75 ムーナ
ウルカとブルースが聖騎士と戦闘した約二週間後。序列騎士と司教が死んだこと、そして新たな有力魔族の出現は、ものすごい速さで世界中に広まった。世界中のどこにいても、酒場にでも入ればその話を聞けるだろう。
戦闘の場に居合わせ、奇跡的に生き残った者が居た。その者は、自身の居合わせた戦闘と惨状を語った。序列騎士と司教の死も、新たな魔族の出現も、すべてその者が広めていった。
すでに世界中に広まった新たな有力魔族。それは、“斧鬼”と共に現れた炎を操る魔女だった。中には聖女殺しの犯人と同じだと気付いた者もいただろう。
生き残った者は、魔女の叫びを聞いていた。悲痛な、憎悪と怒りのこもった叫びを。魔女は、生き残った語り部により、こう呼ばれた。“怨嗟の魔女”と。
※
「失礼いたします」
昼過ぎの時刻。来客の予定は無かったはずだが、扉がノックされた。
「ええ、どうぞ」
返事をするとすぐに扉が開き、一人の女性が入って来た。
「あなたは……」
「私はクロア、セタラ様の秘書でございます」
名乗った女性は確かに見覚えがあり、セタラと共にいるところをよく見かけていた。確か小さいころにセタラに引き取られたという孤児だったはずだ。
「そう…セタラ様の…」
セタラ。ナート教の七人の司教のうちの一人だった。今朝、死亡したとの知らせが入ってきた者だ。個人的に司教唯一の良心とも思っていたのだが、ナート教は惜しい人を失くしたものだ。
「はい」
「それで…なんの用なの?あ、そこの椅子使ってちょうだい」
目の前の人物の身元は分かったが、自分のところに来る理由が分からない。セタラとは特別親しかったわけでもなければ派閥に属していたわけでもない。
「ムーナ様個人に宛てた遺書がございます。それを届けに参りました」
「は…?遺書?私個人宛に?」
自分も今はナート教の司教の七人のうちの一人だ。しかし、セタラから個人宛の遺書が届いたというのはいささか怪しいものだった。
「はい。こちらでございます」
「……ええ、分かったわ」
少し考えたが、とりあえず受け取った。
「中身のご確認をお願い致します」
「今?別にいいけど…そうだ、その前に、他の司教宛の遺書とかはあるの?」
若干の怪しさを感じてしまい、会話を引き延ばす。司教の唯一の良心と言ってもよいセタラに限って何もないとは思うが、立場上少し勘ぐってしまう。
「ございません。司教に宛てられたものはムーナ様宛のもののみでございます。個人宛のものも、私宛のものとムーナ様宛のものの二つだけでございます」
「そうなの……分かったわ。じゃあ、とりあえず確認するわね?」
自分宛のみと言われ、怪しさが加速してしまう。やはりいくら考えても自身が遺書を残す唯一の司教になるとは思えなかった。しかし、何も話が進まないので、クロアに促されるまま遺書を開封する。
「…………」
開封した時点では何も起こることは無く、別段罠などの類いでは無かったようだった。
「なっ…!?」
一読してみると、なかなか長いものであり、読むのにそこそこ時間がかかった。そして、完全に想定外かつ想像以上の衝撃的な内容が記されていた。
「……ねぇ、あなた…クロアって言ったわね。クロア、あなた、この遺書の中身については知ってるの?」
「はい。私は事前に内容を聞かされております」
クロアが答える。
「そう。分かったわ……で、あなたはどうする気?」
「…っ!?」
クロアの後ろに回り懐剣を首にあて、いつでも命を終わらせられるように力を込めて構える。クロアは私の動きについてこれなかったようで、何が起きたのか理解できていないようだった。
「はっ…ふぅ…」
「もう一度、もう少し分かりやすく聞くわ。あなたは、私たちと敵対する?」
「はい」の選択肢なんてあったもんじゃないが、一応確認する。
「敵対…するつもりは…ございません」
首に刃の当たったクロアは冷や汗を流しながら答えた。密着しているので速まる鼓動も伝わってくる。
「……まあ、そうでしょうね。セタラの遺書の中身を知ってて私のとこに来てるんだし」
予想できた答えではあった。自身の命が脅かされているのを抜きにしても、遺書の内容を知っていて私の下にそれを届けに来ている時点で敵対の意思は無さそうではあった。しかし、まだ刃は離さない。
「それで?あなたは私たちの味方になるの?それとも中立の立場をとるの?」
「……味方、とは言い切れません」
クロアの呼吸のリズムが少し速くなっているのが分かる。鼓動も呼吸と共に少しづつ速まっている。
「そう。勇気があるわね。で、言い切れない、って言うのは具体的にどういうこと?」
全面的に完全な味方だと言われるよりは信用できた。また、命に手をかけられても味方だと簡単に言わないあたり、何かを抱えているのが感じられた。
「私は…セタラ様のご遺志に従うのみでございます。ですので…私はムーナ様方の味方ではありません。しかし、ある程度は目的が一致していると思っております」
