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第一章 昨日は一体?

「お、おかしい。そもそも頭の中に記憶そのものがないぞ」

 持参の魔法の杖を振り、頭の形を描いた魔法の地図を覗き込みながら俺を診察していた隣家の魔術医師フィリップ・ローが視界の先で顔をしかめている。そのフィリップさんの言葉を聞いて、その隣でより困惑した顔をしているのが、俺の親父のトーマス・マークスティンだ。

「記憶がない? つまり記憶喪失ってことか?」

「ああ、一応はそうなるのだが。だが、どうやら普通の記憶喪失とは違うようだ」

「違う? なにが?」

「普通の記憶喪失というのは、物理的衝撃や魔術による封印のようななんらかの外部要因で記憶が封じられているものだ。だから、当然、脳の中には記憶そのものが残っていることになる。だとしたら、たとえば王都大神殿の大司祭様の奇跡の力などで、その記憶を封じている要因を取り除いてやりさえすれば記憶が復活するはずなのだが、今回のエドのは、どうやらそういうのじゃないみたいだな」

「そういうのじゃない? それは一体?」

「つまり、さっきも言ったように記憶そのものがないんだ。記憶の一部がきれいさっぱり脳から吸い出されている」

「記憶そのものがない? 脳から吸い出されている?」

「ああ、このエドの脳の中には昨日行った場所に関しての具体的な記憶が痕跡すらも残っていないようだ」



 あの後、家に帰り着くと、昨日から行方不明になっていた俺を心配していた両親はホッとした様子だったのだが、俺がそんな長時間どこでなにをしていたのか記憶にないと話すのを戸惑いつつ聞いていた。最初のうちこそ、疑り深そうな態度だったのだが、やがて、どうやら真剣にそんなバカげたことを言っていると悟り、慌てて隣家に住む魔術師兼医師のフィリップ・ローを呼びにやって、こうして診察してもらうことになったのだ。

「まずありえないことなのだが……」

 フィリップさんは腕組みしたまま、盛んに首をひねっている。

「大体、記憶を吸い出す魔法なんぞというものができる魔術師なんて近隣の国を合わせても数えるほどしかいないはずだ。我が国の腕利きの宮廷魔術師でもできるのはまれな方だな。まして、このオリューエでそんな高度な魔法を使えるものがいるなんて今まで聞いたことすらないぞ」

 フィリップさんは不満そうに唇をとがらせている。一方、親父は焦ったような声で、

「どうすればいいんだ? それは治るものなのか?」

 フィリップさんは、その問いに首を左右に振った。

「治るもなにも、もどるべき記憶そのものがないのでは……」

「そ、そうか……」

 二人して深刻な顔をし、額を突き合わせている。それを見ていると、俺の方も段々心配になってくるわけで。

「ただし、今回の場合、エドの記憶の中の一部がないというだけで、脳に障害があるわけでも、他の記憶まで欠けているわけでもないみたいだから、日常生活を送る上では、それほど困ることにはならないとは思うが」

「そ、そうなのか?」

「ああ。トーマスだって、昨日昼に何を食べたか忘れていても、それほど困ることはないだろう?」

「ああ、なるほど」

 そうして、なぜか二人してホッと息を吐き出し、うなずき交わすのだった。

「というわけだ。エド、ないものは仕方がない。あきらめろ」

「ああ、そうするより他に仕方ないかもな。犬にでもかまれたと思ってな」

「……」

「ああ、そうだ、フィリップ、いよいよ俺たちの決戦の開始だ」

「お、いいね。たしか、俺の五〇九勝四九〇敗だったかな」

「なに言ってんだ。俺の四九一勝五〇八敗だ」

 そうして、二人していそいそとチェス盤を引っ張り出し、千回目の対局を始めるのだった。

 もう俺のことを見向きもしない。声をかけても生返事ばかり。

――って、それで終わり? 俺のことは? 俺の記憶は? ったく! この薄情な親どもめ!



