プロローグ⑦
「おやすみ。シアーシャ。日々の感謝を忘れずにね」
「はい……先生」
夜がふけて来た頃。シアーシャは自分の部屋の窓から外を眺めていた。未だに、現実味がない。テムがこの村を去るなんて……テムは今、何をしているんだろう。
そう考えがよぎった時、暗闇に動く影が二つ見えた。
「――ん?」
目を凝らしてみせる。
「ジノ……? それに、あれは……」
星空の下には、ナムタに跨るジノとテムの姿が見えた。
こんな時間にどこへ……。
予感めいた感覚に従って、シアーシャは外へと走る。二人の手に持つ小さな松明の光がシアーシャを導く。
たどり着いた先は、村から少し離れた古代の遺跡群が並ぶ花畑だった。大方、王国へ嫁ぐことを嫌がったジノがテムを連れて、ナムタに乗って逃げようとしていたのだろう。かけおちしようとでも考えたのか。
シアーシャは姿を隠しながら、距離を近づける。
「ここまで来れば、追っ手が来ても逃げ切れるだろ」
「うん……ありがとう。ジノ」
「寂しくなるな……」
「そんなこと言わないでよ。きっと……またいつか会えるから」
「テム……」
「ん?」
言わなければ。これでお別れになるのなら最後に自分の思いを伝えなければ、きっと後悔する。だが、その言葉は喉の奥に引っかかって中々吐き出されない。
「その……お、俺……俺は……俺は」
「テムのことが……」
「その……」
「知ってる」
「……え?」
「知ってたよ。小さい頃からずっとね」
その言葉にジノは喉を詰まらせる。
「なんだよ……それ。最後くらい、別れの言葉を言わせてくれよ」
「ごめん」
「お前は……いっつもそうだ。空気が読めなくて、うるさくて、周りのことなんか何も気にせずに馬鹿騒ぎばっかりして、村の大人たちに何度も怒られて……本当にどうしようもないやつで……俺は……」
「そんなお前が大好きだった」
二人の間に短い沈黙が流れた。
「いたぞ!」
空から別の声がした。村人たちがナムタに跨り、ジノたちを追う。このまま何もしなければ、二人は捕まってしまう。ジノはテムの為に、罪人になってでも助けようとしているのに、自分はただ見ているだけか? ダメだ。それだけはダメだ。でも、このまま彼らを見逃したら、村はどうなる。村か、友達か……。シアーシャの天秤はどちらにも揺れなかった。でも、とにかく、今は二人を……。
「行けよ……早く行け!」
「ジノ……私」
「いいから行けよ! 早く!」
「ジノ……聞いて……私」
「黙れ! とっとと消えてくれよ! これ以上……お前の姿を見ていたくないんだよ……!」
「ジノ……」
「ごめんね……」
「捕まえろ!」
テムは動かなかった。まるで、全てを受け入れる聖母のように慈悲深い瞳のままジノを見つめていた。
……何もできなかった。自分と言う人間はやっぱり何もできない、ただの臆病者なのである。彼らに気取られないように、必死に呼吸を抑えながらシアーシャは俯いていた。自分は今……友達を見捨てたんだ。どうして何もしなかった。どうすれば許される。ごめんなさい……ごめんなさい。
ジノの叫び声が夜の深淵を貫いた。それは、悲壮に包まれた絶望の雄叫びだった。




