……



 ジェミンと合流した俺たちは、誰にも見られないように影伝いに目的の商家まで走っていく。できるだけ足音を消し、物陰に潜んで息を殺す。

 深夜でもあり、通りがかる人もおらず、だれにも見つからずに目的地までたどり着くことができた。

「で、どこから侵入するんだ? 計画はあるのか?」

「ああ、裏の木戸からだ」

「裏の木戸? 中から鍵が掛けられているだろう?」

「ふっ、まあ、俺たちに任せておけ」

 そうして、商家の裏手に回って木塀に張り付く。木戸はすぐに見つかったのだが、やはりジェミンの心配通り鍵がかかっていた。

「よし、お前たち、ここで待ってろ。行ってくる」

 そう一言言い残して、ジャックが塀に飛びつき、乗り越えていく。相変わらず大した身のこなしだ。到底、俺では真似できない。ま、真似する気もないけど。

「ほお。大した腕だな」

 ジェミンもジャックが塀の向こう側へ軽々と消えていった方を見上げながら感心している。

 すぐに中から木戸が開いた。

「いいぞ、誰もいない」

 そうして、俺たちは開いた木戸からぞろぞろと中へ入っていくのだった。



 木戸は井戸のある小さな庭につながっており、足音を立てずにそれを横切って、俺たちは商家の建物にへばりつくようにして立ちどまった。すぐそばには蔵の入口に通じる背後の建物と商人の生活空間である奥の建物をつなぐ渡り廊下がある。

「エド、間取り図を」

 間取り図をポケットから取り出して、ジャックに渡す。しばらく眺めた後、

「あっちだな」

 その指差す先は奥の建物の方向だった。大事なものをしまうなら、当然、蔵だろう。なのに、ジャックはその反対の方向を指さしている。

「おい、蔵はあっちだぞ?」

 慌てて小声で蔵の入口がある反対側を示した。さっき渡した間取り図でも確認できるが、ジャックの指差す奥の建物には、この家の商人一家の居室しかないはずだ。

「ああ、いいんだ、こっちで」

「け、けど……」

 俺は返してもらった間取り図を再度確認した。

 ジャックの指差した奥の建物は、L字型に曲がったどこも同じ幅の廊下を中心に四つの正方形の部屋を配した平屋の正方形の建物だった。各部屋は必ず廊下に面していて、そこにドアが切られている。

――なぜ、こっちなんだ?

 首をひねっていると、その時、傍の渡り廊下に明かりを手にした女中が通りかかった。夜の見回りだろうか。盛んにあくびを連発している。

 けど、このままじゃ、軒下に隠れている俺たちがその明かりに照らされ、見つかってしまうだろう。

「マリー」

 隣で無造作にうなずく気配がする。俺の耳はさっきからずっと何か呪文のようなものをブツブツ呟いているのを拾っていた。

 次の瞬間、マリーの手の中にかすかな光が現れ、すぐに膨張し、俺たち六人を包み込むように広がっていった。その途端、お互いの姿が少しかすんで見えだす。

 マリーの魔法だ。俺たち自身はお互いにかすんで見えるだけだが、外部から見ると、まったく姿が見えなくなっているはずだ。

 子供のころから、何度もマリーの魔法に接してきただけに、俺たちにとってはすでに馴染みになっているのだが、今は、そういった魔法には馴染みがなさそうな人間が二人いる。

「大丈夫です。じっとしていれば見つかりません」

 ロムスがマヤにそっと話しかけている。なのに、マヤの方はというと、

「姿の消える魔法ね。久しぶりだわ。子供の時、よく従弟たちと消えるマントで大人たちに悪戯をしたものよ」

 平然とそんなことを言うし。

 ってことは、マヤは子供のころから魔法や魔道具を身近に親しめる環境にあったということか……

 一方、そんな経験なんておそらく一度もないヤツがここにはいて。

「な、なんだよ。なんでこんなところに突っ立ってやがるんだ! 早く逃げないと見つかっちまうぞ!」

 慌てて逃げ出そうとするのを、ジャックが背後から羽交い絞めにして押さえている。

「大丈夫だ。俺たちを信じろ」

「け、けどよ……」

 そこで、ようやく口を閉じた。これ以上騒ぐと、すぐ前を通る女中の耳に声を拾われてしまいかねない。いよいよ眠そうな顔の女中が俺たちの正面に差し掛かる。

 手の中の明かりが、俺たちの姿を順番に浮かび上がらせる。すぐそば、ちょっと手を伸ばせば女中の肩にも触れられそうな距離だ。だというのに。その女中は俺たちに気が付きもせず、何度も口を手で押さえてあくびをかみ殺しているばかりだった。