 親父たちに手のひらを返したように放っぽっておかれ、すこし不貞腐れた気分になる。

 ただ、そんな親父たちの何でもないかのような行動を見ていると、さっきまで昨日の記憶をなくしてどうしようと真剣に悩んでいたはずなのに、なんだか次第にバカバカしい気分になってきた。

 たぶん、親父たちも本心ではすごく心配しているのだろうが、そういう何でもないことのような態度をとることで、俺をすこしでも安心させようとしているのだろう。

 うん、そうに違いない。

 親父たちのそんなさりげない心遣いに気付くなんて、なんて大人になったのだろう。うん、俺、すげぇ成長したな。うんうん。

 って、親父、なんだよ、その眼。さっきの診察中の俺を見守る眼よりも深刻な表情でチェス盤の戦局を見つめてよぉ?

 って、なんだよ、なにが傍にいられると気が散る、あっち行けだよ。シッシッって、なんだよ!



 そのまま追い払われるように席を立ち、いまいち釈然としない気分で裏庭にでる。

 ともあれ、のどが渇いていたので庭にある井戸で水を汲み、のどを潤していると、

「よおっ、帰ったか」

 突然、裏の木塀の上から声が降ってきた。見上げると、そこにいたのはジャック・リーデン。俺と同い年の十六歳だ。体にぴっちりと合わせたシャツとタイツを履き、その上にオリーブ色のベストと半ズボンをつけ、頭には羽根を飾った中折れ帽をかぶっている。

 ジャックは腰かけていた木塀の上から猫のような身軽さで飛び降りてきた。

「昨日はお楽しみだったんだな。とうとうお前も大人の仲間入りか? うりうり」

 にやにやしながら、俺の胸を小突いてくるし。また面倒なヤツが現れたな。正直、今はあんまり会いたい気分じゃないのだが。

「な、わけあるかよ」

「はぁ? いい若いもんが一晩連絡もなしに家に帰ってこなかったんだぜ。いいところにしけこんでたんだろ? 白状しろよ」

「ちげぇ~よ! なわけあるかよ」

「ああ? 白ばっくれるなよ。俺とお前の仲だろ」

「だから、ちげぇ~って」

 俺の肩に腕を回して馴れ馴れしく尋ねてくるのがうっとうしい。乱暴に腕を払いのけるのだが、

「ちっ、俺らにも内緒かよ。ったく! そんな友達甲斐のない薄情なヤツだとは思わなかったぜ」

「だから、ちげぇ~って。俺、どこにも行ってねぇ~って」

「ああ?」

 疑いの目でにらんでくるし。ったく!

 ちょうど、そこへ、

――ギギーー

 裏の立てつけの悪い木戸が開く。俺とジャックでその木戸の方を見ると、細く開いた隙間から中に入ってきたのは、俺たちと同い年で無地の灰色のローブをまとった隣家の娘のマリー・ロー。フィリップさんの娘だ。

「よお、マリー久しぶり」

「……」

「ちっ、無視かよ。ったくよ」

 マリーはジャックを無視して強い感情のこもった黒い瞳で俺の顔をにらんできた。そして一言、

「不潔っ!」

 吐き捨てやがった。



「だから、ちげぇ~よ!」

「どうだか」

「信じてくれよ」

「信じられるわけないでしょ、そんなこと!」

「だ~か~ら~、さっきお前んとこの親父さんに診てもらって、俺の記憶がないって診断になったんだって」

「どうだか」

「はぁ~ ったく。いいよ。中でそのフィリップさんがうちの親父とチェスしてっから、聞いてこいよ。そしたら、俺が嘘ついてないって分かるからさ」

「ええ、そうさせてもらうわ。これ以上、あんたとなんか話してたら、こっちまで汚れてしまうわ」

「お前なぁ~」

「フンッ!」

 そうして、マリーはプリプリしながら建物の中へ入っていくのだった。

「なんなんだよ、あれ? 俺、あいつのことを怒らせるようなこと、なにかしたか?」

「はぁ? なに言ってんの、お前?」

「ん? ジャックはなんであいつが怒ってるのか分かるのか?」

「……」

 ほとほと呆れたとでもいうように肩をすくめ、俺の顔をまじまじと見つめてきやがるし。

――一体、こいつもなんだっていうんだ?



