プロローグ②
目を上げるとその先に村がある。
狩猟の民の故郷だ。
村の入り口を超えた青年の視線の先に、数名の人影が見える。
「どこに行っていた」
一際、大柄な体躯をした男が短く言う。
「別に……ただ狩りに行っていただけです」
青年は目を合わせず、ぶっきらぼうに返答した。
「また、村の掟を破ったんだな」
その言葉に青年は苛立ちを覚えた。冬と言う季節は、獣が神に変わる季節だ。獣は神となり、人里から姿を消し、次の春までこの大地に神の血を流させてはいけない。狩猟の民の神は獣。獣を狩るのは春と夏と秋の季節だけ。冬は神を信仰し、狩りをしないのが古くからのならわしだ。
それを青年は破った。
「何度言えばわかるんだ。お前ひとりの勝手な行動で大勢の村人が困るんだぞ。神の怒りに触れて祟りでも起きたらどうするつもりだ」
「馬鹿馬鹿しい」
「なんだと?」
「神なんか信じて何か変わるのわけでもなかろうに。今年だって食糧が足りずにみんな飢えに苦しんでいるじゃないですか」
「みんなを飢えで苦しませるのが長老の勤めなのですか?。随分と良いご身分ですね。父上」
「この調子だと、シルド王国の傘下に入るのも時間の問題かもしれませんね」
「馬鹿者! 我ら狩猟の民がシルド王国に屈する訳がなかろう! それに加えて長老様を侮辱するとは……恥を知れ!」
青年の言葉に、初老の男が反論した。
「飢饉すら食い止められないこの村に、未来なんてありませんよ」
「その言葉、取り消せ! お前のような若い衆にこの村の何がわかる!」
「ジェド、もう良い」
「しかし……」
「もう良いと言っているのだ」
「バアルよ。お前もわかっているだろうが掟は掟だ。今からお前の処遇を決める。それまで家で大人しくしていろ」
バアルは、何も言わずに人混みを掻き分けながら村の中に消えた。
「見てよアレ……」
「バアルのやつ、また掟を破って狩りに出たのかよ」
「懲りないねぇ」
「狩猟の民の恥晒しだな」
そんな言葉を浴びながらも、バアルは村を歩き続ける。自分のしていることが悪いことであると言うことは十分承知している。それでも、バアルが狩りをするのには理由があった。バアルの歩く先。丘の上に小さな居住テントがある。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
テントの中は暖かく、空間の中央に一人の女性が横になっていた。
「母上、身体の調子はどうですか?」
「今日は随分と元気だったわ。ほら、見て……久しぶりに布を織ってみたの、綺麗でしょう?」
女性はそう言って、淡い色の布を見せる。
「あなたのマフラーを作ろうと思ったのだけど失敗しちゃったわ」
「俺にマフラーなんて……似合いませんよ」
「そうかしら。あなたなら何を着てもカッコいいわよ」
「褒めても何も出ませんよ」
外に出てバアルは、母親に気づかれないように山鹿の肉を捌く。皮を剥ぎ取り、血抜きをして、火にくべてこんがりと肉に焼き目をつける。母には狩りをしていることは秘密にしている。きっと自分のために狩りをするバアルのことを心配するだろうから、日々の食事は近所の人に分けてもらった物だと、母にはそう説明している。母の体は弱く、栄養のある肉や乳を飲まなければ、すぐに弱って死んでしまう。母が生きていられるように、バアルは毎日のように狩りをする。それが掟を破ることだとしても、母の命に変えられるものなど他にないのだ。
「今日のご飯は何かしら」
「山羊の乳と山鹿の肉で作ったシチューですよ」
「あら、美味しそう」
「今日も、近所の人から分けてもらったの?」
母親は、食事に手をつける前にそう呟いた。
「えぇ……まぁ」
「誰からなの?」
「え、えぇと……下に住むおばちゃんからですよ。ほら、いつも看病しに来てくれる……」
「あぁ! ノサルさんね。そう……あの人が分けてくれたのね」
「なら、今度お礼に行かなきゃ」
「母上は休んでてください。俺から伝えておくので」
「あら、そう?。でも、私もお世話になってるから顔くらい見せに行かなきゃ」
「母上は病人なんだから、休んでなきゃダメですよ」
「そう……そうね。無理して病気が悪くなっちゃダメよね」
「そうですよ。母上は安静にしてなきゃ」
「それにしても……今年は昨年に比べて肉も乳も少ないからみんな大変なはずなのに……こうして分け与えてくれる人がいるなんて私たちは幸運ね……これも神さまのおかげかしら」
「そう……ですね」
消え入りそうな言葉を吐く。その瞬間、突然、母が咳き込んだ。まるで呼吸の仕方を忘れた魚のように口をパクパクさせながら、口から鮮血を吐き、その場にうずくまる。
「母上……母上!」
「しっかりしてください! 母上!」
「だい……じょうぶ……だいじょうぶだから。心配しないで」
「でも……」
「今日はね、とても元気がいいの。いつもとは比べものにならないくらい」
「こうして、あなたと話せるのが……嬉しくて……いつもは、お話しもできないでしょう? だから、つい興奮しちやって」
「母上……」
「大丈夫……あなたが思っているより、私は強いのよ。だって、あなたのお母さんだもの」
母の笑顔が大好きだった。母が病気になったのはバアルが生まれてすぐのことだ。体を崩して寝込む日が多く、普通なら喋ることもできないほどに、母の病気は確実に体を蝕んでいた。それでも、時折、こうやって話をするのが、バアルにとっても母にとっても大切な時間だった。
母はいつか死んでしまう。それは、神に祈っても変わることのない現実である。だからこそ、この時間を大切にしたい。母のために出来ることならなんだってしてみせる。それが掟を破ることだとしても……。
「ちょっと興奮しちゃったみたい……もう、大丈夫だから」
そう言いながら、母は再び横になる。
「ご飯は後で食べるわ。ごめんなさいね、せっかく作ってくれたのに」
母は申し訳なさそうに小さく呟いた。
「バアル」
その時、背後から声がしてバアルは振り返った。
「長老がお呼びだ。すぐに来てくれ」
「今か?」
「今だ」
「けど……今は母上の調子が」
「私は平気よ。お父さんの所に行ってあげて」
「ですが……」
「きっと大切な話があるのよ。私は大丈夫だから……ね」
「母上……」
「早く来い」
催促するようにテントの外から声がした。
「わかりました。いってきます……」
母を残して、バアルは外に出た。雪が止んで、星明かりと月明かりが村を包み、バアルの足元照らし、導くように輝いていた。