 ついには俺たちの前を通り過ぎて行った。最後まで、すぐそばに立っていた俺たちに気が付くことはなかった。



「ど、どうなってんだよ。なんで、あの女、俺たちに気が付かなかったんだよ?」

「ああ、まあ、ちょっとな」

「ありえねぇぞ。息がかかりそうなぐらい近くを通って行ったんだぞ」

「ふふふ……」

 そこで、ようやく一つの可能性に思い至ったみたいで。

「はっ、ま、まさか……?」

 そうして、俺のことを目を丸くして見つめてくる。

「お、お前、もしかして、魔術師なのか?」

――って、なんでだよ!

 ジャックとロムスとマリーからは失笑をかみ殺した気配がしていた。



 その後からは、ジェミンは、俺のことを警戒して、一定程度以上には近寄ろうとはしてこない。その上、かならずジャックとマリーを間に挟むようにしている。

 まあ、俺としても、男にすり寄られてもうれしくはないからいいのだけど。

 けど、俺がなにか動作を一つするたびに、一々怯えて身をすくめたりするのは、正直、うざったいというか、ばかばかしいというか。

――はぁ~ たとえ、俺が魔術師だったとしても、ジェミン相手に悪さなんかを仕掛けるわけないだろうに。なにか仕掛けられるほどの価値が自分にはあるとでも思っているのだろうか?

 一方で、俺たちの中の本物の魔術師というか、魔女のマリーはそんな様子を面白がって眺めているばかりで。

――いい加減、自分こそが魔術師だと名乗り出てくれよな。ったく!

 まあ、普段から、街の人たちに同じような態度を取られているだけに、自分以外の人間がそんな目にあっているのが、新鮮なんだろうな。正直、その気持ち分からなくはない。



 俺たちは、そのまま渡り廊下から建物の中へ入り込んで、奥の商人の寝室を目指した。

――って、蔵からどんどん遠ざかっているんだけど? 本当にいいのか、これで?

 何度か、用を足しに起き出してきた様子の寝ぼけ顔の女や子供たちとすれ違ったりしたが、マリーの姿を消す魔法のおかげで発見されることもなく、俺たちは何事もなく商人の寝室のドアの前にたどり着くことができた。

「ここか」

「本当にここでいいのか? 蔵、あっちだぞ?」

「ああ、ここでいい」

 妙にジャックが自信満々なのだが?

 その態度に、俺たちは首をひねりつつもそのジャックの意見に強く異を唱えるわけでもなくついていく。

――けど、なんでここなんだ? ここは商人の寝室しかないはずなのに?

 あれこれ思考をめぐらし、いくつかの仮説を検討していると、ドアに耳を当て内部の物音を探っていたジャックが俺たちを見回す。

「だれもいなさそうだ」

 そうして、ノブに手をかけ、音も立てずにドアを開けるのだった。

 カギはかかっておらず、簡単に開いたドアから中をのぞくと真っ暗だった。ジャックの言葉通り、やはりだれもいないようだ。

 この部屋の主である商人は、まだ起きていて仕事をしているのだろう。

 俺たちは足音を殺しながら中に忍び入る。

 ほとんど明かりのない薄暗い中を移動してきた俺たち。すぐに部屋の暗さに順応して、内部の様子がぼんやり見えてくる。

 中庭に面した側に窓があり、カーテンが引かれていて、外からのかすかな光すらも入ってはこない。その窓の下には、豪華な刺繍が施されたカバーがかかったベッドがあり、部屋の中央にはゆったりとした椅子とサイドテーブルがあり、奥に帳簿類がぎっしりと詰まった棚がある。

