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無愛想な客、騎士団長

 「ばたん!」と、カフェのドアが閉まる音。それは、まるで演劇の幕が下りたかのようだった。彼の去った後、店内に残ったのは、静寂と、冷たい空気。私の胸の中は、まるで嵐の後の海だった。いや、荒波はまだ来ていない。これは、嵐の前の、不気味なほどの静けさ。私の心臓は「どくどく……」と、まだ不協和音を奏でていた。


 「騎士団長……」

 私が小さく呟くと、カウンターの奥から店主が顔を覗かせた。


 「心春さん、大丈夫かね? あの御方は、少しばかり無愛想じゃから、驚いたじゃろう」


 私は、ぎこちなく首を横に振った。驚いた、というよりは、困惑していた。彼の存在は、私の「静かに暮らしたい」という願いを、無遠慮に踏みにじった。彼がこの街の日常に溶け込んでいるならまだしも、彼の周囲には、目に見えない分厚い壁があるようだった。彼が歩くだけで、空気が「きん!」と張り詰め、誰もが息を潜める。まるで舞台演劇の、主役の登場だ。私は、舞台から降りてきたはずなのに、なぜか再び観客席に引き戻されたような、そんな気分だった。


 その違和感は、翌日、そしてその翌日と、さらに大きくなっていった。


 決まった時間に、彼はやってくる。


 カラン、とドアの鐘が鳴る。その音は、まるで儀式の開始を告げるように、厳かで重々しい。彼はいつも、真っ黒な甲冑を身につけ、背には巨大な剣を背負っていた。顔には無表情を貼り付け、鋭い瞳は、まるで獲物を狙う鷹のように、まっすぐにカウンターを見据える。


 彼は決して話さない。ただ無言でコーヒーを注文し、一口飲むとすぐに去っていく。私は、彼が何を考えているのか、全く分からなかった。


 だが、日を追うごとに、私は彼を観察し始めた。彼の動きには、一切の無駄がない。カップを持つ手は、まるで訓練された機械のようだった。それでも、彼の目の下には、微かな影が落ちている。それは、この街の誰もが持っていない、深い疲労の痕跡だった。


 彼の瞳は、私が淹れたコーヒーに映る。そこに映るのは、疲弊しきった、しかし、どこか凍りついた湖のような、静かな眼差し。それは、何かに絶望した後の、無感情な世界。私は、その眼差しを知っていた。かつて、東京で上司に裏切られた日、私の心は、まさにこの湖だった。


 私は思い出した。プロジェクトの成功が、私の人生を砂漠に変えた瞬間を。上司の「お前にはまだ早い」という言葉。それは、まるで熱い砂が心臓を「じりじり……」と焼いていくようだった。私は、ただ仕事がしたかった。誰かのために、誰かの笑顔のために、心を込めてコーヒーを淹れたい。その純粋な思いが、裏切りという名の熱い砂に焼かれて、私はもう二度と、誰にも干渉されたくないと願うようになった。


 私の心臓は「きんきん!」と冷たい金属を打つ音を立てた。その音は、かつて上司が私を裏切った時、私の心の中で鳴り響いた「がちゃ……がちゃ……」という、歯車が外れた機械の音と酷似していた。私は、無感情な日々を「ずりずり……」と引きずり、生きる屍として生きていた。それが、この異世界に転移する直前まで続いていた、私の地獄だった。


 だが、目の前の騎士団長は、私とは違う。彼の瞳は、絶望の湖でありながらも、その奥底には、まだ燃え盛る炎があった。それは、何かに抗い、何かを守ろうとする、強い意志の炎だった。


 ---

 アルベルト・グラント。

 それが、私の名前だ。

 私は、この辺境の街エストールで、騎士団を率いている。人々は私を「冷血の騎士団長」と呼ぶ。その呼び名に、私は何の感情も抱かない。なぜなら、それが私の真実だからだ。私の心は、凍りついた湖だ。


 五年前に、私は王都から追放された。理由は、謀反の疑いだ。真実を話しても、誰も聞こうとしない。彼らの目は、私が失脚した後の利益だけを見ていた。私は、王都の貴族たちが発する言葉の端々に、私を陥れるための刃が「ひらひら……」と舞っているのが見えた。私は、彼らの思惑に利用され、親友を失い、家族を失った。


 その時、私の心臓は「びたん!」と音を立てて止まった。私にとって、世界はもう意味を成さなかった。


 私は、ただひたすらに、剣を振るうことだけに専念した。魔獣を討伐し、人々を守る。それが、私に残された唯一の使命だった。


 そんな日々の中で、私はこのカフェを見つけた。

 「木漏れ日のカフェ」。

 最初は、ただ喉を潤すためだけだった。だが、そこで働く女性が淹れるコーヒーは、私が知っているどのコーヒーとも違った。それは、苦味の中に、故郷の果実のような甘みと、薪の煙のような香ばしさが混ざり合っていた。


 私は、そのコーヒーを飲むたび、私の心臓が「とくん……」と、弱々しい音を立てて動き始めるのを感じた。まるで、何年も止まっていた機械の歯車が、錆を落としながら、ゆっくりと回り始めたかのようだった。


 私は、彼女が淹れるコーヒーが、私の心を溶かしてくれるのではないかという、一縷の希望を抱き始めた。それは、私が五年間、誰にも見せなかった、心の奥底に隠された、小さな願いだった。


 ---

 アルベルトが去った後、私は再びカウンターに立っていた。

 外から聞こえる馬蹄の音。それは、彼が街を出ていく音だ。

 私は、彼の去った後の椅子を見つめた。そこには、彼の痕跡など何も残っていない。だが、私の心の中には、彼の瞳が映っていた。そして、その瞳の奥に隠された、深い悲しみと、静かな怒りを感じ取った。


 私は、彼のことをもっと知りたいと思った。

 それは、私の「静かに暮らしたい」という願いとは、真逆の衝動だった。まるで、深い森の中にいるのに、光を求めて歩き出すような、そんな矛盾した感情。


 そして、その日から、私の心の中では、二つの感情が「がっちゃん……がっちゃん……」とぶつかり合っていた。一つの感情は「ひゅう……」と風を切り、静かで穏やかな日々を求めた。もう一つの感情は、「どすん」と重く落ち、彼の謎を解き明かそうとした。その不協和音は、静かに「むずむず」と胸を掻きむしり、やがて「ぐつぐつ」と煮え滾る好奇心へと姿を変えていった。


 私の「静かに暮らしたい」という願いは、彼という「非日常」によって、少しずつ、しかし確実に、変質し始めていた。これは、私が知らなかった、新しい物語の始まりだった。


お読み頂きありがとうございます。

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この小説は、単なる恋愛ではなく 文芸、ファンタジー、スローライフ、グルメなど多岐にわたるジャンルを詰め込みました。その為、色々な方に楽しんでもらえると思っています。


どうか、宜しくお願いします。

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