燃える剣は果たして本当に産廃なのか 一話
「金貨12枚? たったの?」
フィンカ魔道具専門店。『ドラゴン殺しの魔剣から日常を彩る便利な道具まで何でもお取り扱い』を謳い文句に、魔道具を買えるだけの余裕がある裕福な中間層から富裕層、そして高位の冒険者たちに幅広い人気を誇るこの店で、驚きの声が響き渡った。
磨き上げられた、古くも上等な木のカウンターに、ふかふかの白い羽に覆われた翼が叩きつけられる。「でも、これはただのオシャレた短剣じゃなくて、炎のエンチャントが施された燃える短剣なんだぞ!」
納得がいかない、とその水色の瞳に苛立ちの色を宿らせたのは、名をルーファスというフクロウ族の若い青年である。深緑のマントに、小ぶりな弓と矢筒を背負い、首に巻いた空色のスカーフに留められた薔薇の紋章が入ったバッジは彼が迷宮探索と怪物退治を生業とする冒険者である証。
彼の手──種族名の由来ともなっている、彼らの祖先たるフクロウが持つ翼が進化し、空を飛ぶ能力を残したまま人と同じように物を握ることができるようになった翼を兼ねた手──には、みごとな金の装飾が施された黒の短剣が握られていた。
「それはもちろん、重々承知しているとも。わかった上で、私はその短剣には金貨12枚の買取価格を提示しているのだ」と、カウンターの向こうに立つ店主が不機嫌な青年の態度に落ち着きを払って答えた。
カラス族の歳を重ねた紳士でありこのフィンカ魔道具専門店のオーナーでもある、フィンカその人である。知性を宿した紫の瞳にモノクルをかけ、優雅な物腰によく似合った燕尾服を着ている。「12枚という価格が気に食わないのなら、他を当たるといい。私は銅貨一枚たりとも多く出すつもりはないのでね」
「でも、」と、ルーファスは繰り返した。「金貨12枚なんてエンチャント無しの同品質の短剣に毛が生えたくらいの値段じゃんか!」と、彼は食い下がる。「せめて、なんでこんな安い理由くらい教えてくれよ」
「簡単さ。燃える剣なんてものは、見てくれは立派でも、その実役立たずもいいところの武器だからだ」フィンカはカウンターに置いていたカップを持ち上げ、甘い湯気を立てる紅茶を啜った。「炎を纏った剣で、相対する敵に強烈な一撃を見舞うと言えば聞こえはいいが、実戦で使うことを考えれば、このエンチャントは致命的とも言っても差し支えない欠点をいくつも抱えている。まず第一に、効果を発動している間は当然剣はずっと燃えているわけだから、その最も近くにいる者、すなわち所持者に燃え移る危険が常に付き纏う。そうでなくとも、熱くて持てたものではない。炎がついたまま取り落とせば、そのまま火事になって大惨事なんてことも起こりうるし、実際そうした事件は数え切れないほどあった。それは敵を燃やした時も同様だ。よって、こうした武器を有効的に使える状況は極めて限られ、わざわざその不便とリスクを背負って使う意味があるのかと問われれば、燃える剣なぞよりよっぽど効果的で安全な代用品が山とあることを鑑みるに、『全く無い』というのが私の意見だ。というか、」フィンカは胡乱げな目を青年に投げかける。「君も一介の冒険者なら、それくらい知っているのではないか?」
「僕の仕事は基本的に偵察と遠距離からの援護だから、近接戦闘のことには疎くて」と、彼はぼそぼそ言った。「ちぇっ、せっかく良いものを引き当てたと思ったのに、ハズレか」
「残念だったな」と、フィンカはいくらかの同情を見せて言った。「その見栄えの良さから一時期貴族の間で流行したんだが、エンチャントの不便さが知れ渡るとそれもすぐ廃れてな。結局、買い取り手が見つからぬまま、どこの魔道具店でも大量の売れ残りが発生した。私はこうなることが始めから見えてたから、多くは取り扱わなかったが、それでも裏には15本ほど燃える剣が眠っている」
「だから、金貨12枚……ね」
「そうだ。どうする、それでも売るか?」
「いや、やめとく」青年は首を振った。「せっかくの魔道具をそんな端金で売るくらいなら、記念としてとっておくよ。もしかしたら、何か効果的な使い方をあとで思いつくかもしれないしね」
「好きにしろ。ただ、くれぐれも火事には気をつけるように。この辺りじゃあまり見かけない同胞が炎の剣の取扱事故で焼き鳥になったなんてニュースを聞いたら、寝覚めが悪いのでな」
