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第八話 オニユリとアーロン卿

「オニユリが生息してるってことは、建物はヨーロッパ風だけど植物は日本のものってことよね。それとも、アジア圏から持ち込まれたものが野生化したってことかしら。ガス灯や蒸気船はあるからたぶん十九世紀くらい……」


 死に戻る前のラニアの記憶と、令和日本の高槻果菜の記憶を引っぱり出して推測する。ライニール王国は島国だから、世界地図に当てはめたらイギリスあたりが該当するかもしれない。


「……あれ、ちょっと待って、ライニール王国の船って蒸気機関だったかな? 燃料はたしか――」

 

「蒸気機関で間違いありません。燃料は石炭です」


 ひとり言に返事をしたのはアーロン卿。


 私はオニユリの前にしゃがみ込んだまま、不機嫌さをあらわにして彼を振り仰ぐ。すると、アーロン卿は片膝をついて頭を下げた。ハルフォードさんは困ったように立ち尽くしている。


「アーロン卿、何のまねですか?」


「フランクリン公爵令嬢のお気持ちはお察しします。しかし、このようなことをされても状況は変わらないのではないかと」


「あら、私が今ここで何をしているのか、アーロン卿はおわかりになるの?」


 令和社畜・高槻果菜の思考回路を経て繰り出される嫌味は、元来の公爵令嬢ラニアよりよっぽど貴族的だった。体に染み付いているのか、口から出る時にはちゃんと淑女らしい言葉遣いに変換されるからマジ便利。


「フランクリン公爵令嬢。レイモンド殿下が本日公爵邸に足をお運びになった理由は、じき、公爵令嬢にも伝えられるでしょう。レイモンド殿下をお慕いになられているのは――」


「黙りなさい」


 アーロン卿がビクリと肩をすくめた。


 まあ、仕方ないことだ。ラニアはこれまで執事にすら「さん」付けで話しかけるほど過剰に自分を卑下してきたし、格下の侯爵家令息であるこの男に対しても、不必要に礼節をもって接してきた。命令口調など、この口から発したことがあるだろうか。


 アーロン卿は、自分の出過ぎた言動にようやく気づいたようだった。下げていた頭をさらに低くする。しかし、私の変わりようを訝っているのは間違いなかった。


「アーロン卿は親切のおつもりなんでしょうね。それとも同情かしら」


「……申し訳ありません」


「あまり恐縮しないでくださる? 慣れないから」


 慣れないのはむしろアーロン卿だろう。正直、なんか楽しくなってきた♡


 私はポキリとオニユリの茎を折って立ち上がると、扇子代わりに口元にかざす。反対の手でドレスの裾を持ち、たわんだところには収穫したムカゴが二、三十個ほど。


 アーロン卿は、奇怪だが無害で哀れな生き物を見たというような、複雑な表情を浮かべている。そして、膝をついたまま私を見上げた。


「アーロン卿、何かおっしゃりたいことが?」


「……いえ」


「そうね。アーロン卿の口からは言えないでしょうし、私が代わりに言って差し上げるわ。レイモンド殿下は私と婚約破棄し、アリシアと婚約を結び直すおつもりなのですよね?」


「それは……」


 アーロン卿は顔を伏せる。頭頂部の赤髪が風に揺れて陽光をまとった。


「アーロン卿。もしレイモンド殿下に隠す気があるのだとすれば、こんなふうに正面からうちを訪問したりなさらないでしょう? あえて噂が広まるようになさっているとしか思えませんわ。私には、これで察しろということでしょう?」


「……フランクリン公爵令嬢は不服ではないのですか? このように急に――」


 意外なことだが、アーロン卿は今回の婚約相手の変更に良い感情を抱いていないようだった。


 令和日本ではあり得ないことだけど、ライニール王国では結婚は家と家の契約。姉に不都合があれば妹に乗りかえるなど、さほど珍しいことではない。


「卿はロマンチストなんですのね」


 アーロン卿は耳を赤くし、フイと顔をそらした。夢見がちなやつと言われて喜ぶ騎士はいない。


「卿も私の立場をご存知でしょう?

 不貞を働いた前公爵夫人の娘。私がそばにいるだけでレイモンド殿下の評判を下げ、私が存在するだけでフランクリン公爵家の名誉を傷つけるのです。

 レイモンド殿下と婚約した六年前から、私の他に王太子妃にふさわしい方がいると思っておりました。そういう話を、何度も殿下にいたしました。昨夜の舞踏会でもです。わが妹アリシアはいかがですかと」


 アーロン卿は言葉を失っていた。やはり、私が婚約破棄を望んでいたことを知らなかったのだろう。レイモンド殿下は余計な噂が広まらないよう、誰にも話さなかったに違いない。


 しかし、だからこそだ。


 だからこそ、お忍びではなく堂々とアリシアを訪問したことが重大な意味を持つ。


「アーロン卿のお気遣いには感謝いたします。ですが、婚約破棄は私の望むところ。卿の目には奇行に映っているだろう私の行動は、生きるためにやっていることなのです」


「生きるため?」


「はい。これは私の食料です」


 ディーズ アー マイ ムカゴ(複数形)。


 私はすでに小芝居モードに入っていた。アーロン卿には『情に訴える作戦』が有効な匂いがする。孤独で哀れな虐げられ令嬢を熱演すれば(実際そう)、今後何かしら役に立ってくれるかもしれない。


