第二章 あの子は何者?
俺たちはロムスたちと合流して、一緒にオリューエ東地区の中を歩いていく。幸い、もうジェミンみたいな連中と出くわすこともなく、神殿地区を抜けることができ、周囲の人通りも次第に増えてきた。
すれ違う人たちの穏やかな表情に囲まれるようになって、どこかみな弛緩した感じになっている。自覚はしていなかったが、やっぱり、さっきの緊迫した場面もあって心の中ではまだ緊張を強いられていたのだろう。
お互いの顔を見交わして、それぞれに苦笑を浮かべていた。
やがて、進む先に大きな屋敷が見えてきた。あれはたしか領主の別邸だ。
「私、今、あそこに住んでいるの」
「ほお。あんな屋敷に住み込みで働いているのか。大きいから掃除とかいろいろと大変そうだな」
隣でジャックが能天気にそんなことをつぶやいている。
たしかにデカい屋敷だ。働いている人間の立場でなら、ジャックの言う通りいろいろと大変だろうな。うん。
けど、彼女は『住んでいる』とは言ったが、『住み込んで働いている』とは言っていなかった。
ということは……
俺の思考を遮るようにマヤが告げてくる。
「ねぇ? あんたたち、私の部屋に寄っていく? お茶ぐらいなら出すわよ」
「お、いいの? ぜひ……」
たちまちジャックが前のめりになり、どさくさに紛れてマヤの手をつかんだりしている。ウンウンと首を何度も上下に振っている。って、がっつきすぎだ。
とはいえ、即座に俺はその襟首をつかみ、力いっぱいに引きはがした。
「あ、いいよ、いいよ。お茶はまた今度の機会にお願いするよ」
「な、なに、勝手に断ってるんだ、お前は! つっ!」
文句を言いたそうにしているジャックの足を思いっきり踏んづけて黙らせつつ、
「俺たち、これからまだ用事があるから、今日はこれでおいとまするよ」
「なっ、エドお前、勝手に! ……っ!」
「えっ? そうなの? じゃあ、これ以上、お引き止めしちゃ悪いわね。お茶はまた今度ね」
「ああ、また今度。ほら、ジャック、お前も」
俺に促されて、ジャックは未練たらたらの様子でマヤに別れの挨拶をした。
マヤとロムスは俺たちに小さく手を振って屋敷の敷地の中へ入っていった。ジャックは名残惜しそうに、ずっとその背を見送っている。
「ま、マヤちゃん……」
「ほら、ジャック、行くぞ!」
「なんでだよ。なんでさっきマヤちゃんからの誘いを勝手に断ったんだ。正気か、お前? 仲良くなるチャンスだったのによ」
「説明は後だ。走るぞ!」
「走る? なんで?」
「いいから、走れ!」
そうして、俺たちは一目散に通りを全力疾走するのだった。
「で、なんで俺たち逃げたんだ?」
背後を何度も振り返り、追手がないことを確かめてからようやく立ち止った。
「決まってんだろ。お前の中じゃ忘れてるかもしれんが、あの子は、俺が記憶を失う直前、一番最後に会った子なんだぞ」
「それが、なんだって…… あっ、まさか?」
ようやくジャックも気が付いたようだ。今頃になって顔色を青ざめさせている。
もし、あのままマヤたちについて領主の別邸の中に上がり込んでいたら、俺たちは捕まって、記憶を消されたかもしれないのだ。三日前の俺のように。
おそらく三日前に俺が道案内させられたのも、あの領主の別邸だったのだろう。市場からの距離的にみてほぼ当てはまる場所だ。
だから、あのまま、のこのことお茶をいただきに部屋へ行くなんて、やってはいけないことだ。とりあえず、マヤが住んでいる屋敷を確認だけしておいて、さっさと逃げ出すのがこの場合の正解にちがいないのだ。
「けど、マヤちゃん、かわいかったなぁ。胸がボンで、腰がキュッてしててよ。足細いし。肌白いし。エド、気づいてたかよ? あの子、俺を見るときだけ、すこし瞳がうるんでなかったか?」
「はぁ?」
「絶対そうだよ。俺のこと色っぽい目で見ててよ。絶対、俺に気があるよ。うん、間違いない」
えっと、あの態度のどこをどう見れば、そんな結論になるんだ?
俺には、終始、つんけんしていたように見えたんだが?
