意外と覚悟は急に決まる
「もーいやだ!」
力一杯テーブルにビール缶を叩きつける。泡が溢れ手を濡らすけれど、俺の心だって濡れている。
「毎日サビ残、おっさんの嫌味攻撃、おばさんの結婚は?口撃!挙げ句の果に後輩の先輩すみませぇ〜んでくる尻拭い!ふざけやがって!」
勢いよく酒を煽り飲み干すと、新しい缶のプルタブを開けてさらに体へ燃料を入れていく。怒りに任せてグシャ、と缶を潰して床に転がす。畳が濡れることなど知ったことではない。むしろ俺の怒りを知ってくれ。
「なんだよ!俺が何したんだよ!精一杯働いて!それでも間に合わない業務に、自分の出来る仕事量ぐらい把握して働けだぁ…?!俺だって出来るならそうしてるさ!なのに!」
思い返すは今朝のこと。
いつも通りいやいや出社すれば自分のデスクに載せられた覚えのない仕事のファイルが3冊。
『え、なにこれ…』
『あぁ、君のね』
背後から声をかけられ振り向くと、蛍光灯に照らされたハゲ係長がニヤついた顔でこちらを見ていた。
しかし、俺にだって他に任された仕事がある。更に他の仕事を受ける余裕なんてなく、断ろうと口を開く。
『いや、』
『僕忙しいから。やっといて。できるでしょ?』
『すみません、もう手一杯でして、』
『…はぁ…?君さぁ…』
俺は、脂ぎったハゲ頭を生涯忘れない。俺の怒りのゴングはこの瞬間鳴り始めていた。
「何年働いてるの?じゃねぇよ!少なくともお前よりは仕事量こなしてるわ!大体、お前がコネ入社してたいして仕事できないのに係長の役職に収まってるのフロアの社員全員、納得してねぇから!冗談はその毛根だけにしとけよ!ハゲ撲滅!」
愚痴を言えば喉が渇く。更にアルコールを摂取して口を開く。
断り切れず、泣きそうになりながら自分の仕事と並行させて、係長の仕事を終わらせやっとこさ提出しにいけば、あいつは既に帰宅していた。
『…くそがよ…』
蚊の鳴くような声で悪態をつくと、係長の仕事用携帯へ電話をかける。
『すみません、係長。今朝頼まれた仕事が出来上がったのですが、』
『はぁ…仕事が遅いね君。桜庭くんだっけ?何年働いてるの?自分のできる仕事量くらいさぁいい加減見極めなきゃいけないよ?』
『はぁ…』
『まぁ、今回は許してあげるけどぉ…次からはちゃんとやってね。』
『きゃ〜しんちゃんかっこいい〜』
『あはは。できない部下を持つと大変だよ〜…』
ブツリ、と無造作に切られた電話の奥が騒がしくて、もしやと思っていた。けれど、最後に聞こえた女の声に確信する。
『あのハゲ…人に仕事押し付けてキャバクラかよ…!』
「なぁ〜にが見極めなきゃいけないよ?だ!見極めた仕事にプラスしてきたのどこのハゲた係長ですか!?しかも何だよ!できない部下を持つと大変だよ〜って!仕事できないのはあんたでしょーが!!!」
一頻り愚痴を垂れ流すと、ふとテレビに映るアナウンサーに目をやった。フリップを出しながら昨今の残業時間の多さについてを説明し、労働基準法について解説していた。
「残業時間…ね…」
思い出すは一昨日の昼頃。
『お忙しい所お呼びして申し訳ございません。』
『はぁ…』
会議室の一角に呼び出され、対面する形で座った。真面目に服を着せました、という格好のスーツメガネ女子、総務課の有間さんに俺は突然呼び出された。
『単刀直入に申し上げます。桜庭さん、最近残業が多い様ですね。このままでは労基に引っかかりますので、なるべく残業は控えて下さい。他の方に仕事を分配するとか、上司に相談するなどして改善を図ってください。』
『はぁ…』
『はぁ…溜息を付きたいのはこちらです。』
『え、…すみません…(溜息のつもりなかったんだが…?)』
「なんで俺が地味に怒られるのかな?!しかもつい謝っちゃったよ!日本人だもの!でもさぁ、しょうがないじゃんか!皆で仕事するにはある程度人間関係考慮して動かなきゃいけねぇのに!できない後輩に仕事振ってミスの尻拭いするくらいなら自分でやるよ!上司が仕事振ってくるんだから相談したって解決しないのよ!!あー………………そうだ……。」
桜庭直継、社会人5年生は覚悟を決めた。決して酔った勢いなんかではない。むしろ、酔った勢いでなければ決められないこともある。どっちだこれ?…まぁいいや。
いつの間にかニュースはCMに切り替わっていた。
『今こそ新しい仕事にチャレンジ!楽しい職場が君を待ってる!』
覚悟を決めた俺を後押しするように、CMに映る国民的美少女が楽しげに笑った。
「転職しよう。」