鷹取岳陽の遺稿:「最後の光」プロローグ 光を探して
鷹取が逝ってはや2ヶ月。
主のいなくなった客室を、蛍子は今日も丁寧に掃除していた。やがて本棚に残された鷹取の蔵書の数々が目に留まる。
そしていつも鷹取が執筆をしていた机には、一葉が置いてくれた鷹取の絶筆である「最後の光」が。
蛍子は愛おしむようにそのカバーを撫でる。
鷹取の温和な笑顔が蛍子の脳裏に鮮やかに甦った。
そして彼女はゆっくりとそのページをめくる……。
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鷹取岳陽の遺稿:「最後の光」プロローグ 光を探して
人は皆、光を求めて生きている。それは太古の昔から変わらない真理なのかもしれない。原始の人々が星々に神々の姿を見出し、洞窟の闇の中で火を灯し始めた時から、光は人類にとって希望の象徴であり続けた。
窓辺に座り、夕暮れの空を見つめながら、私はペンを走らせている。医師から余命三ヶ月を告げられてから、既に一月が過ぎた。肺の奥に潜む影は、着実にその領域を広げている。時折襲う激痛は、死の足音が確実に近づいていることを告げている。
しかし、不思議なことに、恐怖は感じない。むしろ、これまで見えていなかったものが、今、はっきりと見えるような気がしている。
「先生、お茶をお持ちしました」
蛍子さんの静かな声に、私は我に返る。
「ああ、ありがとう」
差し出された湯飲みから、かすかな蒸気が立ち昇っている。その白い糸は、まるで人の命のように、儚く、そして美しい。
私は再び、原稿用紙に向かう。死を目前にした者にしか書けない言葉がある。それは、生きることの本質に触れた言葉であり、魂の奥底から湧き上がってくる真実の言葉だ。
人は誰しも、自分の存在に意味を見出そうとする。それは洋の東西を問わず、古今の哲学者たちが追い求めてきた永遠の問いだ。プラトンは「善のイデア」を追求し、アリストテレスは「幸福」を探求した。デカルトは思考する自我に真理を求め、カントは理性の限界の中に道徳の基礎を見出そうとした。
しかし、その答えを見つけられないまま、多くの者は人生の終わりを迎えてしまう。老いや病に蝕まれ、やがて塵となって消えゆく。その運命から逃れられる者は、誰一人としていない。
私もまた、その一人になるのかと思っていた。
だが今、死を目前にして、私には見えるものがある。それは、かすかな、しかし確かな光明。まるで、闇夜に輝く螢のように。
庭の片隅で、一匹の螢が光を放っている。その光は、確実に消えゆく運命にある。しかし、その一瞬の輝きは、見る者の心に永遠の印象を残していく。
ふと、仏教で説く「一期一会」の思想が脳裏を過る。この世のすべての出会いは、二度と繰り返されることのない一回限りの機会である。だからこそ、その一瞬一瞬が、かけがえのない永遠の価値を持つ。
また、量子物理学が示唆する不思議な世界も、この真実に通じているのかもしれない。観測者と被観測者は不可分であり、意識という光を当てることで、初めて実在が姿を現す。つまり、私たちの存在そのものが、世界を照らす光なのだ。
原稿用紙の上で、インクが黒い軌跡を描いていく。それは、私の最後の言葉となるだろう。しかし、その言葉は誰かの心に届き、新たな光となって輝き続けるはずだ。魂から魂へと、途切れることなく受け継がれていく永遠の灯火として。
窓の外で、また一つ螢が光る。その瞬間の輝きに、私は全てを悟った気がした。
人生の意味を探し求めること自体が、既に答えなのだと。