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第七話 野生の恵み

 使用人たちは頭を低くし、息を殺して足音が遠ざかるのを待っていた。その中で一人平然と顎を上げて王太子を直視する私、公爵令嬢ラニア。しかしてその正体は、令和の社畜で『虐げられ令嬢は救国の魔女』の読者、高槻果菜だ。


 フランクリン公爵夫妻は私の存在にまったく気づいていなかった。レイモンド殿下は一瞬目があった後は一度たりと振り返ろうとしない。アーロン卿は〝不憫な王太子の婚約者〟の堂々とした視線に動揺して顔をそむけ、私は密かにガッツポーズ。勝利を噛み締め、彼らの姿が眼前から消える前に踵を返した。


「ラニアお嬢様、どちらへ?」


 執事のハルフォードさんは周囲をうかがいつつ後を追って来て、屋敷の外の、人けのない場所にたどり着いてからようやくそう聞いてきた。


「ちょっと散歩しようかなって」


 私のくだけた口調に、ハルフォードさんは面食らったように目を瞬かせる。


「お嬢様、体調が優れないのではありませんか? 部屋までお送りしますので――」


「嘘よ、嘘。ハルフォードさんと話したくて嘘ついたの。でも、まともな食事してないから体調が優れないのは事実ね」


「あ……」


 気まずそうに口を噤んだ執事は、私の定番メニューが廃棄直前(超エコな)生野菜サラダだと知っている。告げ口する相手もいないだろう。彼の主人が主導して私に嫌がらせをしているのだから。


「ハルフォードさんも大変よね。侍女長のベラが大きな顔してるんでしょ? そこらへんの話を聞かせてくれない? この屋敷の、どれくらいの人間がアリシアの虜なのか」


 アリシアの名前を出すと、ハルフォードさんは怯えた表情で背後を振り返った。視線は中央棟の奥、西棟二階のバルコニー。アリシアの居室だ。窓にカーテンが引かれたままになっているのを見て彼はホッと息を吐いた。が、すぐに表情を引き締める。中央棟正面玄関前に停まった、豪華絢爛な馬車のせいだろう。


 王族の外出、しかも王太子ともなると引き連れてくる近衛騎士の数も半端ではない。邸内にはアーロン卿を含めて五名を随伴していたが、玄関前には四名、正門前にも二名。おそらく公爵邸周辺を巡回している兵もいるはずだ。


 令和日本の異世界ファンタジーの場合、王太子が一人お忍びで夜中に令嬢の部屋にやってくるなんて展開もたまに……いや、そこそこ頻繁に見かける。しかし、レイモンド殿下はそういうタイプじゃない。そもそも、いくら身体能力が高いとは言え、それは人間の能力の範囲内でのこと。レイモンド殿下は、地面を蹴って二階のベランダに飛び上がれるわけじゃない。ちなみに、フランクリン公爵邸の屋敷の傍に植わった庭木は、二階の窓に飛び移れるほど高くないし近くない。


「あの馬車の屋根に乗ってもさすがに無理よね……」


「はい?」


 執事が怪訝な顔をしていた。何の話をしてたんだっけと考え、アリシアの手先がどれくらいいるのか執事に質問したのだと思い出す。


「ハルフォードさん。近衛兵の視線が気になるなら歩きながら話しましょう。どうせ散歩なんだから」


 執事は自ら何か話そうとはしなかったが、私が歩き始めると大人しくついて来た。


 広々とした庭にはポツポツと使用人の姿があった。公爵令嬢にしては地味な格好をしているからか、こちらを気にする様子はない。緑溢れる庭園で麦藁帽の庭師たちが袖まくりして草花に水やりをしている風景は、絵画的な美しさがあった。そう感じるのは、家と職場の往復生活で無機質な建造物ばかり見ていた果菜の記憶のせいかもしれない。


 照りつける夏の日差し、地面に焼きつけられたような濃い木々の陰、ブリキジョウロの鈍い光と、きらめく水飛沫。水路に足を浸したらきっと気持ちいいだろう。だが、庭園水路も噴水もアリシアの部屋がある西棟前だ。


『虐げられ令嬢は救国の魔女』では、ラニアが死に戻った王宮舞踏会は「初夏」とおおまかに記述されていた。実際には日差し照りつける七月半ば。初夏ではなく夏だ。原作の内容はある程度覚えていたけれど、アテにしないほうがいいかもしれない。


「あっ!」


 私が突然しゃがみ込んだせいで、ハルフォードさんが「お嬢様!」と青ざめた顔で駆け寄ってきた。


「大丈夫よ。散歩の目的はこれなの」


 花壇の縁に、わずかに花茎を伸ばした青々とした葉。葉だけをプチプチと採取して立ち上がった。庭師の目を逃れて生き延びたという感じの、頼りないオオバコ。


「それは?」


 執事に問われて、ふと不安になった。


「オオバコだと思うんだけど合ってる? 食べれるはずなんだけど」


 見た目も匂いもまごうことなきオオバコだが、果たしてこれは令和日本に生息していたあのオオバコと同じ植物だろうか。何しろここは魔法の存在する世界。しかも〝ヨーロッパ風〟だ。同じように見えて実はまったく成分が違い、空腹に負けて口にしたらジ・エンドなんてことにならないだろうか。