「はぁ~ まあ、いいや。それよりも、相変わらず痴話喧嘩するほど仲がいいってか、お前ら。くくく、見せつけてくれるぜ。まったくよ」

「ああ? あれのどこが痴話喧嘩だよ。目、おかしいんじゃねぇの?」

「ふん、おかしいのはお前の方だろ」

「な、なに? なんだと!」

「隠すことねぇじゃん。いつかは俺もお前も経験することなんだしよ。恥ずかしがることねぇぜ!」

「なに言ってんだよ」

「だから、言えよ。な、昨日どこ行ってたんだよ。どんな気持ちいいことしてきたんだよ?」

「どこにも行ってねぇ、なにもしてねぇ!」

「嘘つきめ」「嘘じゃねぇ!」

 ジャックが、こぶしを丸めて俺の頬をぐりぐりとえぐってくる。それを手で払おうとすると、さっと避け、またぐりぐり。また払おうとしても避けられて、ぐりぐり。

 しつこい!

 思わずカッとなって、つかみかかろうとする俺の手をヒョイヒョイと器用によけて、庭の中を走り回る。

 ったく、身のこなしと逃げ足だけは、速い速い。

 たちまち、俺の方がゼェ~ゼェ~息を切らす羽目になってしまった。

 それでも、ジャックを捕まえることなんてできず。

「で、それで、お前、昨日、夜中になにしてたんだよ? 本当に覚えてないのか?」

 ジャックはさっきまでのふざけた表情を引っ込めて、真面目な顔して息を切らす俺の顔を覗き込んでくるのだった。

――つうか、あんだけ、追いかけっこをしたというのに、息を切らすことなく、しれっとしているこいつは…… はぁ~ もっと体を鍛えないとな。

「わかんねぇんだ。本当にまったく思い出せない。中央市場から東のどこかへ行ったはずなんだが」

「お前のことだから歩数ぐらいは数えていたんだろ?」

「ああ、二,四一九歩目の場所だったはずだ」

「なら、後で市場に行ってみて、そこから東にそれだけ歩けば、なにか思い出すんじゃねぇか?」

「どうだろうな? 試してみないと正直分からない。ただ、フィリップさんが言うには、記憶そのものがないって話だから、無駄かもしれないけどな」

 そうして、その後、マジ顔のジャックと二人連れだって、中央市場や東地区をあちこち歩き回ったのだが、やっぱり思い出すなんてことはなかった。



 それから三日が経った。もちろん、その間も失くした記憶を思い出すこともない。

 その日、俺は、ジャックと連れだって街にいた。親父にお使いを言いつかって、南地区の東の端にある商店まで手紙を届けに行ったのだ。ジャックはそのお供。というか、ヒマつぶしがてら勝手についてきていた。

 目的の商店で店主に手紙を渡し、返事を受け取り外へ出ると、さわやかな風が吹き付けてくる。目の前に広い運河がある。対岸は東地区だ。

 と、ジャックが突然、

「おっ、あれ、ロムスじゃねえか?」

「ロムス? どこ?」

「ほれ、向こう岸、歩いてる」

 ジャックが指さす先を見てみると、たしかに見知った姿がある。騎士の息子らしく背筋をピンと伸ばし、姿勢よろしく歩いている。思わず、運河越しに大声で呼ぼうとしたのだが。突然、隣のジャックに口をふさがれた。