特にジャックのことは警戒していて、ずっと軽蔑の眼差しを向けつづけていたように感じられたのだが……
ジャックよ、お前、相当重症みたいだな。はぁ~
そんなことより、なんでマヤはあんな侍女の格好をして街の中を歩いていたんだ?
大体、最初にあったときには旅装していて一人だったし。それに、ロムスたちの態度も、なにかを隠しているように見えた。
まあ、あれだけの方向音痴じゃ、だれかが道案内につかなくちゃいけないのはわからなくもないが、それでもロムスじゃなくちゃいけない理由はない。というよりも、むしろ、あの屋敷の中ではオリューエ中の娘たちが普通に女中として働いているのだから、そういった娘たちの中から選ぶのがもっとも自然な選択だろう。
じゃ、一体なぜ?
ロムスは年こそ俺たちと同じ十六歳だが、あれでもすでにオリューエの街では五指に入るほどの実力を持った剣士。そんなヤツをわざわざ護衛役につけるなんて。たとえ領主の親戚だったとしてもありえない話だ。もしそんな人間を護衛としてつけるなら、むしろもっとずっと高貴な身分の……
いや、そんなことはあり得ないか。屋敷の人間たちの中で、たまたま手が空いていたのがロムスだけだったのかもしれない。それに、実際ジェミンたちと出会ってしまったように治安の悪い場所をどうしても通らなければいけない用事だってあったのかもしれないしな。
もしそうなら、ロムスは適任だったとも言えそうだが。
だが、隣のフィリップさんが言っていたように、記憶を吸い取るなんていう魔法は世界でもできる魔術師はまれ。
そこまで思考が展開されて、一つの可能性に突き当たる。
……
ま、まさか、彼女が?
いや、で、でも、たとえどんなに能力のある魔女だとしても魔女は所詮魔女だ。忌み嫌われる存在でこそあって、ロムスみたいにまるで高貴な女性ででもあるかのような態度で接する必要なんてなにもない。必要ないはずなんだけど、しかし……
まさか、な?
次の日の朝、俺は井戸端で顔を洗っていた。
冷たい水が心地よく肌を刺激し、すっきりと眼を覚まさせる。
「おはよう、エド」
タオルで顔を拭いていると、木戸の方からマリーが声をかけてきた。昨日の機嫌はすっかり良くなったようだ。穏やかな表情で木戸の脇に立っている。
「おはよう」
「昨日、ロムスに会ったんだって? あいつ元気にしてた?」
「ああ」
「もう半年になるんだね。ロムスが領主様に仕えるようになってからさ」
「もうそんなになるのか……」
「あのときのロムスすごかったよね。年に一度の剣術大会で初出場なのに大人たちを何人も倒して、三位だもんね」
「そうだな。それで領主の眼にとまったわけだしな」
「うん。小さいころからずっと一緒だったのにね、私たち」
「ああ」
マリーは遠い目をしている。子供のころを思い出しているのか。
たしかに、俺たちにとってロムスは誇りだった。
俺とマリーとジャックとロムス。俺たち四人は小さいころからいつも一緒だった。
俺の家も、マリーの家も、ジャックの家も、それぞれの家業のせいもあり、あまり街の人たちから好意を持たれてはいない。だから、それぞれの家の子供である俺たちは他の子供たちからも敬遠され、幼いときからずっと他の子供たちと一緒に遊ぶなんてことがほとんどなかった。そして、必然的に同じような境遇である俺たちはいつも一緒にいることが多かった。
だが、ロムスの家だけは違う。すでにかなり没落しているとはいえ何代もつづく名門騎士の家柄で、街の人からは敬意を示されることはあっても、避けられるなんてことはなかった。
なら、他の子供たちと一緒に遊んでいてもいいはずなのだが、ロムスはどういうわけかいつも嫌われ者の俺たちと一緒にいたがったのだ。
俺たちのなにをそんなに気に入っていたのだろうか?
