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第九章 最上階で待つ者

「って、なんだよ。なんで、大ボスの空間に宝箱や冒険者たちの遺品が一つも残ってないんだよ!」

 五十階へ続く最後の階段を上りながらジャックがぶちぶちと文句を言っている。

「まあ、そんなこともあるさ。たまには」

「はぁ? なんでだよ? ふざけんなよ。だれもここまで来なかったっていうのかよ? 俺たちがこの塔を完全攻略した最初のパーティだっていうのかよ?」

「もしかしたら、本当にそうなのかもな」

「そんなことあるかよ!」

 口では不満たらたらなのだが、俺のその指摘に、妙にうれしげに口元を綻ばせている。案外、満更でもなさそうだ。

「ああ、それはないわよ」

「えっ? なんでだよ?」

「だって、あいつが前に言ってたもの。二十年ほど前に一組だけ、上まで来たことがあるって」

 マヤが何かを知っているのか、そんなことをつぶやいている。けど、あいつってだれのことだ? それに、『あいつ』って単語を口にしたとき、顔をしかめていたのはどういうことだ?

「あいつ? あいつってだれだよ?」

「ん? うふふふ。このまま階段を上ってみれば、すぐにわかるわよ。そのあいつってだれなのか」

 妙に含みを持たせた様子でそんなことを言う。けど、この塔の最上階に棲むものと言えば……

 マヤって一体?



 ついに五十階に到達した。

 これまでとは違って、目の前には精巧なレリーフがふんだんに施された大きなドアがそびえ立っている。

 全員で深呼吸。お互いの眼を見交わし、うなずき交わして、そうして、ようやくドアに手を伸ばそうとした。

「あ、ちょっと待って」

 いよいよドアを開けようとした俺たちを、突然マヤが制する。戸惑いながら手を止め振り返ると、まぶたを閉じて口の中で何ごとかをつぶやいていた。やがて、うっすら眼を開くと、相変わらずなにごとかをブツブツと口を動かしながら、静かな足取りで歩き回り、俺たち全員の肩を順番に叩いて行く。どこか神秘的な雰囲気だ。

「な、なんだよ?」「えっと、なにしたの、マヤ?」「ああ、これはどうもありがとうございます。マヤ様」

 最後に、俺の番。叩かれた場所から、温かいものがじわじわと体中に広がっていくのが感じられる。

「な、なに、これ?」

 妙な感触に驚いている俺たちに軽くウィンクしてから、マヤは告げてくる。

「すこしだけあなたたちに祝福を施しただけよ。大したことじゃないから、気にしないで」

――えっと、祝福? それって……?

 正直、もっと説明してほしかったのだが、もうそれ以上口を開くことはなく、マヤは後ろに下がるのだった。

 仕方なく、俺たちはドアにもう一度向き直り、息を揃えてドアに当てた腕にゆっくりと力を加えていく。

 長年使われていないはずのドアなのだから、錆びついてなかなか動かないだろうと想像していたのだが、意外にも、簡単にドアが動き出した。そして、甲高く金属のこすれる音を立てて、ドアが開いていく。

 バタムッ

 ドアが完全に開ききったとき、俺たちは全員、眼がくらみそうになった。そう、そこは光があふれる場所だった。

 いや、違う。これまで密閉された塔の中、マリーが繰り出す魔法のライトだけが頼りだった俺たちの眼には、テラス付きの大きな窓が外界からの光をふんだんに取り込むこの部屋の明るさがまぶしすぎたのだ。

 そこはこれまでの場所とは違って、隅々まで掃除が行き届いた清潔なホールだった。

 ホールのあちこちに鉢植えの植物が並べられ、レースのカーテンが燦々と差し込んでくる外光を和らげる。真ん中の床には、ふかふかの絨毯が敷かれており、さっきまで誰かがくつろいでいたことを表すかのように高価そうなクッションが散らばっている。

 さらに、横手にはいくつかの瀟洒なつくりのドアが並んでおり、奥まった一角からは重厚感のある両開きのドアが威圧感を放ってくる。

 そして、そんな中でもとりわけ圧倒的な存在感を放っているのは……

「うむ。よく来た、人間ども。我、赤き魔龍ネッセル。汝らの奮闘辛苦には感じ入った。ほめて遣わすぞ」

 腹にズシンと響く重低音の声でそんな薄っぺらい賛辞を俺たちに送ってきたのは、全身を真っ赤な鱗で覆われた巨大な爬虫類。ドラゴンだ!