 ジャックは迷わずその棚の前へ移動し、仔細に観察し始めた。

「帳簿の間にでも日記があるのか?」

「フンッ、軽口言ってないで黙って見てな」

 すぐに何かを見つけたのか、棚の帳簿の一つに手を伸ばす。そして、その帳簿をぐいっと奥へ押し込んだ。

 次の瞬間、棚の奥でかすかな震動音がしたかと思うと、棚の脇の壁にぽっかりと穴が開く。隠し部屋だった。

「どうよ」

 得意げな声でジャックは俺たちを振り返るのだった。



 マリーの放った魔法の光球の明かりに照らし出された隠し部屋の中には、さまざまな豪華な品物が隠されていた。

 何枚もの金貨がテーブルの上に積み上げられ、高価そうな絵が俺たちを迎える。踏み出した足がくるぶしまで埋もれるぐらい毛足の長い東方の絨毯が床に敷き詰められ、北方の色とりどりのタペストリーが壁を埋めている。

 そして、そういった中に目的の日記があったのだ。

 部屋の隅、小さな本棚の中にいくつもの貴重な歴史書がしまわれていて、その中にザイン大公の日記が交ざっていた。

 おそらく、この家の主人は歴史好きなのだろう。俺たちの国の貴重な一級品の資料だけでなく、近隣諸国の今は失われた文献などが揃っているようなのだ。

 ま、俺はそういったことに特に詳しいわけじゃなく、本棚の中をのぞいたマヤがそう言っていたことの受け売りなんだけどな。

 マヤは本棚の中から一冊の帳面を取り出すと、近くの半ば金貨に埋もれたテーブルの上にそれを広げた。それがザイン大公の日記だった。

 古い日記で、表紙はすでにボロボロ、あちこちすり切れてさえいる。それでも中身は比較的良好な状態のようで、白い紙面に黒々としたインクが目を引く。

 マヤはすばやくページをめくり、ある日付の記述に目を通す。今から百二十年ほど前の日付。そのページを開くと、懐から四つ折りにした古茶けた紙を取り出して、その記述の上に広げた。その紙にはところどころ虫食い穴が開いていて、そこから下の文字が読み取れるようだ。

「なにそれ?」

「しっ、静かに」

 叱られた。すかさずジャックが俺の脇腹をつついてくる。茶化しているのだろう。

――ったく! こどもかっ?

 何度か、紙の向きをいろいろ変えていたマヤだったが、やがて、覆面に覆われた口元から、

「……羽トカゲ……崖下……森……石像……」

 なんていう言葉が途切れ途切れに漏れてきた。虫食い穴からのぞく単語を読み上げているのだろうか。

 しばらくのち、マヤが顔を上げる。

「もういいわ。用事が済みました」

「えっ? もういいの?」

「ええ」

「そっか。じゃ、お前ら、全部元に戻して、速やかに撤収だ。アラセルの、懐に隠した金貨は置いて行けよ」

 ジェミンはきまり悪げに舌打ちすると、懐から金貨を出して元の場所に戻す。俺たちも動かしたものをすべて元に戻して外へ出た。



 俺たちは商人の寝室のドアから静かに廊下へ出る。

「なあ、なんで、ここに隠し部屋があるってわかったんだ?」

 ジャックがその質問をしたジェミンを振り返って、覆面からのぞく眼だけで笑う。

「それはリーデンの企業秘密だ」

「はぁ? なんでだよ? ここまで案内してやっただろ。教えろよ」

「そうよ。なんで奥の建物に隠し部屋があるってわかったのよ?」

 マリーも不思議そうに尋ねた。

「さあ、なんでだろうな。ふふふ」

「もう、なにさ。そんな態度だったら、次、だれかとすれ違うことになっても、アンタだけ隠してあげないんだからね」

「ふふふ。しゃーねぇな。ヒントぐらいならやるよ」

 そう言って、空中に正方形を描く。

「正方形の建物に四つの正方形の部屋とL字の廊下を詰め込んでみな」

 マリーたちは一生懸命に頭の中で考えているようだが、結局、降参というように手を上げる。つづいて、ジェミンも。

 その様子を見回し、ジャックは俺にウィンクしてきたのだった。

「エドは気が付いているみたいだな。一番最初に尋ねてきてもよさそうなもんなのによ」

「えっ? そうなの?」

「けっ、この魔術師めっ! 悪魔に食われろ!」

 俺は苦笑しつつも、小さくうなずいてみせた。

「家に帰ったら、紙でも切り抜いて、いろいろ試してみるといいさ。すぐにわかるから」

「うん、帰ったらやってみる」

「ちっ……」


 ま、もっとも、ジャックや俺は間取り図を見ながらだったので、一、四つの部屋がすべて廊下に面している。二、廊下の幅はすべて同じ。の二つの条件でこの正方形の平屋の建物の中に隠し部屋がどこかにあるだろうということがわかったけど、間取り図を見なくても、さらにもう一つ、廊下の幅よりも小さな部屋は存在しないという条件があれば、確実に隠し部屋が存在するといえるのだ。

