95 アクシデント
スコル一行が別荘に来てから日が経ち、魔都に帰る日までは、何の問題も無く休暇を楽しめた。しかし、問題が全く起きないわけではなかった。問題が起きたのは、旅行の日程を終え、魔都に向けて出発した後だった。
「晴れないねぇ」
「困ったねぇ…予定通りに帰れないんじゃない?」
帰り道の途中のこと、道中宿泊した町で悪天候に足止めを食らっていた。眺める窓の外は、滝のように降り注ぐ雨に5メートル先もまともに見えないありさまで、呼吸がしずらいほどの大雨だった。全員が泊まれるような部屋があったのは幸運だったが、その分値段も高くあまり長く泊まりたくはない。
「うん…予定通りなら明日には帰ってるはずだけど、もう今出ても間に合わないね」
「んー……ノレアさん、どうしましょう」
今も部屋の中を炎の鳥がくるくる回っているが、いつもより魔力を持っていかれている気がする。普段の雨ではそこまでのことは起こらないので、やはり雨が酷いと実感する。
「そうだな。ここまでの大雨は想定していなかった。帰りが遅れる報せを出すこともできないが……どうしたものか」
窓から少し離れた椅子に座っていたノレアから答えが返って来た。足止めされてすでに二日目で、明日も晴れそうにない。帰りが遅れるのはもはや確定なのだが、ヘルの元に使いを出すのも不可能で、ノレアもずっと悩んでいるようだった。
「戻ったぜ」
「あ、大丈夫でした?」
「おう」
声に扉の方を見れば、宿から出かけていたブルースたちが帰ってきていた。タオルで頭を拭きながらこちらに渡された袋には、いくつか食材が入っていた。彼らは食事の準備に出かけていたのだ。
「まあ少し濡れたが大した問題じゃあねぇ。それよか、無駄足にならなくて良かったぜ」
「外行ってもらってすいません……あ、着替えたらそれの近くに干しといてください」
ご飯を作るにも材料がいる。こんな天気でもなんとか店は開いていたようで、無事買ってこれたようだ。私は窓から離れた場所に炎の鳥を留め立ち上がる。
「お昼作りますかぁ」
「うん」
ニナと共に窓際を離れ、食材を受け取ったノレアを追ってキッチンへ向かう。雨の肌寒さと薄暗さで分かりづらいが、今は十二時を過ぎた頃でちょうどお昼時だ。
「何作ります?」
「そうだな……適当にスープでも作ろうか」
ノレアはそう言うと袋から鶏肉を取り出し切っていく。私とニナは隣で野菜を切り、終わり次第鍋の準備に取り掛かる。
「あ、薪……まいっか」
火をつけようとして気付いたが、薪が無い。取りに行こうにも外に置いてあるものは使いものにならないだろう。仕方ないので小さな火球をかまどに放り込んで維持する。
「ねぇニナ、ハーブって何がある?」
「さすがに無いね。塩コショウくらいはあるけど」
ハーブなんて持ち歩いている訳もなく、宿に常備されている訳も無い。十分おいしくできるとは思うが、少し味気ない気もしてしまう。
「どうしようかな……」
「まあ仕方無いんじゃないか?15分もすれば骨から出汁も取れるし何とかなるだろう」
ノレアが鍋に鶏の骨を放り込んで言う。時間があれば一時間ほど煮込んでもよいが、そこまで時間をかけるつもりは無い。
「まあそうですかね……あ、いや、一個あった。ちょっと取ってきますね」
一度手を洗いキッチンを離れる。獣人領で買ったものがあるのを忘れていた。
「ショウガ売ってたんで買ったんでした。今日肌寒いですしちょうど良いと思います」
セカイ王国に居た頃はよく使っていたが、産地や気候の問題で魔都では使っていなかったのを見つけたので買っておいたのだ。薬にも使うらしく家にはかなりの量が置いてあった記憶がある。
「ああ、何か買ってたな。まあ料理の腕は信用しているし任せる」
ノレアはそう言ってかまどから一歩引いた。ショウガは切って潰して放り込むだけで仕事をしてくれるのし、刻んで入れれば立派な具にもなる。それに体にもいい。非常に便利である。
「パン切っといたよ」
「ん、ありがと」
ニナが包丁を片しながら鍋の様子を見に来た。
「後は私がやっときますよ。火の面倒見るの私ですし」
「……そうか?じゃあ頼む。すまんな」
「分かったー。ありがと」
炎の制御を私がやっている都合上私は絶対にキッチンに残るので、鍋の面倒も一緒に見た方が効率が良いのだ。
「……そろそろ良いかな」
ニナとノレアがキッチンを離れ少しして、鶏の骨が良い具合になったのを確認して骨を取り出し、鶏肉を入れて煮始める。時間を置いて野菜も入れ、十分に火が通ったら塩とコショウで味を調えて完成だ。
「できました」
パンとスープだけではあるが、スープが割と豪勢なものであるし材料も少ない中よくやったと思う。
「しかし、どうします?」
食事が始まってすぐ、アルマが切り出す。全員現状が問題なのは分かっており、打開策を思いついていないのも同じだった。
「そうだな……無理にでも馬車を出してもらうというのも考えたが、出してくれるところが無いだろう。歩いて帰るには距離も遠すぎるし天気も悪すぎる。結局大人しく天気が良くなるのを待つしかあるまい」
「まあ、そうなりますか。ヘル様に一報出せるだけでも良いんですが……それもできませんしね」