「お気遣いどうも」フクロウ族の青年は自身が炎に包まれる姿を想像して、顔をしかめた。言うに事欠いて焼き鳥とは! ゾッとしない話だ。彼は短剣を鞘に戻し、肩にかけている鞄にナイフを押し込んだ。「じゃ、もう行くよ。今日はこの後依頼があるから、ゆっくりもしていられないんだ」彼は自分に出された紅茶を一息に飲み干すと、席を立った。
「せっかく良い茶葉を出してやったんだから、もっと味わって飲め」と、フィンカはフクロウを咎め、それからいくらか態度を軟化させて言った。「また来い」
「うん、また来るよ」彼は軽く手を振って別れを告げると、店を出る前に商品を眺めている仲間に声をかけた。「リン」
遠目からには光る宙に浮かんだ球体にしか見えない彼女だが、その正体はかの精霊の森より来る妖精族の一員である。人の掌に収まるほどの小さく華奢な体に、花より作られた白のドレスを身にまとった彼女は、前に垂れた金髪の隙間から覗く端正な顔に興味深げな表情を浮かべて棚やショーケースに並べられた魔道具を見てまわっていた。
名前を呼ばれて、妖精リンは顔をあげた。「終わりました?」
「終わった」フクロウは言った。「出よう」
「はい」リンは持っていた自動で帳簿をつけてくれる魔法の羽ペンを元の場所に戻し、彼と並んだ。
フクロウは彼女のためにドアを開けてやると、一緒に通りに出た。
ここフィンカ魔道具専門店に限らず、彼らが今いるイチイ通りは武器屋に雑貨店から料理店まで多くの店があるので、人でごったがえしている。
ここから歩いて冒険者ギルドまで帰るのは、骨が折れるだろうな、とルーファスは他人事のように思った。それもそのはず、彼らには翼があった。
ふたりは翼を羽ばたき宙へ舞った。雑踏を飛び越え、春の暖かな風に乗って上昇し、空へ。暖かい陽の光に照らされて輝く街を眼下に、ふたりは誰にも邪魔されることのない、翼を持つものだけが立ち入ることを許される世界をゆったり漂った。
頬を撫でる暖かな風に気持ちよさそうに目を細め、リンは凝り固まった体を伸ばした。フクロウと違って、魔術的な力で飛んでいる妖精族の彼女だからこそできる芸当だ。「それで、ルーファス」あくびを一つして、それから目をこすりながら彼女は言った。「いくらで売れたんですか? あのナイフ」
「売らなかったよ。金貨12枚しか出さないっていうから。せっかくの魔道具をそんな端金で売るくらいなら、記念に取っておこうかと思って」ルーファスは不機嫌に言った。「ひどい話だろ?」
「恥ずかしながら私はお金のことには疎いので、提示された価格が適正だったかどうかは分かりかねますが、炎のエンチャントが一般的に扱いづらいと広く知られていますから妥当だったのでは?」
「……そのこと知ってたのか?」返事が無かったので、ルーファスは続けた。「なのに、ずっと黙ってたと? 金にならないって分かってたのに?」彼は怒りにその水色の目を細めた。「最初から言ってくれれば、あの店にわざわざ行く手間がはぶけたのに!」
「だって、お店がどんな風なのか気になったんですもの」
「ひとりで行けよ!」
「でも、妖精のひとり歩きは危険でしょう?」と、リンは悪びれもせずに言った。「それに、ドアを開けてくれるひとがいないと不便ですから」
「ええい! 成敗してやる!」怒ったルーファスは速度を上げ、くちばしを大きく広げて妖精を追い始めた。
「きゃっ! 無礼ですよ!」
妖精の楽しげな悲鳴と、怒り心頭に発したフクロウの獲物を威嚇する鳴き声が空に響き渡る。追走劇がしばらく繰り広げられ、最後に攻防を制したのはリンだった。元より魔法でルーファスには不可能な軌道で飛べる彼女に勝てるはずもなく、やがて諦めた彼は仏頂面で距離を取った。
「ああ、楽しかった」笑いながらリンがやって来て、彼の頭にベッドに飛び込むように寝そべった。
ルーファスは振り落とすことも考えたが、魔法で飛んでいる彼女にそういった力は働かないので試すだけ無駄だと結論づけて、せめてもの抵抗として無視することにした。
彼の毛を指先でクルクルと弄びながら彼の注意を引こうと声をかけるリンに対しルーファスがだんまりを決め込んでいると、彼女は笑顔を引っ込めて少し不安そうに尋ねた。
「怒ってます?」
「さてね」
「じゃあ、怒ってないんですか?」