 言い換えると、それら三つの条件のどれか一つでも外れれば、四つの正方形の部屋とL字型の廊下が大きな正方形の中にぴたりと納まる場合があるってことになる。

 たとえば、『田』の字に部屋が並んでいて、それらの左と下の辺に沿うようにL字の廊下があれば、正方形の建物になるが、その場合、『田』の字の右上の部屋は廊下に面しないことになる。

 あるいは、大小二つの『日』の字に部屋が並び、それらの間や小さい方の『日』に沿うようにL字の廊下があるとしても、正方形の建物になるが、その場合、L字の廊下の縦と横で幅が倍も違うのだ。

 他にも、四つの正方形とL字の組み合わせで大きな正方形が作れる場合があるが、それらの場合も三つの条件のどれかが十分には満たされることはないと言える。

 ま、詳しくは時間があるときにでも、ヒマつぶしに考えてみるといいかもな。



 さて、いよいよ廊下を引き返してきて、奥の建物から外へ出ようとした時だった。

 突然、なんの前触れもなく近くのドアが廊下側に勢いよく開いてきた。

 バタンッ!

 幸い俺たちは無事だったのだが、数人の人間がいれば、大抵、その中に運の悪い人間の一人か二人はいるもので…… 今回の場合、それはジェミンだった。眼の前で突然開いたドアに避ける間もなく真正面からぶつかってしまったのだ。

「げふっ!」

 間抜けな声をだして、ジェミンが鼻を抑えている。

 難を逃れることができた俺たちは、瞬時に立ち止り、マリーは即座に姿を消す魔法をかけた。この魔法では、その場で急激に動かず、ゆったりとした動作を心がければ、だれにも姿を見られないし、見つからないのだが。

「いってぇ~」

 ドアで強く打った鼻を押さえながらその場で急な動作で立ち上がってしまった男がいた。

 もちろん、部屋のドアが内側から開いたということは、今このとき、中から出てこようとしている人間がいるってことだ。

 当然、開いた途端、ドアにヘンな音と衝撃があって、さらに、直後にドアの向こう側で人声がしたのだから、その人物がドアの陰にだれがいるのか確かめようとするのは当たり前のことだった。

 そのドアの隙間から首を伸ばしてきた人影は、扉の陰に潜んでいた黒づくめにすぐに気が付いて、眼を見開いた。一旦、悲鳴を発するかのように口を大きく開いたのだが、

「フンガッ! アンタ、曲者ね。こっち来なさい!」

 直後に丸太のような太い腕でジェミンの胸倉をつかむと、軽々と自分の部屋の中へ引っ張り込んでしまった。

 やがて、ぴったりと閉じられたドアの向こうからは、

「まあ、アラセルさんところのバカ息子じゃない。ふふふ。ついに私の美貌に魅了されて夜這いを仕掛けてきたわね。なんてふしだらなの。ふふふ。いいわ。相手してあげる。こっち来なさい。今日は朝まで帰さないから」

 一瞬後に、ドアの向こうからは地獄の底から響いてくるような壮絶な吸引音がもれ聞こえてくるのだった。魂でも吸い出されているのだろうか? 何度も何度も。その合間には憐れな犠牲者の命絶え絶えがちな悲鳴とともに。

「えっと、今のなんだったんだ?」

「さ、さあ?」

「今のって男だよな?」

「あら? ネグリジェ着てたわよ」

「えっと……」



 この後は、もうそれ以上の不慮の事故は発生することなく、俺たちはそれぞれの自宅に無事帰り着いたのだった。

 だが、この話の半年ほどのち、俺たちは、東地区の盗賊団の頭の息子が盛大な結婚式を挙げたという噂を耳にすることになる。

 なんでも、お相手は東地区でも以前から噂になっていた豪傑小町と……

――うんうん、めでたし、めでたし。


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