8.もう嫌だこの世界
「黒髪か。ここらではあまり見かけないが、身分証は?」
「ありません。ですので、これで……」
衛兵に銀貨2枚を差し出す。
入市税は銅貨3枚、身分証の無い者は銅貨7枚が相場なのだと常識アプリさんは教えてくれた。
……でもね? この街だけは何故か銅貨5枚、身分証の無い人間は銀貨2枚なんだってさ。
ここら辺りの平民の一日の稼ぎの平均が大体銀貨2枚とのことらしいのに、この価格設定はさすがにどうなの?
と、思わなくはない。
ああ、そうそう。ここらの貨幣価値は、鉄貨3枚でパン1個が買える値段だそうで。
鉄貨1枚を日本の貨幣価値に直すと、大体60円~90円くらいに相当する感じだろうか?
鉄貨5枚で、銅貨1枚。
銅貨10枚で、銀貨1枚。
銀貨10枚で、大銀貨1枚。
大銀貨10枚で、金貨1枚。
それ以上の額になると、世間一般のご家庭では、まず早々にお目に掛かることのない種類の硬貨になるので割愛する。
……と、まぁそんな感じ。
っていうか、この街の入市税の銅貨5枚という価格設定が微妙にセコい。身分証の無い人間は相場の3倍近くも取っている所なんか、完全に擁護不能だし。
こういう細かい所々が、ヨクブーケ子爵家の評判を物語るっていう奴よね。
「……」
「……」
無言のまま、銀貨を持つわたしの手と胸と顔とを何度も何度も行き来する衛兵の視線にイライラしながらも、辛抱強く待つ。
この世界に降り立ってからというもの、ずっとこういういやらしい視線を延々と浴び続けていれば、もういい加減にしてくれよと、うんざりもしてくるってばさ。
男嫌いに凄い勢いで拍車がかかるってもんだ、本当にさ。
「……怪しいな。娘、その銀貨、何処で盗ってきた?」
「はぁ?」
ニヤニヤと粘つく様ないやらしい視線をわたしの胸に固定したまま、この衛兵は見え透いた難癖を付けてくる。
ああ、ホント。この世界の男って奴ぁ、ロクなもんじゃない。
下心が透け透け過ぎて、あんたの背中にある壁まで見えてくる錯覚まで覚えるよ、コンチキショー。
「こっちへ来い。お前みたいな卑しき女は、俺様の手でじっくりねっとり調べてやる必要があるからな」
「うっざ。汚い手を、こっちに、向けんなってのっ!」
わたしの腕を取ろうとする衛兵の手を、本気ではたき落とす。
この時点で種族の差なんか全然気にしない。それどころか手加減一切無しの力で、ぺちんと。
そのせいで多分このバカの腕の骨は、確実に粉々に砕けたと思う。 腕が勢いよく身体の形に添う様に綺麗に後ろへと回ってるし。
「ぎゃああああああああああああああああっ腕がっ、俺の腕がぁぁぁ」
今まで権力を笠に着て色々とあくどい事をやってきただろうこのバカは、わたしからの反撃なんか全く想定していなかった様だ。
自分の腕が軟体生物よろしく無限に関節が増えててしまった事に驚いている。
ただし、痛みで悶えているのは無視するものとする。
「おい、そこのアンタ。うるさいから、そこのバカさっさと片付けときなっ!」
「はっ……はひっ」
入市税の銀貨2枚をもう一人の衛兵に放り投げ、わたしは痛みで転げ回る馬鹿を無視し、そのまま街の中へと入った。
◇◆◇
……ついやっちまったのをその場の勢いだけで無理矢理に誤魔化して、さっさと逃げ出してきた訳なのだけれど……どうやらセーフだったらしい。
今の所、追っ手の影は無い様だ。
「ふーっ。こりゃ、さっさと用事済ませて逃げ切った方が無難だよ、ねぇ……?」
まず要らぬ災禍にもなりかねないから、顔と見た目を隠す外套は最低限必須だと思う。
さっきの衛兵が言っていた”ここらではあまり見かけない黒髪”とやらは、やっぱり周囲の人間の反応を見る限り、かなり人目を惹く様だ。常に複数からの妙な視線を感じるし。
ざっと周囲を見渡す限り、この世界はそこまで長身の人間は居ないらしい。現代日本では平均値に少しだけ……ほんの少しだけ届かなかったわたしが大きく見上げなくてはならない様な男性は意外と少ない。
多分この世界でなら、170もあればかなり大柄な人間と云えるのではなかろうか?