「えっ……」

 そのドラゴンは、ドアを開けた俺のすぐ眼の前、まさに目と鼻の先に顔を伸ばしてきていた。硫黄臭い息がまともに俺の顔に噴きつけ、熱さで前髪の先が今にも焦げてしまいそうだ。

「だがしかし、今の我は古の建国王との契約に従いて、王庫を守護するために、汝らを追い返さねばならぬ。よって汝らには、今から二つの選択肢を与えてやろう」

 ドラゴンはそこで息を切ると、その場の全員に爬虫類の視線を向ける……

――ん? あれ? 俺たちの背後から、マヤの気配がいつの間にかなくなっているのだが? どこへ行ったのだ? 誰にも見とがめられずにいち早く逃げたのか?

 そんな俺の思考をぶった切るようにして、ドラゴンは一つ目の選択肢を述べようと口を開いた。

「一つ目は、ここで我に挑んで、我が炎に魂ごと焼き尽くされる運命を選ぶか。もちろん、万一にでもありえないことだが、我が炎をかいくぐり、我に勝利を収めることができれば、奥の部屋に蓄えられし王家の秘宝のすべてを手にすることができるぞ」

 そちらの選択肢を選んだ時の運命を暗示させるかのように、チロリと口の端から小さな炎を吹き出して見せる。そして、ニンマリと笑う。明らかに、俺たちがこちらの選択肢を選ぶことはないと確信している様子だ。

 もちろん、俺たちにしても、こっちの選択肢は考慮の対象外。だから、時間を無駄にせず話の続きを促す、

「で、もうひとつはなんだ?」

「うむ。もう一つは……」

 ドラゴンは満足そうに一つうなずき、説明を続けようとした。



『神のあまねき慈悲の光に照らされて、この邪なる存在を浄化せよっ!』

 突然、俺たちの背後の暗闇から誰かの絶叫が上がった。高い声。女のもの。こ、この声は……マヤか?

 次の瞬間、その暗がりの底に淡い光が生まれ、膨らみ、ぐんぐんと階段を上昇してくる。そして、五十階の入口ドアのところで呆然とそれを眺め立ち止っている俺たちを追い越して、その光の塊はドラゴンのいるホールの中へ飛び込んで行った。

 だが、自分の方へ飛んでくる光の塊を、ドラゴンは特に避ける様子も見せずに、ただ人の胴ほどもある太い尻尾で払うだけ。

 尻尾に触れた途端、光の塊は音もなく弾けた。ホール中にまぶしい光があふれ、そして、すぐにその光も消え去る。

 しばらく眼がくらんでいた俺たちだが、ようやくホールの中が見えるようになったとき、その眼に映ったものは、まったく無傷な様子で元の場所に佇んでいるドラゴンだった。さっきよりも若干大き目の炎を口の端から吐き出しながら、俺たちを睨みつけてきている。

 真っ先に俺と視線があった。

 慌てて首を左右に振り、そんなつもりじゃないと意思表示。だが、無駄なようだ。

 殺意のこもった鋭い視線を俺たちに浴びせながら、

「そうか、分かった。お前らがそのつもりであるならば、俺様はこれ以上なにも言わぬ。バカなことをしたと地獄に立つ火柱になってから、後悔するがよかろう」

 そう静かに宣言し、ゆっくりとした動作でドラゴンが大きく口を開く。のどの奥に真っ赤に燃え上がる炎の塊が見える。魂ごと燃やし尽くすと言われるドラゴンブレスがすでに準備されている。