 ハルフォードさんは憐れみのあまり涙を拭っていた。と思いきや、汗を拭いただけのようだ。紛らわしいが、たしかに暑い。少しめまいがした。


「アーロン卿に、私がいつも何を食べているのか、目の前にお皿を出して見せて差し上げたいわ。猫の餌にも劣る残飯を、料理長が手を加えて食事らしいものにしつらえて運んでくるのです。食材は野菜の皮、虫食いの外葉、ピーマンの種、今朝の彩りはあそこに咲いているよなタンポポでした。腹の足しにもなりません。しかし、毎日続けば食事量に合わせて食も細くなり、脂っこい肉料理など口にしようものなら途端に体調を崩してしまうのです。

 仕方のないことと諦めておりました。私の生まれも、母の罪も消せるものではありませんから。ですが、婚約破棄を目前にして急に不安になったのです。

 今でもこれほど虚弱だというのに、殿下の婚約者でなくなれば、いずれ食べ物を与えられなくなるのではないか。ひっそり孤独に餓死するのではないかと」


「まさか」


 アーロン卿はすぐには私の言葉を信じられないようだったが、ハルフォードさんの顔を見てサッと顔色を変えた。そして、じわじわと怒りを滲ませる。


 ラニア・フォン・フランクリン主演女優賞獲得です。


「フランクリン公爵令嬢。あなたはどうしてそんなに平然とされているのです?

 おかしいでしょう。もっと怒るべきです。あなたにはその権利があります。どんな事情があろうと、娘をそんなふうに扱うなど」


 ちょっと感動した。でも、もしアーロン卿がアリシアに洗脳されたら、この言葉も気の迷いだったことになるのだろうか。そう考えるとふと虚しくなった。


「アーロン卿にできることはありません。公爵閣下は私に興味がないようですし、嫌がらせは公爵夫人の指示によるもの。公爵邸内のことに口出しできるのは、それこそ王家の方々くらいでしょうね」


「ならばレイモンド殿下に――」


「もう婚約者ですらありませんのに。

 私は、自分の力で運命に抗うことにしたのです。そのためにまずは食事。そして体力をつけねばなりません」


「……そうですか。公爵令嬢のお気持ちは理解いたしました。しかし……、本当にそれをお召し上がりになるのですか?」


 私の集めたムカゴを、アーロン卿が顰めっ面で見やる。しんみりいい雰囲気だったのに、それでプチッと切れた。


「アーロン卿、オニユリは立派な食材ですわ。ムカゴを採取できたのはまさに天の恵みです。加熱すればおいしくホクホクになりますのよ。ムカゴだけではありません。冬になれば球根も食べられるのです。本当はコオニユリの百合根のほうが苦みが少なくて良いのですが、探せばどこかに生息しているかもしれません。そうそう、ハルフォードさんに持っていただいてるオオバコも貴重な食材ですのよ。公爵邸の前庭は無駄に手入れされ過ぎているのがよくありません。雑草の中には食材になるものがいくらでもあるというのに、庭師が全部きれいに抜いてしまい、たったこれだけしか収穫できませんでしたわ」


 そのとき、食べ物の匂いがフワリと鼻先を通り過ぎた。野菜スープみたいな優しい匂い。


 私はオニユリをポイと放り投げ、匂いのしたほうを振り返った。その途端にぐらりと視界が歪み、世界が傾ぐ。


「ご令嬢!」

「お嬢さま!」


 暑さのせいか、空腹のせいか。めまいや立ちくらみはラニアにとって日常茶飯事だ。そして、高槻果菜の思考が、踏ん張るより倒れることを選んだ。ムカゴはバラバラ散ったけど、予想通りたくましい騎士の腕が私を支える。


 最優秀主演女優賞獲得です!

 不遇令嬢は当て馬騎士の腕の中。


 原作での本命はレイモンド殿下。でも、大魔道士の生まれ変わりではないただの人間が憑依した時点で、どうがんばっても殿下とのハピエンはあり得ない。だったら、アーロン卿を本命に据えるのはどうだろうか。


 私に何度も剣を向けた男に完全に気を許すことなどできないと思っていたけど、洗脳されていない素のアーロン卿はむしろいいヤツだ。死に戻る前も、アリシアの護衛騎士になるまでは親切だった。


 薄目で様子をうかがうと、思いのほか真剣な顔がすぐ間近にあった。私の視線には気づいていない。


「執事殿、公爵令嬢の部屋まで案内していただけますか」


「あ、はい。こちら――」


 だめ。部屋はダメ。まだ塩も手に入れてないのに。


「ハルフォードさん、お願い、炊事場に。……おなかが減って力が出ないわ」


 アーロン卿と目が合う。そこには安堵と呆れと同情。彼はハァとひとつため息を漏らし「炊事場へ」とハルフォードさんに命じたのだった

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