「うごごご、うご?」

「静かにしろ。あれを見てみろよ」

 ジャックが顎を振る先に視線を向けると、ロムスは一人だけではなかった。だれかと二人連れだ。よく見てみると相手は侍女姿の女性。

「もしかして、あいつの女か? へへっ、あいつも不愛想な顔して、結構やりやがるな。むっつりロムスめ」

 思わず、苦笑を浮かべて同意しそうになったのだが、ただ、俺は視線を固定したまま外すことができなくなっていた。なぜなら、その女性には見覚えがあったからだ。

「ジャック、あの二人つけるぞ」

「はぁ? なんだよ? お前も物好きなヤツだな。仲間なんだから見なかったことにしといてやりゃいいのによ。へへへ」

 そう言いつつも、ニヤニヤしながら俺の後をついてくるし。

――うん、そう言うジャックも結構物好きだと思うぞ。俺的には。



 三二五歩歩くと、運河を渡る橋に出くわし、俺たちはロムスの後をつけるために、橋を渡って東地区に入る。

 ロムスたちは後をつける俺たちに気が付くこともなく、どんどん歩いていく。歩きながら、ときどき隣を歩く女性を気遣う様子を見せている。

「ふふっ、あいつ、あの女にメロメロだな」

「そうか? むしろ、自分よりも地位が上の女性に気を使って歩いているって雰囲気に見えるんだが?」

「はぁ? どこがだよ。あの眼見ろよ。スケベそうな眼しやがって」

 ジャックはそう言うが、俺にはむしろ気づかわしげな眼に見えるのだが?

 ロムスたちは、後ろをつける俺たちにまったく気が付くことなく、運河沿いの道を離れて、どんどん東地区の中へ入っていく。

 俺たちの住む庶民的な南地区と違って、東地区には各宗派の神殿が集まっている一角がある。そのまま進んでいくと、左右に高い塀をめぐらした大きな神殿が立ち並ぶ通りにでた。神殿地区なんていう荘厳で非日常的な雰囲気の場所のせいか、段々と人通りがまばらになり、間もなくだれともすれ違わなくなる。

 不意に前を行くロムスたちが立ち止った。緊迫した様子で二言三言語り合った後、ロムスがその侍女姿の女性を背後にかばう。

 その直後だった。ロムスの前にバラバラと十人ほどのガラの悪そうな男たちが飛び出してきた。

「よお、お前、こんなひとけのない場所で昼間っから女と逢引かよ。けっ、見せつけてくれるねぇ。ま、いいや、俺たち今ヒマしてんだ。その女をこっちへ寄こしな。俺たちが可愛がってやるぜ。それと、お前、もういいぞ、お役御免だ。その女だけを置いて、とっとと消えな!」

 男たちの中で一番体格が貧弱な男が胸を張り、大声を放つ。それを聞いて、周りの男たちが下卑た笑い声を一斉に上げる。

 女性はロムスにすがりついている。その腕から袖がめくれ、金色の腕輪が太陽の光をちょうど俺たちのいる方へ反射してきた。その光が俺たちの周囲を何度も小刻みに往復するところを見ると、ひどくおびえて震えているのかもしれない。

 そんな女性めがけて、男の一人が無造作に腕を伸ばしてくるが、それをロムスが空中で掴みとめ、ひねりあげた。

「いてて。なにしやがる!」

 俺たちが隠れている場所にまではロムスのボソボソ声は届かないが、その男を投げ飛ばすようにして、突き返すのが見えた。

「へっ、おもしれぇ。お前ら、やっちまえ!」

 男たちのリーダーなのか、さっきの貧弱な体格の男が大声で命じた途端、男たちが一斉にロムスたちに殺到する。

 だが、ロムスは冷静に慌てることなく、背後の女性の腕を引き、男たちから程よく距離を取る。そうしてから、ゆったりとした動作で腰に差した剣を引き抜くのだった。



 俺たちのところにも、ロムスの剣が反射する太陽の光が届いてきた。その光がまぶしいのか、眼を細めながらも、隣でジャックが苦虫をかみつぶしたような顔でつぶやいていた。

「あれは、アラセル一家のジェミンだな」

「アラセル一家?」

「ああ、東地区の盗賊団の頭のバカ息子だ。大方、親父の権勢をいいことに悪さを働いているのだろうよ」

 ジャックのいう盗賊団というは、オリューエの東西南北と中央の各地区にそれぞれ一家を構えて街のゴロツキたちを束ねている存在だ。といっても、その名に反して、街の人たちに悪さをするわけじゃない。押し込み強盗だとか、殺人だとか、そういった犯罪行為を生業にする連中ではない。ま、もっとも実態としての裏の世界の真実までは知りようもないが、表立ってはどこの盗賊団も縄張り内で犯罪行為に手を染めることはない。

