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プロローグ③

「来たか」


テントに入ると、そこには長老と数名の村人がいた。皆、重苦しい空気を纏っており、その余波がバアルにまで伝わる。


「座れ」


バアルは素直に、テントの中央に座る。


「お前の処遇が決まった」


重たい空気がさらに重くなった。


「バアルよ……お前はもう狩猟の民ではない」


その言葉にバアルは少し動揺した。


「お前が破ってきた掟の数々。それは到底、許される行為ではない。民の忠告を聞かず、好き勝手に村のならわしを汚した行為は万死に値する。普通ならば死刑でもおかしくないほどの重罪だが、私とて家族を殺したくはない。これは私からの温情だ。よって、お前をこの村から追放する」


その言葉に驚きはない。最悪の場合、殺されることも脳裏にはあった。自分の命だけでも助かったのだ。これで良かった。


しかし、後悔がないと言えば嘘になる。自分がいなくなれば、母はどうなる。自分が狩りをしなければ母は長くは生きられない。それも、父は知っている。最初から全部知っていたのだ。息子が誰のために狩りをするのかわかっていても、父はその行為を止めることができなかった。こうするしかないのだ。こうするしか……。


「わかりました」


低い声がバアルの口からこぼれた。


「今までお世話になりました」


「支度をしてきます」


息子はいつか親元を離れる。仕方のないことなのだ。村を守るためなんだ……。長老として、自分の責務を全うしなければいけない。家族だけを特別に扱うことは許されていないのだ。


「長老……長老!」


バアルが外に出ようと立ち上がったその時、突然、村の若い衆がテントの中に滑り込んできた。


「何事だ」


「大変です! シルド王国の連中が攻めてきました……!」


「なんだと。奴ら、今更何をしにきた」


テントにいた数十人が長老に続き、外へ出る。


遠くに村人ではない大勢の群衆が見える。白い巨獣に、武器を構えた兵士。外はシルド王国の師団に包囲されていた。


「おやおや、これは長老殿ではございませんか。おひさしゅうございます」


「貴様ら……一体何をしに来た」


「何と言われましても、我々は国王の命により、この土地を譲れと交渉しに来たのですよ」


「その答えは去年も伝えただろう。私たち狩猟の民は貴様らシルド王国に下らないと互いに決着したはずだ!」


「話のわからない馬鹿ですね……今更、話し合いで解決する訳ないでしょう」


「なに?」


「いいですか? 私たちは、国王の命によりこの土地を必ず、手に入れろと命令を請け負っているのです。その為には手段を問わぬとも仰られていた。つまり、あなたたち狩猟の民が死んでいようが生きていようが私たちには関係ないのですよ」


「何が言いたい?」


「つまり、この土地を手に入れるためにあなたたちが邪魔なので……今から全員、殺します」


「……なっ」


()て」


暗闇に、炎が灯った。火のついた矢尻から火の粉が舞い、テントを焦がす。


悲鳴が沸いた。そして、虐殺が始まった。


逃げ惑う人々。その中にバアルの姿があった。バアルは母のいるテントへと走る。母のテントは丘の上にあって火の手からは外れている。しかし、シルド軍が攻めてくるのも時間の問題だ。


「母上!」


「バアル……何があったの?」


「シルド王国の連中が攻めてきました。ここはもう安全ではありません。逃げましょう」


母の手を掴み、バアルは走る。大弓と矢を数本乱雑に掴むと、バアルは丘の下で逃げ惑う人々を見下ろした。


「母上は先に行ってください!」


「バアル! どうする気なの」


「俺は出来るだけ多くの人を救います。母上は逃げてください!」


「でも……」


「早く!」


バアルの気迫に押されて母は走った。それでいい、例え自分が死んでも、母さえ生きてくれればいい。


丘の上から、バアルは弓を引き絞る。シルド軍のうなじを狙いながら。


その間、バアルの矢は外れることなくシルド軍を仕留めた。


「なんだ! どこから矢が飛んできているんだ!」


シルド軍は混乱していた。慣れていない場所に加えて時刻は夜。視界は頼りにならない。


バアルは、場の混乱に乗じて、村を駆ける。


「いたぞ! あそこだ!」


兵士がバアルの姿に気がつくと、乱れた足取りで距離を詰めてきた。兵士たちは遠方から矢を飛ばして、こちらを牽制してくる。まともに動けない。


「おかあさーん!」


その道中、少女の悲痛な叫び声が聞こえてきた。すぐ真下に、怪我をした少女が一人。


「そこか!」


兵士が剣を振りかざしたその瞬間、風を切る音と共に頭蓋骨が矢によって貫かれる。最後の一本。考えもなしに反射的に射ってしまった。


「大丈夫か?」


少女に近づくと、体が倒れかかる。肉体からはザクロのように血が塊として流れ出している。もうすでに少女は死んでいた。


「クソッ!」


舌打ち混じりにそう呟いた。その時だった。


「後ろ!」


どこからか聞こえた村人の声に反応して背後に振り返ると、そこには後ろから数十人の弓兵がこちらに狙いを定めていた。


まずい。避けきれない。身体を庇うように包み込もうとしたその時、人の肉を切り裂く悲痛な音が響いた。だが、バアルに怪我はない。矢が外れた訳でもない。


ハッとしてバアルは振り返る。


目の前には、バアルを庇う母の姿があった。


「母……上……」


よろめきながら、後ろに倒れ込み、母はバアルの体に抱かれる。


「無事……ですか?」


「は……はい……」


「良かった……」


「生き……て」


それが母の最後の言葉だった。先ほどまで、笑顔で自分のためにマフラーを編んでいたことを自慢げに語っていた母が死ぬなんて想像もしていなかった。ダメだ。まだ死んではダメだ。まだ何もあなたに恩を返せていないのに……。たくさん話したいことがあったのに……誰よりも生きていて欲しかったのに……。なぜだ。なぜ母が死ななければいけないのだ。これが神の仕業だと言うのならなぜ俺を殺してくれなかった。これが天罰だと言うのならそれでいいさ……どんな罰でも受けて立つさ。だけど……母だけは守ってほしかった。こんなことって……あんまりだ。


