過去と運命②
「ミゲル。ちゃんと羊たちにエサをやるんだよ。またサボって遊んでたらお仕置きだからね」
「分かってるってば」
「あんた前に、足場を滑らせて大怪我したでしょ。また怪我するんじゃないよ」
「……一体、何年前の話をしてるんだよ」
家畜小屋に入ると、独特な臭いが鼻を撫でる。羊と牛と馬の糞や尿が混じっている生暖かい臭い。鼻を摘むほど臭くはない。小さな頃からこの臭いを嗅いでるせいか、ミゲルにとってこの臭いは、家畜の臭いだと脳裏に記憶されている。
「我こそは至高の騎士ミゲル! 友よ心配するな、我が槍にかけて勝利を約束しよう」
フォークを振り回しながらミゲルは餌を振り撒く。
「せい! やぁ! とう!」
「その程度の動きで我が槍に勝てると思ったか! 甘い!」
「貧弱ものめ、これでとどめ――」
「――ふふっ」
誰かの笑う声がして、ミゲルは動きを止める。
ふと、外を見てみるとそこには、朝の散歩から帰ってきたシアーシャとクリフがいた。
徐々にミゲルの体温が上がっていくのがわかる。
「あ……み、見たな!」
震えた声でミゲルは叫ぶ。
「お願い、誰にも言わないで! 母ちゃんにも、父ちゃんにも! こんなことしながら、サボってることがバレたら、絶対馬鹿にされる」
「そうかしら。私から見たらすごくカッコよく見えたよ」
「ほ、本当に?……もしかして馬鹿にしてる?」
「本当のことだよ。まるで本物の騎士様みたいだった」
「そ……そう言われると……ちょっと嬉しいけど。子供っぽいって思ったでしょ」
「全然。好きなことに夢中になるのは素敵なことだよ」
「……そうかなぁ」
「ミゲルは、騎士様が好きなの?」
「好きって言うか……目標って言うか……」
口ごもってミゲルは黙った。
「今から話すこと……誰にも言わないって約束してくれる?」
「え?」
「約束して!」
「う、うん。わかった。誰にも言わないよ」
少し緊張しているのか、体が震えている。ミゲルにとって、自分の夢を語るのは初めてのことだった。馬鹿にされるかもしれない、お前には無理だと否定されるかもしれない。だけど、シアーシャなら、ミゲルのことを何も知らないし、そんなことを言う人ではないと、勝手に期待していた。
「俺……騎士になりたいんだ」
「騎士に?」
「昔、王国で見たんだ。カッコいい鎧に身を包んで、お姫様や王様だけじゃなくて、戦うことのできない弱い人たちを守るあの人たちがカッコよくて……周りの人たちから尊敬されている姿に憧れたんだ……」
「素敵な夢だね」
「こんなこと言ったの……シアーシャが初めてだよ」
「そっか……」
「ありがとう。勇気を絞って話してくれて」
シアーシャはそう言って、手を握ってくれた。その時、ミゲルの手は無意識に震えていた。優しい人だ。表情も性格もシアーシャには陰りがない。もし自分がもう少し歳を兼ねていたら、絶対に恋をしてしまっただろう。
「勘違いしないでよ! これはシアーシャだから話したわけじゃないんだからね! シアーシャが聞きたがってたから仕方なく話しただけだ!」
恥ずかしくて、逃げ出したくて、ミゲルは家畜小屋の外へと走る。
「俺、シアーシャのことなんて好きじゃないからな! 惚れたりなんかしてないからな!」
そう言って、ミゲルは家まで走った。こんな気持ち初めてだ。心がドキドキして、苦しい……けど、辛くない。むしろ、心地いい。
「誰のことが好きだって?」
だが、その気持ちもその声で綺麗さっぱり消えてしまった。
「か、母ちゃん……」
「また、サボってたね?」
「ご、ごめんなさい!」
ミゲルの耳を引っ張りながらディナは、身体を引きずらせる。
「ごめんね。シアーシャ。うちの子が変な気起こしちゃって」
「いえいえ……男の子はこのくらい無邪気な方が可愛いですよ」
「だからと言って、仕事をサボって良い理由にはならないけどね」
ディナがミゲルを睨みつける。
「なら、私もお手伝いしましょうか?」
「いいのかい?」
「ええ。居候の身ですし、何かできることがあれば手伝わせてください」
「とは言われても……うちはもう人手が足りてるから……何かをさせようにもないものはないからねぇ」
「……あ」
しばらく考えて、ディナは何かを思い出したかのように声を漏らした。
「シアーシャ。アンタ接客は得意かい?」
「接客?」
「知り合いに酒場を経営している奴がいてね。この村で唯一の酒場なんだが、ちょっと前に人手不足で経営も厳しいってんで、せめて一人でもウェイトレスが欲しいって愚痴ってたんだよ」
「そこで雇ってもらえれば、旅費を稼ぐのにもちょうどいいんじゃないかい? 仕事の時は、私がクリフの相手をしておいてやるからさ」
「そんな場所があるんですか! 接客をしたことはないですけど……ぜひ紹介してください!」
「決まりだね。おいで、今から案内するよ」
「はい!」
もし酒場で働けるようになれば情報も集めやすい。生贄の民の村がどうなったのか……生きている人間がいないか……。今の自分には、テムやジノが無事なことを祈ることしかできない。自分は無力で、何もできないちっぽけな存在だ。それでも、必要としてくれる人たちがいる。その人たちの為に、今はどんなことでもやらなければいけない。もう……ひとりぼっちじゃないのだから。