彼女の言い方に少しがっかりしたようなものを感じて、フクロウは更にイライラを募らせた。「怒ってるよ」
「本当に?」いくらかの期待を込めて彼女は聞いた。
「ああ」
「本当の本当に?」
「しつこいな、怒ってるってば!」
「そうですか」
「嬉しそうだな」
「ええ、嬉しいです」
「素晴らしい性格を持ってるんだな。お前、僕以外に友達いないだろ」
「居ません」リンはキッパリと言った。「怒られたのもこれが初めてです。だから申し訳ないちょっぴり嬉しい。宮殿にいた時には皆優しくしてくれましたから」
「……そうかよ」ルーファスは苦々しく言った。彼はまだ怒っていたが、その矛先は別の方へと向けられていた。「羨ましい限りだ。僕は親父にお袋にと殴られ通しだったから」
「でも、困りました」と、妖精は顎に指を当てて唸った。「これまでに怒られたことが無いので、どうやって埋め合わせをすれば良いのかが分かりません」
「しなくていいよ」
「いえ、させてください」
「いいって」
「させてください。というか、ダメと言われてもします」
ルーファスはあれこれ言って辞めさせようとしたが、今度は彼女が意固地になる番だった。とうとう彼は折れて、怒らせた本人が必要ないと言っている埋め合わせをするのを手伝わされるという不思議なことになった。
「へーえ? 守銭奴のルーファスが珍しくブタ箱のエサよりマシなものを食ってると思ったら、そういう事情があったのか。女に勘定持たせて自分はうまい飯にありつくとは、いい御身分じゃないか」
「うるさいな。そんなんじゃないよ」
冒険者ギルド、その酒場。依頼を出すもの、依頼を受けるもの、依頼の手続きの仲介するもの、そしてそれら全てに食事を供するもの。ありとあらゆる種族と、ありとあらゆる職業の人々で賑わう酒場の片隅のテーブルで、出された食事をまるで盗まれるのを警戒するかのように手早く詰め込みながら、ルーファスは仲間からの茶化す声に不機嫌に言い返した。
「僕は別にいいって言ったのに、リンがどうしても奢らせろって聞かないから。それに、お前こそ放蕩カカシ野郎のくせに。この前も、有り金をカードで全部すったって、妹さんが泣いてたぞ」
放蕩カカシ野郎などと不躾な名前で呼ばれたのにも関わらず、ヘラッと笑って軽く受け流すのは、ツギハギだらけの狼の皮でできたマスクを被ったカカシに憑依した精霊のジャックだ。彼はルーファスのパーティメンバーでもあった。憑依してから自分なりに色々と手を加えて謎めいた仕掛けに満ちた長身を、ボロい外套で覆い隠し、だらしなく座っている。「馬鹿言え。不運にも天に見放され持ち金をすっちまったのは否定しないが、すったのは俺の小遣いだけだ。家の金に手を出したりしてねえし、これからするつもりもねえよ」
「なーんだ。妹さんがこの世の終わりみたいな顔で涙ながらに訴えてたから、てっきり落ちるところまで落ちたのかと思ったら、小遣いでしょぼい博打うってコテンパンにやられたってだけなのね」からかいの矛先を逸らした矢先に、ルーファスに図らずも援護射撃をしたのはフィリは呆れたように頬杖をついていた。
この若き猫族の女性は、種族の中では平均的であれど人混みの中に紛れ込めば幼児と見紛うほどの短躯で、魔法使いの証である白いローブを纏っている。目は綺麗な赤で、毛は手入れの行き届いた栗毛である。また、最近の流行なのか、頭頂部の部分のだけ長めになっている毛は人間を思い起こさせた。彼女も同じくルーファスのパーティーメンバーである。「あんまり妹さんに心配かけちゃダメじゃない」
「そうだぞ!」ルーファスはすかさず便乗した。
「だから金で苦労はかけてねぇっつーのに! なんでも心配しすぎなんだ、あいつは」ジャックがぼやいた。「で、結局売らなかったんだろ、そのナイフ。観賞用にでもするのか?」
「そのつもりだったけど、今冷静になって考えてみるとナイフを部屋に飾るのはあまり僕の好みじゃないなと」
「じゃ、やっぱ売るの?」とフィリ。
「それもな~」
「めんどくさいですね、あなた」呆れるリン。
「お前に言われたかないよ」ルーファスが言い返した。
「ま、お前のモンなんだから、お前の好きなようにすればいいんじゃないか」ジャックが適当に纏めて、話題は別に移った。「それで? 学術都市とやらに旅立ったリーダーとその他数人はいつ帰ってくるんだよ?」
