BAR にて
「あの曲がテレビで流れたあと布施陽介は本当の過去の自分を悔いたのか、マスコミに全てを公表し、著作権の訂正を申請した。KYOHKOとも離婚し、その後の消息はわからない。
万里子は個人事務所を設立、明日葉の曲作りとマネジメントをこなし、親子二人三脚で頑張っている。抱えているタレントは明日葉の他にもうひとり、KYOHKOから改名した今日子である・・・。 この物語はこれで終わりです。」
「へえ、布施陽介とKYOHKO、それに今や大スターの多木親子にそんなつながりがあったとはねえ。」
「いえ、今のはただの作り話ですよ(笑)」
「あ、そうか、マスター話作るの上手すぎるよ(笑)」
「楽しんでいただけましたか(笑)」
「いやあ、降りたこともない駅をふらついててたまたま入ったんだけどさ、気に入ったよこの店(笑)」
「ありがとうございます。ぜひこれからもご贔屓に。」
「そうしたいんだけどさ、昨日で今の現場がひと段落したからまた別の現場行かなくちゃなんないんだ、次に来れるのはいつになるやら。」
「お待ちしていますよ(笑)」
「マスター、最後に俺にもドライベルモット頂戴、普通のやつね(笑)」
「かしこまりました」
「はあ、俺もこんなつまらない人生の記憶消してもらいたいわ(笑)」
「無理言わないでくださいよ(笑) はい、お待ちどうさまです。」
「お、飲みやすくて美味しいね。なんとなく懐かしい味だ(笑)」
客の男がグラスを空けると店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ。」
「おっと、常連さんが来たみたいなんで俺はおいとまするよマスター。またいつか寄らせてもらうよ(笑)」
「ありがとうございます。新しい場所でもお仕事頑張ってくださいね。」
男は機嫌よく片手を上げて応えると店を後にした。
「初めてのお客さんなんて珍しいわねマスター。」
「いらっしゃい万里子ちゃん。いつものでいいの?」
「お願い(笑)」
「相変わらず忙しそうだね。」
「全部マスターのおかげよ。」
「僕は何も(笑) 君と明日葉ちゃんの実力さ、はい、おまちどうさま」
「でもマスターがいなかったら今の私たちは無いもの、養育費だって言って毎月陽介からの印税を渡して私たちを支えてくれたり、全部渡すと多すぎて気付かれるから残りは積み立てておいてそのお金で事務所を作れだなんて(笑)マスターは恩人だわ。早いものね、マスターが私の事をちゃん付けで呼ぶようになってからもう三年も経つわ。明日葉ももうすぐ二十歳になる。
誕生日にはここに初めて連れてくるつもりよ。足長おじさんを紹介しなくちゃ(笑)」
「君たちが今あるのは君たち自身の強さだよ。本当の記憶を取り戻しても万里子ちゃんは全てを受け入れ、また新しい坂道を上り始めた。明日葉ちゃんも、陽介くんが父親だという事実を受け入れ乗り越えた。」
「ねえマスター、」
「ん?」
「さっき出て行ったお客・・・、陽介でしょ。」
「・・よくわかったね。さすが(笑)」
「・・記憶消したのね」
「ああ、明日葉ちゃんのテレビデビューの翌日、彼は記憶がすり替わっていた真相を聞きにこの店にやってきた。とても信じられないって顔してたよ。それでも当時君にした仕打ちを心から悔いていた。マスコミに全てを打ち明けた彼は日本中から叩かれた、何もかも失った彼は、アジアのとある国に渡ってタレント事務所を作りマネジメントを始めたが、たちの悪い詐欺に合い失敗。行き場を失った彼は、ひっそり日本に戻ってきた。顔も名前も変えてね。そしてまたこの店にやってきて、もう一度記憶を消してくれと頼んだ。何もかも、自分が何者かも忘れて人生をやり直したいってね。何度も断ったんだがあまりの熱意にとうとう・・」
「彼、今何やってるの?」
「どこから来たのかもわからない訳ありの連中と地下にもぐり、鉄道工事の仕事をして各都市を回ってる。今度彼が陽のあたる場所へ出てくる日はいつなのか・・」
「記憶のカギは?」
「それは教えられない(笑)」
「ねえマスター、あのキーボードまだ動くかしら?」
「大丈夫だと思うよ」
「久しぶりに弾いてみようかな」
「お、万里子ちゃんの歌を聴くの久しぶりだな(笑) なにを歌ってくれるんだい?」
「もちろん{陽のあたる坂道~きっと明日は~}」
「それは陽介くんの為にかい?」
「それは教えられない(笑)」
人は皆、人生の坂道を上っています。でも、時にはその足を止めて、途中にある細い路地に寄り道してはどうでしょう。きっと違う景色がそこにあります。そして、その先に小さな店のネオンを見つけたら、その扉を開けてみてください。作り話の上手なマスターが、優しくあなたを癒してくれるはず。
その店の名前は、
「BAR DRY VERMUT」
完