 恐怖で足がすくんで動けない。いつもなら真っ先に逃げ出すはずのジャックでさえ、同様。足が震える。体がガタガタ揺れる。心臓がすくみ上る。

 一気にホール内部の温度が上がり、強烈な殺気が俺たちに襲い掛かった。

 すべてがスローモーションに見えた。

 ドラゴンが口をすぼめ、俺たちに狙いをさだめ、息を細く吐き出す。

 ボォオオオオオーーーー!

 轟音が俺たちの耳を覆う。熱波が噴きつける。少し遅れて燃え盛る炎が俺たち全員の体を包み込む。

「グォオオオオオーーーー!」

 制御するヒマもなく、口から勝手に悲鳴があふれ出る。たぶん、他の仲間も同じように悲鳴を上げているのだろうが、周囲にあふれる炎の轟音で聞き取ることはできない。

「グォオオオオオーーーー!」

 見る間に俺の体が松明のように燃え上がる。腕も胴も首も顔も、全身から炎を噴き上げて、天井を焦がす。

――これは、死んだ。間違いない。体全体から炎が上がっている。これじゃ助からない。

 俺はそう確信し、際限なく悲鳴を上げ続けるしかなかった。

――ドラゴンと対峙して、こちらからは何もできず、一瞬にしてドラゴンに魂ごと燃やし尽くされ、死んでいく。なんてこった。なんでこんなことに。俺は親父の跡を継いで徴税吏になりたかっただけなのに。なんで、なんでこんなことに……

 圧倒的な後悔の念だけが、俺の心を占める。

「グォオオオオオーーーー!」

 ドラゴンは、すでに炎をまとった息を吐き出すのをやめており、満足そうな様子で燃え続ける俺たちの姿を観察していた。

――な、なんで、俺たちはドラゴンになんか挑んでしまったのだ? 最初から勝てる相手ではないことぐらい分かっていただろうに。なんでだ?

 悲鳴を上げながら考えてみるが、全然、思考がまとまらない。眼の前でメラメラと燃え続ける炎が思考力を削ぐ。

――く、くそ。なんで、なんで、こんなことに……

「グォオオオオオーーーー!」



「グォオオオオオーーーー!」

 相変わらず、俺は悲鳴を上げ続けていた。

 全身から炎を噴き上げ、燃える松明と化している。

 俺たちの体に火をつけたドラゴンは、なぜかさっきから信じられないものでも見るみたいに俺たちのことを見つめている。

 あっ、また、口を開いた。そして、再び、炎の息を俺たちに噴きつけてくる。

 おかげでさらに激しく俺たちの全身が燃え上がり、周囲へ盛大に火の粉をまき散らす。

「ゴゥォオオオオオオーーーー!」

 さらに一段と大きな悲鳴が俺ののどからあふれ出る。止めようとしても止まらない。

 のどがヒリヒリしてきた。ついに、炎が気管の中に入り込んで、焼きだしたのか?

 俺の肉体をずっと焼き続けているのだ。そろそろ、皮膚を焼き切って、肉を焦がし、内臓を炭に変えていてもおかしくはない。

 その連想でか、一瞬、古代の森で食べたあのたき火であぶっただけの干し肉のイメージが沸き上がる。あの肉の焦げるにおいが幻のように思い浮かぶ。

 これだけ肉体が燃えているのだ。俺の周囲には相当おいしそうな肉の焼けるにおいが充満しているだろう。

 炎に焼かれたせいで感覚が麻痺しているのか、今の俺にはそんな匂いは感じ取れはしないが……

 その途端、

 ぎゅるるるるぅ~~~~

 腹の虫が。

「ゴゥォオオ…… ゴ、ゴゥオオ…… ゴホッ?」

 咳がでた。吸い込んでいた煙を吐き出す。のどがいがらっぽい。再び、

「コホンッ?」

 前にたたずむドラゴンの眼に今度ははっきりと驚きの色が。もちろん、俺の方も驚いている。

 確かに、今、俺の体は全身から激しく炎を噴き上げている。でも、だけど、今気が付いた。さっきから全然熱さを感じていない。それどころか、腕も脚も顔も、どこも焦げていない。やけど一つしていない。今だに見た目だけが派手派手しく炎をまとっているだけで、俺自身は全然ダメージを受けていない。