正直、よくはわからない。ただ、いつも俺たち四人は一緒に過ごしていたし、この街で一緒に大きくなってきた。
「ねっ? それで、アンタ、記憶を失くす前に最後に会った女を見つけたんでしょ?」
「ああ、ロムスの連れだった」
「どうだったの? あのとき、なにがあったとか分かったの?」
「いや、全然。俺たち、ロムスたちと別れたあと、すぐに逃げてきたし」
「逃げてきた? なんで?」
素っ頓狂な声で訊くので、説明してやると、
「ああ、そうか。そうだよね」
納得した様子で、何度もうなずいている。と、
「けど、じゃあ、ロムスに尋ねれば、あの日なにがあったとか、分かるんじゃない?」
「ああ、多分な。けど、そのために俺やジャックがロムスに会いに行くってわけには行かないけどな」
「えっ? なんで?」
「あのマヤって子に顔知られてるし。のこのこ出かけて行ったら、また捕まってどんな目に会うか……」
そう腕組みしながらつぶやいていると、そばでずっと相槌を打ってくれているマリーの姿が眼にとまった。
「あ、そうだ、今度、マリーにロムスを呼び出すのを頼んでもいいか?」
「えっ? ……」
なぜか、マリーが俺の顔をじっと見つめてくる。不思議に思い、その眼を見返していると、次第に、目の前の顔に赤みが差してきた。
先に視線を外したのはマリーの方だった。
「う、うん……」
マリーはつぶやくように、そう小さく返事をする。
――ん? なんだったんだ、今の微妙な間は?
今感じたかすかな違和感に首をひねりつつ、感謝の笑顔をマリーに向ける。
「そっか、ありがとう。助かるわ」
そうして、首にかけたタオルで顔をごしごし拭いた。
「し、仕方ないわね。他ならぬ、あ、アンタが頼むんだし」
声を上ずらせながらマリーは隣家へ戻っていく。なぜか顔を綻ばせている。
――そんなうれしがるようなことなのか? どんだけロムスに会いたかったんだよ?
とはいえ、結局のところ、マリーはロムスを呼び出しに行くことはなかった。なぜなら、その日のうちにロムスの方が俺を訪ねてきたからだ。
我が家の家業は徴税吏だ。徴税吏というのは、領主から委託を受けて、街の人たちから税金を徴収する民間業者のこと。
それぞれの地区を担当する徴税吏は、毎年領主に納めるべき税額が決められていて、街の人たちから税金を集め、領主にそれを納めるのが仕事だ。だが、領主との契約で、その納入額以上の税金を徴収することが認められている。つまり、納める分との差額を自分たちの手元に残し、収入とすることができるってわけだ。
だから、ひどい徴税吏が担当している地区では、街の人たちから法で定められた限度額いっぱいまで税を徴収して多額の収入を得、あるいは地区内の商人たちから賄賂をとったりするのだが、俺の親父は違う。
地区の大商人からの賄賂の申し出はきっぱりと拒絶し、商売がうまくいっている商人たちには上限近くの税を課す一方で、貧しい住民たちから徴収する税の方は最低限に抑えるのだった。
当然、そんなことをすれば、我が家に入ってくる収入が少なくなるし、他の地区の徴税吏の家とは違って贅沢な暮らしができるわけじゃないのだが……
それでも、その親父の方針を俺は支持し、そして、それ以上に誇りにさえ思うのだ。
実際、オリューエの街をあちこち歩いてみるとすぐに感じとれることなのだが、評判の悪い徴税吏が担当する地区では、地区全体に今一つ活気がなく、住民たちもどこか元気がない。
税負担が重すぎて、人々の生活意欲を削いでいるようなのだ。
だが、俺たちの住む南地区では、どんなに貧しい住民たちでも明るい表情で通りを歩いているし、庶民の税負担が少ない分、物の売り買いが活発に行われ、却って、親父によって重税を課される大商人たちほど、他の地区の同業者たちよりも儲けているのが実情だった。
ま、もっとも、彼らに言わせれば、それは親父のおかげなんかではなく、自分たちの努力の賜物だとうそぶくのだが。
そういうわけで、俺は親父のことを尊敬し、その後をいずれ継いで徴税吏になるって目標をもち、日々研鑽にはげんでいる。
とはいえ、たとえどんなに街に貢献している徴税吏であろうとも、所詮は街の人たちから問答無用でお金を取り上げる存在であることに変わりはない。自分たちで稼いだわけでもない金で生活していている寄生虫みたいな存在と街の人たちから見られているのも事実だ。だから、その必然的な結果として、俺たち家族が、街の人たちから敬遠されるのは仕方のないことだった。
昼前、近所の商店へ税の徴収に出かけていた親父の戻りを待ちつつ、愛用の算盤を使って台帳を検算していると、お袋が戸口から声をかけてきた。めずらしい人が俺を訪ねてきたという。玄関に出てみると、立っていたのはロムスだった。
「よおっ」「おっす」
挨拶を交わし、そのまま家の中へ招き入れる。
「仕事の最中だったのか?」
「ああ、台帳の合計が間違ってないかの三回目の検算中だ」
「そっか。邪魔してすまない」
「ああ、いいって。別に。大体、前の二回もそうだけど、親父の計算が間違っていたことなんて一度だってないんだしな」
テーブルにつき和やかに話していると、お袋がお茶を持ってくる。
「久しぶりね。ロムスちゃんは、ますますたくましくなってきたわね。ホント、すごい筋肉よね。オホホホ」
お袋、口元に手を当てて、舐めまわすようにロムスの体を眺めているし。
――って、なに見とれてんだよ。ったく!
