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異世界転移&新しい仕事開始

 その日、私は福岡県久留米市の、いつものカフェにいた。午前十一時の鐘が鳴る。真新しいエスプレッソマシンが「ぐぐぐ……」と唸り、蒸気を「ぷしゅー!」と吹き上げた。深煎りの豆が挽かれる音が店内に広がり、鼻腔をくすぐる。カフェオレを待つお客さんの表情は、誰もが待ち遠しいという顔をしている。彼らの表情を伺いながら、手際よくコーヒーを淹れていく。


「心春ちゃん、今日もいい匂いだねぇ」


 常連の田中さんが、カウンター越しに目を細めた。田中さんは、いつも決まってブラックコーヒーを頼む。彼はこの街で小さな古本屋を営んでいて、時々、珍しい本や古い手紙の話をしてくれる。彼の話を聞いていると、いつの間にか時間が経っている。


「ありがとうございます。でも、この豆は特別ですから」


 私は笑って、カップをカウンターに置いた。田中さんは一口飲むと、至福の表情で頷いた。その表情を見るたび、私は心の奥底で熱いものがこみ上げてくるのを感じた。


 こうしてコーヒーを淹れていると、色々なことを思い出す。私は以前、東京で大きな会社のプロジェクトリーダーをしていた。いつも時間に追われ、人との摩擦が絶えず、常に頭の中は戦場だった。


 プロジェクト成功のために、私は心を殺した。感情を切り捨て、効率と成果だけを追求した。部下の失敗は、個人的な感情を挟まず論理的に断罪し、取引先の些細なミスは、容赦なく糾弾した。その結果、プロジェクトは完璧なスケジュール通りに成功し、私は社内で英雄になった。だが、その代償は大きかった。



 ある雨の夜。私の手から、愛する人の手が「すいー…」と、まるで紙切れのように滑り落ちていった。感情を殺した私を、「君は、完璧な機械みたいだ」と、彼は静かに、そして悲しそうに言った。彼の言葉は、私の心を「がちゃり…がちゃり…」と音を立てる歯車のように変えた。その不協和音は、静かに「むずむず」と胸を掻きむしり、やがて「ひゅーひゅー」と風が吹き抜けるように虚しい感情へと姿を変えていった。


 私が関わっていたプロジェクトは、ある物理学の理論に基づき、あらゆる物質の動きを予測・制御するシステムを開発するものだった。それは、この異世界に存在する「完璧」な魔法システムに酷似していると、誰かが言っていた。私たちは、感情というノイズを排除し、全てを論理で支配する世界を夢見ていた。そして、私は悟った。私は完璧なプロジェクトを成功させた。しかし、私自身の人生という名のプロジェクトは、完全に失敗したのだと。



 心が擦り切れていくのが分かった。私は、もう二度と、そんな「完璧」な世界には戻りたくなかった。


 そして、異世界転移という、ありえない出来事が起こった。


 目が覚めると、そこは、全く知らない森の中だった。草木が揺れる音、鳥のさえずり、土の匂い。全てがリアルで、そして温かかった。私は、その温かさに導かれるように歩き出し、一つの街にたどり着いた。


 その街は、王都からはるか遠い、辺境の街だった。


 「ここは、王都とは違う」


 街の入り口で、旅人と思しき男が、仲間と話していた。


 「王都の偉いさんは、俺たち辺境の民のことなんて見ちゃいないさ」


 男の言葉は、「乾いた土」のように硬かった。私は、その言葉に、故郷の久留米で感じた、東京に対する漠然とした違和感を思い出した。王都の貴族や騎士団に対する、辺境の民の諦念。それは、まるで、久留米と東京の関係のようだった。


 カフェに届く古びた新聞には、王都の貴族が「効率」や「成果」を重視し、辺境の地への物資の輸送を削減したという記事が載っていた。街の人々は、王都の「完璧」な理論のもと、不条理な現実に苦しめられているようだった。


 私は、その街で小さなカフェの仕事を得た。この街のパン屋が作るパンは、どれも形は完璧だった。だが、不思議と味が単調で、心に響かなかった。私は、自分がパンを焼くことを決めた。


 ある日、一人の騎士がカフェにやってきた。彼の鎧は、王都の騎士団の紋章とは異なる、地味な紋章が刻まれていた。彼は、何も言わずに、カウンターに座った。


 「いらっしゃいませ。ご注文は?」


 私が尋ねると、彼は無言で、私が焼いたパンを指差した。私は、温かいパンを彼の前に置いた。


 彼は一口食べる。その瞬間、彼の心に微かな「歪み」が生じるのを、私は感じた。それは、まるで、完璧なガラスに、小さなヒビが入る音だった。


 彼の顔は相変わらず無愛想だったが、その瞳の奥に、かすかな「光」が宿っていることに、私は気づいた。それは、過去の戦場で、感情を排除した「完璧」な作戦によって、大切な仲間を失った彼が、唯一、心の奥底に隠していた、温かい光だった。


 私は、この辺境の地で、二度と心を擦り切らさずに、静かに暮らしていきたい。ただ、それだけを願った。しかし、私のパンが、すでにこの世界の「歪み」に影響を与え始めていることを、私はまだ知らなかった。

お読み頂きありがとうございます。

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この小説は、単なる恋愛ではなく 文芸、ファンタジー、スローライフ、グルメなど多岐にわたるジャンルを詰め込みました。その為、色々な方に楽しんでもらえると思っています。


どうか、宜しくお願いします。

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