「えっ……?」

 思わず、自分の両手を見つめ、グーパーを繰り返してしまう。

 全く何ともなっていない。あれだけ燃え続けているというのに炭にもなっていない。

「……」

「……」

 ドラゴンと見つめあった。お互いキョトンとして、それから苦笑を交わしあう。

 と、急にドラゴンの視線に鋭さが増し、尻尾に大きな動きが生まれる。

 次の瞬間、尻尾がしなるようにうごめき、その人の胴ほどもある太いものが、俺の体に迫ってきて……

「危ないっ!」

 叫びながら前に飛び出してきたのはロムスだった。

 俺と同じように全身に炎をまといながら、自分の体を盾にして、俺を守ろうとしてくれる。

 だが、相手は、想像を絶するようなパワーを秘めたドラゴンの尻尾。その尻尾は軽々とロムスを薙ぎ払い、そのままの勢いで俺をも吹き飛ばし、そして、背後で相変わらず悲鳴を上げ続けるジャックやマリーをも叩きのめしたのだった。



 今の攻撃のおかげで、俺たちの全身から炎は消えていた。代わりに、全身を襲う打撲の痛みが。この鋭い痛み。ことによると、あばらの何本かが折れているかも。

 確かめたいのだが、全身に痛みが走っていて、まったく指一本動かせない。

 俺たちはふっとばされて階段の途中に倒れている。

「うう……」

 俺のすぐそばでは、ロムスが仰向きで倒れ、うめき声を上げている。

「ロムス、大丈夫か?」

「うう…… な、なんとかな。まだ死んではいない……」

「そ、そっか……」

 苦労して首を上げると、階段の下の方にボロボロになったジャックとマリーの姿が見える。

「な、なんでこんなことになったんだ、俺たち……?」

「あ、ああ。お、おそらく、ま、マヤ様の思し召しだろう」

「マヤ? マヤが何で?」

「ま、マヤ様は、マヤ様の正体とは…… お、王都の中央神殿で…… 神官……長を務めらて…… お、おられるお方だ」

「中央神殿? ああ、だから、さっきの祝福……」

 最上階のホールに入る前、マヤが俺たち全員に不思議な祝福を与えてくれた。今考えると、あれのおかげで、俺たちは炎のドラゴンブレスを無効化できたのだろう。

「ま、マヤ様は…… げ、現在、行方不明に……な、なっておられる大司……」

 不意にロムスの言葉が途切れた。顔を向けると、ロムスは眼を閉じ、真っ白い顔をして、力なく横たわっている。口の端からは細く赤いものが垂れていた。

「ろ、ロムスっ! ロムス、しっかりしろ!」

 俺の呼びかけに、まったく反応しない。

「う、ウソだろっ! ろ、ロムスが。ロムスが…… ウワァアアアーーーー!」

 絶叫が自然と俺の口から放たれる。階段に反響して、いくつもの叫びが俺の耳を打つ。

「ロムスゥウウウーーーー!」



 不意に、白いものが俺の隣に立った。

 白く大きく膨らんだなにか。緑色のものの上に支えられていて……

「大丈夫よ。ロムスは死んではいないわ。単に気絶しているだけだから。ほら、エドもしっかりしなさい。男の子でしょ」

 マヤだった。マヤが俺のことを覗き込み、俺の体の上に手のひらを押し当ててくる。途端にその部分からやさしく温かい気配が俺の体内に入り込んでくる。むず痒く、それでいて包み込まれるかのような安心感が……

