翼の折れた巨獣①
「ひい……ふう……みい」
帰り道、シアーシャは賃金を数えていた。手のひらには銀貨が十八枚と銅貨が六枚ある。バアルへ払う金と生活費を割ると、手元には半分も残らない。
「このままだと生活できない……節約しないと……」
このままでは、お金が尽きて共倒れになるかもしれない。それだけは、なんとしてでも避けたいところだが……。
「ダメダメ。弱気になったらバアルさんやクリフに心配かけちゃう。私はもうひとりじゃないんだから」
そうやって、薄明かりに照らされた道を歩いている時、どこからともなく暗闇を突き破る悲鳴が聞こえてきた。
「ん?」
シアーシャは足を止める。
「今の声……なんだろう」
声のした方へ、シアーシャは駆け寄る。村の入り口に何かいる。人……ではない。獣……にしては大きすぎる。地を踏み締める音がこちらに寄ってくる。街の灯篭に照らされて獣の姿が露わになる。
「……え」
その姿にシアーシャは息を呑む。
「ナムタ……」
白い鱗に身を包んだ怪物が目の前にいた。
「どうしてこんなところに……」
ナムタは普通、人を襲わない温厚な性格のはずだ。人里にも滅多に姿を表さないと言うのに……なぜこの村に来た。何かおかしい……様子が変だ……。
足元には血が流れて、腹を食い破られた村人の姿があった。地面を這うように血がただれ落ちる。
亡骸の側に小さな影が見える。ナムタの赤ん坊が、亡骸の肉を貪っている。
「赤……ちゃん?」
「GRAAAAAA!」
突然の咆哮にシアーシャは耳を抑える。
新しい餌を見つけたと思ったのだろう。ナムタはシアーシャに向かって迫り来る。
咄嗟にしゃがみ込んだ瞬間、誰かがシアーシャの身体を庇った。抱き寄せられ、地面に転がる。
「無事ですか?」
「バアルさん……!」
シアーシャの前に立ち、落ち着いた様子で問いかける。
弓を構えて、バアルはナムタの動きを伺う。
「バアル伏せろ!」
背後から矢が勢いよく空気を切り裂いた。その矢はナムタの身体に突き刺さったが大した威力がないせいか、ナムタの暴走は止まらない。
「シアーシャさん!」
ナーヴェがシアーシャを呼ぶ。
「俺たちが獣の気をひいているうちに、ナムタと話しをしてなんとか追い払うことってできますか?」
「え……いや……」
「これしか方法はないんですよ! 時間がない早く!」
正直、無謀な事だと自分でも思う。獣の言葉がわからない自分に、止めることなんてできない。だけど、ナムタはこんなことをするような生き物じゃない。これは、赤ん坊の為にやったことなんだ……これは、仕方のないこと……だけど、これが正しいことだとは思わない。少しの可能性だけでも試したい。家族同然に過ごしてきたナムタたちを殺したくない。この子も母親だ……自分のように大切な家族を守るためにこんなことをしたんだ。自分と置かれた立場が似ている部分もあるせいか、シアーシャの頭にはナムタを殺すと言う選択肢はなかった。話さえ通じれば……あの子を止められる。奇跡さえ起きれば言葉が通じるかもしれない。希望を信じたい。シアーシャは、ナムタの方へ向きなおす。ナムタは、踊り狂ったように激しくみじろぎしている。
「わかりました。試してみます」
バアルたちの前にシアーシャが踊り出る。身体が震えて、恐怖を感じているのがわかる。それでも逃げずに立ち向かわなければいけないんだ。
「お願い……私の言葉を聞いて! この村の人たちを襲わないで……! ここにアナタの敵はいないの! だから……」
どうか……この声が通じて。
「GRAAAAAA!」
アナタを殺したくないの……。
「お願い……」
「AAAAAA!」
ナムタは再び、シアーシャに襲いかかる。
バアルは、シアーシャの身体を引き剥がしてナムタの正面に躍り出る。
弦を引き、狙いすます。
バアルから放たれた矢はナムタの眼球を貫き、水気を帯びた破裂音が聞こえた。
「GAAAAAA!」
地面に転がり、羽をばたつかせる。その姿を見て、バアルは直感する。この獣は空を飛べないのだ。翼を見てみると、膜が破れていて翼が折れ曲がっている。
「なんだなんだ! 何事だ!」
周りの村人たちも騒ぎを聞きつけて、家の外に出てくる。
「シアーシャ! バアル!」
その中には、ジェルドとディナたちの姿があった。
「来ちゃダメ!」
シアーシャの声に、村人たちは足を止める。
ナムタは暴れまわり、尾を振り回す。
「避けろ! バアル!」
ジェルドたちの声に振り返ってしまい反応が遅れたのか、避けきることができなかった。バアルの身体にナムタの尾が直撃する。
弾き飛ばされ、石壁を崩しながら力を無くしてバアルの身体はその場に横たわる。
「バアル!」
ナムタは身体を起き上がらせ、地面を這う。逃げようとしているのか。
「逃すか!」
ナーヴェが矢を射ろうとした。しかし、その矢はナムタに命中することなく闇に消えていく。
「バアルさん……! バアルさん!」
気を失っているのか、バアルの返事はない。
「いや……いやだ」
「バアル! しっかりしな! バアル!」
ディナとジェルドがバアルの名を呼ぶ。
「とりあえず家まで運ぶぞ」
「ナーヴェ、お前は足を持て。俺は身体を持つ」
「ああ。わかった」
身体を抱き上げて、ナーヴェとジェルドは家まで急ぐ。重い。人の体重というものはここまで重いものなのか。決して死なせはしない。彼は、ここで死んではいけない人なんだ。待っている人がいるんだろ。なら、生き延びてその人たちを守らなきゃ意味がない。死ぬな……絶対に生き延びさせてみせる。……絶対に。