「母上ぇぇぇぇぇ!」


絶望に染まった絶叫が響いた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」


バアルはすぐさま、側に倒れた兵士の長剣を引き抜き、弓兵たちの元に走り出す。その姿はまるで、怒りに染まった獣のように見えた。


「ひ、ひぃ!」


次の矢を射る前に、弓兵はバアルの剣筋により死の糸を撒き散らす。その糸は赤く、弓兵の胴を、腕を、足を、頭を切り裂いた。


十人を相手にすることなど容易だった。弓兵は近距離戦にはめっぽう弱い。近づきさえすればこちらのものだ。


「バアル!」


また、声がした。それが父の声だと言うことにすぐ気がつけなかった。


「バアル……無事で良かった」


「母さんはどこだ? 一緒じゃなかったのか?」


重い沈黙を破り、バアルは小さく呟く。


「……死にました」


母の亡骸にバアルは指を向ける。


その言葉と妻の亡骸に、父は喉を詰まらせた。


「そうか……」


父の言葉は淡白だった。


「村人の避難がまだ終わってない。このままだと全員、皆殺しだ。ここには戦えない村人も多い、お前も手伝え」


「……なんで悲しがらないんだよ」


「母上が死んで悲しくないのかよ」


バアルは声を震わせながら言う。


「仕方がなかったんだろう。アイツも長老の家に嫁いだ身だ。自分の死くらい前から覚悟していただろう」


「それだけかよ」


「アンタはいっつもそうだ! 母上が一人で病気で苦しんでいる時だって、アンタは一度も心配したことなんてなかった! たった一度もだ! そんなに村のことが大切なのかよ……掟を守ることがそんなに偉いのかよ!」


「母上のことをどうして愛してあげなかった! なんで俺ひとりに母上を任せた! 俺たちは家族じゃないのかよ……辛い時も嬉しい時も、一緒にいるのが家族だろ……。どうして、アンタはそうやっていつも他人事のように母上のことを語るんだ……」


「なんで母上が死んで、アンタが生きているんだよ」


「アンタなんか……母上の代わりに死ねば良かったのに」


その時、重く頬を叩く音が響いた。父がバアルの頬を叩いたのはこれが初めてだった。


「なんだよ。怒ったのか? やっと父親らしい姿を見せたな」


「でもな、俺はアンタのことを、父親だと思ったことなんて一度もない。俺たちはもう……"家族"じゃないんだからな」


「後悔しても遅いんだよ……家族を見捨てたのはアンタ自身だろ」


「さようなら。父上」


そう言い残し、バアルは走り去る。黒く暗い深淵の中へ。


火に巻かれた豪炎の中で父はひとり立ちすくんでいた。後悔なんてないはずだった。妻が病気で倒れた時も、妻の体より村の人間たちにどうやって迷惑をかけずに生活できるのかといつも考えていた。息子が生まれた時も、息子としてではなく、長老の後継者として育ててきた。そうして、気がつけば、自分の側には家族と呼べる存在が消えていた。もっと、家族と触れ合っていれば……もっと家族のことを大切にしていれば……。思えば、父親としてバアルに何かしてあげたことなんて一度もなかった。妻の世話も全てバアルに押し付けて……自分は何もせずに、ただ辛い現実から目を逸らしてばかり。情けないものだ。


どうしてだろう。


今になって後悔ばかりが浮かんでくる。なぜ、家族を知ろうとしなかったのだろう。これは、自分に与えられた罰なのだろうか。家族から目を逸らしてきた自分への天罰なのだ。どんな謝罪を並べてももう遅い。こんな自分……嫌になる。死ね……死んでしまえ。家族のことを思うのなら今すぐ死ね。自分は生きる価値のないクズなんだ。妻も息子も、自分を置いて遠くに行ってしまった。こんな人間のところに嫁いでさえいなければ……こんな人間のところに生まれてさえこなければ……きっと幸せだったろうに……。すまなかった……。


誰でも良い……誰か殺してくれ。殺せ! 殺してくれ!。


妻の亡骸に縋り……父は涙を流していた。初めて流した父の涙は温かく……大粒の水滴が頬をつたった。父は母の体を抱き上げ、兵士に見つからぬうちに、逃げ惑う村人たちから背を向け……時を同じくして闇夜の中に消え去った。家族か村か、その天秤が最後に揺れたのだ。自分は家族と共に逃げる。例えそれが村人たちを裏切ることだとしても……また、後悔することになっても、死ぬのなら家族と一緒が良い。どんな未来でも、また一緒にいたい。そう思うのは、わがままだろうか。

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