 じゃ彼らはなにをしているのかというと、たとえば、地区の商人が他の街へ荷物を輸送するときの護衛役を請け負ったり、あるいは、地区内の治安を正す自警団的な存在なのだ。

 本来は、そういったことは街の領主の仕事なのだが、領主に仕える人間の数が充分でなく、街の各種行政サービスなどに人を割く余裕がなければ、住民たちに委託するしかない。そうして、委託されるサービスの一つに治安や交易警護などの荒っぽい仕事があり、盗賊団が主にそれを請け負っているのだ。

 ま、同様に、他にも領主によって民間委託されている業種がいくつもあり、俺の親父の仕事もオリューエの領主館から委託されていることの一つなのだが。とはいえ、もちろん俺の親父は盗賊ではない。むしろ、俺たちの住む南地区の盗賊団の頭の息子なのは……



「これ顔に巻け。これからもあいつらとは付き合いがあるからな。こちらの顔を見られるわけにはいかねぇ」

 ジャックが普段首に巻いている汗臭いバンダナを寄こしてくる。見ると、ジャック自身、すでに鼻から下を隠すように別のバンダナで巻いており、帽子を目深にかぶりなおして、眼だけしか見えていない。

「ああ。分かった」

 バンダナを受け取り、俺もジャックのように顔を隠す。

 お互いの姿を確認し、正体がバレないことをそばの神殿の適当な神に祈って、俺たちは男たちとにらみ合っているロムスたちに駆け寄っていくのだった。

「お前ら、なにしてるっ!」

 ジャックが大声を上げると、貧弱な体格の男が薄ら笑いを浮かべながら、叫び返してきた。

「なにもんか知らんが、余計な手出しすんじゃねぇ! 俺たちに逆らうと、お前らも怪我すんぞ!」

「ふん、それはどうかな」

「そうかい。なら、お前ら、ついでだ。あのバカどももやっちまえ!」

「「「へぇ!」」」

 男たちが一斉に返事をし、身構えた。すでに、俺とジャックはロムスに追いついていて、男たちと対峙する態勢をとっている。

 一瞬、ロムスが新たに登場した俺たちに警戒の目を向けたが、すぐに俺たちが何者か気が付いたようだ。たちまち、かすかに目元を綻ばせて、

「たのむ」

 一言だけ告げて、俺に向かって背後にかばっていた女性を押し付けてきた。

「ああ、任せとけ」

 俺はそう返事をして、ロムスとジャックの二人から下がる。

 剣や喧嘩の強さでは、俺は絶対にこの二人にはかなわない。足手まといになるだけだ。ここは戦うのを二人に任せ、この女性をかばって二人から距離を取った方がいい。

 男たちの中にもすでに剣を抜いているものもいるのだが、ロムスの手の中の抜身の剣を警戒して、なかなか近づいてこようとはしない。

「お前たち、何してやがる。そんなやつらなど、さっさとやっちまえ!」

 ジェミンはそんな男たちを叱咤するのだが、そういうジェミン自身、男たちから下がった安全な場所から指示を出しているわけで……

 男たちの何人かが、背後のジェミンから見えないことをいいことに、苦笑を浮かべている。

 あちらさんたちもバカ息子のお守りが大変なようだ。

「そいつらをやっつけたら、パパに頼んで、お前たちにボーナスを出すぞ!」

 たちまち、男たちの目の色が変わった。

――って、それでアラセル一家、本当に大丈夫なのか? 部下たちの信頼を金で買うってことだぞ?

 よその家のこととはいえ、正直、心配してしまうのだが……

 ともあれ、ジェミンの一言でさっきまでよりも格段に本気モードになった男たち、顔を引き締め、より真剣な目をしてロムスとジャックの隙をうかがう。そして、一気に攻撃してきた。

 最初に一番体格の大きな男がジャックに襲い掛かる。だが、そのパワフルな攻撃を持ち前の素早い身のこなしで避けつつ、隙をついて、相手の腹に鋭い膝蹴りを叩き込む。反動で体をかがめたところを、首の後ろに肘落とし。瞬く間に地面に沈めた。あれじゃ、痛みを感じるヒマすらなかったかもな。