 ハルフォードさんは困惑し、その次に同情のまなざしを私に向けた。


「オオバコで合っていると思いますが、食べれるかどうかは私にはわかりかねます。空腹なのでしたら厨房の者に……」


 執事の言葉は半端に途切れ、私は「いいのよ」と歩を進める。ふたりとも、堂々と「食べ物を出しなさい」と言える状況ではないのだ。


 のんびりと食材を探しながら庭園を散策したが、水路と生け垣で整備された正面庭園に、食用に適した植物はあまりなさそうだった。西棟側の噴水の奥にあるローズガーデンは、色とりどりのバラが咲き乱れている。とはいえ、花びらは腹を満たすためにムシャムシャ食べたい食材ではない。


 庭の東の端にたどり着いたとき、ハルフォードさんが「お嬢様」と躊躇いがちに声をかけてきた。


「何? アリシアのこと、話す気になった?」


「……それについてはどうお答えしていいか。裏の、使用人宿舎の炊事場に行ってみられませんか?」


「使用人宿舎の、炊事場?」


 炊事という言葉でドーパミンが放出され、世界が輝いた。しかし、執事は言い訳するように使用人について説明し始める。


「使用人と言っても、洗濯係や馬丁など、汚れ仕事をする下働きばかりの宿舎です。接点がないからかもしれませんが、ラニアお嬢様とアリシアお嬢様の見分けもつかず、それ故か、特にアリシアお嬢様に心酔しているということもありません」


「炊事場って? そこの使用人たち専用の?」


 噛みつかんばかりの私の勢いに、執事は一歩後ずさる。


「はい。本邸の厨房と違ってガスではなく、旧式の竈です。食材も不足がちですし、お嬢様がお召し上がりになるようなものはないかもしれませんが、その……オオバコを召し上がられるよりは」


「失礼ね。オオバコはれっきとした食材よ。野草にしてはそんなに癖がないし、筋はあるけど細かく刻めば気にならないわ。それに、胃腸の調子を整えてくれるから夏バテにもいいし、咳止めなんかにも使われたのよ。秋になったら種を採って煎れば、メイン食材にふりかけていい感じのアクセントになる。オオバコをバカにしないで」


 ハルフォードさんはもう一歩後ずさり、「はあ」と気の抜けた声を漏らした。私の野草愛に気圧されたらしい。


「あの、私は野草のことはよくわかりませんが、使用人の中に詳しい者がおります」


「本当?!」


「はい。普段は邸内の清掃をしているハンスという男で――」


「えっ、ハンス?」


 ハンスと言えば、一人置き去りにされて掃除をしていたあの男だ。ハルフォードさんにさらに詳しく聞こうとしたが、彼の表情がサッと曇る。その視線の先に目をやると、中央棟玄関前に赤髪のアーロン卿の姿があった。部下らしき男が彼に何か話し、その視線がこちらに向けられる。


「ハルフォードさん、炊事場に行きましょう。今、すぐ」


「え、しかし……」


 執事は私とアーロン卿とを見比べた。レイモンド殿下の右腕と呼ばれている近衛騎士。私は極力目を合わせないようにしていたが、視界の端で彼がこっちに歩いてくるのが見える。


「案内してくれないなら勝手に行くわ。どうせ本邸の裏でしょう?」


 アーロン卿に背を向け、なるべく自然に、しかしできるかぎり足早に、東棟の裏手へと続く煉瓦道を歩いた。執事は「お嬢様、近衛騎士が」とひそめた声で引き留めようとしたが、無視。道を曲がってアーロン卿の死角に入ると、迷わず駆け出した。すると、背後の足音も速まる。


「フランクリン公爵令嬢!」


 アーロン卿の声は思いのほか近い。


「追ってこないでよ……!」


 逃げなければという焦燥は、死に戻る前に彼に何度も向けられた剣先のせいだ。息切れしながらも足が前に進むのは染み付いた生存本能。しかし、私の足を止めたのもまさに本能だった。


 目に飛び込んできたのは、東棟の壁際に咲き乱れるオレンジ色の花。果菜の意識が、逃亡衝動にブレーキをかける。


「オニユリ! しかもムカゴついてる!」


 明らかに手入れを怠った東棟裏手の壁際に、野生の力を見せつけるように雄々しく咲くユリの花。オレンジに茶の斑点が入った花びらと、一メートル以上ある茎には葉元に黒黒とした宝石のような、――もしくはおせち料理に入っている黒豆のような「ムカゴ」。


 歓喜の表情でムカゴ採取をはじめた公爵令嬢を、執事と近衛騎士がどんな気持ちでながめていたのかは、私の知ったことではない。生きることは、食べることなのだ。

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