第4回
「思ったより広いじゃないか」
前田は高校以来の友人で、大学卒業後公務員になったと聞いていたが、今年の年賀状で、春から洋菓子の店を始めると知らせてきたのだった。
「去年までパン屋だったんだよ。御主人が高齢で引退するって役所で小耳にはさんでさ。それで思い切ってやる気になったんだよ」
陳列ケースはまだ何もなかったが、リフォームしたての壁紙や店内のポスター、メニュー表を見ていると、何の関係もない上田の気持ちもだんだん高揚してきた。
「ま、がんばれよ…なんて、言われなくてもがんばるだろうけどさ」
上田の言葉に前田は笑ってうなずいた。
「せっかくだから、俺のケーキ、食べてみてくれよ。厨房の機械とかのチェックのためにいくつか作ったんだ」
「もちろん、それが目的で来たんだ。もう腹が減って死にそうなんだよ」
おおげさでなく、上田はさっきから胃が痛くなるくらい空腹だった。さっき空の陳列ケースを見て、思わずため息が出たほどだった。前田が厨房にケーキとコーヒーを取りにく間、上田はイートインスペースであるテーブル席に着いた。前田はすぐにもどってきて、上田の前に小さな丸いパイのような形の焼き菓子とコーヒーカップを置いた。
「これは?」
「エッグタルトだよ。あまり甘くないものの方がいいかなと思って」
思ったより小さいことに少しがっかりしたが、とにかく今はなんでもいい。上田は手づかみでそれを一口かじった。
「どうだ?」
前田が真剣な顔で上田の表情をうかがっている。上田は何も言わずにもう一口かじり、
「うん、うまい。エッグタルトは初めて食べたけど、これはうまいよ。ただ…」
上田は思わせぶりに口をつぐみ、タルトの残りを皿にもどした。前田が心配そうに身を乗り出した。
「なんだ?」
「小さすぎるよ。あと3つくらい食べないと、はるばるこんなとこまで来たかいがないぜ」
前田はほっとしたような顔で立ち上がると、
「どうせなら違うものを食べてもらうよ。ちょっと待ってくれ」
前田が再び厨房にもどると、上田はコーヒーをすすり、食べかけのタルトを手に取った。上田の空腹はまだほとんど癒されていなかった。しかし、上田はタルトを顔の近くまで持っていくと、ふと手を止めて、今かじり取ったときにできた断面をじっと見つめていた。香ばしく焼かれた側面と底面、その中につまった、いかにも濃厚なカスタードクリーム。そのカスタードクリームに白い斑点が浮いている。さっきかじったときにはそんなものはなかった。斑点は2ミリほどで3つあった。上田が茫然とそれを眺めていると、白い斑点の一つが少しずつ大きくなっているように見えた。5ミリほどまで大きくなると、その真ん中には黒い点のようなものも見えてきた。
(違う。大きくなってるんじゃなくて、中から這い出してきてるんだ)
もはや、その白い斑点が幼虫だと上田にもはっきりとわかるほど、その小さな体は黄色いクリームの断面から半身を出している。虫は、つるりとした半透明の白い体をくねらせて、クリームから抜け出すと、ぽとりとテーブルの上に落下した。




