プロローグ⑧
早朝。
テムの家の前には大勢の人だかりができあがっていた。皆、口々に体調に気をつけて、向こうでも元気でねと、暖かい言葉をくれる。だが、テムが探しているのはそんな言葉ではない。人混みを見渡しながら、テムはジノとシアーシャの姿を探す。しかし、テムを見送るために集まった群衆の中にジノやシアーシャの姿はない。
「あの、ジノとシアーシャは……どこに」
「ジノは家にいるよ。昨日の今日だ。また、騒ぎを起こされたら困るからね」
「シアーシャは私たちも見ていないね。もしかしたらまだ寝てるんじゃないかい」
「そう……」
これでお別れなんて考えたくもない。
「テム様、そろそろ出発のお時間です」
「うん……わかった」
「それじゃあみんな、バイバイ」
みんなの目には涙が流れていた。
「ちゃんとしっかりご飯を食べるんだよ!」
母親のその声に、テムは唇を振るわせる。
ラミューが後ろから、頭を擦り付ける。まるで、しゃんと背を伸ばせと言っているかのように。
「そうだね。行こうか」
馬車に乗り、ラミューはその側を歩く。馬車はガタガタと小刻みに揺れながら渓谷のすぐ側を進んで行く。最後くらいジノやシアーシャとあいたかったな……。どんな話でもいい、また三人で笑いあいたかった。そんな小さな願いごとも、叶わないなんて神さまは意地悪だ。窓の外を眺めながら、テムは村にいた時のことを思い出していた。初めて自分のナムタを持てた時のこと、母親とたあいもないことで喧嘩をした時のこと、シアーシャとジノの三人で村を抜け出して遺跡の花畑に行った時のこと……全てが、テムにとって大切な思い出だ。
それも、今日で終わり。もう自分は外の世界を知ることなんてできない。泣きたくないのに……どうしてだろう。涙が止まらない。
「――ム!」
「……テム! テム!」
その時、声がしてテムは窓の外を見た。
丘の上。枯木の上にひとつの影が見える。
「……シアーシャ!」
「テム! さようなら!」
「もう二度と会えなくなっちゃうけど……テムのこと絶対に忘れないから!」
「だから……悲しまないで! ひとりじゃないから!
私たちはずっと……友達だから!」
その言葉にテムは俯くことしかできなかった。そうしないと涙がこぼれ落ちてしまうからだ。ずるいよ……。こんなお別れなんて、嫌だ。もっとみんなと遊びたかった。もっとおしゃべりしたかった。ダメだ……今は何を考えても後悔ばかりが浮かんでくる。
「ありがとう……シアーシャ! またね!」
「私、立派なお姫様になるから! だから、心配しないで……! ジノのこと、頼んだよ!」
馬車から乗り出して、テムは大きく手を振る。別れと言うものはいつも突然だ。悲しいことも、嬉しいことも全部ひっくるめて思い出になる。だからこそ、自分がどれだけ恵まれていたのか肌に染みるほど理解できた。もう寂しくない。これでよかったんだ……。
「テム!」
もうひとつ、声が上がった。男の声。聞き覚えがあるその声と共に、馬車は大きく揺れ、止まる。
「なに……?」
慌てて外に出てみると、そこにはナムタに跨ったジノがいた。護衛の兵士たちが、ジノに向かって剣を向けている。
「待ってろテム、今助けてやるからな」
ジノはナムタを乗りこなし、兵士たちを蹂躙する。尾で兵士を薙ぎ払い、火球で弾き飛ばす。その勢いのまま、尾がテムの頭上をかすめ、馬車が渓谷の底に沈んでいく。
「やめて! ジノ!」
その声はジノに届かない。
「お願いジノ! 私の声を聞いて! 私は辛くなんてないの! これは仕方のないこと……もうこれ以上、あなたが傷つく姿を見せないで!」
何度叫ぼうが、ジノは反応を見せない。どうして。どうして声を聞いてくれないの……。
「ラミュー、お願い! ジノを止めて!」
ラミューは、暴れるジノたちの前に立ち塞がる。固い鱗に護られたナムタの肌にラミューは噛み付く。
「……なっ。なぜだテム! なぜ俺を止めようとするんだ!」
「お願い……聞いて、ジノ」
「くそっ! 離せ!」
「……ジノ」
ラミューを引き剥がそうとジノのナムタは身体を激しく動かす。
「テム様、お下がりください。ここは我らが……」
――その時だった。
ジノのナムタが突然、テムのいる方向へ火球を放った。咄嗟のことで判断が鈍ったのだろう。突然、ラミューに襲われ、兵士たちに動揺した焦りから、ジノの命令を聞くよりも前に行動してしまったのだ。
「――あぶない!」
直撃する寸前、誰かがテムを庇った。テムは、渓谷には落ちなかったが、軽い火傷を負っている。ハッとして、テムは辺りを見渡す。渓谷の方へ視線をやるとそこには、崖から落ちかけているシアーシャの姿があった。
「シアーシャ!」
テムは咄嗟に手を伸ばす。
「テム……ごめんね。私……何もできなかった」
「何もできなかったって……何言ってるの? シアーシャ」
「昨日の夜……私、あの場所にいたの」
「ずっと後悔してたの……なんであの時、テムを助けなかったんだろうって」
「私、テムに嫉妬してたの。家族もいて、好きな人もいて、才能にも溢れているテムのことが羨ましくてたまらなかった」
「私には何もなかった。だけど、こんな私にも友達と呼べる存在がいた……それが嬉しかった。だから、最後くらい、笑顔で見送りたかったの」
「テム……どうか……幸せに」
「シアーシャ……!」
テムの伸ばした手は、空気を撫でた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!」
シアーシャは、暗闇に沈んだ。やがてシアーシャは、視界に映らないほど小さくなり、水底に落ちた水飛沫の音だけが、テムの耳に反響した。