「リーダーは二週間くらいって言ってたけど、ああいう会議って往々にして長引くものだから。でも、長引くなら長引くで手紙の一つや二つ寄越してくると思うわ」
「そうですね。ところで──」
仲間たちが和気藹々と会話を弾ませる中で、ルーファスはただひとり短剣の処遇とその使い道について思いを巡らせていた。
誰が何のためにいつ建てたのか分からない遺跡が近くの森で発見された。早速調査に取り掛かりたいのだが、中に厄介な生き物が住み着いているので退治してほしい、との依頼を受けて、一行は街から馬車で二時間ほどの場所に位置する深い森にやってきた。
近場の街道で馬車を降りて、半日後にまた迎えに来るよう御者に約束させると、一頭の斥候としてルーファスは早速空へと飛び立って、付近の偵察を始めた。だが、知らぬ間に頭の中は黒い燃える短剣のことで一杯になっていた。
「で、遺跡の場所は掴めたか?」
戻ってくると同時に問いかけられて、ルーファスはハッと我に返ったように頷いた。「うん。見たよ」
「どっちの方角だ?」
「え? うーんと……」見たことは覚えていたが、現在地との地理関係という基本的なことを覚えておくのをすっかり忘れていた。これでは斥候失格だ。「……ほんとごめん。確認すんのすっかり忘れてた」
「おいおい」というジャックの声は、呆れを通り越して、半分心配していた。「大丈夫かよ?」
「ここ数時間ずっと静かだったけど、具合でも悪いの?」と、フィリ。
違う、と言えれば良かったが冒険者の義務として常日頃から体調には気を遣っているのでそんなことは全くなかった。が、正直に役立たずのエンチャントのことをずっと考えてましたと白状するより、体調を崩しているということにしておいた方が信頼は保たれるような気がした。
でも、嘘はいけない。大恥をかき、たとえ見限られようとも、今まで背中を預けあった仲間を裏切るようなやつになるのだけはごめんだった。
「実は……」と切り出したところで、「遺跡はここから西の方角にありました」と遮る声があった。
「地図だと、この辺りですかね」小さな白い指が広げられた地図の上を滑り、森のある一点を指して、軽くと叩いた。「手入れのされた開けた平地の奥に、半分崖に埋まるように立っていました。入り口付近には見張り役と思われるゴーレムが二体いて、おそらくあれが遺跡の手入れもしているんでしょう。でも、見たかぎりかなり劣化していて、油断さえしなければ楽に倒せる相手だと思います。中の構造や、戦力については外からでは分かりかねましたが」
「リン……」空いた口が塞がらないルーファスに、リンはいたずらっぽく微笑んで返した。「こっそりとついていった甲斐がありました。どうにも心ここに在らずという感じでしたので」
ルーファスはため息を吐いた。「今度は僕が埋め合わせをする番だな」
「さーてと、どうしたもんかね、この状況」とジャックが言った。「ルーファスと同じように空が飛べて、目だって望遠鏡みたいにいいのは知ってるが、結局リンは本職の斥候じゃねえからな。もしかしたら普段のルーファスなら──悪い、嫌味のつもりで言ってるんじゃねえんだが、とにかく、ルーファスならしないような何か致命的な見落としをしてるかもしれない。どう思う、フィリ?」
「そうねえ」と、フィリは顎に手を当てて、「リンの報告は依頼者の前情報とほとんど一致してるし、仮に高度な防衛機構を遺跡が備えていたなら、攻撃魔法の一発や二発飛んできててもおかしくないはずよ。ど素人の狩人が一人で逃げて帰ってこれたくらいだし、そこまで心配する必要はないんじゃないかしら」
「かもな」ジャックは同意して、ルーファスに振り返った。「だがリーダーが出払ってる今、俺が一応このパーティーを預かってる身だ。誰かを避けられたはずの危険に晒すような判断ミスは犯したくない。嘘偽りなく言ってくれ、ルーファス、本当に体調は大丈夫か?」
「うん。心配かけてごめん。さっきはちょっと別のことに気が取られてたんだ」ルーファスは誓った。「もうヘマはしないよ」
「よし」ジャックはルーファスの肩を叩くと、手を振り、森の中へと歩を進めた。「じゃ行くぞ。とっとと終わらせて、とっとと帰って、みんなで美味い酒でも飲もう。今夜は俺の奢りだと言いたいところだが、あいにく手持ちが無いんでね。悪いが自分の分は自分で払ってくれ」