そんなお袋が傍を離れていってから、ようやくホッと息をつき、ロムスは話をはじめるのだった。ロムスもあの視線はどうも苦手なようだ。
――うんうん、わかるよ。うん。
ともあれ、これから話そうとすることは、どうやらお袋には聞かせたくない話のようだ。額を突き合わせ、小声で語りはじめる。
「昨日はすまなかった。余計な気を使わせたみたいだな」
たぶん、俺たちが逃げ出すようにして帰っていったことを言っているのだろう。俺はあいまいにうなずく。
「四日前は、たまたま本邸の方へ呼ばれていて、あっちにはいなかったんだ。だから、お前をあんな目に合わせてしまった。いたら、止めていたのだが」
「ああ、いいって、別に」
「本当にすまなかった」
そうして、深々と頭を下げる。ロムスが律義な性格なのは子供のころから知っている。だから、今こいつは本心から謝罪しているのだろう。本当にいいヤツだ。だが、ならば、こいつの口から真実を聞き出すなら、今このタイミング以外にない。この申し訳ないという気持ちが、口止めを緩めるだろうから。でも、正直、友人の弱みに付け込むみたいで自己嫌悪を覚える行動だ。なのだが、ことは俺自身の尊厳に密接に関わること。ここは自分を抑えて、訊くしかない。
「いいから、いいから。けど、なんで、あそこまでして彼女のことを隠す必要があったんだ? 彼女は一体何者なんだ? もしかして、どこかの名のある魔女かなにかなのか?」
どうやら、口が滑ったようだ。急に顔を上げ、鋭い視線で俺をにらんでくる。
「な、なんてことを。よりにもよって、あのお方を魔女なんぞと間違えるとはっ!」
「んん? 違うのか? じゃあ、一体、何者なんだよ?」
「そ、それは……」
途端に口を濁し、視線を泳がせている。やがて、決心したのか、まっすぐに俺の眼を見てきた。
「それに関しては、いくらお前でも、申し訳ないがちゃんと答えることはできない。ただ、あのお方の正体を知るということは殿とこの国の重大事に関わることなのだ。今はだれにもその正体を知られるわけにはいかないということだけは理解しておいてくれ」
「……」
なんだ、それ? まるで、国家の要人かなにかだと暗に言っているみたいだぞ。
そんなことあるわけねぇ!
たとえば、王宮があり、宰相や大臣たち要人の屋敷がごろごろある王都なら、そういう寝言同然な話にもそれなりの信憑性が出るかもしれないが、ここはその王都から早馬でも半日以上離れているオリューエの街中だ。そんなことあり得るはずなんてない。まして、そんな人間に俺が市場で偶然出会うなんて……
とはいえ、このロムスというヤツはジャックと違ってつまらない嘘をむやみやたらと吐き散らかすような性格ではない。謹厳実直で誠実な人柄。嘘をつくぐらいなら、むしろ黙っている方を選択するそんなヤツだ。
じゃあ、この話は……?
