あの頃の憧れの料理とインバウンド飯
とあるエッセイ本を読んでいたら、「その昔サシミはサシミという食べ物であって、マグロとかハマチとか区別はなかった」とあって驚いた。
つまりはサシミ定食を頼み、中身がマグロとアジばかりでも、「なんでえ、アジばかり。マグロも安いキハダじゃないか! ヒラメの1枚も入れやがれ!」と言うことなく、気にせずモグモグ食べてたのである。
いきなり話は変わるが、皆さんは「タテだかヨコだかわからんビフテキ」と言うものをご存じだろうか?
松本零士の『男おいどん』という漫画に登場するごちそうである。
ビフテキ。この文字を初めて目にしたのは小学生低学年の頃、ドラえもんの漫画だったと思うが、これを見て僕は混乱した。
どんな料理かわからなかったのだ。
コマを見る限りどう見てもステーキなのだが、料理名は『ビフテキ』とある。母親に聞いたら「ビーフステーキ、つまり牛肉のステーキ。略してビフテキ」と教えられた。
これを聞いて、僕はさらに混乱した。
ステーキとは牛肉を焼いたものであり、それをわざわざビーフと断り、その上で略すのは、とんでもなく難解な暗号を作っているように感じられたからだ。
なぜ、そんな無駄をする?
その後、ポークステーキやチキンステーキというものもあり、その昔の日本では『ステーキ定食』などと書いてあっても、豚肉の場合があった事を知った。
またまた話は変わるが(話が変わるのはこれが最後です)、皆さんは『ちびまる子ちゃん』のすき焼き回をご存じだろうか?
まる子の家のさくら家では、すき焼きの時に牛肉2に対して豚肉が3の割合で混ぜられているのだという。
この回では家族が肉を口に入れ、「牛だ!」「豚だ……」と一喜一憂する様子が描かれる。
以上のお話には、いずれも共通点がある。
昭和の初期から中期にかけてを描いたお話だということだ。
僕がガキの頃は日本はもう先進国だったから、食卓には牛肉が普通に並んだ。
牛肉のステーキや鯛の刺し身だからと言って喜んだりはせず、むしろ鳥の唐揚げやカレーライスの方が嬉しいなぁ、などと考えていた。
ガキの僕は『豪華な食事』と言われても、パッと思いつくのが机一杯にならんだ結婚式だかのフルコースくらいで、憧れのメニューなんてものはなかった。
しかし、昭和を描いた作品は違う。
すき焼きと言えば子供たちは大喜びし、食卓に刺し身が並べばお父さんは笑顔になり、レストランで一番いい食事はステーキで、家族でそれを食べるのは記憶に残るべき一大イベントなのだ。
今の時代、食おうと思えばなんでも食える。
贅沢な食事と言えばてっちり、てっさ、高級フレンチ、赤坂の料亭、銀座の寿司、世界三大珍味のキャビア、トリュフ、フォアグラとか……。
まあ、大抵の高級とされる料理も、庶民が少し無理をすれば、余裕で食べれる料金となっている。
むろん金に糸目をつけなければ、料理の値段に上限はない。
一人では食べるのが難しい料理もある。仏跳牆とかね。
でもまあ、ちょっと贅沢して食いに行ってみっか! くらいの気持ちで、なんでも食べられてしまうのだ。
行ってみたい店、というものはあっても、『憧れの料理』というものは、ほぼほぼない。
それだけ料理の敷居が下がったと言えるし、食に夢がなくなったともいえる。
世界のドコドコのナンチャラみたいな難解な名前の料理(一日外出録ハンチョウのブルガリア風スクランブルエッグのミッシュマッシュとかね)も、まあそれなりの大都市であれば、グーグルマップの検索一発で見つけられる。
おそらく、日本人だけなんじゃないだろうか?
ここまで飽食の時代を享受してるのは。
僕は時々、『その昔の日本人』の食への意識が羨ましくなる。
あの頃の日本人は、食べたいものがたくさんあったんだろう。
そして、それを口に入れた時の感動は、現代を生きる僕がどれだけ近づこうとしても、決して到達できない高みであったに違いない。
……もっとも、それは貧困と粗食の末の感動であるので、同じ立場になりたいかと言えば遠慮するが。
今、日本には世界中から観光客が押し寄せている。
インバウンド客である。
彼らは一本二千円もする牛串焼きを食べ、ラーメン一杯に五千円出し、ウニやイクラが雑に乗った小鉢の海鮮丼に一万円出す。
見る限り、絶対に美味しくない……と思える料理もある。
それでもインバウンド客たちは、満足そうに美味そうに食っている。
そして、値段に文句を言わない。
アホだなぁ、そしてボロい商売だなぁ、と思う。
円が安くなった、というのもあるだろう。安い日本だ。
しかしながら、もしかしたら彼らは、昭和の日本人と同じ『食への憧れ』を求めて日本へやってくるのかもしれない。
実は味なんか二の次で、『憧れの料理を食べている』その雰囲気を味わいたいのかもしれない。
昭和の貧乏な家族がみんなでレストランに行き、ステーキを注文する。
彼らは出てきた肉が硬いとか、サシが足りないとか、火が通り過ぎてるとか、そんな文句を付けるだろうか?
つけない。滅多に口にできないステーキを食べているという事実に満足し、また他に比較できるほど食ってないから、その肉が筋っぽくて硬かろうがガチガチに火が通ってようが、「あら、こういうものなのね!」と思って、よく噛んで食べるに違いない。
だからインバウンド客たちも、大して美味しくない料理に大金を払い、こう思うのだ。
作り置きで冷えてても、メンが伸びててスープが業務用でも、魚がちょっと生臭くても。
「あら、こういうものなのね!」と。
そしてスマホに向かってニッコリと笑い、「うん、美味しい! やっぱり日本は最高だよ」と言うのである。