 一方、ロムスの方には剣を持った男が突進し、必殺の突きを放つが、ロムスはそれを足さばきだけで余裕をもって左に避け、柄の部分を相手の顔に叩き込んでいる。男は鼻の骨を折られたのか、鼻から大量の血を吹き出しながら地面に横たわった。白目をむいてのびている。

 ふたりとも電光石火の早業。一瞬のうちに二人のならず者たちが足元に横たわっていた。

「つ、強いぞ!」

 あっという間に、二人の仲間を失い、男たちの間に動揺が広がる。次に挑みかかろうとする者がなかなか現れない。すでにどこか腰が引け始めている。これはチャンスかもしれない。もし、ここでなにか思いがけないような切っ掛けがあれば、たちまち総崩れになりそうだ。

 だから俺は大きく息を吸う。それから、のどよ裂けよとばかりに、

「火事だ! 火事だぞ! 火事だぞー!」

 狂ったように大声で叫びだすと、男たちは焦り顔で周りを見回した。『火事だ』の叫びに即座に反応して、両側の神殿の中から人々が呼び交わす声が近づいてきた。たちまち男たちは怯えに似た表情を浮かべ、それぞれに身を翻し、我先に後方へ逃げ出していくのだった。

「こら、お前ら、どこへ行く! 戦え! あんな奴らぶちのめせ!」

 ジェミンが制止しようとするが、もう男たちには聞く耳なんて持ち合わせていなかった。

――ま、所詮は金で買った絆だしな。こればっかりはしょうがない。

「ま、待て! お前たち、俺を置いて行くな!」

 最後にだれもいなくなり、一人置いてけぼりのジェミンが情けない声を出しながら、そんな男たちの背中を追いかけて去っていくのだった。

「お、覚えてろよ! 今度会ったらただじゃおかねぇからな!」



「「ふぅ~」」

 ロムスとジャックが同時に溜めていた息を吐き出した。

 俺たちは気を失っている男たちをその場に残し、街の人たちが集まってくる前に、なんとか場所を変えた。

 近くに誰もいないとある神殿の敷地の隅。もう顔を覆っているバンダナをほどいても、誰にも見とがめられる心配はなさそうだ。

「ありがとうな。助かった」

「ああ、いいってことよ」

「エドもありがとうな」

「ああ……」

 ロムスが俺たち二人に頭を下げてくるのだが、俺の関心はもっぱら別の場所にあって。

 俺がその少女を真正面からじっと見つめていると、その視線に気が付き、最初のうちこそ怪訝な表情を浮かべていたのだが。やがて、なにかを思い出したのか、驚きの表情に変わっていく。