「ほら、もう大丈夫よ。一人で立てるようになったでしょ?」

 マヤはそう言うが、そんなバカなことはありえない。俺、今、ドラゴンの攻撃をまともに受けて、全身打撲で動けないのに……

 けど、いつの間にか全身を覆っていた刺すような痛みはきれいさっぱり消えている。というか、むしろ、以前よりも力がみなぎっている。元気いっぱいな感じ。

 ゆっくりと指を動かしてみる。動いたっ!

 次は腕。その次は脚……

 まったく正常に体のすべての機能が動く。痛みもなにも全くない。骨が折れている様子もない。

「ど、どうなってるんだ、これ?」

「ああ、別に大したことじゃないわ。ただのどこの神官でも使える治癒の力だし」

 マヤはなんでもないというように告げながら、ロムスにも俺と同じような手当てをしている。

 そういえば、ロムスが気を失う前、マヤのことを中央神殿の神官長だとかなんとか……

「マヤって神に仕えているのか……?」

 振り返ったマヤは、俺にむかってニッコリ笑い、その言葉を肯定した。

「ロムスに聴いたの?」

「ああ、ついさっき、気を失う前に。どうして、今まで、そのことを俺たちに隠していたんだ?」

「じゃあ、私の目的の方は?」

「目的?」

 一瞬考え、すぐにロムスの最後の言葉を思い出す。そして、その言葉の重要性に思い至る。

「ま、まさか……」

「そう、どうやらそれも聴いたみたいね。その通りよ。今、中央神殿の大司祭は失踪しているの。おかげで、あなたたちもここに来るまでに見てきたように、国中で天候不順が頻発してしまているのよ。この国の一大事だわ。だというのに、あのバカ娘は…… コホン。と、ともかく、ここへ来たのは、その失踪した大司祭をなんとか見つけ出して、神殿に連れ戻すためよ」

「……!」

 突然のことで、うまく思考が回らない。脳が凍り付いたみたいだ。

「あのバカ娘が、勝手にいなくなったせいで、どれだけ周りの人間が迷惑かけられることになっているのか。ホント、今度の今度こそ、思い知らせてあげるわっ!」

「ば、バカ娘?」

「突然、いなくなったりして、おかげでどれだけ国の祭祀が滞ることになったと思ってるのよ。それに、国中でどれだけの損害が発生したのか。まったく!」

 そう子供っぽく目の前で激昂しているマヤを見ていると、中央神殿の神官長などという雲の上の身分の人には思えないのだけど…… 大体、どう見ても、俺たちと同い年ぐらいなわけだし。

「あのバカが逃げ出したなんていう国を揺るがすような一大事を王や国民から隠すためにどれだけ私たちが苦労したと思ってるのよ。まったく、もう!」

「えっと…… さっきから言ってるバカ娘っていうのは……?」

「決まってるじゃない。大司祭よ。ここのネッセルのひ孫よ。だから、絶対ここにいるはずだわ!」

「……!」

「あ、でも、このことは内緒にしててよ。だれに言わないでよ。いい? 国民が敬愛している大司祭様とやらが実はドラゴンの血を引いているなんて知られたらいろいろと面倒だし」

「う、うん……」

 ふとマヤが表情を和らげた。それから、俺を見て、

「さあ、それじゃあ、もう一度、上に行くわよ。そろそろあのバカ娘をひっとらえてやんないと!」



 マヤの手当ての甲斐もあって、俺だけでなく、ロムスもジャックもマリーも意識が回復し、それぞれに復活した。みんな以前以上に元気いっぱいの様子だ。

 うん、この力。本当にロムスが言うように、マヤは中央神殿で神官たちを束ねているだけの実力をもった者なのだろう。すごいとしか言えない。奇跡のようだ。

「ふふふ。ありがとう。でも、あのバカ娘なら、こんな子供だましのよりも、もっとすごい力を持っているわよ。なにしろ、奇跡の力を持つ大司祭様とやらですものね。疫病で全滅した村を丸ごと生き返らせたこともあるのよ」

