遠ざかる心⑤
爆音が鳴り響き、バアルたちは群衆を掻き分けながら、街の外を目指す。街は森に囲まれており、火の手が木々にまで広がっている。追手から姿を隠して逃げれるのは森の中だけだ。それを理解しているのか、ほとんどの住人が炎に抱かれた森の中に逃げ込む。しかし、シルド王国の連中は、ナムタを乗りこなしている為か、火球を森の中に飛ばし、どこへ行こうとも炎が足を止めさせる。この統制された動き……まるで、誰かの命令に従っているかのようにナムタの動きには無駄がない。
シルド王国でナムタを操れるのは、ひとりだけ。まさか……テムがここにいるのか。一体何のために……なぜ、この国を襲った。
この国には、生き残った生贄の民も大勢いる……テムの狙いは、そこか……。かつての同胞すらも、殺してしまいたいのか。
そこまで、シアーシャたちを恨んでいるのか……いや、当然か……愛する我が子を失う気持ちはシアーシャにも理解できる。でも、こんなことをするなんて間違っている。なんの関係もない人を巻き込んでまで復讐したいのか……。
「シアーシャさん伏せて!」
その言葉に驚き、咄嗟に身体を伏せると、バアルの放った矢が物陰に隠れた兵士を貫いた。兵士がいたこと自体に気がついていなかった。油断していた……今、バアルが助けてくれなければ自分は確実に死んでいた。考えるのは後にして、まずはここから逃げなくてはいけない……でも、どこへ逃げればいいの。
「こっちです!」
バアルはシアーシャの手を取る。風向きを詠んで炎の動きとは反対の方向へ行く。周辺は、紅く燃える炎に包まれ黒煙が登る。息が苦しい。黒煙が肺を焼き、呼吸をするたび、喉が燃える。煤に塗れた顔のせいで、肌がざらつくように荒れている。
後ろから足音が聞こえる。敵兵だとしたらこのままでは二人とも捕まってしまう。せめて、シアーシャだけでも助けられないか……バアルはそう考える。ひとりで兵士と戦えるのか不安はある……だけど、人を殺すのはこれが初めてではない。シアーシャは戦えない、だから自分が守らなくてはいけないんだ。自分の腕を信じるしかない。
「シアーシャさんは先に逃げてください」
固く握った手をほどき、バアルはシアーシャに背を向ける。
「ダメです。バアルさんも一緒に……」
「行って! 早く!」
拍車のかかった声に圧倒されて、シアーシャは炎の中に消える。
「こっちだ!」
まずひとり、シアーシャの後を追おうとした兵士の頭を狙い、射抜く。
その矢が最後の一本だった。後はもう、自分の剣術に頼るしかない。
木影に身を隠しながら、兵士は近づいてくる。その隙を狙って距離を詰める。物陰にジッと息を潜め、こちらに近づくのを待つ。足音がすぐそばまで近づくと、バアルは飛び出して、長剣で兵士を二人、切り伏せる。数が多い……ひとりひとり相手にしていたら時間がかかる。せめて、シアーシャだけでも逃げられる時間を稼ぎたい。
「バアルさん!」
その時、どこからか甲高い悲鳴があがった。ふと、視線を移すと、そこにはシルド王国の兵士に捕まっているシアーシャの姿があった。炎のせいで、感覚が鈍っていたのだろう。逃げた先に兵士がいるなんて予想もしていなかった。
「いや! 離して!」
「シアーシャさん!」
すぐに駆け寄ろうとしたが、周りの兵士たちが立ち塞がる。
「どけ!」
刃を突き刺し、兵士を惨殺する。だが、遅かった。シアーシャはもうすでに炎の中に姿を消しており、彼女の痕跡はひとつも残っていなかった。
「クソッ! クソッ! クソォッ!」
地団駄を踏みながら、バアルは怒る。まだそう遠くには行っていないはずだ。勘を頼りにバアルは森を出る。森を出た先は、港で火の手はないが、海からシルド王国軍が攻めてきており、ここも長くは持たないだろう。
周りでは、シルド王国の兵士とエル王国の兵士たちの混戦が続いていた。あの人混みを駆け抜けるのは無理だ。きっとシアーシャは船に連れて行かれたはず、どうにかして兵士に見つからないように近づけないだろうか。
「父さん……?」
聞き覚えのある声がして、バアルは振り返る。
「その声……クリフか……?」
沈黙が二人の間を流れた。
「止まれ!」
沈黙を突き破るように、荒々しい声が響いた。
「お前たち……エル王国の人間か?」
二人は何も答えない。敵に見つかってしまっては、もう抵抗もできない。死を覚悟していたからこそ、何も言葉が出てこなかったのだ。
「跪け!」
素直に、バアルたちはその言葉に従う。
「安心しろ、降伏するのなら危害は加えない……」
「ん?」
目の前の兵士が、覗き込むように二人の顔を見比べる。
「んん?」
呼吸が伝わるほど、目の前の兵士はバアルへ顔を近づける。
「もしかして、アンタ……バアル兄ちゃん……?」
今……なんと言った。なぜ、敵兵がバアルの名を知っている。突然のことで、バアルは動揺する。
「やっぱり……! バアル兄ちゃんだよな!」
「俺だよ、俺! ミゲルだよ!」
ハッとして、バアルは息を呑む。
「ミゲル……! お前、ミゲルか!」
「ああ、そうだよ!」
「ここにバアルがいるってことは、そこにいるのが……」
「クリフだ」
「なるほどなぁ……最後に会った時は、ちっちゃい赤ん坊だったのにデカくなったもんだな」
「あの……父さん……この人は?」
「話は後にしよう。二人はまず逃げた方がいい。この港ももう持たない」
「いや、それはできない」
「なぜ?」
「シアーシャさんがシルド王国の連中に捕まったんです……早く助け出さないと手遅れになる……」
「母さんが……捕まった?」
「さっきの報告はそれか……生贄の民の女を捕まえたと聞いていたが、それがシアーシャだったとは……」
「とりあえず二人は、ここから逃げてくれ、ここから離れた所に俺の知り合いと妹が住んでるから、その人を訪ねて見てくれ」
「国境沿いの森に大きな三本杉がある。まずはそこで合流しよう」
「その知り合いは信用できるのか?」
「悪い人じゃない。きっと歓迎してくれるさ」
「そうか……ありがとう……ミゲル」
「礼には及ばないよ。また後で落ち合おう」
今は自分たちのことより、シアーシャの身が心配だ。シアーシャはきっと、シルド王国に連れて行かれたのだろう。今は、彼女の無事を祈ることだけしかできない。しかし、ここで死ぬわけにもいかない。バアルとクリフは、森の中へと向かう。二人は、足早に駆け走り、燃え盛る炎の中に消えていくのだった。