これもほぼ予想通りの答えだ。遺書を読んだところセタラ個人の意志があったようで、力を貸してほしいとの旨も記載されていた。私に声をかけるのならば利害の一致による協力だとは思った。
「…分かったわ。ごめんね、脅かして」
「い…いえ、ムーナ様からすれば当然の対応です。問答無用で殺されることも考えていましたし…」
一度クロアの首から懐剣を離す。その後にもう一度椅子に座るように促した。いつでも殺せるように意識は向けているが、表面上は安心できるようにする。
「味方とは言い切れないけど、目的が近いし協力しましょうってことね……それであってる?」
「はい。こちらはセタラ様…ひいては私個人で勢力などはありませんので、セタラ様が独自に集めた情報や縁が出すことになります」
まだ乱れた呼吸と鼓動が戻らないのか、クロアは首筋に触れながら喋る。少しおびえているようにも見えるが、そんなに怖かっただろうか。
「ええ。協力するならそうなると思うわ。ただ、いくつか問題があるわ」
「は、はい。なんでしょう」
セタラの遺志とクロアの言を鑑み、問題がある気がした。
「たしかに私たちとセタラ様の目的は一致しているところはあるわ。でも、かなり離れている気がするわね……それどころか、最後に敵対するかもしれないわ。それは分かってるの?」
「はい。可能性は。ですが、その時は…恐らくムーナ様方の理想に協力することになるかと」
クロアによれば、ぶつかり合えば折れるということらしい。しかし、さすがにすんなり信じられることではない。というか、言っていることが無茶苦茶だ。
「セタラ様の遺志を継ぐんじゃなかったの?」
「これもセタラ様のご遺志でございます」
私に従うというのもセタラの遺志らしい。警戒を解くつもりはないが、どうにも嘘をついているようには見えなかった。
「………分かったわ。一旦は信用しましょう。あなたとは協力することにするわ」
悩みはしたが、一旦の協力関係を結ぶことにした。警戒も注意も怠らないし、最悪の場合は始末することも視野に入れているが。
「ありがとうございます」
クロアはほっとしたのか、荒かった呼吸や鼓動が少し収まったように見えた。
「そうね…でも、今できることは別にないわね。どこかのタイミングでセタラ様の集めたっていう諸々
を持ってきてもらうくらいかしら」
「承知いたしました。それと、一つお願いが」
「できることならこっちも協力するわ」
クロアはこちらの要求を聞いた後に言葉を発する。当然、協力関係な以上こちらもできることはするつもりだ。
「私を次の司教に推薦していただきたいのです」
「ああ、そういう…いいわ。その方が動きやすいでしょうし。でも、私一人の推薦じゃ多分無理よ?」
上の立場の方が何かとできることも多いし、協力者が上に来ることはアリだ。しかし、司教は他の司教の推薦と投票で決定する、政治色の強い選定法だ。六人中一人が推薦したところでほかの候補者も出る可能性が高い以上、上手くはいかなそうだった。
「問題ありません。セタラ様が遺言で、私を推すと遺してくださったそうです。最低二人、セタラ様の遺言に従う方に心当たりがあります。ムーナ様が私を推薦してくだされば半数の票をとれます。派閥の状況を鑑みるに、他のお三方の票がまとまることは無さそうですので問題ないかと」
「そう。遺言があるのね…じゃあ大丈夫そうね。一週間もしないうちに会議があるでしょうから、その時にあなたを推しておくわ」
司教の面々を思い浮かべれば、確かにセタラの遺言があるのならばほぼ確実にクロアを通せそうだ。
「ありがとうございます」
クロアは頭を下げた。どうも、司教になるのは自身の野心のためという感じはしなかった。セタラの遺志かお節介か、分からないが何か遺していたのだろう。
「別にいいわ。それより、セタラ様の情報とか、お願いするわね」
「はい。明日にでも持ってこれます」
クロアは言う。遺書でも少し言及されていたのだが、かなりの量があるようだ。
「じゃあ、今日はありがとう。後、当たり前だけど、色々秘密にしといてね」
「はい。それでは失礼いたします」
クロアは席を立ち、部屋を後にした。
「ふー……どうしましょうね」
クロアが退出したのを確認して大きく息を吐く。クロアとの協力は、良い結果を呼ぶ可能性はあるが、悩みの種にもなりうる。最高の想定も最悪の想定も必要で、色々と考えることが増えた。
「まあ…とりあえずは協力者ができたことを喜びましょうかね……」
完全に想定外のできごとだった。自分の正体を見抜いている者がナート教会にいるとは思ってもいなかった。幸いなことに何かを抱えていたようでこちらに接触を図って来たが、大問題には変わりない。今はプラスの面を喜ぶことにしたが、今後どう転ぶかは分からない。
「警戒はするとして…報告もしなきゃね…外れてなきゃいいけど」
ムーナの言葉を聞いている者は、誰もいなかった。




