リハシン
「じゃあ、直し入れたらランスルー行きまーす。」
忙しく動き回る大人たち、まばゆいスポットライトの中に私は立っている。
「おらぁ! 上手のサンプレ浮いてんだろ! しっかり貼っとけ! 特効さん! さっきのスモーク多過ぎだな、あれじゃ何にも見えねえよ。それとコーラスのマイク、下手に尺ずらしとけ。ちゃんとバミっとけよ! あと上手のハコ足見切れそうだからハケとけ」
威勢のいい声(罵声と言ったほうが正しいかもしれない)が飛び交う活気に満ちたこの場所は、市ヶ谷にあるジャパンテレビのGスタジオ。歌番組「ランキング10」のリハーサルの真っ最中。昭和に流行った生放送のランキング形式の歌番組を現代によみがえらせたこの番組は、放送開始から一年経つが、なかなかの好視聴率を上げている。リハーサルと言ったが、私にとっては本番なのである、私の名前は明日葉。17歳。ここでの仕事はリハーサルシンガー。リハシン、ダミーとも呼ばれる。スケジュールが合わずリハーサルに来れない歌手の代わりにカメラの前で歌って踊ってリハーサルをこなす。日給5千円。リハーサルの二日前にテレビ局に行き、台本と曲と映像の資料をもらう。台本の一番後ろのページにリハーサルの順番と時間が書かれている。リハーサルに来れない歌手の所には(ダミー)と書いてある。二日間で自分の担当する歌手の曲と動きを覚える。ランキング番組というからにはその時一番売れている人たち、つまりは一番忙しい人たちが出演するわけであって、毎回半分くらいは本人が来れずリハシンが代役をこなす。本番中は司会者がMC席からゲストを送り出すまでの間、セットの立ち位置にマイクを持って立ち、歌手本人が立ち位置まで来たらマイクを手渡すというアシスタントの仕事をしている。毎回ゲスト全員が売れっ子、ミーハーな人にとってはたまらない職場である。もちろんやりたがる人もたくさんいるわけで、こんな仕事にもオーディションがあった。私もたまたま雑誌で見つけ応募した。応募総数は800人、最終選考は100人がスタジオに集められ、自分が用意した曲の譜面のワンコーラスだけをピアノの伴奏で歌う。合格者は私を含め男女3人ずつだった、私はもちろん、皆歌手を志す人たちだ。一年もやっているといろんな経験もできる。女性三人組のアイドルのリハーサルの時、一人だけリハーサルに来れず、ダミーの私は本物二人に混じってリハーサルをした。有名な男性アイドル五人組はいつも決まった二人しか活きたマイクを使わない。バンドがゲストの時は楽器とアンプは繋がない、ドンカマと呼ばれるカラオケで音を出している。だからリハシンはギターもベースも持たずに弾いているマネをする。カメラさんやプロデューサーやディレクターはカメラ越しの動きが見れれば良いのだ。
「ランスルー行きまーす! ダミー! 気持ち上手にずれて。」
さっきから怒鳴り散らしている多木ディレクターの指示に従いリハーサルをこなす。
実はこの人、女性である。現場は職人たちの集まりなのだが、この人、大御所のプロデューサーやタイムキーパーより迫力がある。そして、私がこのオーディションを見つけたのも合格したのもまるで関係なく、全てが決まってから偶然に同じ現場だという事が発覚したのだが、多木万里子ディレクターは私の母親なのである。
女手ひとつで私を育ててきた母は、男社会の中で同情されたり女扱いや特別扱いされるのを何より嫌い、負けん気と根性で実績を積み重ねてきた。今では所属している制作会社のエースである。忙しく時間が不規則なこの世界、子供を育てながら仕事をこなすのは容易いことではない。私が目立った非行もなく普通に育ったのはいつも母の真っ直ぐな頑張りを見ていたからだろう。 母は現場では怖いが普段は私にとても優しい母である、リハーサルシンガーのオーディション合格の話は事後報告だったが、たしなめる事もせず、
「やるからには一生懸命やりなさい。現場の方々に迷惑かけないようにね」
と応援してくれた。
「ただし、現場での親子関係は無し。私が母親だということは口にしないように」
やはり娘に関しても特別扱いはされたくないようだ。