「……」

 絶句しているしかないわけで。

 俺たち五人は、一段一段踏みしめるように階段を上っていく。すぐに五十階のドアの前に戻ってきた。

 床は猛烈な炎が噴きつけられたことを示すかのように黒く煤けている。

 ドアは開け放たれたままで、瀟洒な内部の様子が再び眼に飛び込んでくる。そして、そのホールの中央では、丸い華奢なテーブルについて、ティーカップで紅茶を味わっている男がいて……

 あっ、俺たちの姿を見て、口の中の紅茶を噴き出した。

「け、けほっ…… こほっ…… なっ、なにっ! なんでお前ら、生きている! 死んだはずじゃなかったのか?」

 その男は、俺たちの姿を見て、驚愕の表情を浮かべていた。というか、驚いているのは、俺たちも同じで……

「だ、だれだ?」「おっさん、だれ?」「……?」「だれ、この人?」

 さっきまでこのホールには、偉大で聖なる赤いドラゴンがいたはずだ。なのに、今、ここにいるのは、そんなドラゴンとは似ても似つかない小柄で貧相な顔立ちの男。

 着ているものは、とても洗練された最新流行のデザインの貴族的な服装だが、いかんせん、顔があまりにも貧相で、威厳なんてなにもなく、ただ、その真っ赤な髪が目立つだけ。

 驚いている俺たちをかき分けて、落ち着いた様子でマヤが前に出てくる。

「久しぶりね、ネッセル」

「……ま、マヤっ!」

「いつぞやのダンスパーティ以来かしら? あれは、たしか、北国女王の親善訪問を歓迎するパーティのときの」

「……!」

「仄聞した話だと、あのあと、あなた、あの女王と随分お楽しみになられたとか。よかったですわね。おほほほ」

 えっと、なんだこれ? この極寒の空気は? ピリピリしていて、肌に張り付き、凍り付くような。

 って、さっき、マヤ、この男のことをネッセルとか呼んだか? この貧相な男に向かってネッセルって? ネッセルといえば……

 も、もしかして……?

「ち、違うんだ。あ、あれは、不可抗力というか、男にとっての万有引力の法則というか、なんていうか、その……」

「おほほほ。なんのことかしら。私には分からないことですわ。おほほほ」

「あ、あれは、べ、別に君からあの女王に乗り換えたとかそう言うことじゃなくて……」

 その貧相な男は絶望を顔に浮かべて、必死に何かの弁解をしようとしている。

 っていうか、二人、知り合い?

 そんな俺の疑問に、小声で答えをくれたのはロムスだった。

「八十年前から、ネッセル様がマヤ様に一方ならぬ想いを抱いておられるのは、宮中ではだれもが知っている話だ」

「そ、そうなのか……」「へぇ~ そうなんだぁ~」

 能天気につぶやいていた俺とマリーだったのだけど、今のロムスの話の中のとある部分に鋭く反応したヤツが、ここに一人いて。

「は、八十年前?」

 ジャックは、信じられないというような顔でロムスに確認する。

「うむ。八十年前だ。マヤ様が、十八のころだから、ちょうど八十年前になる」

「……」

「って、八十年前に十八って…… マヤって今何歳なんだよ?」

「ああ、そんなことか。もちろん、御年九十八歳におなり遊ばされる」

「……」

 なにか、とんでもないことをあの真面目一辺倒のロムスが真顔で言っているような気がするのだが、えっと…… で、お前、なに言ってるの? 冗談だよな?

 そんな風に混乱している俺に、ロムスがいたわるような眼を向けてくるのだった。

「って、こら、そこ! 勝手に私の実年齢をバラすんじゃないわよ!」



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