過去と運命④
シアーシャは酒場の中にいた。まだ店は開いておらず、客の姿はない。それどころか、店の人間もおらず薄気味悪い静寂が酒場を漂っていた。
「あれ? おかしいねぇ……いつもならここにいるはずなのに、まだ寝てるのかねぇ」
「ベル! いないのかい!」
大きな声で名前を呼ぶと、カウンター裏から物音がした。
「……朝っぱらからうるせぇなぁ」
「誰かと思ったらお前か……字も読めないどこぞの馬鹿が来たのかと思ったが……一体なんのようだ。まだ店は空いてねぇぞ」
「ベル! 実は、アンタに紹介したい子がいるんだよ」
「紹介? よせよせ、俺は生涯、独り身で生きるって決めてんだ。今さら女なんて紹介されても困る」
「アンタも馬鹿だねぇ。私がそんな話を持ちかける為にここへ来るわけないじゃないか」
「じゃあなんのようで来たんだよ」
「この子をアンタに紹介したいんだよ」
カウンターに立つベルは、鋭い目つきでこちらを見据える。
「なんだ……ただのガキじゃねぇか。まだ若いのに子供までこしらえて……ガキがガキ育ててどうするんだよ」
「なんだいその言い方。失礼だね」
「本音を言ったまでだ。で、要件はなんだ」
「最近、うちに居候しに来た子でね。この子、アンタの店で雇ってあげておくれよ。容量はあると思うし、素直でいい子だよ。きっとアンタもそのうち気にいるさ」
「どうだかな」
ベルは面倒くさそうに呟いた。
「ま、こっちも人手不足で手が回らないところだったし、一応は雇ってもいいが、役に立たなかったら即刻、クビだ。それでもいいなら雇ってやる」
「はい! よろしくお願いします!」
「決まりだな」
「じゃ、早速今夜から来てくれ」
「え……今夜ですか」
「嫌なら、他のやつを雇うぞ」
「あ、いえ! 働きます! 働かせてください!」
「よろしい」
ベルは、店の奥からウェイトレス用の服を手渡す。色は焦茶色で、派手な装飾もないシンプルな衣装だった。
「これが制服だ。サイズはわからんが、今はこれしかない。今日からよろしく頼むぜ」
「はい!」
「さて、仕事も見つかったことだし、シアーシャは先に帰ってな。私は少し用があるから。帰ったらチビどもがサボってないか見てやってくれるかい」
「わかりました!」
シアーシャは光を帯びた表情で酒場を出る。
「この辺りの一族じゃないな」
シアーシャがいなくなったのを見てベルは呟く。
「アンタ……変なところで鋭いね」
「職業柄、大勢の客を見るからな。よそ者の顔は覚えやすい」
「で、あの子はどこの出だ」
「生贄の民って言ってたよ」
「ひとり身なのか?」
「いや、旦那と一緒に逃げてきたんだとさ」
「その旦那は?」
「狩猟の民の生まれで、故郷をシルド王国の連中に滅ぼされたらしい。大変なもんだよ。子供もまだ小さいのに……」
「噂じゃ、生贄の民の村もシルド王国に攻め滅ぼされたそうだな。ここの連中はまだ呑気だが、これから先、何があるかわからない。用心だけはしとけよ」
「そうだね……この先何が起きようが不思議じゃないよ。運命って言うのは、いつも良いものばかりを運んでくるとは限らないものだからね」
「よく言うぜ」
「それじゃあ、あの子のこと任せたよ」
「おう」
ディナが店の外に出たのを見計らってベルは、ひとつため息を吐いた。そのため息は、澄み渡った空気と共に空中に溶けていく。誰にも気取られないまま、小さな呼吸が消えていく。
「運命……ねぇ」
「変わらないもんだろ。運命と言うものがあろうが……なかろうが……それでも人は生き続けるんだからよ」