 やっぱり、あのときの……

「君は、あのときの人だね?」

「……な、なんのことかしらラ」

 しらばっくれようとしてはいるが、語尾が震えている。そう、ロムスと一緒にいたのは、三日前、俺が記憶を失う寸前に道案内をした少女だった。



「どうして、ロムスが彼女と?」

「彼女のことを知っているのか?」

 俺とロムスが同時に疑問の声を上げる。

「うへっ。おいおい、お前ら三角関係か? お安くないな」

 そばで茶化しているバカは無視して、

「こないだ、市場で道に迷っていたんで道案内をしてやったんだ」

「えっ? じゃあ、あれはお前のことだったのか」

「ん? お前もなにか知っているのか?」

 眼をむいてロムスが俺のことを見つめているのだが、まだ話についていけてない男が一人、

「なんのことだよ? 道案内って…… あ、もしかして、三日前の記憶を失くしたってあれかよ?」

「ああ、そうだ」

「うひょ。じゃ、そのねえちゃんが、例の?」

 俺がうなずくと、ロムスの隣でバツのわるそうな顔をしている少女をまじまじと見つめた。その途端、

「なによ? じろじろ見ないでよ。けがらわしい。フ、フンッ」

 赤くなって恥ずかしがっているようだけど、同時に、あからさまに気持ち悪そうな態度で自分で自分の体を抱き、ロムスの陰に隠れようとしているし。

 それでもめげることなく、

「えへへ、結構、いい女じゃねえかよ。胸デカいし。足細いしよ。ロムス、どこでこんないい女拾ったんだよ?」

 あくまでもしつこく頭からつま先まで詳細に観察しながら、まさに涎を垂らさんばかりに、にじり寄っていくヤツがいて。

 慌てて、二人の間にロムスが自分の大きな体をねじこんだ。

「ジャック、無礼だぞ! このお方をだれだと……」

「ロムスッ! お黙り!」

「は、し、しかし……」

 高飛車な態度でロムスに口止めをする様子、明らかに人に命令することに慣れている態度だ。身なりこそは侍女だが、この態度、この口調、まったくその格好にそぐわない。

「はん! なにが無礼だよ。そんな体の線が浮きでるような格好しやがってよ。男に見てほしいからなんだろ? へへへ。いいぜ。いくらでも見てやらあ」

 ジャックがさらに一歩近づくと、焦った顔でさらにきつくロムスの背中にすがりついて、

「な、なに、この男。変態? き、気持ち悪い!」

「って、こら、ジャック。怯えてんじゃねぇか。からかうのもそのぐらいにしとけよ」

「はぁ? 何言ってんの? お前だって、さっきからジロジロあのでっかい胸を拝んでたくせによ」

「な、なにをっ!」

 ジャックの言葉に、少女がその軽蔑のまなざしを俺にまで向けながら、慌てて胸元を隠そうとした。

「なにっ! エド、貴様までもか! マリーというものがありながら。よし、こうなったら、その腐りきった眼をえぐってやるぞ!」

 ロムスが腰の剣に手をかける素振り。まあ、目元が笑っていたから本気でないのは分かっていたけど、調子を合わせて慌てて飛び退いて、

「ち、違う! 俺、そんなことしてないって。ジャック、いきなりヘンなこと言うんじゃねぇ! って、マリーは今は関係ないだろ!」

 しどろもどろになりながらも、それでもジャックを追いかけようとしたら、すでにその場にはいないし。

「へへへ。ロムスにまで怒られてやんの。このむっつりスケベめ。へへへ」

「お、お前なぁ~」

 結局、俺とジャックはロムスたちの周りをぐるぐる追いかけっこする羽目になったのだった。



「はぁ~ はぁ~ はぁ~」

「ったく、もう終わりかよ。つまんねえヤツだな」

 しばらくして、ジャックが余裕の笑みを浮かべながら、息を切らす俺の顔を覗き込んでくる。

「うるせぇ! ったく!」

――そろそろ体を鍛えることを本気で考えないとな…… はぁ~

「で、ロムス、そのねえちゃんは何者なんだ? どういう知り合いだ?」

 周りを駆け回る俺たちを呆れながら見ていた少女。その少女を指さしながら、ジャックが今までの様子から一転して、真面目な顔で尋ねた。

 今の俺たちの子供みたいなバカな追いかけっこのおかげか、その少女の表情にも、すこしだけ警戒心が緩んでいるように見える。息を切らせただけのことはあったってところだろうか。

 ロムスは、ジャックの質問に答える前に、背後の彼女に確認を取る。

「いいですか、こいつらにすこしだけ話してやっても? 口は悪いやつらですが信用できます。それは俺が保証します」

 少女はすこし考える様子を見せた後、尊大な態度でうなずくのだった。

「この方は、マヤ・サリゴン様だ。近くに領地がある方で、我らが主君の縁戚筋にあたられる方だ」

「マヤ・サリゴン……」

「……様だ。様をつけろ」

「マヤ・サリゴン様」

「そうだ」

 覚えておこう。でも、しかし、聞いたことのない名前だ。近くに領地があるといっていたが、どこら辺りの貴族の娘なのだろうか?

 このオリューエ近辺には、大小様々な貴族領や神殿領があるが……

「へん。あんた、マヤちゃんっていうのか。へへへ。そうか。そうか……」

 ジャックが妙にうれしそうな顔でそんなことを言う。もしかして、こいつ、結構この子のこと気に入ってる?