おそらく、状況次第では私やニナ一人であれば強行突破して進んだだろう。ブルースあたりもそうしたかもしれない。しかし、全員そんな無茶ができる訳も無いし、どうあがいても大人しく待つのが正解だ。
「炎で雨防げたりできねぇか?こう、良い感じに蒸発させる感じで」
ラークに聞かれたが、いい返事は返せない。三人が食材を買いに出かけた後に気づいて一度試したが、どう頑張っても魔力が足りないのだ。
「ちょっと試してみたけど魔力が持たない。雨…っていうか自然のパワーって言うの?結構すごいよ」
馬車の真上に壁を展開したとして、雨に打たれた場所から消えていくため一秒の余裕もなく補修し続けなければならないし、仮に雨粒をすべて防げても雨で緩くなった地面をどうにかしようと思ったら魔力が足りないどころの話では無い。それを馬車で二日かかる距離ずっとやり続けるのは不可能だ。
「そうか……まあじゃあしゃあないな。ほんとにどうしようもないか」
「何を考えようと結局何もできないんだ。ゆっくり休めばいいさ……ん?すまない、少し外すぞ」
扉をノックする音が聞こえ、ノレアが立ち上がる。当然だが来客の予定などない。来るとすれば宿の管理人くらいのものだ。
「なにか……何!?そうか……わかった。すまない。感謝する」
会話の内容はよく聞こえなかった。しかし、どうやらただならぬ事態のようで、すぐに戻って来たノレアの表情は真剣なものだった。
「何だったんです?」
「……食事が終わってから話そう。思ったより重大な案件だ」
そこからの食事は、皆少し急いでいる雰囲気があった。食事が終っても、皆テーブルに座ったまま動かなかった。
「それで、何だったんです?」
「まず、これを。渡された文書だ」
ノレアは一つの封筒を差し出した。開けてみれば、数枚の紙が入っており、ヘルのサインが入っていた。
「照合は済ませた。ヘル様からのもので間違いない。端的に言えば、次の仕事の指令書と詳細だそうだ。この天気の中で強行できる人材を使ってまで届けただけあって、中々事態は重篤らしい」
紙の内の一枚。そこに書かれていたのは、魔国の砦が破壊された、という文字だった。
「は?どういう……」
「人類側から仕掛けたのか……?」
「とりあえず、詳細を話そう」
皆が困惑する中、ノレアが話し始める。
「ヒオンの砦が破壊された」
「ヒオン?ダークエルフ領のか。海洋連邦か?」
ヒオンとは、魔国の町であり、人類のエリア海洋連邦という国家の領土に隣接する町だ。魔族と人類の戦争では、ヒオン付近を含む2,3箇所が戦場となることが多く、非常に重要な町の一つだ。
「いや、どうも海洋連邦じゃないらしい。というか、勢力としての”人類”の仕業ではないみたいだ。海洋連邦側の砦も破壊されたとも書かれているしな」
魔国の砦が襲撃されたとなれば、当然人類による攻撃が最初に考えられる。しかし、どうもそうではないらしい。
「セカイ王国やナート教も関わっていない、一組織の独断とみられている。”アジキ教団”という宗教団体の仕業らしい」
「はぁ……でも、そのアジキ教団も人類の組織じゃないんですか?」
「恐らくな。だが、人類のために襲撃した、と言う雰囲気ではないようでな。アジキ教団の仕業というのも犯人が現場にわざわざ教団の印を残していったから判明したんだが、調べたところ海洋連邦も同じ被害にあっているらしくてな。人類のために襲撃したのなら海洋連邦を襲撃する理由が無い」
アジキ教団という組織の仕業らしいが、目的も不明で何も分かっていないということらしい。しかし、アジキ教団というものは聞いたことも無いが何なのだろうか。
「一番に考えらるのは双方に被害を出して戦争開始を早めようとした、というところだが、それではアジキ教団の名前を残すのが意味不明だし、被害規模が大きい分開戦は最低でも半年は延期になる」
「目的不明の謎の襲撃ですか……そもそもアジキ教団って何なんです?」
「良く分からん。アジキドウジと言う”鬼”を信仰していることと、”予言”なるものに従っているらしいことしか分かっていない。規模も目的も教義も不明だ」
アジキ教団が何者かも分かっていないらしい。人類の領域で生きていたころも聞いたことが無いが、あまり規模は大きく無いのだろうか。
「後、セカイ王国の属国やホワイトコーク万年氷床の方の町でも襲撃があったらしい。まあ我々の仕事には関係ないからそっちは後で各自確認してくれ」
人類魔族両方で、しかも聖魔大戦で戦場になる場所の近くの都市が同時に襲撃されているらしい。
「まあ簡単にだが、現状の確認は以上だ。細かいことは後で資料を確認してくれ」
ノレアは紙を捲り、最後の一枚を見せる。
「それで、我々の仕事だが、アジキ教団の拠点の探索と殲滅だ。ヒエンの襲撃はかなり大規模で、付近に人員や補給の拠点が作られている可能性が高い。それを発見し破壊することが我々の仕事だ。雨が上がり次第全員で向かえ、だそうだ」
ノレアは全員を見渡し、話を締めくくった。
「いつでも出発できるよう準備しておくこと。いいな」
「「「「「はい」」」」」
どこか沈んで緩んでいた空気から一変、引き締まり張り詰めた空気が空間を支配していた。




