カフェを狙うライバル店登場
特別任務から戻ってきて、一週間が経った。
私が心を込めて焼いたパンは、騎士団の心の渇きを癒した。その小さな出来事は、私の心を「ひらひら……」と舞い上がらせ、この街での私の日常を、温かく豊かなものに変えていった。カフェの日常は、まるで温かい毛布に包まれているかのようだった。
アルベルトは、毎日変わらずカフェを訪れた。彼は、パンを手に取ると、その指が微かに震える。その小さな仕草が、彼にとって、このパンがどれほど心の支えになっているかを物語っていた。それは、私が東京で、孤独に耐えながら、完璧を追い求めていた頃には知らなかった、心の充足感だった。
私は、彼の疲れを癒すような、新しいメニューを試作するようになった。
「カラン……」とドアが鳴るたび、私は「今度はどんなメニューを試してみようか」と胸を「どきどき……」と弾ませた。彼の無愛想な表情に、ほんの少しでも「あ、美味しい」という感情が滲み出たなら、それは私にとって、何よりも大きな報酬だった。
騎士団員たちも定期的にカフェを訪れるようになった。彼らは、まるで故郷に帰ってきたかのように、くつろいだ表情で「心春さんのパン、最高っす!」と声を上げる。このカフェは、いつしか彼らの「憩いの場」となった。
この温かい日常が、いつまでも続けばいいのに、と私は心から願った。それは、この世界に転生してから初めて抱いた、切実で、そして温かい願いだった。
だが、嵐は、常に静けさの中に潜んでいる。
その日の午後、カフェの窓から外を眺めると、目の前の空き地に、突如として真新しい、煌びやかな建物が姿を現した。それは、まるで、この辺境の街の、どこか素朴で温かい風景の中に、「ずしり……」と落とされた、異物のように見えた。
翌日、その建物は、「至高の王都カフェ」として、派手な看板を掲げ、オープンした。
ドアが開くと、中から「ふわ……」と、甘く、しかしどこか人工的な香りが漂ってくる。内装は、大理石のカウンターに、煌びやかなシャンデリア。並べられたケーキやマカロンは、どれも完璧な形で、宝石箱のように美しかった。
その光景に、私の心は「きりきり……」と締め付けられる。それは、私が東京で完璧を追い求めていた頃の、私の心の傷が「ちくちく……」と疼くような痛みだった。
「完璧……か」
私は、思わず呟いた。このカフェの完璧さは、私が過去に追い求めていたものそのものだった。私がこの異世界で、失敗を恐れずに「心を込めたもの」を作るという新しい生き方を見つけようとしている矢先に、過去の亡霊が、目の前に現れたような気がした。
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王都の地下深く、魔力流動の「完璧」な制御を目的とした研究施設で、ザイフリートは目の前のモニターを見ていた。部屋に充満した、薬品の「つん……」とした匂いが、彼の心を研ぎ澄ます。モニターには、辺境の街に現れた「至高の王都カフェ」の映像が映し出されていた。
ザイフリートの脳裏に、遠い過去の記憶が蘇る。
それは、感情に溺れた魔法使いの「過ち」だった。当時、ザイフリートは、まだ若く、将来を嘱望された優秀な魔法使いだった。彼は、愛する人を、感情に任せて不完全な魔法を使用した結果、制御を失った魔力暴走によって失った。
愛する人の「ちりん……」と砕け散ったガラス玉のような瞳。それが、彼の心の奥底に焼き付いている。
あの時、感情というノイズがなければ、愛する人は死ななかった。そう、彼は信じた。
ザイフリートは、その日から、感情を「世界を破壊するノイズ」と定義した。「完璧」な魔法を完成させ、感情という不確かな要素を排除すれば、この世界は、二度と悲劇を繰り返さない。それが、彼の哲学だった。
彼は、感情を排除した「完璧」な作戦によって、仲間を失ったアルベルトを嘲笑った。アルベルトは、自分の無力さを「ぎりぎり……」と奥歯で噛みしめている。だが、ザイフリートの瞳には、アルベルトの葛藤は映らない。彼の目に映るのは、ただ、「不完全」な存在だった。
その時、心春の焼く「不完全な」パンが、アルベルトの心を「とろり……」と溶かしていく様子が、彼のモニターに映し出された。
「あのパンは、感情を具現化したものだ」
ザイフリートは、忌々しそうに呟いた。
パン生地の「ぽすん、ぽすん……」という音。その音は、彼の「完璧」な研究室の静寂を破り、彼の心の奥底に、遠い過去の記憶を呼び起こす。
「感情というノイズ」
ザイフリートは、立ち上がった。彼の瞳は、獲物を狙う「ハイエナ」のように光っていた。
心春のパンが、アルベルトの心を解き放ち、この世界の「完璧」なシステムに、亀裂を入れ始めたことを、彼は直感的に理解した。
「排除しなければ……」
ザイフリートは、感情を排除した冷たい声で呟いた。彼の言葉は、まるで「壊れたおもちゃ」のように、心に響く。