「ジャック、『様』をつけろ。『様』を。本来なら、お前たちが気軽に話しかけることも憚られるような高貴なお方なんだぞ」

「はぁ? なんでだよ、それ? 大体、オリューエの領主程度の親戚なんだろ? どうせ、どこかの貧乏貴族の娘かなんかじゃねぇの。俺、サリゴンなんて名字の貴族なんて聞いたことねぇし」

「き、貴様! よりにもよって、なんと無礼なことを!」

「はん! 貧乏貴族なのに、どうせ兄弟が多いとかなんかで親が養いきれねぇで、口減らしで領主館に行儀見習いとかの名目で入り込んでんじゃねぇの?」

「……」

 真実を言い当てたつもりで得意そうなジャックを少女は戸惑い顔で見つめていたが、やがて、破顔して、

「ふふふ。あなた、よく分かったわね。するどいわ。そう大体そんなところよ」

「ほれ、見。無礼無礼って言っても大したことねぇじゃねぇか。なっ?」

「い、いいのですか、マヤ様?」

「ああ、構わないわ。むしろ、そう思ってもらっている方が我々には好都合なのかもしれない」

「そ、そうですか……」

 二人して、ひそひそ話をしているのだけど、俺のいる位置からだと、全部、丸聞こえなんだよなぁ……

 一方、正解を言い当てたつもりになっているジャックはというと、うれしげに、呵呵大笑していて、そんな声を全然聞いていなかった。

 それでも、すぐに笑い納めると、早速、自分の胸を親指で差しながら自己紹介を始めた。

「へへへ。俺、ジャック・リーデン。そこのロムスの野郎とは幼馴染だ。よろしくな、マヤちゃん」

「な、なにっ! よ、よりにもよって、マヤちゃんだと……!」

 眼を白黒させてそうつぶやいているロムスを無視して、無遠慮に手を差し出していく。それを上品な仕草で取って、マヤはややひきつった笑みを浮かべていた。

「よ、よろしく」

「こっちの、ぼさっとしているのも、俺とロムスの仲間でエドだ。エド・マークスティン」

 俺のこともおざなりに紹介はするのだが、次の瞬間にはさっさと話題を変えていて、

「で、マヤちゃんは、ロムスとはどういう関係? もしかして、二人付き合ってるとか?」

「なっ! なにをいきなり……」

 ロムスが青くなってジャックをにらむ横で、予想外の質問だったのか、マヤはおかしそうに笑みを浮かべながら、

「ふふふ、まさか違うわよ。ロムスは私の護衛役なの」

「おっ、そうか、そうか。やっぱり、そうか。うん、うん。へへへ」

 ジャックは妙にうれしそうに相貌をくずすのだった。

「ロムス、残念だったな。眼中にないってさ。えへへ、まあ、そう気を落とすな。そのうちお前にもだれかいい女紹介してやるからよ」

「なっ……!」

「えへへ。ささ、マヤちゃん、こんな無粋なやつらなんか放っておいて、どこかで俺とお茶しない?」

「あら? うふふふ。うれしいわ。でも、これからまだ大切な用事があるの。また今度ね」

「お、お前、マヤ様になんてことを!」

「そっか。それは残念だな。へへへ。じゃ、今度な。約束な」

「ええ。約束ね」

「マヤ様……」

 デレデレの顔。微笑んではいても眼が笑っていない顔。心配して焦っている顔。

 目の前で三者三様の顔をして、言葉を交わしあっている。

 そんな中、ひとりその三人から離れて、俺は思考をめぐらせていた。

 たとえ領主の親戚筋だとしても、行儀見習いで来ているだけの娘に、護衛役なんてつけるわけないだろ。それに、さっき耳にした会話だって。

 絶対、この少女、本当のことを言っていない。ジャックの推論は外れているのだろう。しかも、三日前には俺の記憶を吸い取ってまで何かを隠そうとした。

 徹底的に隠して、秘密にして、なにかをしようとしている。

 この少女の笑顔の裏に、なにかとても重大な事態が発生している。

 俺は、そのとき、三人から離れた場所で、なんだかとてつもなく厄介で面倒なことに巻き込まれつつあるような予感をひしひしと感じて、ひとり身震いしているのだった。


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