03.それが四十路というもので。
こんな状態であっても、頭のどこかで側から見たらどう見えるか。なんてことを考えてしまっている自分がいて、イケメンキラキラ男子に普通のどこにでもいる主婦(私)が押し倒されているというこの絵面のどこに需要があるんだと脳内で突っ込んでしまうあたり、私の脳みそも大概残念だ。
だって、この状態だって普通に考えたらありえない。
「そこをどいてください。今すぐ退いてくれるなら警察には言わないでおいてあげます」
「……やはり、理解していらっしゃらないようですね」
確かに一瞬ビジュがとか余計なことが頭をよぎりはしたけど、今のこの状況を理解はしているつもりだ。だから抜け出そうとさっきから必死で力をこめているのに、やはり敵わないところが歯がゆい。
「先ほども言ったでしょう。……同じ対象を何度も取り逃がす事は、一族の恥だと」
「だから、人違いだって言ってるじゃないですか!!」
「……あなたは、左右でわずかに瞳の色が違いますね。加えてあなたのその背中のアザはバルディラの花」
確かに私の背中……左の肩口あたりに小さな花のようなアザがある。位置的に背中であること、きちんと服を着ていれば隠れてしまうので、高校の卒業旅行で友人と温泉に行った時にその友人に指摘されるまで気がつかなかった。
よく見れば右と左で瞳の色が違うという事も、同じ黒色だしそこまで誤差はない。それも大人になってから気づいた事で、だけど生活に支障はないからと放置していたものだ。
「だからなんだっていうんですか、それってなんの証拠にもなりませんよね?」
世の中、知らないだけでいろんな人がいる。探せば同じ条件の人がいるかもしれない。
何度も逃げられていると言われたけど、そんな記憶もなければ、そもそもこの男性にも初めて会った。身に覚えのない事を言われていることに違和感を感じる。言っている意味もやっぱりわからない。私には、彼が支離滅裂で、見当違いなことを言っている風にしか思えなかった。
「その背中の花のアザは我が一族の印。長であるアスティエルが直々に付けたものに違いありません。……と言ってもご理解いただけないでしょうが」
男性は、そこで一度言葉を区切ると軽く息を吐いてから続けた。
「どちらにしろ、こちらには関係のないことですし、私の計画に変更はありません。……ああ、それから――あなたたち人間のようなまどろっこしいやり方で子を産んでもらうのではありませんよ。こちらのやり方で子を生むのです」
「こちらの?」
意味深な言葉を怪訝に思い、眉をひそめた私に視線を落としたまま彼は続けた。
「ええ。……花嫁の血をささげ、その鮮血の中より子らは死をもって生を受ける。魔族の中でも古来よりある我々ヴァルカニルの高貴な血統は、そうして正しく受け継がれてきた。……アスティエルの敗因は、上流を出し抜こうとしてこのやり方を曲げたところにあります。……結果その血統すらも貶められる事態となる。……まずは古よりの方法を使い、それによりこれまでの汚点を払拭し、面目を保たねば」
最後は独り言のように呟いて、男性は素早く左手で私の手をひとまとめにしてテーブルに固定すると、右手で何かを取り出した。
目の前で銀色に鈍く光る短剣が視界に入る。刃物だと頭が理解すると同時に、それは迷いなく私の首筋へとあてがわれた。
「っ!」
やけに冷たい感触に、細かい理屈はわからないが、冗談でも間違いでもなく、目の前の男の目的は私であるという現実が突きつけられた気がした。
そしてそれが最悪の事態であることに慌てないわけがなかった。
「ま、待ってください! 落ち着いて! 一度ちゃんと話し合いましょう!」
私を見て男性は愉快そうに口の端で笑ってから続けた。
「話し合う? なにを?」
「な、何って、他に方法がないかとか、……と、とにかく、その刃物はしまって下さい!」
「おや。直接嚙みちぎられるほうがお好みで?」
「は?」
――噛みちぎる? 今、この人、噛みちぎるって言った?
「私としてもそうしたいのですが、そうしてしまうと目的を果たす前に、間違って最後の一滴まで飲み下してしまいそうですので。あなたを嗜好品にするわけにはいかないですからね」
その時、相手の口から覗き見えた牙。八重歯だと言ってしまうにはあまりにも鋭いそれに言葉を失う。
「心配には及びません。痛いのは一瞬ですから」
頭の処理が追いつかない。
「ああ、できれば今のように大いに恐怖を覚えていただき、ついでに喚き叫んで下されば、こちらとしてはより強い子を残せるので、ぜひそうしていただくと助かります」
にこりと爽やかに笑って告げられる。
絶対におかしい。人間じゃない。
これが人間ならばサイコパスだ。
なんで私が? とか、なにも私じゃなくてもいいじゃないかとか、そんな思いが頭の中をしめる。
――ずっと、平凡な人生で、普通の主婦の私は、死ぬ時は家族に看取られて死ぬのだと思っていた。できればその時は事故でなく、病気でもなく、寿命で眠るように死にたいと。
だけど現実は、よくわからない場所で、よくわからない男に、理不尽な理由で殺されて死ぬのだ。
そしてその時は目前に迫っている。きっと目の前の男が言うように一瞬だ。少し力を入れられれば、次の瞬間には痛みとともに血が吹き出し、呼吸ができない苦しさと、切断された痛みとでやがては絶命するのだろう。
【モルデュイン】
魔族と人の間にできる子供のこと。
魔族に伝わる古来からの方法で生まれる。
生まれる子は長寿であるがザリオンより力が弱く、一族の中では最下位に位置する。
【ザリオン】
魔族と人間の間にできる子供のこと。
人との営みにより産まれる。力が非常に強いが短命である。魔族には同族として認められず、道具として扱われることが多い。この方法を取ると子供ができる過程で親にあたる魔族は狂ってしまう危険性もあるが、産まれてくる子は、上流階級の魔族を出し抜くほどの力が秘められている可能性がある。