どう判断していいかわからず戸惑っていた。俺たちはしばらくその場で見つめあい、そして、同時に息を吐き出した。
「わかった」「わかってくれるか?」
「ああ……」
言葉少なにうなずきあい、テーブルの上のお茶を一口飲んだ。
「で、それで、彼女は一体、なにをしようとしているんだ? まさか、オリューエの街を観光しにきたわけでもあるまいし」
「探し物だ」
「探し物? なにを?」
「あのお方、マヤ様はオリューエにあるはずのとある文献を探しておられる。昨日もそれを探して東地区の商人の屋敷を訪ねた帰りだった」
「なんだよ、それ?」
一瞬、ロムスは考え込む様子だったが、一度だけ、何もない空間を見、すぐに、
「秘密は守れるか?」
「あん? なんだよ。今さら。水臭いこと言うなよ」
じっと俺の眼を見てくるので、真剣な表情でうなずく。
「マヤ様は、ザイン大公の若いころの日記を探しておられる」
「ザイン大公? ザイン大公っていうと、あの? また、なんで?」
ザイン大公というのは、何代か前の国王に仕えた王弟にして宰相だった人物。政治家としては凡庸だったが、その生きた時代には、幸運なことに王国内では一度も天候不順や戦乱を経験することなく、穏やかで安定した治世をもたらした人物だった。我々の国にとっては、幸運の代名詞とさえいえる伝説的な人物だ。
ただ、彼には男子の跡継ぎがなく、一代限りで家名が途絶えたはず。
「大公の死後、領地や資産の大半は王家に返納され、私信類なども含めすべてが国のどこかにあると言われる王家の隠し倉庫に蔵されたはずなのだが、どうやら、死後の大公家内の混乱の際に、その一部が不正に持ち出されていて、市中に流れたらしいのだ。そして、マヤ様が探しておられる大公の若いころの日記もその中にあったと思われる」
「はぁ? なんだ、それ? そんなことあるのかよ?」
「ああ、大公の側近や召使いなどが、大公との思い出の記念にというのでな。それだけ、家臣たちに慕われていたってことなんだろうな」
「……」
凡庸ではあったが、とても穏やかな性格の人物で、かなりの人望があったと歴史書に記されているから、そういうこともあるのだろうか。
「で、最近になって、その中の資料の一部をオリューエの好事家の商人が手に入れていたということが判明して、その中に大公の日記がないかどうかを確認しようと昨日は出向いたのだが……」
ロムスは浮かない顔をしている。不首尾に終わったってことだろう。そんな顔を見られたくないのか、なにもない空間に視線を向けて俺の方を見ようともしない。
「こちらとしては、ただ中身を確認したいだけだったのだが、そんなものを持っていないの一点張りでな。出所が怪しいものだけに、おそらくそのまま国に没収されることを恐れているのだろうが……」
「なるほど……」
ロムスが視線をそらし、悔しげに唇をかんでいる。よほど、昨日はその商人の家で屈辱的な扱いを受けたのだろうか。
「その商人が日記を所有しているのは間違いないのか?」
「ああ。九分がた間違いはない」
「お前、領主館に仕えているのだから、権力で……」
「それができたら苦労はしない。下手に手出しして、没収されるよりかはと始末されでもしたら元も子もないからな」
「そっか……」
そうして、俺たちはテーブルを挟んで考え込むのだった。
「そっか、そっか、そういうことか。なら、俺たちがひと肌脱がねぇとな」
「そうね、私たち、仲間なんだし」
突然、俺たちの周囲の何もないところから声が聞こえくる。
「えっ?」
驚いて声の出所をキョロキョロ探していると、魔法のようにパッとテーブルのすぐ近くに姿が現れた。ジャックとマリーだった。というか、実際、姿を消す魔法を使っていたのだろう。
「うむ」
「お、お前ら……」
「話は全部聞かせてもらったぜ!」
「ちょっと、ロムスが来てるのなら、なんで真っ先に私に知らせないのよ」
ジャックがこぶしで自分の胸をたたき、マリーは頬を膨らませて俺をにらんでくる。どうやら、お袋にロムスが来ていることを聞いて、マリーの魔法で姿を消し、俺たちの話を立ち聞きしていたようだ。
「そっか、助かる」
不意の二人の出現に驚き、言葉を失っている俺とは違って、ロムスはうれしそうな様子で二人に笑顔を向けている。全然、驚いているようには見えない。
「あ、やっぱり気が付いてたんだ。さすがだね。なんか、さっきから何度か私と目が合ってたみたいだったし、ヘンだなって思ってたんだ。魔法で私の姿は見えないはずだったのにね」
「ああ…… ふふふ」
「えっ? そうだったのか?」
「フン、相変わらず鈍いわね、アンタは」
マリーの一言に、なぜかその場にいた俺以外の全員が深く深くうなずくのだった。
って、なんでだよ!