それこそ、180チョイもあれば”入道”なんて呼ばれてもおかしくはないかも……って、そんな感じ。
ただし、この街に住む人間種に限った話なのかどうかは知らない。後でその辺を常識アプリさんに聞いてみるのも良いかも知れない。
そうそう。もし常識アプリさんの存在が無かったら、きっとわたしは今頃この街の牢屋の中で、奴隷の首輪を嵌められて黄昏れていた事だろう。
珍しい髪色に、これまた珍しげな服装をしたわたしは、欲深くも浅ましいこの世界の人間の濁りきった眼には、鴨葱以上のご馳走に映って見えているらしいのだから。
相場の倍以上を平然と吹っ掛け借金を迫ってくるケチな露天商から、わたしを攫って奴隷商に売りつけようと企んでいたという、ド阿呆なチンピラどもまで……
極々短時間の間に、そんなざけンなレベルの強制戦闘イベントが、しつこいくらいに繰り返し繰り返し発生しては、もう男嫌いを通り越して重度の人間嫌いになってしまいそうだよ。
……というより、わたしはすでにこの世界そのものが大嫌いになっている。
会う人間、話す人間、まともな奴が一人も居やしねぇ。
今のところギリギリ許せたのは、あの時のイケメンの騎士さんくらいだろうか。
何度か胸をチラ見されはしたけれど、会話をしている時には、ちゃんとわたしの目を見てくれていたし。
……ああ、もう。
本当に人間不信に陥りそう。
まぁ、最初に会った奴があの神様では、仕方が無いと思って欲しいのだけれど。
この様な状況では、わたしと同じくこの世界に放り込まれたクソガキの犠牲者達の現状も、何となく想像が付いてしまう。
何人かはすでに脱落している可能性すらも、決して否定はできない。
それくらいにクソッタレな世界だよ。と、わたしは今すぐはっきりと断言できる。
まだそれがこのヨクブーケ子爵領の内だけに限った話ならば良いのだが。ただ、今のわたしに、それを積極的に否定する根拠や、気力なんか何処にもありはしない訳、なのだけれど。
保存食やら、今考えられる野営に必要な物資やらを鞄の中に在る異空間に詰め込みながら、わたしはハンターズギルドへと向かう。
数々の強制戦闘イベント発生による慰謝料という名の”お小遣い”のお陰で、自分の財布の中身はほぼほぼ減っていない……それどころか微増している訳で。
だけれど、流石に毎回身分証の無い割高な入市税なんかを払いたはくないのだ。
「入会申請をしたいのだけれど?」
「はっ。アンタ、正気か?」
てゆかさ。初対面で、いきなり鼻で笑い人の正気を疑ってかかるのは、流石にどうかと思うな……
この世界で”ハンター”を名乗る連中は、総じて奴隷身分に次いでの”底辺層”なのだという話だから、まぁ仕方が無い。のだろうけれど。
奴隷身分ではないが、領民……平民ほど上等な訳でもなく、所謂”流民”という奴。
税金を支払う義務は基本生じないが、その代わり国や領主による加護の一切と保障の無い、ただの”世捨て人”という扱い。それが”ハンター”などと蔑まれる人達。
その御利益は、精々ハンターズギルドという最低限度の後ろ盾のお陰で、入市税等が平民並に安くなる程度のものだ。
「そんな入会時に正気を疑われる様な団体の受付なんぞをやってるアンタなんかに言われたかないわね。御託は良いから、さっさと手続きなさいな」
聞こえる様に舌打ちしやがる受付のおっさんを引っ叩きたくなる衝動をどうにか堪え、差し出された用紙に目を通す。
なんだコレ?
名前、年齢……は、まぁ解る。最後の得物って何??? てか、記入事項がコレだけ????
説明を求める様に受付のおっさんの顔を見ると、面倒臭そうにこう言ってきやがった。
「名前くらいなら。少なくとも、どんな阿呆でも書けはするだろう?」
……ああ。そういう事……
本当に底辺層の出自なら、その名前を書けるのかすらも怪しと思うのだけれど……まぁ、そういう程度の認識でしかない話なら、つべこべ言わずちゃっちゃと書いてしまおう。
そのつもりになって読んでみるまで気が付かなかったけれど、異世界言語ってのは自動変換という訳ではない。
ちゃんとそのままの文字から意味を理解できているし、単語やスペルとかも頭の中から自然に出て来る。繰り返しの学習で得た出力結果ではないので、これが微妙に気持ち悪い。
「登録料は銀貨5枚な」
たっか。
登録だけで、一般人の約三日分もの稼ぎを要求するとか。どんだけボッタくるつもりだよって。
だけれど、数回この街を出入りしたらペイできるのだと考えたら、まぁ。
きっとこれが相場なのだろう。大人しく払うしかないのか……なんか妙に腹が立つけれど。
「……ほらよ。これがお前さんの身分を示すタグだ。無くすンじゃねぇぞ?」
この手の異世界テンプレでよくある説明なんかは一切無く、放る様に渡されたソレを、わたしは黙って受け取った。
木片で作られたソレは、所謂仮免許証の様なモノらしい。
これがゴミ捨て場から拾ってきて無理矢理にリサイクルした様な雑な木片から金属で作られたちゃんとしたプレートへと変わる頃に、ようやく世間様に一人前なのだと認めて貰えるとかなんとか。
ああ、そんな面倒臭い話なんかはどうでもいいや。わたしは手頃な身分証が今すぐ欲しかっただけなのだから。
さて。目的を果たした訳だし、それではさっさとこんなクソッタレな街から抜け出してしまおう。あんの豚子爵様(の息子)が帰ってくる前にさ。
なんて、フラグを建ててしまったせいか。
わたしの耳は。
欠片も入れなくて良い”情報”を、仕入れてしまった。
「いやぁ。本当、良い稼ぎになったぜぇ。やっぱ”黒髪”は、高値で売れるやぁな」
「全くだ。高値で売るためだとは云え、みな我慢したけんどよ。やっぱ勿体無かったかもなぁ……」
「だよなぁ。あいつら全員、かなり上等な服着ていやがったし。其処らの臭ぇ娼婦なんかより絶対締まりが良いに違ぇねぇだろうになぁ……」
……脱落。してしまったのか……
あの時、ちゃんとわたしが”斬り祓って”あげていれば。
こんなクソッタレ過ぎる世界に、落とされる様な不幸は。きっとなかっただろうに……
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