そして、彼の研究室のモニターには、辺境の街で、幸せそうにパンを焼く心春の姿が映し出されていた。
彼女は、知らない。
彼女の焼くパンが、この世界の「完璧」を揺るがし、世界を巻き込む大きな物語の「起点」となったことを。
彼女の「静かに暮らしたい」という願いは、ザイフリートという「非日常」によって、音を立てて崩れ去ろうとしていた。
そして、物語は、予期せぬ方向へと進んでいく。
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王都から来た貴族、エリザベートは、目の前に広がる辺境の街を見下ろしていた。
「ふん……こんな田舎で、カフェが流行るなんてね。馬鹿馬鹿しい」
彼女は、鼻で笑った。彼女にとって、このカフェは、王都での社交界における「失敗」の代償だった。だが、彼女は、この街で、ある噂を聞いた。辺境の騎士団長が、毎日、古びたカフェに通っている、という噂。
「あんな野蛮な男が、カフェの常連になるなんて。何か裏があるはずよ」
彼女は、そう考えていた。
「至高の王都カフェ」のオーナーとして、彼女は、この街の社交界を支配しようと企んでいた。そして、そのためには、騎士団長・アルベルトという、この街の「権力者」を、自分の側に引き入れることが、最も手っ取り早い方法だと考えていた。
「ふん、所詮は、田舎のカフェのパン。私の、完璧なスイーツに勝てるはずがないわ」
彼女の口元に、勝ち誇ったような笑みが浮かんだ。
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その日の午後、カフェのドアが「カラン!」と鳴った。
入ってきたのは、レオナルドとライナルトだった。彼らの瞳は、興奮で「きらきら……」と輝いていた。
「心春さん! 見ましたか!? 向かいにできた、あのカフェ!」
レオナルドが、興奮して言った。ライナルトも、珍しく頷いている。
「ああ、見ましたよ」
私は、少しだけ不安げに答えた。
「俺たち、行ってきたんすけど、すげえっすよ! スイーツも、コーヒーも、全部が完璧! まるで、王都のお貴族様になったみたいだ!」
レオナルドの言葉に、私の心臓が「ひゅー……」と音を立てて冷たくなった。
「でも、なんか、心がほぐれる感じはしないんだよな……」
ライナルトが、小さな声で呟いた。彼の言葉に、私は、胸を「ぽかぽか……」と温める何かを感じた。
「そうなんだよ! 確かにすげえけど、団長が心春さんのカフェに通う理由が分かったぜ。団長は、心春さんのパンとコーヒーを『心の安息』だって、言ってたんだ」
レオナルドの言葉に、私の心臓が「どくん!」と大きく跳ねた。
「…」
ライナルトは、無言で頷き、少しだけ後悔しているような表情を浮かべていた。
その日の午後、いつもの時間に、アルベルトはカフェにやってこなかった。
私は、彼の姿を求めて、何度も窓の外を見た。そのたび、私の心臓が「どくん……どくん……」と、不安な音を立てる。もしかしたら、彼は、あの新しいカフェに行ってしまったのかもしれない。完璧な、美しいスイーツと、洗練された空間を求めて。
それは、私が東京で、完璧を追い求めていたあの頃の、私自身の心を映し出す鏡のようだった。完璧な私を捨てて、この異世界で生きることを決めた私。だが、心の奥底では、まだ「完璧な私」を求めていた。
翌日。
私の不安は、夜を越えて、さらに大きくなった。もし、彼がこのカフェを去ってしまったら、私のこの温かい日常は、音を立てて崩れてしまうのではないか。
その日の午前十一時。
「カラン……」
カフェのドアが、いつものように静かに開いた。
そこに立っていたのは、アルベルトだった。彼は、ライバル店には目もくれず、まっすぐ私に向かって歩いてくる。
彼は、いつものようにカウンターに座ると、無言で私を見つめた。
私は、震える手で、彼の好みに合わせたコーヒーを淹れた。
彼は、一口飲むと、静かに、そして、はっきりとそう言った。
「……変わらない、その味が、俺は好きだ」
彼の言葉に、私の心の奥に、温かい光が「ぽかぽか……」と広がっていく。それは、彼の「溺愛」だった。
私の「静かに暮らしたい」という願いは、彼という「非日常」に触れることで、もはや「あなたと、このカフェを守りたい」という、より強い決意へと「とろり……」と溶け出した。それは、ただの恋心ではなかった。それは、同じ傷を抱えた者同士が、互いの日常を守るために、共に戦う物語の始まりだった。
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この小説は、単なる恋愛ではなく 文芸、ファンタジー、スローライフ、グルメなど多岐にわたるジャンルを詰め込みました。その為、色々な方に楽しんでもらえると思っています。
どうか、宜しくお願いします。